11月末日の封切から3週間弱経った木曜日の夜9時の回を靖国通り沿いの映画館で観て来ました。上映しているのは、全国でも鑑賞時点でたった4館。関東では新宿で1館のみ。そこでも1日1回の上映と言う状態でした。封切時にはもう少々多かった可能性がありますが、少なくとも3週間を経てこの状態になっていました。
この映画館のサイトを観ると座席数は218となっていますが、観客はざっと数えて40人程度で、稼働率20%程度でしたが、プロモーション状況や内容、そして、封切からのタイミング、さらに、上映時間の遅さなどを考えると、こんなもんかなと思えます。約40人の観客のうち男性は7割程度を占めていて、村西とおるリアルタイム世代なのか、40代後半ぐらいから50代前半ぐらいが殆どでした。3割の女性は男性とのカップル客で、女性単独客や女性の複数グループ客と言うのは見当たらなかったように思います。
私はAV制作をしている企業をクライアントにしたこともあるので、AVの業界について一般の人々より多少は詳しいはずですが、そんな中で、村西とおるは基本的にそれほど好きな監督ではありません。清水ミチコの物まねレパートリーの中で楠田枝里子と双璧を成す黒木香を世に出した人物としての記憶や、有名な「駅弁」体位を自ら作中でやっていた人物とか、何となく記憶にはありますが、作品全般にどうも好感が持てないのです。
やはり、伝説の人、代々木忠の作品には常に哲学が感じられますし、それが女性にさえ強く支持される作品群であることが、その比類ない質の高さの証であろうと思えてなりません。セックスをベースにした奇妙な企画を連発するという観点では、高橋がなり率いるSODの全盛期の作品群が最高だと思っています。有名なマジックミラー号を開発したのもその頃のSODですし、これまた有名なアクメ自転車シリーズを生み出したのもSODです。SODの伝説の『女格闘家VSレイプ魔』シリーズはどこのレンタル店に行っても必ず数本ある状態であったように思います。それぐらい当時のSODはヒット企画連発でした。
それらに比べ、村西とおるの作品群は色々な意味で企画は振り切っておらず画も雑であるように感じられます。また、監督や企画者が登場するのは構いませんが、男優まで兼ねるとただの自分のプライベート・セックスを露出しているだけにしかならないように私は感じます。代々木忠も高橋がなりも色々と警察のお世話になっていますが、それでも、一応法的な枠を意識した中での作品作りであり、法的な枠という制限を逆に意識した奇天烈な企画と言う表現の妙があります。それに対して、前科7犯を喧伝するぐらいに、村西とおるは、ビニ本出版で稼いだ時代から、ただハチャメチャな思い付きを映像化していただけであるように思えます。その辺も村西とおるの作品群に関心が持てない理由です。
そんな私が村西とおるのドキュメンタリーを観に行くことにしたのは、『全裸監督』という村西とおるの半生をベースにしたフィクション・ドラマが評判であるからです。この作品は、8月にNetflixで配信されたとのことですが、新宿や秋葉原などで、ポケット・ティッシュやウチワが配られるというベタなプロモーションが展開されていて、王子の駅前でウチワを渡された際には流石にウンザリ来ました。面白いとの評判をよく聞き、(多分、周囲の他の人間にAV監督の物語の感想を語るのがはばかられるという理由もあるでしょうが、)先述のようにAV業界に多少は詳しいことが知られている私に「観ましたか。面白いですよね」と話を始めたがる人が増えて、面倒に感じていました。
私は『全裸監督』を観ないようにしようと思っています。理由は今年5月に観た『TAKAYUKI YAMADA DOCUMENTARY 「No Pain, No Gain」』という山田孝之のドキュメンタリー映画で、病的なまでに「意識高い系」で、やることなすことが空回りし続ける山田孝之の姿に吐き気を催すほどだったからです。多作の人なので、今後も彼を何かの作品で観るとは思いますが、彼の存在を理由に何かの作品を観るということは今後決してないものと思います。『全裸監督』はそのドキュメンタリー作品の中で、山田孝之が傲慢にも他の作品を投げ出してまで出演を決めた意欲作と言う位置付けで紹介されています。もともと村西とおるに関心もなく、山田孝之主演であれば見る理由がありません。
