===================================
経営コラム SOLID AS FAITH 26周年記念特別号
=低読解力先進国から学ぶ中小零細企業の生き残り方針=
===================================
ご挨拶
第一部:読解力と組織経営
第1章:この記事での読解力
第2章:低読解力集団のありよう
第3章:読解力と中小零細企業
第二部:低読解力下の営業方針
第4章:読解力と付加価値
第5章:無付加価値の世界のブルー・オーシャン
第6章:中小零細企業の付加価値づくり
第三部:低読解力下の組織運営
第7章:ジョブ型雇用の底辺
第8章:低読解力者の就労マインド
第9章:中小零細企業の教育方針
米国(+西欧)のリアルを知るための推奨新書
あとがき
===================================
☆注意:お読みになる際には、枚数がかさみ恐縮ながら、プリントアウト
の上お読みになることを、心よりお奨め申し上げます。
===================================
☆注意:本メルマガは企画・原稿作成などのどの段階においても、生成AI
を利用しておりません。現実に即したナマの着想・文章表現などお楽しみ
ください。
===================================
ご挨拶
26周年記念特別号を通常より1ヶ月遅れでお届けします。数日前の第620号でも
お知らせしました通り、今回の周年記念特別号は第620号まで全6回続いたシ
リーズ『R6メリケン奇聞』の言わば総括を行なう内容です。総括をシリーズの
真最中に行なうことができないため、致し方なく通常10月末日に発行している
周年記念特別号を今回の11月末日に延ばしました。
振り返ってみると創刊から数年間は、周年記念特別号の発行パターンが確立し
ていず、10月末日に発行されていないケースがありますし、比較的最近になっ
てからも『21周年記念特別号』のように前後篇に分けての発行となって、前篇
は10月末日、後篇は11月末日の発行になっているようなケースもありますが、
単独の記念特別号の発行でこのような日程になるのは近年ではなかったことで
す。理由あってそのような発行時期になったものの、そのお知らせが直前の第
620号になったことをお詫び申し上げます。
全6回のシリーズ『R6メリケン奇聞』は、タイトルそのままの内容で、昨年令
和6年10月の大統領選真只中の米国オレゴン州の地方都市やさらにローカルな
市町村を訪ねて見て回った際の気づきを6つの話にまとめたものです。具体的
には…
■第615話『This コミュニケーション』で
日常に滲み出る訴訟社会の片鱗を、
■第616話『荒んだ路線バス』で
路上にさえあからさまな経済格差の様子を、
■第617話『ゼロ・アメニティ』で
商売の付加価値づくりを拒絶する貧困を、
■第618話『買物リスト』で
医療保険不備によるOTC薬品依存の実態を、
■第619話『悪魔信仰』で
進行する治安悪化と貧困の拡大を
■第620話『押しの難度』では
学歴格差、教育格差で歪む労働市場を描いています。
本来のこのシリーズの主旨は、当『経営コラム SOLID AS FAITH』のテーマか
ら逸脱するものではなく、国内の中小零細企業経営を取り上げるものですから、
上に挙げたような米国の実情から私たちが学べる事柄を提示するものでした。
しかしながら、日本の中小零細企業経営に反映して考える部分や日本の中小零
細企業の経営の他山の石とする部分が各号の文字量の枠の中では非常に困難な
ままに終わってしまっていました。そこで、シリーズ完結とほぼ同タイミング
でお届けする予定の26周年記念特別号にその役割を負わせることとしたのです。
米国の、事実上「内乱状態」と呼べそうな混乱や混迷は、長い歴史の中で国民
の読解力不足のあらゆる誤りが堆積した結果と見ることができます。そして、
何度もこのコラムで繰り返している通り、「読解力」の相対的な不足は日本社
会の中でも、中小零細企業の経営環境に偏在していることが多いのも事実です。
つまり、中小零細企業を取り巻く「ヒト資源」の状況が質的に激しく悪化した
先行事例が、現在の米国社会と見ることができるケースも多いのです。米国の
状況の具体的な描写は、『R6メリケン奇聞』シリーズ各話に任せ、本周年記念
特別号では、中小零細企業が自らの経営について、それらから学べる事柄にフ
ォーカスしてみます。
===================================
■第615話『This コミュニケーション』
http://tales.msi-group.org/?p=4420
■第616話『荒んだ路線バス』
http://tales.msi-group.org/?p=4452
■第617話『ゼロ・アメニティ』
http://tales.msi-group.org/?p=4465
■第618話『買物リスト』
http://tales.msi-group.org/?p=4507
■第619話『悪魔信仰』
http://tales.msi-group.org/?p=4513
■第620話『押しの難度』
http://tales.msi-group.org/?p=4532
===================================
第一部:読解力と組織経営
当コラムではかなり古くから読解力について言及しています。社会的に読解力
が大きな話題となったのは、2018年に発売された『AI vs. 教科書が読めない
子どもたち』がきっかけと考えられますが、当コラムは2007年の『下流志向
〈学ばない子どもたち 働かない若者たち〉』の中に、「(下流志向の人間に
は、)分からないことを無かったことにする能力がある」との趣旨の議論が展
開しているのを見て、その中小零細企業経営に対するインパクトの大きさに気
づき、警鐘を鳴らし始めました。
2007年11月10日発行の第187話『企画の現場』に『下流志向…』についての言
及が最初に登場します。そして、2008年5月25日発行の第200話から『200話発
行記念特別号』として全6回の当時としては桁外れに長いシリーズ『斜陽の樹
影』が開始されました。このシリーズは、全編が『下流志向…』について考え
た特異な内容です。
そして近年でも『AI vs. 教科書が読めない子どもたち』の内容なども受け、
2022年発行の『23周年記念特別号』がまるまる中小零細企業における読解力教
育を取り上げる内容となっています。ですので、当コラムでは読解力について
の情報は大方掘り下げられていると考えることができないではありません。そ
れでも再び取り上げたのは、米国社会の惨状を読解力不足状況の堆積結果と捉
えることができたからでした。
そこで、以下、全三部構成のうち、第一部では読解力のもつ社会や企業組織へ
の影響力の大きさを振り返り、第二部ではお客が低読解力である状況、第三部
では従業員が低読解力である場合の状況を、米国の実態を俯瞰しながら描いて
行きたいと思います。
===================================
■第187話『企画の現場』
http://tales.msi-group.org/?p=242
■第200話『伸びる棒』 シリーズ『斜陽の樹影』(1)
http://tales.msi-group.org/?p=265
■『23周年記念特別号』
http://tales.msi-group.org/?p=2569
