『ドリーム・シナリオ』

 11月22日の封切からおよそ1ヶ月経った木曜日の18時45分の回を渋谷エリアの最も北側にあるであるあろう映画館で観て来ました。この映画館に来るのは今年5月に観た『ブレインウォッシュ セックス-カメラ-パワー』以来です。どんどん開発が進み、幾つかの駅の入口が行くたびに変わっているように感じられる渋谷駅周辺地上部分を避け、行きは新宿からバスで行き、渋谷の手前のタワレコ付近のバス停で降り、帰りは映画館の入っているビルの真ん前にある地下鉄入口から地下に入り、地下鉄で戻りました。

 広く認知されているほどの映画ではないように感じていましたが、かなりの人気作であったようです。封切1ヶ月を経て23区内では新宿・渋谷・池袋・亀有の4ヶ所で上映が為されています。どの館も1日1回の上映状態です。(しかし、この木曜日が終映日だったのか、数日後にネットで確認すると、新宿と渋谷だけになっていました。都内では他に吉祥寺でも上映されています。)

 シアターに入ると、驚く程に観客が居ました。総勢40名以上だったと思います。渋谷は最早若者の街ではなくなったなどという話を時々耳にしますが、少なくとも、この映画の観客層で見る限り若者だらけで、20代から30代前半ぐらいで全体の8割を占めていたように思えます。男女構成は男性6割・女性4割といった感じでした。これまた流石渋谷と感じられましたが、男女二人連れ4組程度、女性同士二人連れ2組、男性同士二人連れ1組、さらに、今まで殆ど見たことのない組み合わせですが男性2人と女性3人の五人連れという組み合わせもいました。

 私がこの作品を観てみようと思い立ったのは、物語の特殊性にあります。端的に言うと、冴えない大学教授の男が多くの人々の夢の中に現れるようになるという話です。知り合いの人間の夢に出るというだけではなく、この大学教授を全く知らない人々の夢の中にも登場するようになるという話なのです。おまけに、本人に何かそうした超能力が備わった訳でもなく、本人も全く理解できず制御もできない現象としてそれが起こるのです。

 展開は全く違いますが、若い頃に読んで印象に残っている筒井康隆の『おれに関する噂』を思い出しました。SNSもない時代に書かれた書籍ですが、特段の理由もなくテレビのニュースで自分のプライバシーがどんどん暴かれて行き、皆が自分のことを知っている状態になるという点で、結構似ている話ではあります。ただ、『おれに関する噂』の方は、現実に主人公がしていることが報道されているのに対して、本作のような主人公の大学教授と人々の夢に登場する大学教授の行動は殆どリンクしていない(ように見える)点は大きな相違です。

 似たような邦画が比較的最近ありました。『THIS MAN』です。この作品の映画.comの説明には

「「世界各地で人々の夢に現れた謎の男」として2006年頃から世界的に話題を集めたインターネットミーム「This Man」に、日本独自の解釈と社会風刺を加えて映画化したパニックスリラー。

とある田舎町で連続変死事件が発生した。被害者は全員、眉のつながった奇妙な風貌の男を夢の中で見ていたという。夢に出てくる男は「あの男」と呼ばれ、人々を恐怖に陥れていた。「あの男」の被害が拡大していくなか、夫や娘と幸せに暮らしていた女性・八坂華の身にも危険が迫る。やがて華は、究極の選択を突きつけられる。」

とあります。設定的に面白そうに感じ、この映画も鑑賞候補作リストに入れたのですが、この作品の監督の天野友二朗は2018年に観た『自由を手にするその日まで』が類例のないほどのハズレ映画だったので、かなり躊躇していたところ、鑑賞者のレビューが想定通り滅茶苦茶に低く、私は鑑賞を諦めたのでした。

 ただ、この『This Man』の紹介文を読むと「世界各地で人々の夢に現れた謎の男」の存在が話題になっていたことが分かります。本作『ドリーム・シナリオ』のパンフを読んでもそのようなネット上の存在に触発されて物語ができたとは書かれていませんが、同じ社会現象を基に作られた話であるのかも知れません。私が若い頃にハマった筒井康隆の名作に近い物語を観るということと、あまりに酷そうで避けた『This Man』の優れたバージョンの作品を観るという価値がありそうなので、この作品を観に行くことにしたのでした。

 観てみてそれなりに意外だったのは、主人公の教授が「平凡な」とパンフなどでも形容されていますが、それなりに俗物であることです。米国における学歴(学士、修士、博士)の区別は唯一差別と見做されない報酬や待遇の違いを生み出し、それがその人物のプレステージになっているというのはよく知られていますが、それが必ずしも人格の優劣に結びついていないのは常識的に考えて明らかです。

