『シン・ウルトラマン』

 5月13日の封切からまる2ヶ月半以上経った8月の第一金曜日の夜中の回を観て来ました。開始は24時35分です。ほぼ2ヶ月ぶりの新宿バルト9で観た映画です。『シン・ゴジラ』に次ぐ庵野映画として鳴り物入りの感じの始まりでしたし、興行収入の立上りも上々というような評価でしたが、封切から2ヶ月半を経て、かなり息切れが起きているように思えます。バルト9でも1日1回しか上映していません。それがこの深夜時間帯です。実際に翌週に上映館の状況をチェックしてみると、23区内に上映館はなくなっていました。

 行ったことがないので具体的にどのような状況になるのか分からない“絶叫応援上映”など、よく分からない設定の上映が執拗に繰り返されて、リピーターが続出して上映期間が延びに延びた『シン・ゴジラ』に比べると、かなり早い終映ムードです。

 ちなみに、2ヶ月前にバルト9に行って観たのは『死刑にいたる病』で5月6日の公開です。その『死刑にいたる病』はバルト9で『シン・ウルトラマン』が消えた後にも、まだ1日1回上映が続けられています。この事実を見ると、『死刑にいたる病』がやたらに人気が高いと考えるべきなのか、『シン・ウルトラマン』が騒がれるほどには人気が盛り上がらなかったと捉えるべきなのか、それら両方が並行して生じたのか、よく分かりません。

 ネット情報によると、251席あるシアターに上映開始5分前に入ると、既に男性客4人、女性客1人が居ました。男性は概ね40~50代。女性はかなり年齢不詳な感じでしたが、私のベスト・ゲスは50代です。全員単独客で広いシアター内に相互の距離が詰まることの内容な感じでばらけて座っていました。その後、シアター内が暗くなってから、シルエットがかなり丸や楕円に近い感じのおっさん風の男性単独客が2人来て、さらに20~30代ぐらいの男性単独客が合計3人、ぽつりぽつりと現れました。合計すると、私も入れて男性10人、女性1人です。深夜とは言え、座席稼働率5%以下でした。

 混雑が想定されるので、ずっと鑑賞を先延ばしにしていましたが、「ぜひ観てみてください。感想を聞きたいです」という依頼を受けていたりもしたので、上映終了の限界ギリギリのタイミングを見計らっていましたが、図らずも本当にギリギリになってしまったようです。

 世の中でそれなりに期待されている人気作として前評判が高かったので、一応観ておくかと思ってはいましたが、それほど強い期待があった訳ではありません。敢えて言うなら、長澤まさみがそれなりに好きではあるので、事前に聞いていた巨大化してビルを肘鉄で破壊する長澤まさみが観たかったなどの些末な動機がないではありません。しかし、その程度です。

 結論から言うと、まあギリギリ及第点レベルに面白い作品という程度かと思いました。勿論、どう考えても『ウルトラマン』へのオマージュであろう“光の巨人”が1度目に現れて怪獣を一撃で倒し、その死体の後始末まで再び現れてやってくれるけれども、スクリーン上に明確に姿を現すことがない…という、先日観た『大怪獣のあとしまつ』に較べたら、かなりマシです。大臣やら上司やらで出演者が数人被っているこれらの二作で、あちらの映画はB級作品にさえきちんとなり切れていない感じでしたが、こちらは可もなく不可もなくという感じの本気映画作品のように思えます。

 多少救いだったのは、想定していたほど『シン・ゴジラ』に比べて、庵野色が強くなかったことです。『シン・ゴジラ』の方は音楽から演出からカメラ・ワークに至るまで、私が「実写版のエヴァをゴジラをモチーフに作ってみた作品」と呼んでいる内容でした。それに比べて、今回は本来の「怪獣」を「禍威獣」としてみたり、「科特隊」を「禍特対」とするなど、田舎の暴走族的な趣味の文字表記を採用している所や、ガボラなどの怪獣の顔の造形がかなりエヴァの使徒的な無機質なものになっていたりする所(ついでに、ゼットンも何かサハクィエルとアラエルに似ているフォルムと考えられなくもありません。)、ウルトラマン登場以前の怪獣の出現をTV版エヴァの14話のようにチャカチャカ紹介したりする所など、庵野色はそれなりに残っていますが、それほど気になるものではなく、その意味では気軽に楽しむことができました。どういう想いを反映したのか分かりませんが、冒頭のタイトルには最初『シン・ゴジラ』という文字が出て、それがかき消されて、『シン・ウルトラマン』になり、有名な『ウルトラQ』から『ウルトラマン』、そして『ウルトラセブン』に至る伝統的な共通イメージのオープニング・カットが再現されます。