===================================
○第1章:この記事での読解力
内田樹が書いた『下流志向…』以来、多種多様な著者が読解力を扱う書籍を著
わしてきました。その際の読解力の定義は必ずしも一定ではありません。(ま
た一定でない方が、読解力不足が引き起こす広範な社会課題や組織課題を捉え
ることに利することになるでしょう。)その中には、高等教育についての議論
で頻繁に登場する所謂「メディア・リテラシー」や「情報リテラシー」なども
あります。
本周年記念特別号での読解力は、数ある定義範囲の中で、取り分け基本的な部
分と思われる4つの項目…
■「文字の読み取り能力から意味の読み取り能力、さらにその聞き取り能力」
■「上の読み取り、聞き取りをした結果、醸成される話し書く能力」
■「文章の行間(文脈(コンテキスト)と言えます)を読みとる能力」
そして、
■「周囲の人間の表情・感情を読み取る能力」
を扱います。取り分け基本として重要なのは最初の文章の読み取り能力です。
この能力については『AI vs. 教科書が読めない子どもたち』で紹介されて有
名になり、「Alex問題」という呼称までついた問題が有名です。第444話『知
的満足』で主題材として取り上げていますので、まるまる該当部分を引用しま
す。
[以下引用]
「次の文を読みなさい。『Alexは男性にも女性にも使われる名前で、女性の名
Alexandraの愛称であるが、男性の名Alexanderの愛称でもある。』
この文脈において、以下の文中の空欄にあてはまる最も適当なものを選択肢
のうちから1つ選びなさい。
『Alexandraの愛称は( )である。』 (1)Alex (2)Alexander (3)男性
(4)女性」
誰かに会うたびに聞かせることを数回繰り返すうちに、丸暗記してしまった、
『AI vs. 教科書が読めない子供たち』に載っている問題。私が言い終わるが
早いか、皆、正解「1. Alex」を選ぶ。そして、「え。こんな簡単なの?」と
訝る。だが、全国の中学生235名の正答率は38%に過ぎない。4を選んだ生徒が
39%と1ポイント多い。全国の高校生432名でも正答率はたった68%。ほぼ3人に
1人が間違っていて、4を選んだ生徒も26%存在する。
[以上引用]
この文章を一読するだけで、読解力の多寡が社会や組織のありかたを左右する
ほどの大きな問題であることが理解できるものと思います。仮にこの程度の読
解力の怪しさの社員がいたら、社内外からのメールの内容も正確に意味を理解
することはほぼ無理でしょうし、それが無理なら返信することも儘なりません。
各種作業のマニュアルを作っても、作業の手順や質の保証は全く期待できそう
にさえありません。
口頭でも同現象が起きるなら、注意しても意味が分からず、説明は意味を為さ
ず、大混乱を来すはずです。
そのように考えると「お先真っ暗」と感じられますが、その事実は変わらない
ものの、日本はこれほど「Alex問題」が解けないにもかかわらず、全世界で見
るとダントツに高い読解力を維持しているのです。各種の統計がそれを示して
いますが、代表的なのはOECDが実施するPIAAC調査です。第2回調査(2022~
2023年)で調査対象は31ヶ国ですが、調査の「読解力」、「数的思考力」、
「問題解決能力」の全分野で日本は1位か2位にいます。それに対して米国は
「読解力」・「数的思考力」ともに OECD平均を下回り、さらに、「問題解決
能力」に至っては平均以下である上に、上位国との大きく水をあけられていま
す。
ここでも低読解力大国米国に低読解力問題の極端に進行した状況を学ぶ意義が
見いだせるのです。
===================================
■第444話『知的満足』
http://tales.msi-group.org/?p=1329
===================================
○第2章:低読解力集団のありよう
前章では基本的な読解力の定義を振り返ってみました。確かにそうした読解力
が不足していれば、組織運営が困難であろうということは自明に見えます。し
かし、それが米国社会で低いが故に社会問題を引き起こしているという因果関
係はまだ見えてこないかもしれません。
そこで日本ではあまり報道されていない米国の社会的事件をひとつ紹介します。
「ピザゲート事件」です。
この事件は、2016年米国大統領選挙の期間中に起きました。民主党のクリント
ン候補陣営の関係者が人身売買や児童性的虐待に関与しているという陰謀論の
広まりです。きっかけはクリントン候補のメールがハッキングされ流出したこ
とですが、そこから、首都ワシントンD.C.に存在するコメット・ピンポンとい
うピザ店を拠点とした人身売買や児童買春にクリントン候補が関わっていると
いう噂がSNSで広まったのです。そしてコメット・ピンポンに対する嫌がらせ
が現実に起き始めました。
ここまでは、残念なことですが日本で起きても、一応不思議ではないぐらいの
荒唐無稽さです。それでも日本ならこの噂を真に受ける人物はあまりいないこ
とでしょう。しかし、米国の場合は異なります。悪魔崇拝の儀式などが噂に取
り込まれ、拉致された子供達が監禁され生贄として殺害されているとか、殺害
した子供達を食べているなどの噂にまで発展して、とうとう子供達を救わねば
ならないと、2016年12月にライフル銃を持った26歳の男がコメット・ピンポン
に押し入り、店内で3発の発砲をするに至ります。
彼は子供達が拉致されているとされている地下室を探していたようですが、現
実にはコメット・ピンポンの建物に地下室は存在していませんでした。しかし、
嫌がらせはこれで収まることはなく、2019年には店舗に放火さえされています。
日本のニュース・コメンテーターは、米国の惨事を見て、「日本も他人事では
ない」と言った趣旨をよく発言しますが、本当にこんなことが日本で起こると
思っているのでしょうか。
確かにバカッター問題などもあれば、その実行犯を暴く人間もいますから、構
造的には類似した事象が起こっていると考えることができますが、その過激度
や深刻度が全く異なるように感じられます。
このようなデータもあります。米国では地球が平らである(つまり球体ではな
い)とする「地球平面説」を信じている国民が600万人存在しているというも
のです。馬鹿げていますが、国内のビジネス誌に掲載されたこともある、一応
の事実情報です。同じ比率を適用するなら日本にも200万人ぐらい「地球平面
説」を信じる人々がいることになります。あり得ません。
私が米国に留学していた時に湾岸戦争が勃発しましたが、その際の米国オレゴ
ン州の片田舎の人々の様子を第525話『ポリコレの辺縁』で描いているので引
用します。
[以下引用]
「私達は今戦争の真只中にいる。私達にも今できることを考えるべきだ」
学食の脇のスペースで10人ほどの男女が円陣のようになって大声で主張
し合っていた。それは湾岸戦争開始のニュースが流れた初日、オレゴン州の
片田舎の大学でのこと。それから数日後、留学生の友人と車でホームセンタ
ー的な店に行くと、ワゴンセールに人だかりができていた。私には機関銃に
見える連射式ライフル、それ用の箱詰めの銃弾、そしてサダム・フセインの
顔が大きく描かれた的がセットでワゴンの中に無造作に積まれていた。
その光景の違和感に呆然としていると、米国人の同級生が「ヘーイ」と歩
み寄ってきた。手には品数の限られたセットの奪い合いでの戦利品が握られ