 この主人公の大学教授は性格的に大人しく、世間に疎く、平たく言うと、所謂典型的コミュ症的オタクの慣れの果てのような人物です。おまけにその立ち位置に甘んじて相応に生きることを考えていれば良いのに、博士号を持っているが故のプライドや承認欲求がかなり強く、今回の夢の事件をきっかけにそれがダダ漏れて来て、妙に俗物チックなのです。博士号を持っているプライドは、彼が散々人々に悪夢を齎すようになった際に、学芸会のような場で娘の劇を観に来るなと言われますが、その際に彼は娘の担任の女教師に向かって、「君の学位は何だ学士か」などと詰問する場面もあります。

 いずれにせよ、彼が人々の夢に登場するようになり始めてから、(物語の前半、まだ彼が夢の中で善良だった段階では)皆が彼の写真を撮ってはネットに上げるなどし、とうとうインタビューなども受け、テレビ番組にまでリモートで登場するなどして浮かれ放題になります。おまけにとうとう広告代理店までが彼に接触して来て、「人々の夢の中に登場する際にペプシを持って出てくれ」とまでオファーして来ます。

 彼はこの広告代理店との接触で長年出したかった自分の研究分野の書籍を出版することができないかと模索しますが、生物学の非常に限定的な領域の研究が一般受けする訳もなく、有名になることと自分の出版の結び付けに失敗します。映画を観ている限り、もっとやりようもあったように思えますが、前述の通り世間知らずの人なので、或る意味、物珍しさに騒ぐ周囲の人々やその向こう側の大衆、さらに広告代理店などの営利目的の連中に振り回されているのに、今までの彼の人生になかったチヤホヤに燥ぎまくっているのです。しかし、人々の夢の中で彼が悪魔のように変貌してから事態は急変し、彼の人生も暗転するのです。

 劇中で描かれる現象は結構不思議です。映画の冒頭は彼の二人の娘のうちの一人の夢の世界から始まります。娘は結構豪邸に見える家の庭にあるプールサイドでガラス製のテーブルに向かって何事かをしています。主人公はプールサイドで落ち葉を掃いています。空から鍵束が物凄いスピードで落ちて来てガラスのテーブルを一瞬で粉砕します。娘は恐怖に駆られ空を見上げますが、主人公は何もせずそんな娘をちらりと見て、呼ばれても何度目かに曖昧な返事をする程度で掃き掃除をのろのろと続けています。

 すると、今度は靴がプールの水面に落ちて来ます。これでこの現象は比較的最近人気ドラマ『全領域異常解決室』でも知られるようになったファフロツキーズ現象であることが分かってきます。さらにぽつぽつとモノが落ちて来そうな感じの中で、今度は娘が空中にジワリと吸い上げられるように浮かび上がります。「助けて」と叫ぶ娘に、主人公は「大丈夫だ」のようなことを言っていますが、特に娘の足などを掴んで引き摺り降ろそうとするでもありません。手から箒も話していなかったように記憶します。

 この場面画が終わって、家族の朝食の場面に変わり、娘が自分の観た夢に主人公である父が登場したと主人公に語っています。「なんで私は何もしないんだ。そんなことが起きたら、絶対助けようとするのに」などと主人公も話しています。勿論、この夢の原因になるような何かの事件が過去にあった訳でもなさそうです。

 そうこうするうちに、主人公が職場の大学に行くと、皆が彼をチラ見しながら噂しているような状態になり始めます。彼の授業を受けている学生でも過半数が彼を夢で見たと言い、彼も授業を一回潰して、学生達が観た夢で自分が何をしているか調査したりします。概ね何となくのパターンがあり、娘の夢同様に本人が夢の中で何かの危機に陥っていることが多いようですが、それとはまるで無関係の傍観者のような感じで主人公は夢の中に(多くの場合、通り縋るように)現れ何もせず立っているのです。

 どの程度この夢を見る人が世界的に分布しているのか分かりませんが、少なくとも彼を知る人々の間だけの事象ではないことが分かってきます。そして世の中がこの奇怪な現象に気づき、その人物を主人公と特定した辺りから、主人公が浮かれ燥ぐ状況が生まれ始めます。極めつけは前述の広告代理店のオファーです。流石に書籍出版とペプシの広告のオファーの食い違いは大きく、一旦打ち合わせは御開きになりますが、広告代理店の担当者のうち事務方らしいモリーという女性の挙動が彼が最初に訪問した際から浮ついています。

