『ピープルVSジョージ・ルーカス』

先週の『スター・ウォーズ エピソード1 ファントム・メナス 3D』の封切に先立つこと一週間。宣伝に丁度良いタイミングを狙って公開された『ピープルVSジョージ・ルーカス』を都内でたった一館の上映館で見てきました。渋谷のデパートの中にあるこの映画館に来たのは、『ランナウェイズ』を見て以来だと思います。

公開二週目の水曜日のレイトショー。女性のみ1000円のレディース・デイだけに女性客比率は高かったものの、全体の観客数自体は多くなく、毎日レイトショーでしか上映していず、おまけに都内でここしか上映していないのにも拘らずこの程度の入りであることに驚かされました。分かる人だけが分かるポイントで笑い出す人々が多かったことから、やはり観客の多くは『スター・ウォーズ』シリーズのファンであろうと推察されます。

この映画は、『スター・ウォーズ』ファンが、ジョージ・ルーカスの何に対して怒っているかを克明に調べ上げ描写したドキュメンタリー映画です。私が時々見るサイト「ムービー・ウォーカー」には「各地のファンから、634時間分の膨大な素材が届けられた。総データ量は14テラバイト。編集作業は数ヵ月にも及ぶものとなり、数千通のEメールと3通の殺害予告の後に本作は完成した……」と紹介されています。

私は『スター・ウォーズ』シリーズが全く好きではありません。全く関心を持てないだけではなく、ニュートラルな立場よりはアンチ寄りです。旧三部作と新三部作があり、旧三部作は特別篇に作り替えられていることぐらいは一応常識の範疇として知っていましたし、ダースベイダーを始めとする指折り数えて両手に収まるほどの見て判別の付く登場人物。と言った所が、概ね私の『スター・ウォーズ』の知識です。

旧三部作の第一作はテレビ放送か何かで高校生の頃に観ましたが、非常にSFXがちゃっちく感じられ、ストーリーは子供だまし的で、到底見るに堪えない映画と感じました。それより10年近く前に『謎の円盤UFO』にテレビシリーズで熱狂し、『ウルトラセブン』の完成度に馴染んでしまっている私や私の周囲のその手の関心が強い高校生の間では『スター・ウォーズ』はガキ向け映画でしかなかったように記憶しています。

「単体ではなく「サーガ」として観た時、『スター・ウォーズ』の世界観は…」と言う意見も当時から耳にしましたが、それとて、極端に言えば、子供時代の辻村ジュサブローの『新八犬伝』や『真田十勇士』など、素晴らしい物語が『スター・ウォーズ』に10年以上先立ちテレビでふんだんに提供されていました。何にせよ、『スター・ウォーズ』は私にとって、遅すぎたSF凡作でしかありません。到底、よく言われるSFの金字塔的映画には感じられません。

大体にして、世界観と言うなら、まだ『スター・ウォーズ』が第一作しか出ていない頃に、ガンダムはファースト・ガンダム全話によって、途方もない世界観を構築し終わっています。その後のサンライズは、『伝説巨神イデオン』に始まり、『装甲騎兵ボトムズ』や『聖戦士ダンバイン』など独自の優れた世界観を持つ作品を多数世に送り出しています。

さて、そのような程度の『スター・ウォーズ』にも、全世界的にはコアなファンがいて、旧三部作に熱狂してしまったが故に、その後、特別篇が発表されると、映像がデジタル処理により改善された以外に一部の場面が差し替えられていることに旧三部作のファンが激怒。劇中でも「レオナルド・ダビンチが今蘇って、考え直してこちらが良いと、モナリザの口を描きかえるのを許せる訳はない。そんなことは絶対にさせない」などと言いだす人間が続出します。さらに、新三部作が発表されると「旧三部作の世界観に沿っていない」と、さらに激怒する人々が激増。私は初めてこの映画で知ったキャラクターですが、“不必要に”馬鹿げたキャラであるジャー・ジャー・ナンチャラに怒りが集中し、その人形を惨殺や処刑して見せる映像なども劇中に多数登場します。

映画には、「クリエイターが如何に偉大であっても、発表された後は、クリエイターの手を離れて皆のものになっている。それを後からクリエイターが取り上げて勝手に直したり破壊したりすることはできない」などと、愚劣極まりないことを言い出す輩も多々登場します。これらの特別篇や新三部作の存在によって、自分の子供時代の夢を壊されたと、“George Lucas raped our childhood” などと言う、傲慢極まりない歌を作って路上で歌っている二人組まで登場します。

旧三部作のオリジナルを廃棄したとして、絶対に公開しないジョージ・ルーカスを責める意見も多々紹介されます。それを責めるなら、自分で作ったのでもないのに、自分が恥ずかしいチョイ役で出ている昔の映画の権利を買い漁っては潰しにかかっているという噂のケビン・コスナ―の方が、余程厳しく糾弾されるべきということになります。

物語で言うなら、私は『ジョジョの奇妙な冒険』が好きです。そのパート6終了後、別のストーリーとして始まった筈なのに、いつの間にやら『ジョジョの奇妙な冒険 パート7』と名乗り始めた『スティール・ボール・ラン』を認める訳には行かないと、パート8を買い始めても、パート7は抜けたまま一冊も買っていません。音楽で言うなら、一番好きなバンドのホワイト・スネイクも、ボーカルのデヴィッド・カバーデールがポリープ手術をしてアメリカのマーケット受けの良い曲作りに転向して行く前までしか好きではなく、それ以降の数枚のアルバムは、聴けば吐き気がするほど嫌いです。しかし、荒木飛呂彦やデヴィッド・カバーデールに感謝しこそすれ、「お前のやることは間違っている」などと詰め寄る気には全くなりません。

ですので、前述のようなこの映画の主人公と言うべき『スター・ウォーズ』ファンの人々に全く耳を貸す気になりませんし、現実にそのような厚顔無恥な人々の意見に耳を貸さず、映画監督ではなくおもちゃメーカーになり下がったなどと散々揶揄されようとも、自分の価値観を貫いて作品を作り続けるジョージ・ルーカスの姿勢に拍手喝采の思いでした。

ドキュメンタリーとしてのこの映画の優れた所は、これらの傲慢極まりない主人公の主張だけを強調して終わらないことです。これらの人々に、「結局こんなふうに腹が立つのも、ジョージ・ルーカスの作品を愛しているからだ」と語らせ、ジョージ・ルーカスが『スター・ウォーズ』作品の無数のパロディ的作品や同人的作品を訴えるどころか、寛容した挙句に、作品コンテストまで開いていることなども紹介されます。パンフレットにもある通り、『スター・ウォーズ』ファンが問題と提起していてる事象の殆どについて、私のような門外漢にも分かるように、体系的に描きつつ、コミカルに且つスピーディーに、見るものを飽きさせないように少々唐突なエンディングに向かって突っ走って行きます。

パンフレットの中に、「これまでに見たオタク文化の映画の中で最高傑作」と言う賛辞が書かれています。全くその通りだと思います。もっと理解し楽しむために、『スター・ウォーズ』計七作(『クローン・ウォーズ』を含む)を見る気には、老後に暇を持て余すようになっても絶対になることがないでしょう。それでも、『スワップ・スワップ 伝説のセックスクラブ』のように、馬鹿げたことを言い出す多数の人々を興味深く描いたドキュメンタリーの名作として、DVDは買いだと思います。