3月17日の封切からまだ4日目の月曜日の夜、バルト9の午後9時35分の回を観てきました。超話題作…と言った扱いだと思います。新宿でも、バルト9の他に、ピカデリーでもゴジラの生首映画館でも1館当たり1日10回以上と言ったハイペースで上映されています。バルト9では通常の上映にドルビーatmosとかいう特殊な音声効果の上映も加わって、1日合計20回近く上映されています。
ネットで見ると、251席とあるシアターに入ると、ザックリ数えて60人ぐらいの観客がいました。8割は男性と言う感じでした。男性は年齢層が幅広く、やや若い方に偏ってはいるものの、それ以外の層では私ぐらいの年齢層も含め均等にばらけている感じです。男性は二人連れも多く、所謂オタク趣味友達やサブカル系友達と言った感じが見て取れる二人組も散見されました。女性の方は数少ない男女カップル客の片方もいれば、二人連れもいましたが、基本的には単独客が半数程度と言う感じに見えました。
本当は夜9時55分の回を観に行こうと思い立ち、多分この作品の観客が大量にシアターから吐き出されていてごった返すロビーに着いたのは9時15分頃で、十分35分の回にも間に合ったので、席の空き具合を確認してから35分の回に繰り上げました。
今月に入って観た『ワース 命の値段』の感想で私は以下のように書きました。
「この映画を観に行くことにしたのは、観に行きたい作品が本当に限られている中の究極の選択としての理由が一番です。3月の後半になると観たい作品が何本か封切られるのですが、現時点ではこの作品ぐらいしか観ても良いと思える作品が残っていない状態でした。3月後半の封切作品も、私は封切作品をできればすぐ観に行かないようにしたいと思っているので、もたもたしていると、3月中の劇場鑑賞毎月二本のノルマ達成に間に合わなくなってしまいます。3月後半の一押し『零落』や二番手『死体の人』、三番手『ロストケア』、そして敢えて付け加えるなら『シン・仮面ライダー』を随時観ることができても、それらの中で今月のノルマ二本達成を目論むのはかなり高リスクに感じられたので、せめて月初めに1本だけでも消化しておこうとすると、この作品しかなかったのです。」
今月のノルマを早く二本目を観て完遂しようと思っていたところ、今週の日中の時間帯が仕事でかなり潰れており、深夜にやっているバルト9で観られ、且つ上映回数が多く、都合をつけやすい作品として考えると、一押しと二番手は残念ながら観に行くことが能わず、三番手はまだ封切られていませんから、早期ノルマ達成のためには、予備候補ぐらいの位置付けのこの作品を観るしかありませんでした。
作品を観てみて抱いた第一印象は、仮面ライダーが妙に貧相に見えることです。首の地肌が大きく露出しているせいであるかもしれませんが、何か外観が安っちく感じられるのです。頭の大きさに比べて体格が貧相で、(別に筋肉モリモリである必要はないと思いますが)ボーッと立っているシルエットを遠くから見ると、マッチ棒のような感じに見えます。それも恐ろしく軸棒の短いマッチ棒です。主人公の池松ナンチャラは天然パーマなのだと思いますが仮面(=ヘルメット)からはみ出たカールしている髪先が、中途半端な日常感を漂わせていて、できの悪い素人のコスプレのようでさえあります。(他の怪人やどうみても『ロボット刑事』まんまのキャラは、非常に造形がよくできています。だから余計に、仮面ライダー二体の貧乏臭さが目立つようにも感じられます。)
こうしたオリジナル作品の翻案モノとしては、ストーリーはよく練られている方だと思います。特撮もハイレベルで技術的なことは分かりませんが、多分斬新なのであろう特撮技術の導入とカット割りやフレーミングの見事さで、特に戦闘シーンでは観たことのないような映像が展開しています。戦闘員を殴り殺すと血飛沫が飛び散る圧倒的な暴力性を伴う描写を最初に持って来るのも印象的です。(その後、怪人との戦闘ではそんなことが起きず、寧ろ最終戦でやられにやられて、自らが仮面越しに吹き出るぐらいに血を吐いていたりします。)当初の力の制御ができていない改造人間の違和感が、こういった演出でよく描かれていると思えました。
