『てっぺんの剣』

 11月15日の封切から2週間余り経った12月最初の火曜日。大森にある初めて訪れたはずの映画館の夜8時の回を観て来ました。この館のウェブサイトを見ると設立40周年と書かれていますのが、まさに40年前の私が20歳から22歳までを初めての東京で貧乏暮しをしていた頃、まだネットもDVDもなく、漸くVHSのデッキが出回り始めたような時代、私は2年の間に映画館で300本ほどの映画を観て回っていましたが、その際に全く来たことのないこの大森と言う駅に降り立ったような朧気な記憶があり、それがこの映画館に何かの作品を観に来た機会であった可能性はそれなりにあります。ですが映画館そのものの記憶は全くありません。

 この作品は全国でもこの館1館でしか上映していません。それも1日1回の上映ですから、非常に認知度が低いものと考えて良いように思います。しかし、パンフレットが用意されていないこの作品のチラシを見ると、「大ヒット御礼 大分から全国へ! 東京凱旋上映決定!!」と書かれていますので、元々この映画のロケ地の大分でのみ公開されていたような状況から東京に上映が広がった結果であることが窺われます。

 また、チラシ裏面には「剣道振興の輪を広げよう! 全国ロードショー挑戦中!」とも書かれており、全日本剣道連盟副会長の…「この映画は、『剣道の理念』が謳う「剣の理法の修錬」と「人間形成の道」を結びつける場面や至言が随処にちりばめられており、まさに剣道賛美の作品と評させていただきます。」とのコメントまで載っています。

 実はこの言葉は、この作品のオフィシャル・サイトにも書かれており、実際にはもっと長い以下のような文章の中の末尾の一文です。

「いざ、真剣勝負!?
 まずこの映画は、真っ当に剣道へ向き合った作品と評価いたします。
 世に知れる妖刀「村正」を介して、戦国時代と現代を直接結びつけ、刀剣による剣術から現代剣道へ、その伝統性を浮き彫りにさせ、剣道の真価を世に問う内容でありました。
 この作品は剣道側の監修が十分行き届いており、奇をてらう場面も少なく好感が持てるストーリーでした。
 最強の女剣士・結衣(北乃きい)を、戦国時代から現代に500年もタイムスリップさせる神業は、会長・裕美子の年の功、松原智恵子さんの演技力によって見事に切り替わりました。
 また、八代亜紀さん扮する居酒屋「まき」のママの、時を外さずその場にかなった言葉を紡ぎだす、燻し銀的な存在はしずかな光りを放っていました。その八代さんは昨年末に亡くなられ、この作品が遺作となってしまいました。誠に残念なかぎりです。心よりご冥福をお祈り申し上げます。
 この映画は、『剣道の理念』が謳う「剣の理法の修錬」と「人間形成の道」を結びつける場面や至言が随処にちりばめられており、まさに剣道賛美の作品と評させていただきます。」

 この文章を見ると分かりますが、この作品は地元大分推しの映画であると共に、剣道推しの映画で、その両面からの草の根的プロモーションが進められてきた結果、先述の「全国ロードショー挑戦中!」なのであろうと思われます。実際に、この映画のチケットを購入すると、「史上初! 剣道エンタメ映画 コアコアファン促進企画 てっぺんの剣」と題されたチラシと出席簿と書かれたハガキ大の用紙が渡されます。出席簿の方にはラジオ体操の参加記録のようなマス目があり5×5の25回分の鑑賞のハンコを押す欄になっているのです。「最多回数観覧者選手権 目指せ! てっぺん」とありますから、それぐらいに何度もこの作品を観たいファンができるという想定をしていることが分かります。

 その「最多回数観覧者選手権 目指せ! てっぺん」で最多の1名様には「大森剣道まつりで人気を博した剣道グリップ“零”の未発売モデル」が貰え、上位数名にもバラエティ豊かな賞品が…と謳われていますが、どうもそのインセンティブが魅力的ではなかったのか、それを魅力的と感じる熱烈な剣道ファンはいても、25回も映画を観たいとは思えなかったのか、観たいとは思っていても告知のリーチが及んでいなかったのか、いずれにせよ、この映画本体チラシとは別建てのキャンペーン案内チラシと出席簿まで用意した結果は無残になっているように感じられます。

