『ゴースト・イン・ザ・シェル』

 封切から一ヶ月弱の月曜日の晩にピカデリーで観てきました。新宿ではまだ三館で上映していましたが、どの館でも、1日1、2回の上映回数になり、その殆どは夜遅い時間帯に集中するようになってきていました。映画サイトの方からチェックすると、バルト9などは上映館としてはリスト・アップされていても、上映時間が空欄になっている状態で、明らかに終映が近い感じが漂ってきていました。

 上映開始は夜10時5分。終わりは12時過ぎで終電時間枠です。しかし、9時時点でネットで見ると「残席わずか」になっていて、急いで向かい9時半ごろに着くと、前数列を除いてほぼ満席の状態で、最後列の端から二つ目がポツンと空いていたのでそこに席を取りました。

 たくさん居過ぎて今一つ傾向が把握できませんでしたが、男性客が7割がたを占め、年齢層で言うと、男女共に40代前半ぐらいに中心値があったように見えます。勿論、20代の客も居ましたが、少数派で、私より少々若いぐらいの男性がメインの観客に見えました。どう見ても、原作アニメにはまった人々と言う気がします。

 ゴールデン・ウィークの真っ只中とは言え、平日の終電時間枠の上映で、おまけに、上映回数に大きく翳りが出ている後の段階で、この動員状況には驚かされました。このような繁忙の時期によるものなのか、単純に人手不足の折、スタッフが確保できないからなのか分かりませんが、劇場のサービスレベルの低下はあからさまで、こちらも驚かされました。

 ロビーに以前あった小さなスツールとテーブルは一切撤去されてなくなっており、壁際の電車の座席のようなソファが一列しかなく、所在なくロビーをウロウロとする人々がそのままにされていました。広いトイレは床の幅に広く広がる炭酸らしき飲み物が放置されたままの汚れた状態でした。階段の踊り場の床にも細かなゴミが散乱し、シアターの入口の脇には、見終わった観客から回収したごみを入れた大きなポリ袋が雑然と放置されていました。さらに、階段脇の壁面に組みつけてある文字表示は、濁点が外れて紛失したままになっていて、「ドリンク+フート」となっているのに、直すこともされていません。

 チケットカウンタも、自動機を使うように指示する表示が設置されていました。以前、無人機を使った際には、端末がシステム・ダウンし、結果的に時間が余計にかかり、終いには、有人カウンタで購入するように指図されました。その経験から、有人カウンタに行こうとすると、「現金・クレジットカードによる当日券の購入の方はこちら」と明確に限定されていました。有人・無人の区別があるのは合理化の手段として或る意味当然であるものの、そのいずれかを客が選べるようにするのが、私には当然であろうと思えます。

 バルト9よりは一般に上映回数の変化が緩やかで、封切から時間の経った作品を見る場合には、時間枠の選択肢が広がって重宝な面がありましたが、以前の唐突なポイントカード制の改悪や今回の「場末感」の増大は、今後の利用頻度を再考するに十分な要因だと思われました。

 この映画の原作のコミックの方を私は読んでいません。主人公の「少佐」のキャラがかなり違うと聞かされていたので、最初にアニメを見た後にコミックに遡ることはしませんでした。ただ、『ブレードランナー』には数年遅れるものの、原作コミック段階で既に「現在でもなく、遥か未来でもない“近未来”」の舞台設定は完全にでき上がっていることは知っていましたし、それを6年後に全世界同時公開されたアニメの方は、その近未来の当たり前の社会設定とそこに生きる人々が矛盾なく描かれている日本SF作品としての金字塔であることも知っていました。

 一応、原作アニメのファンの部類に入ると思います。私は特に政治劇とハードコアなアクション、そして、何より冷徹・冷静な少佐のキャラが気に入った作品で、その後の『S.A.C.』シリーズ3作と『イノセンス』はとても気に入っている半面、さらにその後公開された劇場アニメ『攻殻機動隊 ARISE』シリーズは、若い頃の少佐のキャラ設定に全く共感できず、決して観ないようにしています。