パンフに拠れば、庵野秀明は24分の1秒のコマの単位で要否をチェックする念の入れようであったようです。仮面ライダーの顎の部分が外れ変身が解ける様子を最適に演出するだけでも3、4ヶ月を費やしたなどのエピソードも紹介されています。まさにその妻さえ扱いに困る様子が『監督不行届』と言うコミック作品に一冊の本にまとまるぐらいのオタク性全開の努力投下であった様子が窺われます。
パンフに庵野秀明は以下のように書いています。
「そして、自分個人は、監督は作品に隷属する奴隷の一人だと思っています。
自分個人がやりたい事ではなく、作品が面白くなる方が重要だと思っています。
自分個人がやりたい事ではなく、ないないづくしの制作現場の状況下で可能な限り
作品のクオリティーが保たれる為の採用の選択をするのが
自分の仕事だと思っています。
自分個人がやりたい事ではなく、一人でも多くの方に喜ばれ、
共鳴される可能性が高い描写を意識して選択するのが
自分の勤めだと思っています。
自分個人の最もやりたい事は、
作品を多くの人にとって面白く感じるようにする事でした。
本作もその想いと願いと熱意で作っています。」
最後の二文を除いて、職人としての矜持を感じます。これほど「自分個人のやりたい事」が優先されず、作品のクオリティーや面白さを追求したと言っているのですから、余程、「やりたい事」は別次元のもので、否定されまくったということなのかと思えます。
ところが、最後の二文ではいきなり「最もやりたい事」が登場し、それは本質的にそれまでに登場する「自分個人がやりたい事ではない」ものごとと一致しているのです。詰まる所、やりたい事が何であってやりたい事ではない事が何であるのかが、よく分かりません。私の読解力が絶望的に欠落しているのかもしれませんが、読み返しても分かりませんでした。
特撮の技術的な善し悪しを評する知識が殆どない私が見ても、SF映画単体としてみたら、中の上ぐらいの面白さは間違いなくあるように思えます。しかし、まるで、『シン・ウルトラマン』の感想で書いた…
「これは『シン・ゴジラ』もそうだったんですが、過去に作られた、僕らが観て育った素晴らしいものを、どうすれば今の人たちに同じような感覚で伝えられるのかを考えましたね。例えばオリジナルの『ウルトラマン』が良かったと僕らが言っても、あの作品は物語自体が未来の話だけれど、今観ると過去のものに見えてしまう。その題材を、オリジナルを知らない新しいお客さんに見せる時に、今の物語、映像としてアップデートして提供することで、僕らが少年時代に熱狂した感じを共有してもらうことができるのではないかと。そういう形で『シン・ゴジラ』は作ったんです。1954年に作られた『ゴジラ』の第1作で起きたことを現代に置き換えて、今の世界に異物としてのゴジラが現れたら、こんなことになるだろうと。それを今度はウルトラマンでやってみようということで、作る姿勢は『シン・ゴジラ』と繋がっていますね。」
という『シン・ウルトラマン』のパンフレットの文章に通底する「自分達が面白いと思うフォーマットに当て嵌めれば、世の中の人々は面白がってくれる。共鳴してくれる。自分たちはそのノウハウを持っている。『シン』を冠して、自分達のフォーマットへの変換装置を通して、旧作をどんどん翻案しよう」と言った、よく言えば哲学や信念、悪く言えば安易な金儲け主義が、透かし見えてしまっているように思えてなりません。
この作品のパンフに戻り、庵野秀明の文章に戻ると、その冒頭には「僕の考えた仮面ライダーを作りたい」ではなく「仮面ライダーと言う作品に恩返しをしたい」がモチベーションとなって7年強もの時間を制作に費やすことができたと書かれています。
しかし、「恩返し」が果たされたようには私には思えません。それぐらい彼らが自己陶酔する「フォーマット」が安易に使い回されているように感じられ、本来画像記憶ができないが故に、そういうことに極端に気付きにくい私でさえ、あちこちでうんざりするほどに、既視感が湧くのです。
ネットでは『シン・ウルトラマン』のメフィラスの「■■■。私の好きな言葉です」を「メフィラス構文」と呼ぶようですが、構文こそ違いますが、丁寧な物言いで、やたら自分のその場での役割を語る、本作のクモオーグはかなりキャラがメフィラスと被っています。
