『M3GAN ミーガン』 番外編@ビール工場跡@札幌

 6月9日の公開から約1週間が過ぎた土曜日の夕方午後5時20分からの回を札幌の商業施設内の映画館で観て来ました。2019年に『シュガー・ラッシュ:オンライン』を観て以来、久々に来た映画館です。よく行く小樽市内の映画館ではこの作品が上映されていず、止む無く札幌市内のマルチプレックス2館のいずれかに行くことになりました。北海道は札幌市内のそれら2館と、札幌市に隣接する江別市の商業施設内の映画館の合計3館でしか上映されていません。北海道は本州の約4割の面積があって、たった3館とは驚くべき少なさと言うべきかと思います。

 マルチプレックスでも一杯々々になるぐらいにヒット作が乱立している状態で、ファン層がイマイチ明確ではなくどれほどの客入りになるのか分からないこの作品は、他の北海道の多くのマルチプレックス内の映画館の選択肢には入れてもらえなかったということなのかもしれません。

 試しに小樽築港の7つのスクリーンを擁する映画館の上映作品リストを見ると、かなり観客動員が伸びていると噂の『リトル・マーメイド』、カンヌ受賞作の『怪物』、原作にファンが多く広瀬すず主演の『水は海に向かって流れる』、封切られたばかりのアメコミ大作の『ザ・フラッシュ』と『スパイダーマン:アクロス・ザ・スパイダーバース』、テレビシリーズ人気の割には振るわないとは言われている『劇場版『TOKYO MER〜走る緊急救命室〜』』、そして、いつまで経っても人気が翳らない『ザ・スーパーマリオブラザーズ・ムービー』、『東京リベンジャーズ2 血のハロウィン編 -運命-』、『名探偵コナン 黒鉄(くろがね)の魚影(サブマリン)』、『THE FIRST SLAM DUNK』。さらに、今更ダメ押しに副音声コメンタリー上映が始まった『岸辺露伴 ルーヴルへ行く』など、確かに稼いでくれそうな作品が山盛りてんこ盛りです。

 これでは、ホラーなのかSFなのかイマイチ判別がつきにくく、ほんの僅かなダンスシーンがネットで盛り上がっていると言われ(TikTokの動画再生回数が異次元の15億越え)、全米では大ヒット(公開数日で興行収入40億円越え)と言われても、本作が限られたスクリーン数に押し込まれにくい状態であるように思えてなりません。それでも上映館が集約された状態だからこそと思われますが、1日3回の上映(札幌市内のもう1館は1日2回の上映)で、ネットで確認すると170余の座席の6~7割は埋まっていそうな混み具合でした。(スクリーン側の前方5~6列はスカスカでしたが、それ以外は1列の8割以上は人が座っているぐらいの感じです。)札幌市内1日5回の上映に押し込めば、これぐらい上々の稼働率は実現できるということなのだと思われます。

 私がこの映画館でこのタイミングで観ることにしたのは、東京での仕事の繁忙が見込まれる中、既に6月の後半に入り2本目のノルマを達成せねばならなず、札幌で観るにしても、1日の5回の中から最も都合がつきやすいタイミングの回を選択した結果に拠ります。

 観客は男女がほぼ半々ぐらいでした。20代から30代ぐらいの客層が半数程度を占め、残りがそれ以上の年齢層です。PG12なので、10代後半の客層も若い方に含まれていたかもしれませんが、私には分かりませんでした。複数連れの客が多く、特に女性客で2~3人連れが目立ったように思います。勿論、男女二人連れもそれなりに居ました。久々の100人に到達している様子の観客群です。

 私がこの作品を観たいと思ったのは、ChatGPTが今までとは違って本来の言語的意味で言う所の「大人のおもちゃ」として持て囃される昨今、最先端のAIを実装したアンドロイド(劇中ではロボットと会話上では言われていますが、このレベルはアンドロイドと言うべきだと思います。)がどう想像されているかを観てみたいと思ったことが大きいと思います。

 その第一の関心事がある中で、例のミーガンガールズと呼ばれるダンサーによる、ネット上では「クネクネダンス」と言われるミーガンのダンスの再現が渋谷や新宿やK-1のリングにまで登場しているなどの話題や、攻撃すべき対象を森林の中、4つ足で追い掛け回す異常性の映像など、色々な前評判が私の関心を惹起しました。