 現実にシアターに入ってみると、私以外に60代以上と思われる男性客が2人いただけで、東京凱旋上映とやらは封切2週間余りでここまでの動員状態に落ち込んでいることが分かります。到底何度も出席簿を片手にこの作品を観に来ている観客がいるようには思えません。『王様のブランチ』の毎週の興業収益トップ10に長く居座っているような作品群は、その売上規模と認知度のアンバランスから、どう考えてもかなりヘビーなリピーターが存在することが窺われます。

 しかし、そのような観客はこの作品に対して生まれていないと考えるべきでしょう。私の周囲に若い頃に剣道をやっていたという知り合いは何人かいますが、現在も剣道を嗜んでいるという人物は皆無です。世の中にどの程度、その特殊な竹刀グリップを欲しがるほどの剣道ファンや、わざわざ大森まで(1日1度の上映しかありませんから)何日も通い続けてハンコを重ねようと考える剣道ファンが存在するのか、そうした予測が全く立てられていない中での、キャンペーンの企画と運用だったのだろうと推察されます。まるでどこかの広告代理店の口車に乗っただけの空振り感満載の地域興しキャンペーンのようです。

 中学校時代の体育の授業で剣道を経験してみて、到底好きになれなかったまま今に至る私がこの作品を観に行くことにした理由は、或る種の反骨というか捻くれというか、そうした心情の結果です。現在、『侍タイムスリッパー』という映画が流行っています。今年8月17日に池袋シネマ・ロサで一般公開された自主製作映画で、それが面白いと話題になって、全国に上映が拡大された稀有なヒット事例で、過去には『カメ止め』が類例としてあるので、「映画ファンからは『カメ止めの再来』と呼ばれている」と言われています。

 ゾンビものが私はただ薄汚く気持ち悪いので嫌いであるため、『カメ止め』も私は避けていましたが、普段それほど映画を観ないような人物からも、「『カメ止め』は観ましたか。やたら面白いのでマストです」などと言われ続けることに本当に嫌気がさし、そうしたことを言いそうになる人間には、「その話題を続けたら、この場を去るから」と言うようにさえなりました。ジャパニーズホラーの優れモノの作品はいくらでもありますし、コメディに寄ったホラー作品も幾らでも名作が見つかる中で、特に低予算で知っている俳優もいないゾンビものを私が観たくなる動機の湧きようがないのです。

 同様のことは、AV業界も大した知らず、従来はAVを見ることもなく、ただ社会の恥ぐらいの認識をしている人物達から何度となく「『全裸監督』は観ましたか。あれは最高です」としたり顔の評価を行く先々で聞かされた際にも発生しました。私はAV作品で村西とおるの監督作品のエロス描写の追求を端っから諦めて性を下らなく笑えるものに貶める姿勢を嫌悪していて、寧ろ初期の高橋がなりなどの作品の方が評価できると思っていましたし、代々木忠監督などは、それこそ神の領域に入っているとさえ思えます。

 村西とおるのドキュメンタリー作品『M/村西とおる狂熱の日々 完全版』はその作品もその中で撮影されている彼の作品群も全く駄作に見えました。それに対して、『YOYOCHU SEXと代々木忠の世界』に描かれる代々木忠監督には人生を掛けた哲学が明確に感じられます。『全裸監督』に関しては、村西とおると言うモチーフそのものも嫌悪の対象ですが、『TAKAYUKI YAMADA DOCUMENTARY 「No Pain, No Gain」』を観てから主演の山田孝之の思い上がりにも吐き気がするようになり、『全裸監督』を観る気が微塵も湧きません。そのような世の中のヒット作の流行に迎合できない場合、私はそれに代わる「こちらの方がもっとマシ」と言える作品がある状態を作ることにしています。