巨大な赤い夕陽の背景や、透視図法の見本のように遠くまで並んだ電柱とか、エヴァで観たような風景も続出します。夕陽で思い出すエヴァのバルディエル戦では、バルディエルが腕を四本出してそのうちの二本でエヴァの首を絞めますが、これもまた、クモオーグが同様にわざわざ懐から二本の腕を出して仮面ライダーの生みの親の博士を扼殺します。
ただ、こういった演出以外に、もっとあからさまに既視感を湧かせる要因は、俳優陣でしょう。仮面ライダーを支援する「政府の男(立花)」と「情報機関の男(滝)」は、各々、竹野内豊と斎藤工が演じていますが、この二人は両方とも、『シン・ゴジラ』・『シン・ウルトラマン』に出演しているとパンフに書かれています。長澤まさみも『シン・ウルトラマン』に続いて連投です。他にも、先述の扼殺される博士を演じている塚本晋也もその若き日の妻を演じている市川実日子も、SHOCKERの創設者を演じた松尾スズキも『シン・ゴジラ』でそれなりに目立っています。竹野内豊と斎藤工は、先日私が観た『映画 イチケイのカラス』でも共演していますが、そこには庵野秀明が非現実的な行動をする裁判官の役で不自然に捻じ込まれています。
人脈と言えば聞こえは良いですが、単なる内輪ウケの悪乗り感がどうも漂っているように思えてなりません。竹野内豊はパンフレットの中で、三作がパラレル・ワールドのようだと述べています。オリジナル三作には全く共通点などありませんから、仮に三作共通の出演者がパラレル・ワールドに感じられるのなら、原作の世界観に対する冒涜であるようにさえ感じられるのです。これが本当に「一人でも多くの方に喜ばれ、共鳴される可能性が高い描写を意識して選択」なのでしょうか。
竹野内豊は、最近『映画 イチケイのカラス』で観たばかりですが、その主演の彼以上に、そして他のどんな映画作品の彼以上に、「どうする?GOする!」のCMの彼の方が圧倒的な露出度で、そのイメージしか湧きません。少なくとも『映画 イチケイのカラス』を観ている最中にはそのように感じませんでしたから、本作での彼は存在感の上で何かが劣っているということなのでしょう。
斎藤工の方は黙っているシーンでは『映画 イチケイのカラス』の際でさえも、いきなりベータカプセルを無言で取り出して変身しそうでしたが、今回も何度かそんな妄想が湧く場面がありました。もう少しして、ここ最近観たい映画一番人気の『零落』の往年のヒット漫画家の主人公役を観たら、それが私の印象の中の彼に置き換わるのではないかと期待しています。
俳優陣で観られて良かったと思えるのは、女優三人だと思います。
最近はガーシー国会議員によって17歳にして会社経営者とパパ活をしていたと噂されているという浜辺美波は、私が劇場で観た映画作品にも『亜人』、『映像研には手を出すな!』など、幾つか出演しているのですが、如何せん、他に注目すべき役者がいたためか殆ど記憶に残っていません。映画作品では、DVDで観た彼女の出世作の“キミスイ”や、突如大邸宅のリビングで四股を踏む変な女を演じた『屍人荘の殺人』の印象がそれなりにあるだけで、世の中でそこそこ話題になる彼女についての認識は私の中ではかなり薄いままでした。今回はかなりツンデレ系の役割で、純粋な意味では人間でさえないような役なので、一応「新境地開拓」とか雑誌記事のサブタイトルなら書かれても不思議ではないような異色の役柄です。ツンデレ感も、ややブラコン気味の言動なども、よく表現できていたように感じられます。
女性怪人役でクセのある役をそれなりにきっちりこなしていた長澤まさみの出番は少なく、チラシにさえクレジットされていないぐらいでしたが、私がいつも彼女の骨太的なガタイの良さが気になってエロスが感じられないと評する中で、今回はかなりエロ系に偏った役回りで、こちらも一応「新境地開拓」の範疇のように感じられます。おかしな出立の民俗学的武闘派系の役割なら『キングダム』でも大活躍ですが、エロ・テイストがありませんでした。登場する尺が短いのが残念ですが、今回はかなり妖艶です。