ている。「早くお前も買った方が良いぞ。売り切れてしまう。フセインが上
陸してきたらどうするんだ。誰もが戦う必要が出る。日本人は銃を撃ったこ
とがないのか。一緒に練習しよう。ああ、まずは許可証をゲットしなきゃダ
メだな。IDは持っているか」と親切心でまくしたてた。
フセインは太平洋を遥々渡って西海岸に上陸するらしい。そしてオレゴン
の片田舎も蹂躙しなくては気が済まないらしい。上陸軍の陣容は分からない
が、少なくとも連射ライフルで応戦できるらしい。インターネットのない時
代。どこから噂が広まるのか分からないが、大学生の中にさえ、大真面目に
フセインを迎え撃とうとする者が間違いなく存在した。
[以上引用]
米国では低読解力と言う話題は殆ど登場しません。代わりにもっと過激な「反
知性主義」という言葉の方がよく使われます。端的に言うなら知的活動を敢え
て忌避しようとする考え方です。
以前、中堅パチンコ店チェーンの経営者で私がその洞察力を畏敬する人物が、
読解力の問題に関心を持ったことがあります。そして、「読解力のことを考え
てみたが、ウチのような会社では社内外に低読解力者が溢れている。お客は低
読解力のままにいてもらい、社員は雇って徹底的に教育すると社内外に読解力
のギャップが広がり、利益が拡大する構造が存在する」と仰っていました。
まだピザゲートも起きていない時代の話でした。その時点でも空恐ろしく感じ
る発言でしたが、ピザゲートや地球平面説信奉者の話を知り、反知性主義の社
会浸透を理解すると、この社長の洞察は、少なくともパチンコ業界においては、
以前以上に妥当に感じられます。ただ、この社長が見過ごしていることが一点
あります。それは読解力が低いと、商品やサービスの付加価値も殆ど理解でき
なくなることです。
さらに、昨今の話題と組み合わせるなら、生成AIなども全く使いこなせない
人々が大量に存在するであろうことが分かります。まともなプロンプトも作れ
ないことも想定されますが、それ以上に、生成AIが作成した文章の善し悪しは、
低読解力では全く評価し得ないからです。
===================================
■第525話『ポリコレの辺縁』
http://tales.msi-group.org/?p=2328
===================================
〇第3章:読解力と中小零細企業
藤原和博が著した『学校がウソくさい――新時代の教育改造ルール』の中に、
「学校とは、自律して学び続けられるように集団の力で良い学習習慣と生活習
慣をつける装置」という定義が登場します。一見して、前章で言及した反知性
主義と真逆の姿勢と分かります。そして、こうした姿勢が強い社員が揃った組
織があれば、その組織は経営者の指揮命令を殆ど必要としない「自律型組織」
となるでしょうし、その組織の現場力も目を見張るようなものになることは請
け合いです。
これまでの学校が「早く、ちゃんとできる、いい子」の量産には一定の成果を
上げ、その結果、世界に冠たる「ちゃんと物事が約束通りに進む」社会が実現
していることは日本の誇りであると著者も評価しています。しかし、残念なが
ら、そうした学校教育のありかたが(その強みを維持しつつ)軌道修正されね
ばならないと著者は説いています。
そして、現実問題として従前の学校組織でも装置は完璧ではなく、当然、自律
的な思考や行動ができるようになっていない人材も相応に高い割合で発生して
います。これらの人材が大手企業や有名企業に採用されることはありませんか
ら、新規採用を目指す中小零細企業に辿り着くことになります。悪く言えば吹
き溜まることになるということでしょう。そして中小零細企業は、こうした人
材を自分達の組織構成員として教育しなければならない立場に置かれています。
それは中小零細企業の最大の社会的存在意義を結果的に作っていると考えられ
ます。
“中小企業は社会人教育最後の砦”と言われることがあります。第3話『自販
機のある生活』で、こうした中小企業の社会貢献を称賛するビル・トッテンの
考えを紹介しています。
[以下引用]
ビル・トッテン氏は、その著書で、日本のガソリンスタンドで働く若者を
賞賛している。全くの無人、または半無人状態のガソリンスタンドでは、望
むべくも無い清潔で行き届いたサービスが日本では受けられる。合理化・効
率化を推し進めて、無人のガソリンスタンドが並ぶかの地では、通勤途中の
OLまでもが男女平等とばかりに、スーツに落ちたガソリンの染みに舌打ちし
ながら給油している。
しかし、トッテン氏が賞賛するのは、サービスの良さ自体ではない。企業
が若い人を教育し、その職場を確保している点であった。氏によると、合理
化追求の結果、こうした職場が無くなり、無職の若者が多くなったことが、
米国の治安悪化の最大要因であるという。端的にいうと、アメリカ人は、ガ
ソリンの価格などに見られる効率性追求の結果の代償として、カージャック
の危険に甘んじ、高い税金を払って無職者への福祉と刑務所の維持運営を実
現しているということになる。
[以上引用]
上述の通り、中小零細企業の人材教育は、若者の雇用の機会と治安維持を実現
するほど高い価値があるものだとトッテンは考えています。義務教育や大学で
の教育を終えた後の多くの普通の人々を教育できるのは、中小零細企業での育
成プロセスしかありません。そしてそうした育成プロセスには、意識するしな
いに関わらず、読解力教育が含まれざるを得ないのです。
===================================
■第3話『自販機のある生活』
http://tales.msi-group.org/?p=40
===================================
第二部:低読解力下の営業方針
第一部では読解力について概括し、低読解力が社会や組織に及ぼす影響の大き
さについて描いてみました。第二部と第三部では各々「お客が低読解力のケー
ス」と「社員が低読解力のケース」を考えてみます。
低読解力のお客様が集団となって低読解力の市場を形成した場合、その市場は
中小零細企業には非常に厳しい市場になります。なぜかというと、低読解力の
市場は付加価値を拒絶するからです。後述する通り、付加価値の多くは学ばね
ば感じることができません。簡単に言うと、良いものを判断する基準を知らな
ければ良いものを判断できず、良いものが高い価格で売られていることを受け
容れることができないからです。
その状況が進むと、低読解力のお客様が理解できる唯一の価値基準によっての
み商品・サービスの価値は評価されるようになります。「価格」です。ですの
で、低読解力の市場におけるお客様誘引策もお客様囲い込み策も、すべて低価
格の提示によってのみ行われる方向に企業の事業活動は収斂して行きます。
一般に大手企業はお客も広く捕捉しなければその巨体を支える売上を維持する
ことができません。よって、規模のメリットを利用して、大量生産・大量販売
に打って出ることが基本です。その際に、当然価格は抑制されたものになり、
それが競争力となります。中小零細企業にはそうした構造は存在しませんから、
低価格を恒常的に持続させることは至難の業です。ですので、「価格で勝負し
ない」は、例外的なケースを除いて、中小零細企業経営の定石とされています。
低読解力のお客様集団が形成する市場では、価格が主要で、多くの場合、唯一
のアピールポイントになるような状況が発現しますから、中小零細企業の存続
は非常に厳しくなるのです。これが、中小零細企業が、低読解力の経営環境を
