『キカイダー REBOOT』

 封切から約10日たった水曜日の晩、夜7時50分からの回をバルト9で観て来ました。それなりの混みようではありますが、封切からの日数と時間帯で見ると、ちょっと、落ち込み感があります。既にバルト9での上映回数は一日四回になっています。少々危機感が湧いたので、慌てて観に行きました。観客は圧倒的に男性客ばかりで、それも年齢層は私よりちょっと上と言う感じの人ばかりです。

 パンフレットを買うと、エグゼクティブ・プロデューサーの二人が二年以上に渡って構想を練った結果の映画と書かれています。もともと機械であり既に強い筈なのに、なぜジローや、ハカイダーになるサブロー達は変身しなくてはならないのかなど、色々な議論が為されていたことが分かります。良心回路とは結局なんであるのかとか、ジローはギター持つべきか否かなども議論の対象だったようです。

 私はキカイダーがテレビで始めて放送されたときに9歳でした。何となく見ていた覚えがありますが、その後も何度も放送されて、ギルの笛を「早く何かの騒音でカットしろよ」とハラハラ・ドキドキしていた記憶があります。アメコミのヒーローのように絶対善ではなく、悩める主人公であるジローの闘いの物語は、私の大好きなウルトラセブンや、当時のミラーマンなど、幾つかのヒーローものに共通する、“解説書を読むと実は深いストーリーなんだろうな感”がとても漂っていました。キカイダー01で太陽電池なるものの存在を知り、アクションが多くなって、こちらが成長したせいで、ちょっと飽きが来ました。

 ところが、そんなときに原作のコミックを読んで、一気に引きずり込まれました。物凄い世界観です。マスターの命令に従い、人間を危める可能性のある他のロボットに対して、光明寺博士はジローにマスターの命令の善悪を判断して実行するか否かを判断する能力を与えたのです。それは機械としては、マスターの命令に反する可能性が常にある“不完全”な態度をジローがとるということでした。

 人間に近いどころか、人間でも間違いなくできない善悪の判断を機械ができるロボットであるジロー。機械からも不完全と言われ、人間の醜い部分にも共感できず、ジローは行き場を失っていきます。そして、最後にゼロワンやビジンダー、ダブル・オーなどの仲間と共にハカイダーに捕らわれ、絶対服従の「服従回路」を他のロボットと同様に埋め込まれますが、ジローだけは良心回路と服従回路が並立する状態になり、今までその破壊力ゆえに良心回路がジローに使用を躊躇させていたブラスターを炸裂させ、ハカイダーとハカイダーに服従する元の仲間達を全員一瞬で破壊してエンディングを迎えるのです。破壊をも厭わない心と良心を持つことで、最も人間に近い状況になったといえるジローは、本当に幸せになったのかと言う(ピノキオに喩えた)問いで総ての話が終わります。

 コミックのキカイダーを読むと、実写のキカイダーもキカイダー01も馬鹿らしいぐらいに、主題が薄らいでしまっていることが分かります。石森章太郎(当時)の、『サイボーグ009』や後にジローが登場する『イナズマン』の深いテーマ設定がここでも光っています。

 テレビシリーズに比べると、今回の映画では、キカイダーが随分重量感を伴うようになり、逆にハカイダーは、身軽で破壊力も火力も際立っています。流石に乳房部分に蚊取り線香のようなデザインを配した変身後のビジンダーは登場しませんが、“マリ”と呼ばれる女性型のアンドロイドが登場します。人間型の彼女と闘っても変身後のキカイダーは良心回路の抑制が効いているせいと言われていますが、ボロ負け状態です。つまり、登場する中で多分一番戦闘力が低く、だからと言って機転を利かせて勝ち逃げるほどの知恵もないダメダメなアンドロイドとして描かれています。何かしっくり来ません。

 一応、スイッチオンと言って戦闘モードに変わりますが、実際には常に戦闘モードのロボット型であって、全身の表面に三次元のナノ結晶ディスプレイが配してあって、どこから見ても人間であるように見せている状態がジローだということになっています。そうした設定が今風ですが、どうも、ハカイダーやビジンダー・マリに比してただ鈍重で弱いだけの状態がよく分かりません。電磁エンドさえ、自分の破壊も覚悟の上の最後の自爆技のような設定になっていて、本当に役立たずです。

 おまけに、良心回路の設定がよく分かりません。相手を攻撃するのではなく、専守防衛を考えるので、戦闘力の抑制をしてしまっていると説明されていますが、コミックの設定とは異なるただのパワーセーブ機能の様にしか見えません。最後には暴れまわるハカイダーを止める為に自分で良心回路を止めてしまいます。どうも折角のコミックの素晴らしい世界観からずれています。パンフにあるエグゼクティブ・ディレクター二人の解釈が、何かきちんと昇華されていないように思えるのです。

 パンフによると、キカイダーやハカイダーは夢物語ではなく、かなり近いレベルまで現在の科学で実現できるとなっていて、現実のロボット工学の権威が映画の考証に多大な協力をしたと書かれています。確かに、どう見ても、日本が世界に誇る科学者には到底見えない長嶋一茂は「アクチュエーター」などの用語をペラペラと口にします。変に原作を弄繰り回して、無理矢理、(パンフによると)“もう少しすると(現実の科学に)追い越されてしまうから”と中途半端に辻褄を合わせた結果、全体にしっくり来なくなってしまったように思えます。

 同じく佐津川愛美が出演して、名演と言うより怪演を見せる『電人ザボーガー』の方が、原作の世界観にこだわりながらシンプルに描いていて面白くなっていたように思います。石森章太郎の原作をとんでもない駄作に変えてしまった『009ノ1 THE END OF THE BEGINNING』などを筆頭に、石森章太郎の壮大な設定を抱えた作品群は、実写の一本の映画にはなかなか収められないのかもしれません。

 テレビ版のジローが40年の時を経て、光明寺博士に良心回路の位置づけなどを教えた心理学者と言う役割で登場します。当然ですが、おじいさんと言う雰囲気を醸し出して、作中でも1シーンしか出ないのに、かなり重要な役になっています。おまけに役名も“前野究治郎”です。つまり、「前の旧ジロー」です。トリビュートにしては見事と言うより他ありません。

 ジローを幾度となく修理する在野の優秀な機械技術者を演じる本田博太郎は、非常に目立っています。この本田博太郎は、『仮面ライダーカブト』でも、非常に重要な役割を好演していた人物です。芝居で長年鍛えた演技はやっぱりすごいものと感嘆します。

 評判が極めて悪いのにも関わらず、私はかなり気に入っている『ガッチャマン』や『キャシャーン』。そして多分、ほぼ同様に今一だと思われる『黒執事』なども、原作とは別の物語としてみたら、まあまあ観られる作品だと思います。これらの一群の作品は、アニメから実写でした。実写の原作から実写の原作をリメイクする難しさを感じさせる作品でした。私には到底DVDが欲しいと思える作品ではありません。

 作り手は是非『ビジンダー REBOOT』、『ハカイダー REBOOT』なども続編として作りたいと言っていますし、そのような展開のあり得るエンディングもきちんと用意されています。しかしながら、当日の客足に見られる通り、作り手の解釈論に従って、新たなキカイダーの物語を楽しめる人は余り多くないように思えます。

 コミック全6巻を読み返してみたくなりました。

追記:
 ハワイではなぜかキカイダーが爆発的な人気と聞いたことがあります。この映画がハワイでは支持されるものであるのか、少々興味が湧きます。