そして、仮面ライダーをも圧倒する場面もある戦闘シーン満載の役を演じて、今回私には一番の“掘り出し物”的な観る価値があったのが西野七瀬です。『恋は光』で明確に認識できるぐらいになりました。ここ最近私が観る作品に端役のケースもありますが、そこそこ登場するので、大分認識が強まったように思います。『恋は光』の感想で私は…
「「正確に言うと、DVDで1、2度繰り返し見た『あさひなぐ』や緊急事態宣言下につくばまで足を運んで映画館で観た『一度死んでみた』にも、ウィキに拠れば彼女は出演していますが、全く認識していませんでした。ウィキで各作品における彼女の役名を見ても全く何の役だったか思い出せません。老害の進行による記憶力減退も一因かもしれません。」
この『鳩の撃退法』の彼女と今回の彼女には、言葉が少なく、或る種の諦念を抱えた人格という共通点があります。敢えて言うのなら、僅かにヤサグレているという風に言っても良いぐらいです。『鳩の撃退法』の後では、『ホリック xxxHOLiC』に金魚を飲み込む猫娘役で登場しています。登場時間長も非常に限られていたこともあって、これもパンフレットを見て分かったぐらいの認識度でした。基本的に、何かを抑え込み、隠しているキャラを演じることに向いている女優さんなのかもしれません。」
と書いています。今回はSHOCKERの幹部怪人の役で、組織の裏切者である浜辺美波演じる女性型人間コンピュータ端末の幼馴染的な役どころです。組織の絶対性を奉じるゆるぎない確信のある女性でしたが、先述のような私の考える西野七瀬の得意なキャラとは少々乖離していて、ちょっと役を持て余している感じがしないではありませんでした。それでも、彼女のフィルモグラフィーの中の初の特撮モノの怪人役でかなり重要な役どころというのは、特筆に値することであるように感じます。(妖怪の猫娘役はありましたが、登場は本当に一瞬で終わりです。)
石ノ森章太郎とその弟子にあたる永井豪は、自分の作品を翻案することを広く許すタイプの人々です。その結果、翻案モノが多数生まれ、駄作も多々生まれる一方で、優れた翻案作品も時々生まれます。
仮面ライダー・シリーズは、一般に知られる平成仮面ライダー・シリーズに至る作品の各々を観ても、かなり原作から隔たった世界観のものばかりです。テレビの言わば正統仮面ライダー・シリーズの中だけでも、名作は多々あります。私も大好きな『仮面ライダーBLACK』は非常に評価が高く、仮面ライダーの原点に戻ったと言われています。悪役のシャドームーンも全シリーズ中で最高と言っていいぐらい洗練されたデザインを持っています。(『仮面ライダーBLACK』は比較的最近配信ドラマでリメイクされたようです。オリジナルに比して、主人公がちょっとオッサン過ぎて私にはあまり関心が持てませんでしたが、噂では設定上の世界観や社会観がすぐれている作品であるようです。)
『仮面ライダーカブト』も映像がスタイリッシュで、クロックアップによる高速度の世界の表現も斬新で、設定が練られています。娘が観ていたことから観始めましたが、完全に嵌りました。ちなみに本棚においてあるソフビが4体ありますが、カブトとブラックとシャドームーンとウルトラセブンです。
仮面ライダー作品群は正統テレビシリーズ以外でも、非常に優れた作品群を生み出しています。特にこのコラムでも感想を書いている『仮面ライダーアマゾンズ』は突き抜けた面白さを持っています。シーズン2まであって、シリアスな大人のドラマになっています。あまりの人気に映画にもなり、おまけにコミックで外伝まで出ています。どれも深みのある内容です。
コミックで言えば、テレビ化されることのなかった『仮面ライダーZX』のZXとそれまでのライダーの共闘の様子を描いた『仮面ライダーSPIRITS』も優れモノです。そして、映画作品で言うと、2005年の『仮面ライダー THE FIRST』と2007年の『仮面ライダー THE NEXT』がダントツのクオリティを持っています。この二作は各々が映画作品として完結していて、その世界観とスタイリッシュな演出は群を抜いています。そして、『仮面ライダーBLACK』どころではないぐらいの原点回帰です。少なくともこの二作の点数を(各々)100としたら、『シン・仮面ライダー』は40もあるかないかぐらいの完成度と魅力度です。