真剣に評価検討、そして可能な限りそれを回避・解消しなければならない理由
です。
===================================
○第4章:読解力と付加価値
料理の技術を考えてみましょう。
日本では料理教室がリアルなサービスとしても各地に存在し、チェーン展開し
ている企業も幾つかあります。米国では、人口集中地域が非常に限られている
のでリアルの教室は限られていますが、その分、ネット上での同様のサービス
があると、多くの日本人は考えることと思います。形の上ではその通りです。
具体的に考えてみると、すぐさま、料理技術の社会普及に色々と問題が生じる
ことが分かります。まず、料理には各種の知識が必要です。それは食材や調味
料に関する知識は勿論ですし、非常に多様な調理器具についても知識が必要に
なります。さらに技術も必要になります。勿論、プロの板前やシェフのような
レベルに達する必要はありませんが、単純に食材を切るだけでも、「下ろす」
や「刻む」や「捌く」など色々な表現があることからも、その一定の難度は想
像に難くありません。
自身が料理下手であってもこうした知識・技術体系に一定の理解が無ければ、
レストランなどの一定価格帯以上の飲食店に行っても、料理を楽しむことはお
ろか、注文さえできないような事態が発生するでしょう。これが端的に現れて
いる事例が米国に存在します。それはミシュランが殆ど知られていないことで
す。
ミシュランのレストランのランキングは典型的なプロの評価結果です。その結
果よく反知性主義の考え方の説明にこの事実が登場します。米国で広く知られ
ているのは、ミシュランのようなプロのランキングではなく、日本の「食べロ
グ」や「ぐるなび」などのような一般の人々が評価するサイトです。そこには
素人の「うまい」・「まずい」を軸に「不快や困惑なく店を辞去できたか」と
いった感想しか見当たりません。おまけにステマだらけの構造ですが、専門家
と称する輩の意見を聞くのは、それ以上に腹立たしいのが反知性主義です。
その結果、多くの飲食店は廉価で大味な料理メニューにどんどん偏って行きま
す。高くしてもその価値が分かるお客様は殆どいず、店の評価につながらない
ですし、微かな隠し味や長時間の仕込み…といった調理技術の妙を発揮した所
で、それを感じ取れる舌を持ったお客様は非常に限られているからです。日本
人が海外旅行で、取り分け米国(や一部のヨーロッパ諸国)で「食事がおいし
くない」や「食べるもの(/場所)がない」と感じる最大の理由はここに存在
します。すべてはその背景にある学びやその結果の価値を理解する体験の有無
に左右されているのです。
料理を作り食べる方がこのような状態である一方、食材を作る側にはもっと顕
著な事例があります。米国では毎年約1000万人の食中毒患者が発生しますが、
日本では毎年1~2万人の範囲です。人口比にして考えても、米国での食中毒発
生の割合は桁外れであることが分かります。この主要因の一つは食品製造に関
わる労働者の読解力が低すぎて、マニュアルを作っても読めず、HACCPを導入
しても維持できないことにあるとする説があります。
実際には測定が困難であるものの、第三部で説明するようにジョブ型雇用の大
きなひずみが原因となっている可能性もあります。端的な事例があります。映
画『ロッキー』で主人公の貧乏ボクサーが、精肉工場の冷凍庫の冷凍肉の塊を
サンドバックに見立てて殴っている場面を見て、何らかの衛生管理や倫理的な
食物の扱いについて疑問を持つ米国人は殆どいません。寧ろ、美談として画面
を見ている方が多数派でしょう。こんな所にも食中毒が大量発生する背景の一
端が見て取れることでしょう。
この考え方で第616話『荒んだ路線バス』を読み返すと、そこに登場する「窓
のガラスがなく農家のビニールハウスの素材と同じようなビニールシートをガ
ムテープで貼り付けてあ」る車の持ち主は、車に純粋な「移動手段」としての
価値しか認めていないことが分かります。認めていないと言えば、本人が積極
的にそういった価値観を採用しているように聞こえますが、実際には、貧困に
よるものでもなく、主義主張も関係なく、最初から「車とはそういうものだ」
という常識がなんとなく植え付けられているだけという可能性さえあるのです。
全国統一の車検制度が存在しない国において、こういった人々が増えれば、
カーケア商品も自動車メンテナンスに関わるサービスも市場形成が困難になり
ます。
===================================
■第616話『荒んだ路線バス』
http://tales.msi-group.org/?p=4452
===================================
○第5章:無付加価値の世界のブルー・オーシャン
第3章で低読解力市場は価格競争が繰り広げられると説明しました。そこは中
小零細企業が排除されてしまう市場になりますが、大手企業でさえ安泰ではい
られなくなります。大手企業がそうした「低読解力レッド・オーシャン市場」
でとる行動は、寡占・独占戦略か撤退かのいずれかです。いずれも、企業収益
は伸びやすくなり、経営は少なくとも短中期的に安定しますが、お客様を犠牲
にする経営が徐々に蔓延るようになります。それを描いたのが第498話の『犍
陀多の未来』です。全文を引用してみましょう。
[以下引用]
「もともと経営学はこの国で生まれたんだ。経営学はテーラーの生産管理と
か労働者に時間単位の生産量を上げさせる工夫から始まった。チャップリン
の映画のような感じになってな。大手製造業がこぞって生産を追求してたら、
第二次大戦が終わってモノ余りになって作っても売れなくなった。だからマ
ーケティングが理論立てられて、ニーズを満たすことになった。ところが、
それでもモノ余りや会社余りが進んでなかなか儲からなくなった。だから、
面倒なので敵を減らすことにした。それで、生産からマーケティング、さら
に『会計の時代』に移ったんだな。世の中、何かと言えばM&Aになった。
買えば短期的に売上が増えるから、株主にも説明がつきやすいし。お客のニ
ーズ研究より手っ取り早い」。
分厚い『世界標準の経営理論』の中の古典的なSCP理論の「完全競争はま
ったく儲からない」という項タイトルを読んで、大学留学時代に世話になっ
たマーケティングの教授との雑談を思い出した。SCP理論は有名なポーター
の競争戦略のベースとなっている経営理論。経済学の「参入障壁もない中で
無数の小規模事業者が全く差別化の余地もない商品・サービスを売り続けて
いる」と仮定する“完全競争市場”の概念を援用したもの。
ドイツの写真用フィルムメーカーのマーケティング担当をしていた頃、全
世界を統括するマーケティング担当役員が、半年に一度は来日して市場視察
をして回る。その案内役はいつも憂鬱だった。高頻度の来日理由を尋ねると、
ドヤ顔で見解を滔々と述べられた。
「ミスター市川。写真用フィルムは何種類もの乳剤をミクロンの単位の薄さ
の均質な膜状に重ねて製造する。おまけに感光させてはいけないので、真っ
暗闇で製造しなくてはならない。その高い技術による製造工程を持っている
のは、全世界でたった5社しかない。そのうちの二つが日本に集中していて、
おまけに人口当たりの写真用フィルムの消費量は世界でダントツに高く、全
5社が参入を目指す市場は日本だけなのだ」。
調べると多くの業種業界で、日本は主要企業が犇めいている。ポーターは
「完全競争に近い市場であればあるほど儲からない」という。海外企業群は
