昨年初の劇場映画が元旦に観に行った『翔んで埼玉 琵琶湖より愛をこめて』だったので、今年も大作系のバカバカしくて笑える映画が良いかと思い、この作品と『はたらく細胞』のいずれにしようかと悩んだ上、この作品を選びました。両者を見比べると、この作品の方が(レビュー上もあからさまに低ポイント状況ですが)上映回数が激減傾向にあるので、仮に両者を見るのだとしても、優先すべきは本作と考えたことが主要な理由ですが、雑誌『週刊モーニング』で原作を知っている『はたらく細胞』の方は、本来、細胞達が多数棲んでいる人間の方の日常などを描いていないのに、映画ではそれが並行した物語として描かれているという所に、やや違和感が湧いたことも否めません。観たいとは思いますが、仮にDVDで観ることになっても良いかなというぐらいに感じられてきました。
本作について私は何となくブッダとイエスが日本の狭い安アパートに同居している話ぐらいの認識しかありませんでした。タイトル中の「聖」の字を「セイント」と読むことぐらいは知っていましたが、原作も全く読んでいません。ですので、どんな話なのかを知るのも悪くないかと思えたということが大きいのと、監督が福田雄一という人物で、特に詳しい訳でもなく特にファンでもありませんが、彼が携わった作品群で、映画だけでも『女子ーズ』(2014年)、『銀魂』(2017年)(シリーズ第二作も福田雄一の作品ですが、私はあまり楽しく感じませんでした。)『斉木楠雄のΨ難』(2017年)、『ヲタクに恋は難しい』(2020年)、『今日から俺は 劇場版』(2020年)『新解釈・三國志』(2020年)『赤ずきん、旅の途中で死体と出会う。』(2023年)など劇場鑑賞・DVD鑑賞合わせると結構気に入った作品があることに、今回事前にウィキを予習して気づきました。(敢えて言うと、こうした作品群より、私の敬愛するコメディアンであるタモリの人生の軌道を変えたというべき『森田一義アワー 笑っていいとも!』がウィキのリストに加わっていることの方が大きな驚きかもしれません。)
そして極めつけはテレビドラマの『勇者ヨシヒコ』シリーズです。私がかなりハマった作品で、発見は公開よりもかなり遅れましたが、発見当時娘とよく笑いながら観ていました。しかし、第二作はまあまあぐらいになり、第三作ではワンパターンのバカらしさに大分飽きが来て、何となくコンプリート感の達成のために惰性で見終えたように感じています。いずれにせよ、『勇者ヨシヒコ』シリーズは主題歌を歌ったmihimaru GTのベスト盤を買い込むぐらいに好きなドラマでした。
本作を観るに当たって、このように『聖☆おにいさん』と『福田雄一』の長いウィキを読んだ上で、映画関係サイトに酷いレビューが多々書き込まれている中、それでも観てみる価値を見出したのでした。
この作品の封切は昨年12月20日で封切からまるまる2週間の(今年最初の)土曜日の15時の回を札幌の中心街からやや外れた場所にある元ビール工場の商業施設の映画館で観てきました。過去には、2023年に『M3GAN ミーガン』、2019年に『シュガー・ラッシュ:オンライン』を観た映画館です。今回行ってみると、映画館名が微妙に変わっていて、映画.comの映画館一覧でもパッと見で認識できませんでした。以前はユナイテッドシネマだったのですが、今回調べてみると、ローソン・ユナイテッドシネマになっていました。映画館に行くと、外壁(と言っても商業施設内の映画館部分の外壁ですが)に名称変更の旨を告知するポスターがあり、ローソンが加わったことでポンタの何かのキャンペーンが12月20日よりスタートしたと書かれていました。ローソン・グループであるのなら、映画のチケットを買った時点でポンタカードの提示が求められてもよさそうなものですが、券売機で処理を進める中でそのようなステップは生じなかったように記憶します。
帰宅後にユナイテッドシネマのウィキも流れで見てみると、1993年にユナイテッド・シネマ・インターナショナルが日本法人を設立してから、あの藤田商店やら住友商事やら角川書店やらが出資を重ねて来ている間に、本体のユナイテッド・シネマ・インターナショナルがイギリスのファンドに買収されて日本から撤退するなど、紆余曲折が延々と描かれています。ローソンは2014年に資本参加したようで、その後、2024年3月1日、社名を株式会社ローソン・ユナイテッドシネマに変更し、じわじわと館名も現状のものに統一してきたという流れのようです。典型的な欧米型買収劇に振り回されてきた組織という風に感じられます。(取り分けこの映画館ならではの映画指向も運営テイストも感じられない中、敢えて言うと、顧客志向の薄い大味の大手型経営と、中小零細企業経営にばかりずっと関わってきている私には思えます。)