 ということで『侍タイムスリッパ―』以外に侍がタイムスリップするような話はないかと、ダメ元で色々と探してみたら、まさに同時期に上映されている作品で、侍がタイムスリップして現代に来る話が見つかりました。それが本作だったのです。おまけに主演がまあまあ好感を持っているのにここ最近観ない北乃きいと本郷奏多です。さらに自主製作作品と聞くのにやたらに尺が長い2時間越えの『侍タイム…』に比べて、本作は106分の手頃感です。これはもう早々に観て「『侍タイム…』を観ましたか」などと言う人間が現れたら、「いや『てっぺんの剣』の方が侍のタイムスリップものでは面白いから、こっちの方がいいでしょ」と言い返せるようにならねばと思い立ったのでした。

 よくぞタイムリーに侍のタイムスリップものが『侍タイム…』以外にも同時期に見つかったものだと一瞬考えましたが、再考してみると、タイムスリップものは世の中に山ほどあり(それではネタが無くなってきたのか、最近はタイムループものが続出ですが)、その中の比較的大きなジャンルとして侍のタイムスリップものはたくさんあるように思います。TVドラマなどの記憶が定かではなく、バンバンタイトルを挙げられませんが、それでも、劇場作品なら『満月 MR. MOONLIGHT』や『ちょんまげぷりん』、ドラマならヒットした『サムライせんせい』がすぐ思い出せます。いずれも私は動画などで断片的な情報を知っているだけで観ていません。

 敢えて劇場で観た作品を記憶の中で探ると、アメリカ映画でまだ「、」がない頃の藤岡弘が主演していた『SFソードキル』が挙げられます。(厳密にはタイムスリップの物理的な現象が起きている物語ではなく、マーベルのキャプテン・アメリカ同様に400年間氷漬けになっていた武士が現代に解凍されて蘇る話でした。)観たのはこの『脱兎見!…』を書き始めるよりずっと昔の1980年代後半でした。

(逆に現代の人間が侍の時代にタイムスリップする作品はもっとたくさんあるように思えます。私が観ていない『幕末高校生』や『ブレイブ -群青戦記-』、黒島結菜・川栄李奈見たさにDVDを観た『アシガール』や『SPEC…』シリーズや『映画ビリギャル』以前の有村架純を見るべくDVDで観た『ギャルバサラ-戦国時代は圏外です-』など幾らでも思いつきます。厳密に言えば、往年の『戦国自衛隊』とかヒットドラマ『JIN−仁−』などもこのタイプですし、『本能寺ホテル』やドラマから映画化もされたヒット作『タイムスクープハンター』だってこのジャンルです。)

 私がこうした侍のタイムスリップものをあまり観ていないのには理由があります。主要な一つは『日本語の発音はどう変わってきたか…』という新書も話題になりましたが、戦国時代ぐらいまでの日本語の発音は現代とはかなり違うことです。羽柴秀吉も「ファシバフィデヨシ」だったと言われています。おまけに国語で習った古語を耳で聞いてもイミフなことはよくあります。江戸時代でさえ、所謂「候文」などを読み聞かせされてもよく分からないことは多々発生します。こうしたコミュニケーションギャップは滅茶苦茶に起き、当然ながら、こちらの言っていることもタイムスリップしてきた侍に殆ど通じないはずです。このようなことが殆ど反映されていないのがこうしたタイムスリップもので、それがどうも作品に没入する妨げになるのです。

 そんなことを言えば、時代劇で既婚女性が鉄漿をべったりと塗っていることがないとか、江戸時代までは風呂上りに殆ど全裸に近い半裸状態で女性でも道を歩いていたとか、そうした事実も時代劇には全く反映されていませんし、まして人々がナンバ歩きをしていたりしません。(『どうする家康』で伊東蒼が演じていた阿月がナンバを意識した走り方で延々と山野を走り抜けるシーンがあり、元々の感動設定の場面とは別に、ちょっと感動しました。)しかし、これらは時代劇でタイムスリップによる異時代の遭遇が存在しない物語設定です。異時代の遭遇が一つの面白さであるはずのタイムスリップものでは、こうした本来殆どコミュニケーション不可の状況から話が始まるべきであるように、つい思えてしまうのです。