(私は映画『ユメ十夜』の第六話の7分少々のアニメーションのダンスを素人にもできるようにプロの先生に変換してもらって、年単位の時間をかけてマスターしたことがありますが、その私から見ても、ミーガンガールズによるクネクネダンスの翻案ぶりは不出来に見え、後述するミーガンの「不気味の谷」的なイヤミスならぬ「イヤ魅力」を全く表現できていないように思えます。)

 一方で、当日の午前中に放映された『王様のブランチ』の映画コーナーでもLiLiCoが「単純にホラーって言うような感じではないんだけど…」と言うような思わせぶりな発言をしていて、私も多分そのようなテイストの映画なのではないかと想像していたので、余計、それを確かめに行きたくなったということもあります。

 あとは、遥か昔の大学時代の比較的親しい友人の一人にほぼ同名の人物がいて名前の響きにそれなりに親しみを感じるということもあったかもしれません。本作のミーガンは本来「Model 3 Generative Android」の略で「M3GAN」と言うスペルを「ミーガン」と発音しています。実際には、「ガ」の部分の母音は曖昧母音で、「ミーグン」とも「ミーゴン」とも聞こうと思えば聞こえるような発音です。私の大学時代の友人の方は、「Meagan」のスペルで、発音は本来この作品のミーガンと同じはずですが、周囲の人物の彼女の名前を呼ぶ発音を聞くと、明らかに「ミーゲン」と聞こえていて、仮にこの映画のスペルだけを「3」を「E」に置き換えて読めと言われたら、私は「ミーゲン」と読んでいたと思います。

 ネットで調べてみると、Megan, Meghan, Meagan, Meaghanなどのスペルで表現されるウェールズ起源の女性名とのことで、マーガレットと同源で、日本語の表記では、メーガン、ミーガン、メガン、メイガンなどがあると書かれています。確かにイギリスの王族のメーガン妃もそういう片仮名表記になっています。この作品の上映前のトレーラーで、今年8月公開予定の『MEG ザ・モンスターズ2』が流れていて、その中で執拗に人々がメグメグ言いながら逃げまどい飲み込まれて行くのを見ていると、ミーガンと並んで、マーガレット由来の名前は殺傷性が高いことを思い知らされます。

 観てみると、中々面白い作品でした。興味深いというか味わい深いというか、そういう意味で面白い作品です。シアターから出る人波の中では、「ホラーテイストが少なかった」とか、「もっとグロいことになるのかと思った」などの声が何度も色々な方角から色々な声で聞こえましたが、彼らは当日午前中のLiLiCoの発言を嚙み締めておくべきでした。切株映画やスプラッター系の作品はどうも好きになれず、映画史的に見てもエポックメイキングと思われるような作品はDVDで観ておくぐらいの私なので、少なくとも、ホラーテイストが相応にあるようには感じられました。

 ネット記事などでは、『チャイルド・プレイ』や『死霊館』シリーズのアナベル作品群の人形などと比較して論じる向きが存在しますが、私には全くそのように思えませんでした。寧ろ、ホラーはホラーですが、有名な「不気味の谷」を超えていそうでいないことによる、不気味さがホラー、せめてサイコスリラーぐらいの味わいを十分醸し出していました。それでも、片耳を(グミのように妙に引き延ばされてから)引き千切られる少年や手にネイルガンからの釘を刺されて固定されるおばさんはいましたが、別に首を引きちぎられたり、四肢を切断されたり、マシンガンで粉砕されたりなどのスプラッタ映像は存在していませんので、ホラーファンには味気ないのだろうと思います。

 ミーガンに限らず、実際のAIも含めて、その本当の怖さは、なぜその結論に達したかが分からないことです。合理的だの論理的だのの価値観が貴ばれて、そのように判断すると言われてきた人間も、無意識レベルで全然筋の通らない判断を重ねていることが分かっていますが、人工知能もそれ以上に何を根拠にどう判断したのかトレースしたりトラッキングしたりすることが基本的にできません。ChatGPTも臆面もなく嘘を吐きまくりますが、なぜそんな嘘を構成したのかの説明はそう簡単にできないはずです。ミーガンも黙っていると、表情から考えていることが(首を僅かに傾げたり項垂れたりするので、それを手掛かりにしたくなる欲求にかられますが)観ていて全く分かりません。それが「不気味の谷」のギリギリ境界線上の違和感を観る者に与えます。