 今どきの20代の人々から見ると、アラカンの私は第二次大戦体験者などと同じ「老人」の括りの中にあるので、「リアルタイム世代だから、『ウルトラマン』は好きですよね」などと言われますが、全くそんなことはありません。私がウルトラ・シリーズの中で、他作品の追随を全く許さない状態のファン度合いの『ウルトラセブン』でさえ、放送開始は私が4歳の頃なので、リアルタイムでは観た記憶がありません。1971年の『帰ってきたウルトラマン』の辺りから辛うじてリアルタイムの記憶がありますが、その頃既に再放送の『ウルトラセブン』にハマりかけていて、類似番組として見ていたものの、「なんだ。全然面白くない」とぼんやりと認識していたように思います。

 端的に言って、『ウルトラセブン』以外のウルトラ・シリーズは子供騙しの怪獣プロレスの域を出ていないと私は思っています。ウィキにも書かれている通り、『ウルトラマンセブン』などと誤った名称を平然と言っている人間を見ると殺意が湧き始めることもありますし、ウルトラセブンが載っているので買ったネクタイをよく見ると、ウルトラマンも結構乗っているので、着ける気がしなくなって、結構放置されたままになっていたりもします。それぐらい『ウルトラセブン』はシリーズの中で屹立した存在で、私にとってはそれ以外は、何であってもあまり変わりません。

 私にとってそのようなウルトラ・シリーズのワン・オブ・ゼムである『ウルトラマン』全39話の全体の流れに一貫性を持たせるような設定をメフィラス星人転じて「メフィラス」の存在や光の星の宇宙管理的な役割などを盛り込んだものにして、約2時間の尺に収めたのがこの作品です。テレビ版のエヴァの『シト新生』と『Air/まごころを、君に』の内容を、往年の『ウルトラマン』のあるべき背景物語として(現代を舞台にして)まとめたような存在でした。現実にパンフレットにおいて監督は…

「これは『シン・ゴジラ』もそうだったんですが、過去に作られた、僕らが観て育った素晴らしいものを、どうすれば今の人たちに同じような感覚で伝えられるのかを考えましたね。例えばオリジナルの『ウルトラマン』が良かったと僕らが言っても、あの作品は物語自体が未来の話だけれど、今観ると過去のものに見えてしまう。その題材を、オリジナルを知らない新しいお客さんに見せる時に、今の物語、映像としてアップデートして提供することで、僕らが少年時代に熱狂した感じを共有してもらうことができるのではないかと。そういう形で『シン・ゴジラ』は作ったんです。1954年に作られた『ゴジラ』の第1作で起きたことを現代に置き換えて、今の世界に異物としてのゴジラが現れたら、こんなことになるだろうと。それを今度はウルトラマンでやってみようということで、作る姿勢は『シン・ゴジラ』と繋がっていますね。」

 と言っています。

 なるほど。意図するところはとてもよく分かりますが、エヴァ風味のテンプレートに流し込むと「現代の人々が“熱狂した感じを共有”できる」と考える所に微かな傲慢さを感じてしまいます。元々クリエイティブな作業は傲慢で良いと私は思うので、それはそれですが、エヴァ風味に何でもリメイクしたい。そうすれば儲かるという本音が透けて見えるように思えてなりません。

 同様な試みでウルトラマンやウルトラマン・シリーズをモチーフにしたものは、既に色々存在しますが、その中にはかなり優れた作品が存在します。映画作品なら2004年に制作された『ULTRAMAN』です。『ウルトラマン』を第一話をベースにしつつ、全くオリジナルの物語を、その時代に即した新たな物語として作り込んでいます。そのウルトラマンはウルトラマン・ザ・ネクストと呼ばれていますが、非常によくできた物語で、続編も公開されると告知されましたが、残念なことに日の目を見ませんでした。