M&Aを重ねて短期的には濡れ手の粟の売上で、長期的には独占状態を形成し
て、ずっと儲けようとしてきたのだろう。
自分しか売り手がいなければ、普通は価格を吊り上げたくなる。製品開発
やマーケティングの努力も根本から要らなくなる。その結果、利益は確保で
きても、お客に不利益を強い続けることになる。日本の企業群の低生産性や
低配当体質、さらに低売上が、海外から批判されることがある。しかし、経
営学によるその背景理由の一つはあまり語られない。
[以上引用]
海外発の経営論を振りかざして徒に生産性議論を煽っては中小零細企業のM&A
を推し進める政策や方針がよく報道されています。しかし、実はそうした考え
方が欧米(取り分け「米」)の低読解力市場において企業が付加価値づくりを
放棄した状況下で成り立っているものであることが何となく見えてきます。
===================================
■第498話『犍陀多の未来』
http://tales.msi-group.org/?p=1993
===================================
〇第6章:中小零細企業の付加価値づくり
第5章までの内容で、中小零細企業は自社内の社員らのみならず、お客様まで
教育して付加価値を理解させていかねば、馬鹿げた低付加価値の価格競争に引
きずり込まれ、事業が危うくなるリスクをご理解いただけたと思います。
そんな壮大なことに中小零細企業が挑戦しなくてはならないというのは暴論だ
というご意見もあろうかと思います。しかし、中小零細企業があい対する従業
員数も少なければお客様数も限られています。広く学校教育の延長の生涯教育
のようなことを意識する必要はありません。目の前のお客様群に、自社の商品
・サービスの価値を理解させる教育に専念すれば良いだけです。高価なシャン
パンを売りまくる地方都市のローカル・スーパーマーケットの好例に、第610
話『蒙昧の行方』が触れています。
[以下引用]
ネットの記事を見ていたら、『「新潟の過疎地のスーパー」になぜ「ドン
ペリ」が並ぶのか?』というタイトルが目に飛び込んで来た。記号消費を仕
掛けて付加価値を創り、高価格な人気商品創りの取り組みを全国から収集し
て来てはネタにする小阪裕司の記事。普段は付加価値を提示すると客が飛び
ついてくる主旨。しかしスマホで蒙昧な輩も増えたせいか、それとも格差が
拡大して低所得者が高い商品をスルーするようになったせいか、珍しくこの
記事は顧客を啓蒙して価値を分からせたことに焦点を当てる内容になってい
る。
格差が広がったと頻りにニュースで喧伝され、低所得者だらけという。イ
ンフレが進み価格は致し方なく上げねばならない。高価になれば価値も増え
なければおかしい。自ずと付加価値の堪能に必要な理解力が問われる。所得
と理解力は相関しているか。そして、両者が低い顧客をターゲット・モデル
にして、何をすべきか。熟慮を要する。
[以上引用]
紹介されている小阪裕司の記事の冒頭近くに「エスマートがあるのは、新潟の
過疎地。しかも、まわりは本当に何もない田園地帯です。しかし、驚くことに
このスーパーの売り場には、少し前まで『ドンペリ』や『ルイロデレール』と
いった高級シャンパンも並んでいました。」という文章があります。お客様を
育てる発想は壮大なものでもない代わりに、どこの中小零細企業でも意識しな
くてはならない経営指針なのだと考えられます。
===================================
■第610話『蒙昧の行方』
http://tales.msi-group.org/?p=4311
===================================
第三部:読解力と組織経営
第二部では「お客が低読解力のケース」を考えてみました。中小零細企業にと
って中長期的な死活問題が炙り出されたものと思えます。続く第三部では「社
員が低読解力のケース」を考えてみます。勿論、ここでいう「社員」は「フル
タイム正社員」だけを指しているのではなく、派遣社員や常勤状態にある契約
個人事業者などまで含んだ広い従業者の意味で使われています。
低読解力社員が組織の一定量を占めるようになった場合の問題は前述のように
『23周年記念特別号』でかなり詳しく扱っています。そこでは現場で見られる
低読解力社員の「症状」にも踏み込んだ説明が為されています。幾つかの事例
を挙げると…
▲マニュアルの内容をきちんと理解できない
▲メールの内容をきちんと理解できない
▲指示の意図が読み取れない
▲会議で空気が読めない
▲思っていることを満足に表現できない
▲「わかっていない」と言われると「馬鹿にされた」としか思わない
このうち「会議で空気が読めない」はかなりハイレベルな問題なので、今回の
号ではあまり踏み込みませんが、基本的にこうした問題が当たり前に起きるよ
うになると、少人数の組織は簡単に機能不全に陥ることがお分かりいただける
と思います。
===================================
■『23周年記念特別号』
http://tales.msi-group.org/?p=2569
===================================
○第7章:ジョブ型雇用の底辺
米国の雇用のありかたを考える時、「向こうは進んでいてジョブ型雇用が普及
している。日本は旧態依然のメンバーシップ型雇用で、専門職が少ない」など
といった出羽守(でわのかみ)発言がネット記事などでも目立ちます。確かに
専門職においてはジョブ型雇用が当り前なのは納得できます。例えば、研究開
発を行なったりする理系人材などは、現在の日本においても、そして日本の中
小零細企業においてさえ、殆どジョブ型雇用されているものと思います。
しかし、普通に考えて、それ以外の多くの一般的職種に関して言えば、「誰で
もそれなりに真面目に取り組めば、そこそこできるようになる仕事」であるこ
とは非常に重要です。たとえば、飲食店厨房の皿洗い作業のような仕事におい
て、それさえ、適性がぴったりで、それ専門に努力を重ねてきた人材だけしか
採用して働かせることをしない…などというのはナンセンスの極みです。誰で
もができるようになるので、やる人間がいなくなったり、質が担保されなく
なったりするリスクが低いような仕事で、組織をできるだけ埋め尽くす方が、
圧倒的に経営は安定するでしょう。
ところが、ジョブ型雇用をこういった所にまで適用すると、誰でもできるよう
な仕事であればあるほど、賃金は低く設定され、専門性が持てなかった人材を
そこに消去法的に当て嵌めるしかなくなります。第620話『押しの難度』に登
場する文章を見てみましょう。
[以下引用]
資料の中にある州全体の求人状況は衝撃的。主要な仕事が学歴別に大別されて
いる。職業ごとに必要な学歴が明確になっていて、学歴別職業群を跨いで重複
している職業はない。各々に平均年収と州内の空きポジション数が書かれてい
る。ネットで喧伝される話と違って、平均年収は日本のものに比べてそれほど
高くない。職種と学歴と年収額の三要素は完全に紐づいている。ならば年収を
上げたければ授業料が高騰を重ねる大学に入り直さねばならない。ジョブ型雇
用の現実を見る。
[以上引用]
この資料「Occupations In Demand 2024」に具体的に載っている内容の一部を
抜粋したのが以下の情報です。
Less Than High School
Occupation Code: 35-3023