しかし、『全裸監督』ファンの人々は、フィクションの物語をベースに村西とおるのAVなどについて語りたがるので、ならばいっそ、本人のリアルなドキュメンタリーの方を観ておくかと思い立ったのが、この作品を観に行った唯一の動機です。
この作品は全体で概ね4つのパートから成り立っています。冒頭で村西とおるをよく知る、高須クリニックの院長やら何人かの著名人が出てきて村西とおるについて個々に語ります。その後、1996年に50億円の負債の一発返済を狙って、村西とおるが北海道で世界初の4時間超のDVD用Vシネマと、35本のヘアヌードビデオの撮影を同時に敢行した際のドキュメンタリー映像が軸となるパートになります。これに絡めて、幾つかの有名作品のダイジェストのような映像と、後撮りされた現在の村西とおるのインタビューが提示されるのです。
先述の通り、あまり記憶にありませんでしたが、予想通りの、どちらかと言えば穏当に表現すると“破天荒な”、現実を客観的に見れば“思い込みバカ”そのものの人物です。思い込みが激しくて空回りと言う点では、『TAKAYUKI YAMADA DOCUMENTARY 「No Pain, No Gain」』の山田孝之にかなり共通点があるように見えます。「度重なるアクシデント。苛烈さを極めていく終わりの見えない撮影現場。崩壊してゆく人間関係……」などとネットの映画紹介文章には書かれていますが、基本的に身から出た錆と言う感じがします。
大量の全裸女性に北海道の山野や牧場や海岸や川で歌を歌わせたり、馬跳びをさせたり、おかしな映像ばかりをただ撮り集めています。どれがDVDの作品の部分で、どれがヘアヌードビデオの分なのか明確ではなく、プロ意識のないモデル達に振り回されストレスを貯め、パワハラ・モラハラをあちこちで繰り返します。彼の再起をかけた大プロジェクトですから、意気込みや真剣さは一応理解できますが、如何せん、準備がなさ過ぎます。適当で行き当たりばったり全開なのです。
「自動車会社で働くのは素晴らしく、アダルトの仕事をするのは下劣なことだという人がたくさんいます。けれども、社会をよく見れば、クルマによって命を落とした人は数えきれないぐらいいます。自動車会社の人は、そのような人間の苦悩や不幸を作っているということに気づくべきです。アダルトは誰もがその生を受ける際に当たり前に関わっていて、ヒトに喜びを与えることこそあれ、人を不幸にすることがない崇高な仕事です」。
パンフもない作品なので、正確ではありませんが、劇中で村西とおるはこのような主旨を語っています。非常に素晴らしい理念です。まさにその通りです。しかし、崇高な仕事であるのなら、段取りぐらいはちゃんとやるべきでしょう。それをやらずに皆がいやいや仕事をしている状態なのに、「楽しく仕事をしあうのがプロだ」と執拗に強調したりします。そして崇高な仕事なら余計のこと、女性の美しさや性の悦楽をきちんと描写することにもっと腐心すべきであろうと思います。行き当たりばったりで、でまかせばかり言い、大監督ぶった頓珍漢で傲慢な発言ばかり繰り返す、ただの面倒なオヤジであるのが、タイトルにある「狂熱の日々」なのです。
崇高な仕事の理念は、口で散々語って聞かせるのではなく、自分の行動と作品の企画や映像の質によって表現していただければ非常によかったことでしょう。
私もAV制作会社の作品作りの現場を観ていますので、天候や段取り違いのみならず、ありとあらゆる事情で、撮影が計画通りに進まないことを知っています。そして、その場の監督の美観や閃きで予定外の撮影を試すことがあるのも知っています。それでも、私の知る多くの現場では、少なくとも相互の尊重の空気が存在します。おまけにその場の人間はそれなりにプロなので、蓄積された経験によって、全くの予定外と言うことが発生しにくくなっています。けれども、“狂熱の日々”が“狂熱”になってしまっているのは、村西とおるが単なる「裸の王様」だからです。その状況を、クビにされたモデルにまで冷静に分析されています。馬鹿げています。
独りよがりの人間にはプロジェクトのハンドリングは無理であるということがよく分かる作品です。『全裸監督』は、こうしたリアル「裸の王様」をモチーフにしているから、そういうタイトルなのかと思い至りました。その一点で観る価値があった映画です。雑に扱われ続ける大量の女性の裸身が全くが美しくなく、ただの動く肉塊程度にしか見えず、その言動にはエロスも何もないので、DVDは不要です。