 コミックでは現在進行形で、ウルトラ・シリーズ全体を完全に翻案した、パラレル・ワールド的な物語でさえない、非常に練られた物語が続いています。私もコミックをすべて買っている『ULTRAMAN』です。地球人や宇宙人が特殊なスーツを着込むことで“ウルトラマン”状になるのですが、ゾフィーからレオ、アストラまで個々のキャラクターが、それなりに原作の設定を微妙に引き継ぎながら、「なるほど」と唸らせられる世界観と新キャラ設定の中で活躍しています。非常によくできた物語です。

 それらの取り組みに比べて、今回の作品は、先述の監督の意図にもある通り、あまりにも発想が薄っぺらい気がします。その薄っぺらさは、これも先述の通り、映画とコミックの『ULTRAMAN』二作が大胆な翻案によるオリジナルな世界観をきちんと作り上げて、矛盾なく完結させている(/させつつある)のに対して、今回の作品は、ほぼオリジナル作品を踏襲しながら、見ようによっては中途半端なキャラの再設定とエヴァ・テンプレへの流し込みで成立しているように見えることではないかと思えます。

 それでも、一応、見所はありました。物語設定の点では、オリジナルの『ウルトラマン』の初期デザイン案に忠実にウルトラマンがカラータイマーもなく、謎の宇宙人という色彩が強い中で終始語られている点が、考えてみたら当たり前のことですが、自然且つ斬新です。初見の頃には、早見あかりが「大体あの外観は着衣なのか全裸なのかも分からない」などと至極まっとうなことを言っていたりします。

 ウルトラマンの技はオリジナルではかなりバリエーションがあります。定番のスペシウム光線、八つ裂き光輪ぐらいをベースに光線系の変形技が結構たくさんあります。それ以外は火を消したりジャミラを溶かし流したりするのに用いたウルトラ水流、さらに、念力めいたものを使ったり、透視能力のようなもの披露したりもしますし、やたらエネルギーを使うとされるテレポーテーションもします。結構なんでもアリです。

 今回の作品のウルトラマンは尺が短いから致し方ないかと思いますが、定番の技がかなり固定化しています。スペシウム光線も放ちますし、八つ裂き光輪はゼットン戦でかなりのアレンジを見せますが、基本的に光輪であることに変わりはありません。全身のカラーリングを変化させながら放射能を吸収して汚染被害を防いだりもします。ゼットン戦ではバリアも張ったりします。しかし、オリジナルのウルトラマンの訳の分からなさに較べると大分シンプルで、逆に言えば能がありません。むしろ、ザラブやメフィラスの方がやりたい放題の変な能力を持っていますが、ウルトラマンは結構分かりやすい限定された能力を持つ「謎の宇宙人」として、徐々にその能力を人間たちによって認識されて行くのです。或る意味自然な展開だと思います。

 役者の方は、元々お目当ての長澤まさみはかなりの大活躍で、特に巨大化した長澤まさみのスカートの中を映しただのよく見えないだののSNS投稿が乱立する話などは少々笑えました。しかし、それ以上に、観て良かったと思えるのは、チャキチャキ喋る早見あかりです。

 映画で彼女を観る機会はあまり多くありませんでしたが、圧倒的な印象を私に残しているのは『百瀬、こっちを向いて。』と『忘れないと誓ったぼくがいた』です。その後『銀魂』でもそこそこの尺を占めていますが、『百瀬、こっちを向いて。』と『忘れないと誓ったぼくがいた』での透明感のある女性像はとても印象に残ります。他にこのような女性像を演じられる女優をあまり知りません。

 その結果、(ももクロ時代を全く知らない私には)早見あかりのイメージがこの二作の女性像に固定化されていました。それが今回はなかなかアクティブですし、暴れる怪獣を見ても冷静ですし、先述のような、ウルトラマンを見て「これは全裸なのだろうか」とテレビのウルトラマン・シリーズでは絶対に登場しないような至極まっとうな疑問をいきなり表明してくれます。なかなか楽しい発見でした。

 単なるSF映画として観たときには及第点という感じかと思いますが、長澤まさみと早見あかりの演技が私にとっての大きな魅力として加わるので、DVDはまあ買いかなと思います。