この館で本作は1日2回の上映が為されています。札幌で同じ上映館数である『はたらく細胞』はこの館でもIMAXだの4Dだのを含めると1日8回も上映されていますので、人気の違いが痛感させられます。それでもシアターに入って見ると、50人ぐらいも観客がいるのに少々驚かされました。
男女比はざっと見た中で女性6割近くという半々よりややバランスが偏っているぐらいの感じに見えました。この観客層で特徴的なのは、単独客が全体人数の2割ほどしかいないことです。男女2人組もいれば、女性同士の2人組もいました。あと珍しい組み合わせでは10代後半に見える男子3人組もいました。いずれにせよ、単独客がやたらに少ない構成で、これはこの映画とこの映画館の立地的特性の組み合わせによって生じたことのように思えました。年齢構成は広く薄く偏りない状態で、10代後半から70代ぐらいまで広がっていましたが、親に連れられた幼児などはいなかったように思います。
レビューでは主に2派に悪評が分かれているように感じます。一つは「くだらない」で特に福田組と称する人々による福田テイストの悪ふざけや内輪ウケが酷過ぎて、映画で観る価値がないというものです。二つ目は「原作は面白いのに、こんな改悪は許せない」派の人々で、所謂実写化映画には必ず大なり小なり現れやすい意見です。
ただくだらない映画は世の中に山ほど存在しますし、制作陣が「何か芸術性やメッセージ性の高い至高の作品を制作したのだ」的な大勘違いをしているケースは『自由を手にするその日まで』や『まなみ100%』などの低予算作品から『シン・』シリーズのほぼ全作品などの大型予算作品まで私から見ると、これまた山ほど存在します。くだらなさだけで作品を排除して行ったら、日本で公開される映画など4分の1ぐらいなくなってしまうのではないかと思えてしまうぐらいです。
原作ファンの憤りは分からないではありませんが、原作の改悪は許せないぐらいの頑なな態度にまで至ると流石にどうかと思えないではありません。例えば、『ピープルVSジョージ・ルーカス』は『スター・ウォーズ』ファンが各種の制作側のしたことに対して許せないと大騒ぎし訴訟まで起こすような事態を描いたドキュメンタリーですが、(私が全く『スター・ウォーズ』シリーズに関心が持てないことも背景理由として存在するとは思いますが)劇中に描かれるファンが愚昧に見えて仕方がありません。
実写化が酷い事例として挙げられる『CASSHERN』も、原作がまあまあ好きな私から見ても、原作にインスパイアされた全くの別作品として見たら、映像はスタイリッシュですし、死生観を問う要素も多く、少なくとも悪い作品ではないと思えています。同様にこれまた悪評高い『ジョジョの奇妙な冒険 ダイヤモンドは砕けない 第一章』も、私は『JOJO magazine』も全巻持ち、『ユリイカ』の関連本も読み込んでいるのでファンの類であろうと自覚していますが、確かに展開が諸々押し込まれ過ぎて辛い作品ではありましたが、キャラの再現度合いやスタンドのCG画像による再現度には観るべきものが一定量有ったように私は感じています。決して駄作とか「あるべきではない作品」とかとまでは思いません。あとは主人公の性別まで変えた『黒執事』も悪評をよくネット上で目にしますが、『仮面ライダーカブト』以来の水嶋ヒロと、山本美月の華麗なアクションを見るだけでも価値があるように思えますし、優香の珍しい極悪役も一見の価値があると私は思っています。
私から見てもかなりいいとこナシに見える『破裏拳ポリマー』や、スカヨハや北野武まで動員した『ゴースト・イン・ザ・シェル』、さらに私が若い頃からコミックでハマった『009ノ1 THE END OF THE BEGINNING』なども、多様化の時代、モノの見方やモノの解釈は多様なのだと受容せざるを得ないものと得心しているつもりです。(同様の低評価作では『キカイダー REBOOT』もありますが、こちらはコミックから実写テレビドラマを経ての実写映画化なので、評価の仕方がやや異なります。)