Occupation Title: Fast Food and Counter Workers
2022 Employment: 61,883
Openings: 15,930
Wage: $31,595
このように「中卒」、「高卒」、「高卒後職業訓練卒」、「準学士」、「学
士」、「修士課程以上」に大きくグループ分けされ、そのグループごとに該当
する職種がずらりと並び、その空き状態と平均年収が一覧になっている表なの
です。上はファーストフード店の店員で中卒の仕事と分類されている事例です
が、例えば準学士、つまり短大卒の職種の中の一つには…
Associate Degree
Occupation Code: 25-2011
Occupation Title: Preschool Teachers, Except Special Education
2022 Employment: 5,530
Openings: 774
Wage: $37,086
などとあります。先の事例に比べて、高校を卒業し、短大まで出ているのに、
収入はそれほど大きく伸びていませんが、少なくとも、短大を出ると小学校教
員になり、専門科目以外の一般科目を教えることができるようになるというこ
とでしょう。このような構造が、『押しの難度』で記述されている「職種と学
歴と年収額の三要素は完全に紐づいている。ならば年収を上げたければ授業料
が高騰を重ねる大学に入り直さねばならない。」の指し示す事象です。
米国では、「人種」、「年齢」、「性別」、「宗教」から、「住所」や「家族
構成」まで、そういった要素で待遇に違いを作るのは「差別」であるとすぐに
糾弾されます。しかし、多くの業務において、その人物の職業能力を的確に評
価し、報酬金額に反映するのは至難の業です。労働者が不満を持てば、すぐさ
ま「差別である」と糾弾されかねません。そこで、モノを言うのが学歴です。
学歴で待遇を区別すれば文句の出ようがありません。
その考えが浸透しているが故に、「給料をあげるには大学に入り直さなくては
ならない」となり、大学は中途半端な単位の取り方をする社会人学生で溢れ返
るようになります。
幾つかの歪みを感じざるを得ません。
▲自己責任のキャリア開発
『21周年記念特別号 前篇』においてこのように書いたことがあります。
「ジョブ型雇用は契約によって本人が望む仕事をずっとやり続ける雇用の形で
す。そのように聞くと、好きな仕事ができて理想的であるように感じられます。
しかし、新しい仕事にチャレンジする機会もありませんし、他部署に異動する
こともありません。チャンスを与えられて自分も知らなかったような能力が伸
びることもないのです。おまけに、その仕事が無くなれば、社内異動はなく、
会社を辞めるしかなくなります。」
本人がどのようなキャリアを志向しどのような報酬を得るかは自己責任とな
った時、どれほどの人間が無理して自分の才能を新たに花開かせようとするで
しょうか。端的に言えば仕事ができない人間もクビになった人間も全部本人の
せいという社会風土ができ上がっているのです。
▲キャリア開発は大学かインターンしかない
キャリア開発を志しても、インフレの影響で高額になった大学での学位(そ
れも学士以上)を目指す必要があります。薄給で企業に雇われて経験を積むイ
ンターン制度は広く普及していますが、大学における学位ほどの価値を持って
いないのが一般的なようです。
差別の可能性を排除すると、「やる気」だの「熱意」だのは勿論、何かの明
確な「努力」でさえ先述の学歴別職種を飛び越える理由にはほぼならないと考
えられます。これでは新たなキャリアの可能性を開く道は非常に狭く、各種の
雇用リスクに特に低学歴者は曝されることになります。
▲付加価値ゼロの就労姿勢
さらにもっと大きな問題があります。それは就労に付加価値を付けようとす
る姿勢が特に低学歴職種において生まれにくいことです。学歴と職種、そして
報酬が完全に紐づけられているとするならば、仕事に付加価値をつける動機づ
けが湧きません。例えば、先述の皿洗いを周囲のスタッフに比べ2割増しでこ
なせる人材がいたとしても、その能力を発揮しようとは思わないでしょう。
それを行なっても、待遇は学歴が変わらない以上、大きな変化がないからで
す。まして、低学歴層は勉強習慣もなく学習に対して前向きな意思を持ったこ
とが無いような人々で成り立っていることが多いでしょう。とすると、唯一の
待遇改善の道は閉ざされているも同然です。そんな中で、自分の就労に付加価
値を付けて組織に貢献しようなどと考える人材が出る方が不思議です。(だか
らこそ、サービスの現場ではチップでお客様がスタッフの動機づけを直接行な
う必要が出てくるのです。)
そんな職場に「現場力を発揮して、自律的に組織を動かそう」などと考える
社員が生まれないのは当然です。
市川は米国のMBAを持つ海外の友人に「さっきまで、クライアントのマッ
サージ店店主にホスピタリティを説明するのに、ディズニーの事例などを使っ
た」と言ったら、「小さなマッサージ店の店主ごときが、そんなことを理解で
きる訳がない」と仰天されたことがあります。同様に「工場の現場作業者に事
故防止のためスイス・チーズ・モデルを使って説明した」と言って、「それは
マスター(修士)課程で習う話だ。現場の連中には関係ない」と反論してきた
ケースもあります。これらの発言の背景にあるのは、職業選択だけではなく就
労意識に対してまで拡大された学歴差別です。
===================================
■第620話『押しの難度』
http://tales.msi-group.org/?p=4532
■『21周年記念特別号 前篇』
http://tales.msi-group.org/?p=1997
===================================
○第8章:低読解力者の就労マインド
今まで『経営コラム SOLID AS FAITH』では何度も繰り返している原理ですが、
低読解力者はどのようなマインドで仕事に向かっているかを振り返ってみま
しょう。内田樹の『下流志向…』の内容を基にしています。
内田樹に拠れば、下流志向の人間(ここではそのまま低読解力者と捉えること
とします。)には「分からないことをなかったことにする能力」があるとされ
ています。これについて順を追って説明します。
[低読解力者は事実上「全知(全能)」]
例えばネットの記事を読んで、分からない言葉があれば、分からないと微かに
思いつつも半自動的にやり過ごします。しかし、同じ言葉が何度も登場すれば、
その不快感が意識野に上がって来て、検索するなりして、その意味や読みを調
べるのが普通でしょう。つまり、分からないことは(最初やり過ごしたにせ
よ)意識されていたということです。
しかし低読解力者の場合には、この「分からないこと」は全く意識野に上って
来ません。単純になかったことにされます。「なかったことにしよう」という
意思さえなく、機械的になかったことにされます。その状態で世の中を見ると、
世の中には分からないことが存在しない状態になります。つまり、見聞きする
ものに全く疑問も不思議もない、事実上の「全知(全能)」になります。
ですので、本人には全く理解できない言葉が鏤められた契約書を「読んでお
け」と指示されても全く苦も無く「読みました」と報告することでしょう。本
人に嘘をつく気は微塵もありません。全く内容を分かっていない状態でしょう