(変な喩えですが、同様に感じる構図で、アニメの『キューティーハニー』のオリジナルに対して、『キューティーハニー THE LIVE』が100とすると、美しき大根役者サトエリの実写映画が60ぐらいで、よく分からない設定の『CUTIE HONEY -TEARS-』が20ぐらいの感じになっている話があります。)
このように観ると、庵野秀明とその周辺の人々が、『シン…』で仮面ライダーを扱うことを思いついたことのまともな理由が見当たらなくなります。端的に言って、自分達が儲けたいからぐらいしか考え至りません。ビジネスなのですから、どんどん儲けてもらって結構ですが、どうせやるなら、コテコテの仮面ライダーファンではない私さえよく知っているような、優れた仮面ライダー作品の評価や構図・構造を熟知して、それを凌駕するぐらいの圧倒的な面白さを持った作品を作ってほしいものと思えます。そうでなくては、「一人でも多くの方に喜ばれ」などと口が裂けても言えないでしょう。
それができもしないのに、何が「仮面ライダーと言う作品に恩返し」になっているのか全く理解しかねます。自分たちの知名度を使って、関心がなかった人々にも「仮面ライダー」を知らしめてやったぞと言う自己満足的貢献のことを指しているのかもしれませんが、ここ最近の『仮面ライダーBLACK』のリメイクやちょっと前の『仮面ライダーアマゾンズ』でも、新たなファンは大量に生まれたと言われていますから、この程度の「中の上SF劇場作品」をわざわざ7年強を費やして作り直す意義が「趣味兼安直金儲け策」以外に思いつかないのです。
何とか単体で観た時の「中の上SF劇場作品」としての価値と、先述の女優三人様のレア配役が見られる価値で、DVDはギリギリ買いかなと思います。
追記:
伊勢丹でさえやっているという多数のコラボ販促企画には全く関心が湧きませんが、新宿の紀伊国屋書店に行ったら、(この作品のタイアップ企画と言うほどの押し出しもなく、単なる)面出し陳列で『新装版 仮面ライダー昆虫記』という書籍が売っていました。興味が湧いたので立ち読みしてみると、仮面ライダーファンの農学博士が、自分の子供と交わした仮面ライダー談義が書籍化されているような内容でした。やたらに楽しく速攻で買い求めました。V3はバッタではなくトンボの改造人間であると初めて知りました。「ストロンガ― アブの改造人間疑惑」には笑ってしまいました。
追記2:
この作品を鑑賞すると特典で「シン・仮面ライダー カード」なるアルミ系のお年玉袋のようなものが貰えます。帰宅後開けてみたら、一文字隼人とクモオーグのカード二枚が入っていました。お年玉袋の表面にも「ネタバレ」への注意喚起がありましたので、なにか新しい情報があるかと思って読み込んでみましたが、クモオーグは二本ではなくて四本の腕を隠し持っていることが分かったぐらいしか新発見はありませんでした。
追記3:
エンドロールの最中はずっと懐かしの子門真人が歌う仮面ライダーの主題歌が流れていて、耳について離れませんでした。翌朝になって曲が浮かばなくなったものの、変な外国語訛りの「迫る~♪ショッカー!」のサビだけが頭にこびりついて反芻されるようになっていました。30年ほど前に(英領)香港にシステム開発の仕事で4ヶ月滞在した際に、そのプロジェクトの同僚の現地人(=香港人)と仲良くなり、彼らが「知っている日本語があるぞ」と言っているので、何かと尋ねたら「迫る~♪ショッカー」でした。歌の他の部分は広東語に翻訳されていたらしいのですが、この部分だけは日本語のまま流れていたので、わざわざ意味まで調べたと言っていました。
ハワイではキカイダーが、イタリアでは鋼鉄ジーグが、フランスでは主に永井豪のロボットアニメが、非常にヒットしたという話を聞きますが、どうも香港では仮面ライダーがかなりの人気だったようです。(「他に知っている日本語はないのか」と尋ねると、当時日本で発売されたばかりだったはずのとんねるずの「ガラガラへ~びが、やってくるぅ~♪」の、タイトル通りのサビ部分を歌って聞かせてくれました。まだ意味は分かっていないとのことでした。)
☆映画『シン・仮面ライダー』