また、原作クラッシャーという観点で見て、原作者が許せないものが勝手に作られているというケースもあるようですが、それらは論外であって、既に作られてしまった後とはいえ、『海猿』のように作者が許諾を止めるというのが正しい対応だと思われます。その意味で、木南晴夏が好きな私はかなりハマった、テレビドラマとして名作と放映当初言われていた『セクシー田中さん』の原作者の自死に至るような状況は、もっと手前の段階で(仮にそれがあの名作ドラマを作るに至らない結果だったとしても)原作者の権利を以って避けられるべきであったように強く感じます。
ただ、本作のレビューを細かく見ていると、「原作をみないで批判している人が多い」という指摘をしているケースもあります。コミックの第19巻から第20巻に該当話があり、それに相応準拠して作っているというような指摘が見つかるのです。また、パンフには、「ゆるい日常を描くショートストーリーとは異なる、劇場映画化のために原作者の中村光が描いた原作エピソードであり、『聖☆おにいさん』史上初となる壮大な長編シリーズ『スクリーンへの長い途(みち)』の完全実写化に挑む」という文章があります。
原作を全く読んでいない私には正確な理解ができませんが、作者はこのような作品を意識して映画化にも耐える長編のエピソードを既に原作に盛り込んでいたように理解できます。ならば、原作を知り、原作者の主旨やテイスト、意向などをよく汲んでいるファンであるならば、この実写化作品を大歓迎すべきであるようにも思えます。少なくとも、一般的実写化に対する批判の大部分にあたる部分が、そのまま適用できる状況にはないようです。
また、「くだらない」の中の「内輪ウケ」感は先述の通り、『シン・』シリーズ作品でも非常に強く感じられますが、この福田雄一作品の場合は、モチーフや原作がかなり多様なので、多少バリエーションが広がって見えます。私は今回ウィキを見て『新解釈・三國志』と『勇者ヨシヒコ』が同じ「メーカー」のものであると初めて気づきました。言われてみると共通のテイストが理解できるものの、前者は主役に大泉洋が入っていて、元々(私はあまり見たことがない)『水曜どうでしょう』などのノリに近い作品なのだろうと勝手に思い込んでいましたし、大泉洋と橋本環奈の掛け合いなどは結構楽しく思えた作品でした。
しかしそのようなモチーフによるバリエーションも同一モチーフで繰り返されると急激に飽きが来てしまうということと考えらえるのが『勇者ヨシヒコ』シリーズの第一作から第三作に至る面白味の急激な減衰です。私の周囲にも同様に感じているファンが何人も存在するので私だけの特別な受け止め方ではないように思っています。(続編は一般にパワーダウンするというジンクスは、『エイリアン』シリーズ『ターミネーター』シリーズ、『悪魔の毒々モンスター』シリーズや、邦画なら『キングダム』シリーズの例もあるため私はあまり信じていませんので)『銀魂』の第二作が面白くなく感じるのも同様の構造かと疑われます。
部分で見るならば、福田組に(ウィキに拠れば「福田雄一作品の常連俳優や制作チームの総称。文脈によっては、初参加の俳優を含む場合もある。特に、重鎮であるムロツヨシと佐藤二朗の二人は「福田組の風神・雷神」と称される。これに賀来賢人を加え「風神・雷神・竜神」とする場合もある。(注釈略)」とのことですが)共通する佐藤二朗のアドリブ芸にはかなり辟易するようにはなりました。本作を鑑賞して、一番私が退屈に感じたのは佐藤二朗の登場場面で、そのアドリブ芸で主役の二人もそれを見て笑いをこらえている様子は、『勇者ヨシヒコ』や『女子―ズ』、『銀魂』で何度となく見てきたものなので、「はい。始まりましたね」とただやり過ごす感じになりました。(厳密に言うと、本作のオープニング映像も『勇者ヨシヒコ』シリーズと同様のテイストで、第一作から第三作までを知っていると多少の辟易感が湧きます。)
それでもやたらに有名俳優が登場してはバカげた役のバカげた台詞とバカげた演技を大真面目にこなしていく様子は(そうした観点で)なかなか見応えがあります。最近年末年始にも再現特集されるようになった往年のドリフのコントにはゲストで有名歌手や有名アイドル、有名俳優が混じり込むことがありましたが、そうしたノリで「この人にこれをやらせちゃうのか」と言った多少の驚きと笑いが生まれる余地がたくさん見つかる作品です。