が、本人には分かっていることしか認識できませんから、「読んで分かり、疑
問点もない」と感じてそのように報告します。
[低読解力者は指摘されると強く不快感を抱く]
低読解力者は世の中のすべてのことを知っている状態ですから、それについて
疑義を示されるのが最も不快です。例えば先述の契約書の件でも、本人が読ん
で分かったと申告した後に、上司が本人の分かっていないことを指摘したとし
ます。低読解力者本人からすると、自分が分かった範疇にそんなことは書かれ
ていなかったことになりますから、上司が本来の指示範囲外の事柄についてあ
らぬ因縁をつけてきていることになります。当然不快になります。
さらにもっと深刻なケースも起き得ます。上司の指摘そのものが全く理解でき
ないような「分からないこと」であった場合、その「分からないこと」も「な
かったこと」にされます。つまり、スマホに向かって話している人のように、
上司は自分に対して話しているのではないと解釈したり、何か全く関係ない話
題について聞き取れない独り言を言っているなどと解釈したりすることになり
ます。酷いケースでは、上司が意味不明な事ばかりを言う錯乱状態であると解
釈したりすることもあります。
[低読解力者はスピや陰謀論に走る]
低読解力者の隣席に同じ作業課題を指示された同僚がいるとします。同僚は低
読解力者に比べて仕事を倍速でこなして終えたとします。それが数日連続で続
き、流石の低読解力者もその事実を認識するようになったとします。それでも
低読解力者にとって、世の中はすべて自分の知っていることばかりですから、
自分の知らない何かの働きによる、自分よりも優秀な人間の発生を許容するこ
とができません。(正確に言うと、その優秀な同僚の存在の理解を無意識的に
拒んでいる状態かもしれません。)少なくとも、本人に悪気はなく、「許せな
い」といった悪意が湧くこともありません。機械的に「許容できない」だけで
す。
そんな低読解力者からみたこの優秀な同僚の解釈は二通りしかありません。一
つは「運が良かった」です。彼が持っているペンのせいかもしれませんし、彼
が普段取る何かのルーティーン的な行動のせいかもしれませんが、そこに因果
関係を勝手に見出して「理解したこと」にし、それを自分も採用します。
もっと怠惰な低読解力者の場合には、単に「運だ」という理解の下、自分にも
運が巡って来るのを漫然と待つことにするかもしれません。テレビの占いの
「今週のラッキー・パーソン」であることで仕事が上手くいくのならば、自分
がそうなる週を待てば良いだけです。そこに努力の余地はありません。スピリ
チュアルな話や性格分析などが流行する背景の一端にはこうした構造が存在し
ます。
もう一つの解釈法があります。それは「何か不正をしている」です。何か卑怯
なことをして自分を陥れていると解釈すれば、その方法を知らず、かつその方
法を実践してない自分を許容することができます。かくして全く無根拠な悪事
の疑義がでっち上げられ、社内陰謀論が生み出されることになります。
[低読解力者は努力を忌避しやすい]
世の中が自分の知っていることででき上がっていたら、未知のことがありませ
んから、何か未知・未経験のことにチャレンジするという発想が湧きません。
また、前項にあるように、自分を凌駕する存在が現れても、(元々自分が努力
をするという経験を殆どしてきていない以上)それが努力の結果であるという
ことを認識することができません。よって、本人はそのような意識を持つこと
さえないままに、努力をずっと忌避し続けるようになります。
[低読解力者は承認を強く求める]
最近、クライアント企業の方々の間で「承認欲求オバケ」という表現を聞くこ
とが何度かありました。これも低読解力者の特徴の一つである可能性が高いで
しょう。低読解力者は「全知(全能)」で、自分より優れた存在を認識できま
せん。ですから、自分の独り善がりで勝手な作業結果は、会社にとって誰も思
いつかない優れたアイディアであり、イノベーションに見えることが多いで
しょう。当然ながら、それは(若手の立場故に報酬額にすぐに反映されなかっ
たとしても)何らかの称賛に値するものと普通は考え至るでしょう。
他の社員から見ると、できて当然のことしかできていないとか、余計なことを
して本来期待された作業結果を出していない全く馬鹿げた状況です。それなの
に「褒めてくれていいんですよ」といった態度の低読解力社員がいる訳ですか
ら、その評価は良くて「承認欲求オバケ」になると考えられます。
[低読解力者は自分が変わる可能性を認めない]
自分が「全知(全能)」であるのですから、今の自分を最もよく分かっている
のは自分であることになります。その自分に欠けている所や今後伸ばしていか
なくてはならない所が、簡単に見つかる訳がありませんし、特にそれを他人か
ら指摘されることはあり得ません。他人が自分についての自分の知らないこと
を口にしても、それは間違いなく「分からないこと」です。そしてそれは「な
かったこと」に機械的に変更されます。
以上、やや極端に描きました。それでも、この話を読んで自社の若手社員の言
動に符合するものを感じる方は多いはずです。低読解力者の組織に対する破壊
力の大きさをご理解いただけたかと思います。
===================================
〇第9章:中小零細企業の教育方針
2023年にイチローがインタビューに応じた内容が話題になったことがありま
す。『スポニチアネックス』の『イチロー氏 「指導する側が厳しくできな
い」時代の流れ 「酷だけれど…自分たちで厳しくするしか」』と題された記
事です。
[以下引用]
今の時代、指導する側が厳しくできなくなって。何年くらいなるかな。僕が初
めて高校野球の指導にいったのが2020年の秋、智弁和歌山だね。このとき既に
智弁の中谷監督もそんなこと言ってた。なかなか難しい、厳しくするのはと。
でもめちゃくちゃ智弁は厳しいけど。これは酷なことなのよ。高校生たちに自
分たちに厳しくして自分たちでうまくなれって、酷なことなんだけど、でも今
そうなっちゃっているからね。(中略)
でも自分たちで厳しくするしかないんですよ。ある時代まではね、遊んでいて
も勝手に監督・コーチが厳しいから全然できないやつがあるところまでは上が
ってこられた。やんなきゃしょうがなくなるからね。でも、今は全然できない
子は上げてもらえないから。上がってこられなくなっちゃう。それ自分でやら
なきゃ。なかなかこれは大変。
[以上引用]
第7章で述べたジョブ型雇用の懸念点「キャリア開発は自己責任」と全く同じ
論点です。イチローのこの発言は「やさしさという残酷」などと要約され、
「自分を律する人間と、出来ない人間はどんどん差が出てくる」と指摘されて
います。全くその通りでしょう。そしてイチローはこの発言を、こうしたトレ
ンドを受け容れざるを得ないというスタンスで括っています。
しかし、現実には自分を律することができないどころか、まさに低読解力その
ままの人材が吹き溜まりやすい中小零細企業では、到底このようなトレンドを
漫然と受け容れることはできないでしょう。幸いにして、僅かに揺り戻しが始
まっています。
例えば、「ホワイト離職」と呼ばれる現象が指摘されやすくなってきた事実が
挙げられます。強く指導することを避け続ける「ユルい職場」を若手社員の側
が「自分の成長のチャンスがない」と見限るような構造を指した言葉です。他
にも「パワハラ上等」と謳い、求人応募を大幅に増やしている企業事例がネッ
ト記事で紹介されており、その企業の経営者は「自分を追い込みたい若者が増