 大体にして、平安末期から江戸時代ぐらいまでの日本で侍は少数派の身分(・職業)です。タイムスリップが偶発的に起きるなら、百姓や商人の方が余程現代に現れそうに思えます。なぜ侍だけが物語として成立し偏ったジャンルになっているのかなどと色々と考えてしまいます。

 そういう意味で、侍のタイムスリップものにはそれほど関心が湧かないままに今日に至っています。そんな中で(且つ剣道にも全く関心がない中で)観た本作は、かなり好感が持てる作品でした。物語は映画.comの紹介文に…

「現代の大分県にタイムスリップした戦国時代の女剣士が、実業団の弱小剣道部を再生させて頂点を目指す姿を描いた剣道エンタメ映画。

戦国動乱の世。豊後の凄腕剣士・山本結衣は小城の姫を守って敵兵と戦っている最中、500年後にタイムスリップしてしまう。大分県の麦焼酎メーカー・藤居酒造の会長・藤居裕美子に救われた彼女は、恩を返そうと弱小剣道部の再生に乗りだす。一方、かつて天才剣士と称されながらも経営に専念するため剣道をやめた青年社長・藤居正人は、焼酎事業を拡大するため剣道部を廃部にしようとしていた。結衣は剣道部を守るべく部員たちを鍛えなおし、正人に挑戦状を叩きつける。結衣と正人は対立しながらも、剣道への情熱や互いの純粋な心に触れるうちにひかれあっていくが……。(後略)」

とあるまんまの物語です。タイムスリップの話、実業団剣道部の再興の話、地方の中小零細企業の立て直しと事業承継の話、そして紹介文にもある恋愛話、そこにさらに大分県の微妙な観光兼町興し的な要素まで入り込んで盛り沢山で、短い尺でどんどん話が進み、一旦解散に追い込まれた剣道部は再興し、新商品の温泉水で割った焼酎は大ヒットし、剣道部は実業団の全国大会でいきなり優勝し、恋する二人は急接近し互いの想いを確認する所まで一気に進みと、大忙しです。

 さらに剣道紹介映画でもあるのでしょうが、剣道の技の名前が試合の最中に文字で出たり、CGで剣士のオーラが出たりと、やり過ぎ感ある終盤の試合描写なども、それまでの一般的なドラマ演出から唐突感があり違和感が湧く部分もそれなりにあります。ただ、オフィシャル・サイトには配役でも…

「剣道部員役に、福山翔大(二段)、チャンカワイ(三段)、秋野太作(初段)の剣道有段者が名を連ね、ライバルは芸能界一の剣道好きを自任する天野浩成(三段)が鬼気迫る迫力の剣道を披露する!
 その他、渡辺正行(六段)や剣道ユーチューバー芸人剣道三段五段のよしき(三段)そのせん(六段)、実際の剣道界の選手や師範が随所に顔を見せ、剣道好きならクスリと笑ってしまう陣容となっている。」

と書かれていて、さらに、

「本作の魅力は、剣道対戦シーンに凝縮されています。コメディタッチのフィーリングも本作の魅力の一つですが、剣道の対戦シーンになると雰囲気は一変、剣道演出は通常の殺陣ではなく、自らも剣士として竹刀を振るう剣道家たちによって練られ、演じられました。さりげなく高等テクニックがちりばめられ、リアルな間(ま)と激しい打突(打ち込みのこと)が織りなす激しさと緊張感は、剣道を紹介したどんな映画・ドラマ・アニメをも凌ぐもので、目の肥えた剣道ファンも納得するクオリティです!」