当初トレーラーで見た際には、『女子―ズ』の面々がなぜこの作品に登場するのか分からず、さらにそのリーダーを川口春奈が務めるというのも全く分かりませんでしたが、それも一応物語の中にそれなりにすっぽり収まる感じで含まれていて、まあまあ笑えて楽しかったです。
そうしたオマージュ系もふんだんに盛り込まれていて、私の好きな『女子―ズ』からは、マツエクネタは勿論、ブルーとネイビーのカブリ問題も、売れない役者のグリーンも、きっちりと設定が活かされており、おまけに母親になっているメンバーもいるなど、なかなか楽しませてくれます。同様に戦隊モノ全般の巨大ロボ戦闘に至る流れや、『ドラゴンボール』や『スター・ウォーズ』の修行プロセス、さらに『ジョジョ…』シリーズのスタンド戦などかなり色々なネタを盛り込んでくれています。おまけに原作を知らない人間としてはパンフに長文の記事まで書いている二人の「宗教監修」担当者を擁した宗教ネタも結構新鮮で笑えました。(本作の原作のウィキにもその手の話が満載です。)確かにここまで宗教ネタを入れるスタイルであれば、ウィキでも言及されている通り、イスラム教の話は登場させられないのも無理はないように思えます。(フランスの極端な一部原理主義者に12人も殺害された『シャルリー・エブド』襲撃事件のような展開さえ一応危惧されることでしょう。)
私が好きなこうしたごった煮状態(とはいえ、多少『ジョジョ…』ネタの比重が大きいようになっていますが)のパロディコミック作品に『太臓もて王サーガ』がありますが、それに似た面白さを実写映画で楽しむと思えば、それなりに楽しめる作品であるとは思えました。私の後ろの列に座っていた中年夫婦らしい二人組は、妻らしき方が3分に一度は「フフフ」、「アハハ」と笑い続け、観終った後に(私がコートなどを着込んで身支度していると)夫らしき方が唐突に「これ物語って、有った? 笑えるけど、これ映画なのかな?」とぼそりと呟きました。妻らしき方が、「まあ、こういう笑えるだけの話っていうことなんじゃないの」と笑顔で応じていました。この映画のあるべき鑑賞態度を見事に表出させた会話だったと思えます。
佐藤二朗のパーツは全般に退屈でしたが、最後に取って付けるように現れた藤原竜也の巨大ルシファーがデスノート(映画の撮影に使われた本物)を出して見せたり、中盤から登場の窪田正孝が悪魔のマーラの役を(三人の娘バカの父親だったり、人間たちをゾンビ化する容赦ない悪魔だったり、主人公たち二人のスタンドのパンチ・ラッシュを捌く戦闘をこなしたりと)延々と大真面目に演じていたり、小さな楽しめる場面があちこちに見つかる作品でした。DVDは買いかと思えます。
追記:
『女子―ズ』ファンだった私としては、今回の『女子―ズ』は全員総代わりして川口春奈ぐらいしか知っている人物がいない状態でしたが、先述のマーラの長女の役で山本美月が登場しており、これまた(『ザ・ファブル』実写作品でも佐藤二朗とセットで登場していますし)福田組的つながりの結果であるのかもしれませんが、『女子―ズ』OGが存在しているように感じられました。
追記2:
劇中で死の瞬間の走馬灯についての議論で、その一事例の中に山田孝之が端役で登場します。パンフを読んでから知りましたが、彼はこの作品のプロデュースにも参画しているようでした。私は『TAKAYUKI YAMADA DOCUMENTARY 「No Pain, No Gain」』を観て以来、彼の作品をできれば避けたくなっているので、今回少なくとも劇中では彼が非常に限られた場面の登場で終わっているのが、この作品の評価を多少上げるポイントになっています。(過去の『デイアンドナイト』のプロデュース現場での彼を見ている限り、彼のプロデュースと称する作業の作品品質への影響度合いは限定的であろうと思われます。)
追記3:
映画館に到着してロビーに入ると、100人近くは並んでいそうな長蛇の列でロビーの面積の実質的に半分近くが占拠されていました。これがもし自分が観る映画の待ち状態なら大変なことだと思い、慌てて列の先頭を確認しに行きました。驚いたことにその長蛇の列はコンセッションのカウンターに向かうものでした。