 会議室に向かうエレベータ内で二人きりになった際に、彼が「あなたの夢にも私は出て来るのか」と尋ねると彼女は頷き、「どんな感じだ」と彼が尋ねると、「かなりやんちゃな…」とはにかむように言うのでした。実は彼女の夢の中で彼はいきなり彼の部屋に現れ、部屋の片隅からゆっくりと無言でソファにいる彼女に迫り、彼女の隣に座っていきなり耳元に熱い息を掛け、ねっとりと唇を奪い、着衣の上から彼女の股間を弄るのでした。なかなか大人風のやんちゃ状態で、今までの彼が聞いていた他人の夢の中の自分の傍観者態度とは全く異なるものでした。おまけに彼女は打ち合わせの後、あからさまな誘いかけの状況をバーで作り、彼女の部屋に主人公を招きます。そして夢を再現してくれと彼に頼むのでした。

 彼が「私は妻帯者だ」と多少は嫌がりつつも、だんだんと本気になって来ても、夢の中のように彼が無言でどんどんリードする状況にもならず、終いに服も脱がず脱がせず何もしていないうちに彼は射精もしたのか放屁だけだったのか、いずれにせよ、場を白けさせて、慌ててそそくさとホテルに戻ります。多分今まで不倫など一度もなく、まして女性から誘われることなどなかったであろう彼は眠れぬ夜を過ごすのでした。

 劇中で見る限り、この眠れぬ夜を境に、人々の夢に登場する彼は全く態度を変えるようになります。傍観者でいることはなく、いきなり鈍器で殴りかかってきたり、背後から首を絞めたり、(彼の娘の夢では)ガンツの田中星人のような無機的・機械的な動きで勢いよく寝室に押し入ってきたり、なかなか派手に犯罪行為をし始めます。劇中には登場しませんが、レイプされた上に殺された人物もいるようでした。寝ると何度でも登場するということのようですから、完全に『エルム街の悪夢』のフレディ状態です。

 このようにして見ると、モリーが元々性的妄想をする女性だったとして、それが夢に反映して、主人公との淫夢を繰り返し見たということだとして、その彼女とのセックスに失敗した自分を救済すべく、夢の中の彼は悪事を働き、人々に力を誇示するようになった…と一応解釈することはできるので、夢を見る本人や主人公が夢の内容に全く関係がないという訳でもないようには思えます。ただ、科学的な説明は全くつかなそうですし、劇中でもそのように終盤まで扱われています。

 しかしながら、冷静に考えてみると、仮に自分が他人の夢に執拗に登場するようになり、それが赤の他人にまで広まっていたとして、普通なら有名になったと燥ぐ以前に不気味に思うのが先でしょう。寧ろ、ネットに登場してモノを言うなら、何か心理学系の研究機関にこの問題の調査を促すぐらいのことをした上で、自分は夢に出てくることに対して全くのノーコントロール状態で、たとえその結果何が起きても責任を負うことはないぐらいのことを言えば良かったように思えます。それでも世間は彼に注目して来るでしょうから、そうした際に、彼の専門分野や研究分野を繰り返し語り、出版の機会を窺うというぐらいが普通ではないかと思えます。

 ところが彼はペプシのオファーに難色を示した際にも、単にペプシを宣伝することに気乗りしなかっただけのことであり、そういう風に夢への登場の仕方を自力で何かコントロールできる訳ではないと、いきなり断るということを一切していません。何か愚かしい勘違いをしているだけのように見えて興を削ぎます。それも前述の通り「博士持ち」の人間がやることとして全く幼稚なのです。

 学生達は彼がフレディ状態になったことで夜も眠れずトラウマにもなったと、彼の授業をボイコットし、彼の車に「LOSER」と大きく落書きし、彼を糾弾するようになります。彼がレストランに行って一人で食事をしていると、他の客が彼を店から出すように店員に働きかけるありさまです。彼の娘も学校で虐められるようになり、彼の妻も職場のプロジェクトから外されます。常識的に考えて、ポリコレ的に取ってはならない態度を平然と大学の高学歴の人々まで取るようになります。これもおかしな話です。レストランの如何にもアホな感じの一般人はまだしも、彼の周囲の相応に富裕層でそうおうに学歴もありそうな所謂エスタブリッシュメントな人達まで、彼をあからさまに避けるようになって行きます。

 毎晩の悪夢の張本人が現実に前に居たら、確かに気分が悪くなるのは否定しませんし、トラウマになっても致し方ないかもしれませんが、本人に無関係であるのは間違いない訳ですから、本人を責め糾弾し排除するのは全くの筋違いです。何かの大事故が起きると訴訟の案件を受注しようと救急車より先に弁護士が湧いてくるという米国社会のことですから、いっそ弁護士を常時同伴して行動したら良さ気に思えます。そしていわれなき差別的な行動に対してすべて法的措置を断固として取り続けるのです。