 映画を観てみると、随所に、原作アニメの場面を忠実に再現したと感じられるシーンが見つかります。5分に一回ぐらいの頻度で、「あ。これも、組み込んだんだ」と思えるシーンが登場しますし、オープニングの場面にさえ少佐の義体の完成プロセスがアニメ同様に採用されています。この点だけで見ると、この実写映画は非常に原作に忠実と評価できると思います。誰がどんな風に作ろうと、この原作アニメへの忠実さを誇る実写イメージを作ることはできないのではないかと思えます。

 しかし、原作に忠実であるのは、ここまでです。公安9課の面々は部長(/課長)の荒巻とバトーとトグサぐらいしか居ませんし、場面設定やキャラ設定がアニメとはそれなりに違和感があります。また、一応悪役のキャラはクゼと名乗っていますが、かなり『S.A.C.』シリーズの「個別の11人」に登場するクゼとはキャラが違います。原作アニメの「人形遣い」との少佐の魂の交流を描く場面も採用されていますが、当然、その相手もクゼになってしまっていて、何人かの対戦相手キャラが複合的に組み合わさっています。

 さらに、この作品が原作アニメと最も大きく異なるのは、ストーリー展開と少佐のキャラです。この二点は、一定のレベルのファンなら「許せない」と感じる部分でしょうし、現実にこの作品のネット上での評価は賛否両論のうちの「否」の方が圧倒的で、その論拠もこの二点にあるように感じます。

 ストーリー展開は、原作アニメにおいては、組織犯罪ドラマと言った設定になっていて、少佐を始めとする登場人物達の多くは入替可能で超人的な能力をもつ義体と、記憶や価値観の奥に潜むゴーストとの齟齬に懊悩していますが、ストイックにそれに向き合い、基本的に自分たちの立場上の役割の遂行に支障をきたすことがありません。それに対して、映画の方は、少佐の自分探しの旅に多くの尺が費やされています。勿論、同様の展開はそれなりに、『S.A.C.』シリーズの「個別の11人」にも登場するのですが、この部分が物語の核ではありません。

 そして、少佐のキャラですが、先述の通り、義体化された人間のアイデンティティの危機が、原作アニメでも滲み出るように常に感じられるのですが、それに冷静に向き合い、(基本的には)振り回されることがないのが、少佐の魅力です。敢えて言うなら、所謂「ツンデレ」のうち、「ツン」95%、「デレ」5%のような絶妙なバランスです。それが、映画では、人間だった頃の実家を訪ねて、珍しく英語を話す桃井かおり演じる母親との邂逅を果たしています。これは明かに原作アニメの少佐から逸脱しています。

 このブログにも、シリーズの第一作だけを観て、余りの落胆に続きを観ることがなくなった『攻殻機動隊 ARISE border:1 Ghost Pain』の感想が入っており、その中に…

> ただ、今までの攻殻機動隊の「少佐」のイメージからは、
> (声優が変わって)声質が違うことや、中途半端に若返り感があって、
> 妙に人間的で表情もそれ以外の感情表現も、やたらに豊かになっていることに、
> とても違和感が湧きました。

と書いています。義体なのですから、本来苦痛もない(若しくは、あっても最小限と思われます)でしょう。なぜわざわざ、苦痛に顔をゆがめたり、力んで血管が浮き出るような設定にして少佐の魅力を削り取るのかが全く理解できませんでした。その同観点から、この映画を私は好きになれません。

 数々のマーベル系の映画に登場するブラック・ウィドウ役のスカヨハや『LUCY ルーシー』のスカヨハなど、アクションのあるスカヨハが見られるのは申し分ないのですし、原作アニメへのリスペクトも十分に感じられるのですが、如何せん、少佐のキャラ変更と陳腐な記憶探しドラマに堕した点が、私には好きになれませんでした。これほどの変更を行なうなら、いっそ、『黒執事』や『ガッチャマン』、公開予定の『破裏拳ポリマー』のような、原作アニメとは別物として成立している作品にしてほしかったように思えます。DVDは不要です。