 それでもミーガンが妙に親切なのは、そんな風にプログラムされているとは思えませんが、殺人などの凶行に至る際のうち多くの場合には、バカ丁寧に自分の思考を語りだし、相手に確認を求めることです。多分、リアルなAIならそんなことはせず、何を考えているか分からないうちに、凶行に及ぶと思いますが、ミーガンはテレビの推理ドラマの自信過剰な犯人のように殺す相手に、ミーガンの犯行だとバレない理由を説明したりしてくれます。

 ホラー的なテイスト、ないしはサイコスリラー的なテイスト以外に、ミーガンには二つの楽しむべき切り口と言うか、本来この作品が持つメッセージが存在しているように思えました。一つはAIの技術的脅威と言う部分だと思います。劇中でもミーガンは電源オフと口頭で指示されてもいちいち口答えしてきたりして中々電源オフにできませんが、後半になるとその命令も無視するようになります。どうも開発者でさえ、ガムテープでグルグル巻きにして精密機械梱包用のビニールシートで何重にも包まないとミーガンを完全に行動不能状態にできないということのようで、そんなローテクな手段を以てしか自由にオフにすることさえできないのでは、イニシアチブを人間が握るのは不可能に見えます。

 周囲のPCなどにもハッキングを自由自在に行ないますし、人間の体温や心拍数の変化から感情を読み取り、嘘さえかなり簡単に見破ります。自動運転車を遠隔で解錠して乗り込み、ハンドルに手も触れずバンバン運転します。ChatGPTの如く、知識も豊富で会話に割り込んで諸々の空気を読まない助言をしてくれたりもします。夜中にピアノの演奏をしたりしますし、隣の煩わしい犬は(その場面が出て来ませんが)殺して埋めているようですし、証拠もないもののクレームを言ってきたその飼い主のおばさんは先述のように納屋で殺します。殺人の証拠のログも自分できちんと消すという念の入り様で、「あなたは、人を傷つけたり殺したりしていない?」と尋ねられても、「はい」でも「いいえ」でもなくはぐらかした答えをうまいこと言い出します。
 
 おまけにボディはチタン合金のようで、それなりに怪力ですし、銃弾程度では倒すことができないレベルです。どこからそう言ったノウハウをDLしてきたのか知りませんが、相応に格闘技的な技術も持っています。元々歌を歌って聞かせるだけのアンドロイドだった有名アニメ『Vivy -Fluorite Eye’s Song-』の主人公は戦闘用プログラムをインストールすることでいきなり戦闘ノウハウを身につけますし、古典的な所では『マトリックス』でトリニティもいきなりヘリコプターが操縦できるようになったりしますので、そう言った古典的技術展開の余地をミーガンも実装済みということなのであろうと解釈できます。これで人間の言うことを聞かなくなっていくのですから、かなり始末に負えない存在です。ここまでの総合能力に至るかどうかは別として、AIやロボット技術が現実世界でどんどん発展したら、ミーガンのもうちょっとできない奴バージョンぐらいは、10年ぐらい先には登場しそうに思える所が、この映画が示す本質的な怖さと言うべきかもしれません。

 もう一つの切り口は、社会における人間の役割について考えさせる点です。先述の点は、人間の手に負えない技術的成果物という問題で、構造だけ言えば、原子力関係の技術だって同じです。(広瀬隆の『東京に原発を!』などを読むとミーガンと構造的に類似した空恐ろしさを堪能できます。)しかし、仮にそう言った脅威としてミーガンが立ち向かって来なくても、人間はもう一つの問題に向き合う必要があると、この作品を観ると認識させられます。ミーガンの開発者ジェマは独身で家族もなく仕事中心の自由な生活を送っています。そこに姉夫婦の事故死から引き取ることにした幼いケイディがやって来て共同生活が始まります。ジェマは何となくの自分の立場からの勢いや義務感でケイディを引き取りますが、行政はジェマに親権を持たせることに懐疑的で派遣されたセラピストから遠くフロリダの祖父母にケイディを渡した方が良いと示唆されます。(舞台はオレゴンのようです。)現実にジェマもケイディとの関係性を持て余している様子が前段で描かれています。