とあり、再びさらに

「ストーリーが進むにつれ、剣道部応援席の面々の会話や、ウンチク記者、実況中継などのサポートで、個人戦、団体戦のルール、技や型の種類、勝敗の侘びサビ、熱中してしまう面白さの理由も無理なくマスターできてしまいます。1本見終わったら剣道通になれる(?) そして、競技としての剣道の楽しさのみならず、武道としての剣道の心を伝えるメッセージも全編にこめられています。剣道に熱中するチビッコ剣士が、もっともっと増えますように―という願いを込めて。 」

とさえ書かれています。そのように考えると、妙に説教臭く語られる剣道への向き合い方や、妙に説明臭く試合を見る観客が語る台詞などに加え、オーラのCG演出や技名の表記などは致し方ないのかもしれません。

 剣道が好きでもなく全く関心のない私は、主人公の結衣が子供用の剣道の本でルールを学び、突きが反則と知って控えていたのに、相手から突きで倒されるシーンが全く理解できないなど、剣道に関してはイミフのままこの作品を鑑賞することになりました。(ちなみに、剣道の有効打突部は「面」「胴」「小手」「突き」の4つですが、中学生以下では「突き」は有効打として認められないらしく、結衣の読んでいた本と実業団の剣道では話が違ったというオチを見て分かる人は、チラシの裏面にかかれているように、きっと「(剣道ファンも)ニンマリ」したのではないかと思われます。)

 本作のレビューを見ると、結構評価が低く、「盛り込み過ぎ」とか「部の再興からほぼいきなり優勝のシーンに飛ぶ」とか「タイムスリップが唐突できっかけが分からない」などの色々な理由が重ねられています。確かに剣道ファンからみたら逆に初心者向け過ぎた作りにしてしまったことがマーケティング上のターゲティングの問題としてあるようには感じます。この作品は、剣道をバリバリにわかっている人物には安易に話が進み過ぎていて恋愛やら事業承継の話が余計に感じられ、私のような全くの門外漢にはトリヴィア的に分からない面白さを塗し過ぎている…ということかと思われます。

 またタイムスリップの原理について言及しても、きっかけが落雷であろうと(『本能寺ホテル』の)次元移動のような原理のホテルのエレベータであっても、結局は荒唐無稽の域を出ていないので大同小異です。タイムループものなどはさらにそうした原理ガン無視の作品が多い中で、気にするだけ無駄であるように思えてなりません。

 私は剣道に全く関心が無くても相応に楽しめました。盛り込み過ぎは盛り込み過ぎですが、単純にNHKの朝ドラの総集編を1時間半にまとめられた形で観ていると思えば全く問題を感じません。コメディタッチの恋愛劇も会社ドラマも、そうしたドラマには大抵どっさり盛り込まれているものであろうと思われます。

 その中で、久々に観る北乃きいの好演が私にはなかなか見物でした。自分の元いた城を確認しようと現代の大分のロケ地の城下町のような古い街並みを走り抜けるシーンがあるのですが、スタントでも使っているのかと思えるぐらいに袴姿の武士のままの装束なのにとんでもないスピードで疾走しています。(エンドロール時にメイキングの動画が出ますが、本編以上にかなりの迫力です。)剣道のシーンも少なくとも面をしていない場面では、スタントがいる訳ではないでしょうから、かなりの出来栄えに思えます。

 私は観たことがありませんが2010年に『武士道シックスティーン』という剣道映画に成海璃子とW主演をしている様子なので、剣道と言う観点ではそれなりにこなれていて当然なのかもしれません。(そのように考えると、先述のキャンペーン・チラシに書かれた「史上初! 剣道エンタメ映画」というキャッチは、本作の主演である北乃きいの出演作を無視した誤認であることが分かります。)

 北乃きい演じる結衣は、先述の異時代コミュニケーションの面でもそれなりにきちんとこだわりを見せた演出になっていて、現代から再度タイムスリップして戻る直前まで、侍風の着物を着ています。言葉遣いもかなり昔風のままで、共演者本郷奏多演じる正人のことを「正人殿」と呼び続けますし、酒造の女性社員たちとの会話の中で、「愛している…? それはお慕い申し上げるということでしょうか?」などと言っています。自動車も初めて乗った時の落ち着かなさや、和室に住むように案内されて、照明のスイッチを何度もオンオフしてみたり、テレビの中の時代劇の武士にいちいち名乗って挨拶したりもします。