(例えば、日本国内でもオカミに拠れば、本人の人格形成に大きな影響を与えたであろうにも関わらず、家族構成や親の職業などを採用面接で尋ねるのは違法だということになっています。それは本人に関係がなく本人の努力などによって解決できない事柄を採用可否判断の材料にするのは差別的であるからだそうです。それであれば、この作品の主人公も後半ずっと不当な扱いを受け続けており、その点において彼の立場に立って思考できている人間は劇中で皆無です。やたらに権利意識が強い米国で非常におかしなことです。)

 劇中の台詞から、彼を休職にした大学からは何らかの「和解金」を貰っているということのようですが、落書きの学生も刑事責任を問うて良いでしょうし、親として不平等な扱いを強いた娘の学校も訴えられて然るべきです。彼を不当に追い出そうとしたレストランだって何らかの慰謝料を支払ってもおかしくありません。同伴の弁護士もウハウハです。次々と案件が湧いて出てきて、事実上勝ちが見えている訴訟ばかりだからです。しかし、この物語がそう言った方向に展開することはありませんでした。

 それどころか、彼にまつわる奇妙な現象はいつしかパタリと止み、その後、特定の人物の夢に登場して任意の行動をとれるというおかしな技術が確立し、それをいきなり商業利用するという現象まで登場するのですが、それが唐突に取って付けたように描かれます。「あくまでも相手の了承を取って」とか「それとなく売りたい商品を見せるだけ」などと言っていますが、夢の中にいきなり場面にそぐわない体でイケメンのお兄さんが現れて、ナイキ的なスポーツシューズを進め、いきなり夢の中で既に履いている状態が現出したりするのです。この仕組みの開発者は、「ポール(主人公の教授)の現象が無かったら、この技術は生まれなかった」などと言っていますが、飛躍しすぎですし、こうした人体に直接の影響を与える全く新規の商品の開発であれば、(少なくとも日本なら)政府関係筋から何かしらの待ったや規制がかかりそうなものです。

 その技術もどのように主人公の現象を基にして開発したのかの経緯も全く分からず、いきなり劇中に登場して、大した語られずもせずに終わります。何のために物語のこの部分が登場したのか分かりません。一方で主人公には何が起きたかというと、主人公がフレディ状態になっても彼に関心を持ち、彼を持て囃す国が一ヶ国だけあり、それはフランスでした。

 持て囃すと言っても、悪夢の現象が終わると、マイナーな人気を持つ昔の芸人ぐらいの扱いになりましたが、彼の自叙伝のような薄い書籍はギリギリ出版することができて、パリのうらぶれた書店の地下室でサイン会をしたり、フレディのような金属製の爪を腕に嵌めた写真をポーズと共に撮影されたりなどしている様子が描かれます。どうも悪夢問題でかなり彼に理解のあったはずの愛妻とも離婚したようです。二人の娘ともやや疎まれ気味の付き合いが続いています。

 これで燥いだツケが大きく来たというには、あまり大したことのないように見えますし、彼のこの現象を応用した商品が出たという割には、彼の現象をきちんと技術的に説明するような場面も一切登場しません。物語の設定は良かったのですが、設定倒れで掘り下げることに失敗した作品のように私には感じられます。

 小物の大学教授が承認欲求に振り回されながら、舞い上がって調子に乗ったり、ジタバタ・ドタバタする姿はニコラス・ケイジの職人芸の演技が冴えています。また夢の中で無表情に佇んでいたり、同じく無表情に殺害やレイプを重ねたりする姿の切り替えも面白く鑑賞ができるものの、余計な新商品の話が盛り込まれたりする割には、その後をきちんと描くことができないエンディングは、かなり肩透かしに思えました。私が劇場で観た中で、ニコラス・ケイジ主演作で『ノウイング』という大ハズレ作があり、その存在故に、多作のニコラス・ケイジにしては、それほど下の方の作品ではないように思えるのが不思議です。DVDはギリギリ買いというぐらいかと思います。

追記:
 モリーの役をディラン・ゲルラという女優が演じています。ディラン・ゲルーラという表記もあったりし、(英語版はありますが)日本語のウィキもない状態で、日本での認知度はかなり低い女優だと思われます。この女優が私の好きなタヌキ顔系で、従前ハリウッド的には美人顔と評価されなかったタイプだと思いますが、ジワジワとタヌキ顔女優が散見されるようになったように感じます。タヌキ顔女優がそれなりに目立つ役を演じるのが増えるのは、とても嬉しいことです。