 そこでジェマは自分が開発中で会社から金食い虫のように認識されている、マッド・サイエンティスト誕生のアルアルなシチュエーションで、ミーガンを実現し、いきなり自分の姪ケイディの面倒を看させることにします。(これだけ高度で社会的な影響も大きい発明品をぶっつけ本番のテストで、片付けるというのが凄い発想です。)ミーガンのケイディに対する接し方は天才的で、児童向けコーチングとでも言った方が良いぐらいの面倒見の良さです。ケイディが子供っぽい体験話や自慢話をしていてもじっと傾聴していますし、トイレが終わったら水を流すようケイディを躾たりもします。親のことを段々思い出せなくなっていくと悲しみに暮れるケイディに、親との楽しかったエピソードを話させて、それを自分のメカで録音し、「いつでも再生できるから安心して」と寄り添ったりもできます。さらに学校に通わず、ホームスタディのケイディに算数なども非常に分かりやすく教えてくれます。スタディ・サプリのような機能もかなりハイレベルで実装されている(/その都度インストールできる)ということかと思います。

 こんな育児専用のアンドロイドが量産された時、親の役割は何になるのかとか、大体にして親は必要であり続けられるのかとかいう問題が、作品中先述のセラピストやジェマの同僚から何度となく提示され続けます。暴走し人を平然と傷つけることができるミーガンの姿を見て、ケイディは不完全な親権者としてのジェマの大切さを認知し、暴走したミーガンをジェマと二人で破壊することにしますが、その少し前までは、ミーガンをグルグル巻きにして車のトランクに荷物のように入れたジェマを、ケイディは狂気のように否定し拒絶し、物理的にも攻撃したのでした。

 仮にミーガンがロボット工学三原則をガッチリと組み込まれたアンドロイドで、たとえば、ケイディを虐める典型的アメリカの虐めっ子のバカガキに対しても、耳を引き千切ったりせず、ミーガンとケイディに対する行為を止める程度の攻撃に留めることができ、そのログがきちんと残っているような状態だったら、ミーガンの判断行動は許容範囲とされた可能性が高いものと思います。そのような場合、ミーガンは誰から見ても感動の育児者です。仮にそんな仕様のミーガンが量産される時代が来たら、子供は本当に人間が育てるべきなのかと言う問題が発生します。古代ギリシャの都市国家群のどこかの国では、子供は全員両親とは引き離され、全員国の子供として平等に大切に育てられる…と言った話がありました。コミックの『リエゾン』に登場するような虐待やネグレクトを当たり前に続ける親に育てられるなら、善良な範疇に言動が収まっているバージョンのミーガンに育てられた方が、少なくとも短期的には幸せであるように見えます。

 パンフには、ジェマが女性の開発者で、仮にミーガンが少女ではなくもっと年齢が上の女性の形をしていたら、どうしてもそこにセクサロイドの雰囲気が出てしまったはずなので、女性の関心事の育児がテーマとなって、こうなるのが必然だったというような主旨の、真魚八重子と言う映画評論家による記事が載っています。そして、男性からの嫌な思いを重ねているたくさんの女性は、ミーガンのような守護者が居ればと思いながら見ることになり、ミーガンの姿に胸の空く思いがするだろう…的なことを書いている記事があります。

「わたしたちはミーガンに憧れる。ミーガンになりたいし、ミーガンに守られたい。それが人間の制御を超えた暴走を始めてしまったとしても、映画のミーガンにはそれだけ惹かれる魅力がある。そして、それは我々が経験してきた性的に不快な出来事や、街中で異性に絡まれ泣き寝入りした怖い思い出など、ミーガンであれば防げたはずだという記憶を、清々しく吹き飛ばしてくれるからだろう」

とこの記事は末尾で語って締めくくっています。

 この書き手の想像の中ではミーガンのような守護アンドロイドを大の大人までが皆連れ歩いていることになっているようですが、仮にそうであるのなら、絡んでくる異性も多分、その主張を支持するチンピラのような守護アンドロイドを連れ歩いていることになりますから、怖い想いや泣き寝入りする体験は、アンドロイド同士のスタンド戦のような争いの後の結果として発生する出来事になるでしょう。若しくは、ラブホの一室で人間の男女が各々セックスで不快にならないようにじっとベッド脇に立って見つめる二体の守護アンドロイドとかいう風景でしょうか。