 正人との初デートで(私が以前関わったことのある大分市内の茶舗である可能性がある)店で抹茶ソフトクリームを買ってもらった際にも、プラスチックのスプーンでの食べ方を習い、歩きながらずっと物珍しげにぎこちなく掬っては食べ続けます。そのコメディタッチの部分を実年齢で30歳を超えているはずの北乃きいが演じても尚、生真面目な初々しさが絶妙に浮き立つように見えるのです。

 私が北乃きいを初めて認識できるようになったのは、2008年の『ゲゲゲの鬼太郎 千年呪い歌』です。世間的にはかなり酷評されていた実写版の『ゲゲゲの鬼太郎』作品の第二弾ですが、私は第一弾・第二弾共に、チャーミング極まりないの猫娘を創り上げた田中麗奈と、各々のヒロインを演じた井上真央と北乃きいの好演が気に入りました。その後の彼女の出演作は映画でもドラマでもそれなりの数存在するのですが、全く観る機会がありませんでした。

 W主演の本郷奏多もまあまあ好きな俳優です。一番印象に残っているのは『GANTZ』シリーズの彼で、シニカルでニヒリスティックな存在として際立っていました。その後の『ストレイヤーズ・クロニクル』や実写版『進撃の巨人』2作でもSF的世界で類似した立ち位置の人物を演じていたように思います。私はこれらの3タイトルが結構好きで、その中に共通して名脇役として登場していた彼の印象がかなり強いのです。(実写版『進撃の巨人』は私の知り合いのファンである数人に聞くと酷く低い評価をされていて世の中的にもそうであるように言われていますが、コミックもアニメにもその粗い絵のタッチで関心が湧かない私が観た初めての『進撃の巨人』の世界観は十分素晴らしいものだったと思っています。)

 その後、『キングダム』の第一作目では認識はしていましたが、それほど大きな役ではなく、(時々ベンザブロックのCMで風邪の患者を演じているのを見ますが、)『シン・仮面ライダー』の彼は、今回ウィキで見てその存在に気づいたほど素顔から懸け離れた怪人役でした。そうした意味で、長らく観ていなかったまあまあ好きな俳優二人の最新作として観たとき、私にはこの作品が十分楽しめるものでした。

 盛り込み過ぎも嘘ではありませんし、剣道が分からないと数々のネタが認知さえしないままに通り過ぎて行ったことと思いますが、楽しめる佳作です。少なくとも『侍タイムスリッパ―』といずれかを選べと言われたら、こちらを選択して正解だと思っています。DVDは出るのか否かがかなり怪しく感じられますが、買いです。

追記:
 劇中、タイムスリップは受入れ側の世界では流れ星となって見えるのですが、結衣が元の時代に戻ってから、空を見上げると流れ星が二回見えていたように記憶します。それを見て結衣は喜びの笑顔を見せます。一つは伝家の宝刀村正を現代に置いて来てしまったので、それが戻ってきたと解釈できます。(現実に劇中でも、置き去りになって床の間に飾られたままの村正がアップで映されています。)問題はもう一つの方の流れ星です。
 あとタイムスリップして来て結衣が喜ぶのは、漸く別れ間際に愛を確認し合った正人本人でしょう。酒造を後継者として漸く軌道に乗せたばかりの正人をこの時代に送り込むことには、物語的な必然性や物理的な合理性が結構乏しいように感じられます。
 結衣が一定期間現代に居たように正人も一定期間過去に戻るということで、今後、まるで遠距離恋愛の新幹線や飛行機のようにタイムスリップが都合よく起きてくれるということなら、それはそれでかなり無理がありそうに思えます。

追記2:
 主人公の名前が私と同じなので、結衣が「正人殿」と呼び、祖母が「正人はホントに…」のように言い続けるので、なかなか親近感が湧く作品でした。私のこの作品に対する好感には、この個別理由も加わっているものと思います。