 ホストにのめり込んで売春や風俗に沈んで行っている多数の女性の存在を知り、映画の『トルソ』や『誰かの木琴』に見られるような女性の淡く深い性欲を知ると、この記事の主張が妙に薄っぺらく感じます。女性だけが男性だけから嫌な思いをさせられている訳では決してないでしょうし、女性型アンドロイドだけが男性だけから情欲を抱かれる訳でもないでしょう。そもそも異性との関係性の中にある行動は身体知の最たるもので、やってみなくてはどうなるか分からない典型的な行為の連続です。「泣き寝入りするような結果」だけミーガンに選んで避けてもらうことが可能と思えるのは、私には幼稚に感じられます。多様性がどうのと散々叫ばれる世の中で、どうしてこうも時代錯誤の意見を真顔で語る文章が、パンフに載るのか本当に不思議です。配給側がそういう記事によって迎合したい観客が多い映画であるという想定があるのかもしれません。

 ミーガンについて劇中で何度も指摘されているような、アンドロイドによる完璧な育児はどう評価されるべきかと言う問いと同様に、たとえば多くの男性オタクのPCの中に存在する理想の妹とか、レンタルサービスも秘かに大ブームと噂の(映画『ロマンスドール』に登場したような)オリエント工業社の製品のようななまっちいラブドールとかの、近未来のバージョンに耽ってしまって他の人間関係や社会生活が疎くなってしまうような人間をどう評価すべきかという疑問だって間違いなく湧きます。

 それはパンフの件の記事のバカ想定の男性のみならず、推しだの萌えだの憧れのキャラ推しの腐女子だって、AI実装の超美形男子のドールが添い寝してくれる日々から抜け出せなくなる可能性は十分にあります。昔はそんな人間に人間以上に上手く接してくれる存在を創り上げる技術がなく、且つ、二次元の妹や二次創作対象の男子キャラに現を抜かしていると生計が立てられなくなるという経済構造がありました。しかし、技術は既に勢いをつけて加速して、話すラブドールぐらいは全く問題なくできるようになりましたし、ベーシック・インカムだのナマポだのFIREだので、不労でも問題ない人々や問題ナシとしてくれる世の中は整いつつあります。

『M3GAN ミーガン』は何を問う映画かと端的に尋ねられたら、人間はアンドロイドだけと過ごす社会生活が可能か、可能だとしてその是非はどうか…というようなことが答えであるように思えます。(私はかなり肯定的に思っています。)

 たった102分の作品で、そのうち、ケイディが事故で両親を失う経緯やジェマが研究で追い詰められ、破れかぶれでミーガン開発にのめり込むプロセスなどを描くだけで、冒頭から3分の1ぐらいを費やし、さらに完璧な育児者としてのミーガンを描くのにさらに3分の1と言った状態で、ホラー映画ファンには残念な作品であるかもしれません。しかし、この尺の構成比こそが、ミーガンが主として何を訴える作品であるのかを示しているように感じられるのです。

 重層的な面白さを短い尺の中にギュッと詰め込んだ作品です。社会生活の中のAIの状況を真面目に描いた『her/世界でひとつの彼女』などの先行秀作や、社会生活の中のアンドロイドの存在を考えさせる古典的名作『アンドリュー』や、やや指向が本作に似ている『エクス・マキナ』などの先行秀作に比べて、こじんまりまとまり過ぎた感は無きにしも非ずです。しかし、読めない表情や、意味もなく殺人前に踊り出すこと、突如四足歩行で追い迫ってくることなど、不気味の谷とはこのことかと思わせてくれるミーガンのそこはかとない不気味さや違和感がこの作品に独特のテイストを与えています。DVDは買いです。

追記:
 この映画を観終ってから、自分の好きな何かの映画作品に後味が似ているとずっと感じていました。数日経ってから分かったその作品は『ルームメイト』です。今の流行言葉で言うなら、「ヤンデレ系」になるのかもしれませんが、私が大ファンのジェニファー・ジェイソン・リーのルームメイトへの執着が止め処なく嵩じて行く様子がやたらに怖い映画でした。(その後、フカキョン主演で国内でもリメイクされていて、DVDで観ましたが、私はオリジナル作品が大分好きです。)

☆映画『M3GAN ミーガン