えている」と語っています。本当に追い込まれて耐えられるか否かはまた別の
議論ですが、そういった意思を示す社員が一定量存在し、微増ぐらいはしてい
るのかもしれません。
また見習うべき事例では決してありませんが、階層的な規律を維持し、徹底し
た強権指導を行なう犯罪集団や半グレ組織の若者に対する吸引力が高いことは
社会的にもよく指摘されています。その状況を説明するのに、単に「脅された
から」とか「強要されたから」などの「(明示されていなかったとしても)本
人の意思に逆らう形の理由」だけでは十分ではないと考えられそうです。そう
した「自分を追い込んでくれる集団に属すること(、そしてその結果、今まで
の自分にはできないことができる自分になること)」を望む心理構造が背景に
透かし見えているように思えます。
これまで第三部で書いてきたような低読解力者対策を採らざるを得ない立場の
中小零細企業において、一部の自律できる人間にのみ通用するような啓発や動
機付けのありかたは完全に的外れであるように思えます。
勿論、暴力を振るったり、怒声を用いたり、脅迫めいたことをするような行為
は論外ですが、社員が自身の成長意欲で勝手に設定した方向に成長するのを漫
然と受け容れるのではなく、組織として社会として期待される方向への変化を
指導、ないしは許容される範囲の「強要」をし、自律的な社員を育て上げるこ
とを中小零細企業各社が実践すべきでしょう。
それは分からないことをなかったことにするのではなく、分からないことに向
き合い、時間と労力をかけて分かるように変える、不快で煩わしい体験を業務
として強いる工程になります。それでもそのプロセスを突き抜けた企業組織に
しか自律型組織運営が可能になることはありません。
能力が低い人ほど自分の能力を過大評価してしまう「ダニング=クルーガー効
果」や、同時期のダニングのエプリーとの共同研究での「自己評価よりも他己
評価の方が正確」という結果など、低読解力者の「変わる余地のない自己(内
田樹は「無時間モデル」と呼んでいます。)」に対抗する理論武装の材料は揃
いつつあります。
社員に適正に成長を強いることが、中小零細企業の組織運営方針の重大なピー
スであるのです。
===================================
米国(+西欧)のリアルを知るための推奨新書
■『引き裂かれるアメリカ 銃、中絶、選挙、政教分離、最高裁の暴走』
https://amzn.to/4id9uVh
■『アメリカから〈自由〉が消える 増補版』
https://amzn.to/47TKlLS
■『黄禍論と日本人 – 欧米は何を嘲笑し、恐れたのか』
https://amzn.to/4rbOylH
■『真説・企業論 ビジネススクールが教えない経営学』
https://amzn.to/486h9zZ
■『宗教国家アメリカのふしぎな論理』
https://amzn.to/4r9PS8D
■『アメリカはなぜ日本を見下すのか?…』
https://amzn.to/4oif2zu
■『アメリカが劣化した本当の理由』
https://amzn.to/4o8q1Lw
■『迷走する超大国アメリカ』
https://amzn.to/3JKmG7x
■『白人ナショナリズム アメリカを揺るがす「文化的反動」』
https://amzn.to/4oNwL2z
追録(非新書で増田悦佐が著した特別推奨書籍):
■『クルマ社会・7つの大罪』
https://amzn.to/4ppG4Ww
※当書籍はシリーズ『R6メリケン奇聞』の
第616話『荒んだ路線バス』に登場します。
■『いま、日本が直視すべきアメリカの巨大な病』
https://amzn.to/4f0zTn4
===================================
あとがき
長い文章をお読みいただきありがとうございます。
いやはや、創刊四半世紀を超えてさらに一年が経過しました。全くネタ切れの
気配がありません。『R6メリケン奇聞』は長らく行っていなかった米国の私が
居た州の州都や私が居た小さな市を訪問した際に見た事柄をまとめたものです
が、そのインパクトは非常に大きく、考えさせられることが山ほどありました。
実は6話ではなく、8話分ぐらいの構想があったのですが、内容が薄いものを
削って凝縮させた結果がお届けした6話シリーズです。
25周年記念特別号までに比べて、かなり力を抜いて作ってみました。現状では
結構減った読者の方々から、通常号について「最近の号は気合入っていますよ
ね。エッジが利いています」と指摘されることがあります。これも25周年を過
ぎて、好きに書けるようになってきたからです。一方で周年記念特別号(、そ
して100話刻みの発行記念特別号)は、通常号の緊張感抜きのお祭り号が元々
の位置付けでした。そこで今回は原点に戻り、緊張感なく思いつくことをバン
バン盛り込んでみることにしました。これも25周年を過ぎた結果です。ついで
に発行日延期も直前まで告知することなくのんべんだらりと進めました。ただ、
お祭り号とは言え、『経営コラム SOLID AS FAITH』のいつもの切り口の筋が
通った感じは残せたように思っています。
メタリカはちょっと好きなバンドです。以前は肩に力が入るような圧のある曲
を、これまた妙に耳障りなドイツ語訛りの英語で無理矢理聞かせるようなスタ
イルだったのに、『Load』というアルバムから、突如力の抜けたスタイルにな
りました。曲調はどう評しても「ダラけている」と言わざるを得ない感じです。
その際に、バンド主要メンバーはファンの(悪い意味の驚きも混じった)反響
に対して、「今回のアルバムはルーズに作ったが、作る気持ちは今まで通り真
剣だ」というような主旨のコメントを発表していました。
ルーズ(lose)は日本人の英単語の誤用で、本来はルース(loose)だと思い
ますが、いずれにせよ、非常に気持ちがよく分かります。私も今回はそのよう
な気持ちで周年記念特別号を作ってみました。多分、今後もさらに増して記念
号はダラけた作りになると思います。
まだまだ通常号のストック原稿は常時7、8話が手元にあり、発行の維持に困る
ことは取り敢えずなさそうです。通常号はもっと危険なテイストに、そして記
念特別号はもっとはっちゃけてだらしないテイストにして続けて参りたいと
思っておりますので、今後も引き続きご愛読を賜りたく存じます。
===================================
※ ご注意!!
サーバのエラーなどで読者登録が解除されてしまった方がいらっしゃる様子
です。当メルマガ通常号は毎月10日・25日に、周年記念特別号は毎年1回(主
に10月末日に)発行しております。発行状況のご確認は弊社ブログで行なって
ください。
また、まぐまぐからの連絡によると、一部フリーメール運営企業でサーバの
受信量規制を行なっているケースがあり、その場合は大幅にメールマガジンの
到着が遅れるとのことです。
「届かない」、「再送希望」などの連絡は、まぐまぐの窓口である
「magpost@mag2.com」に、メルマガID(#0000019921)、タイトル(『経営コ
ラム SOLID AS FAITH』)、購読アドレス、再送希望の旨を記載の上、メール
にてご連絡下さい。
===================================
発行:
「組織と人のコミュニケーションを考える」
合資会社MSIグループ(代表 市川正人)
下のアドレスにご意見・ご感想を頂ければ幸いです。
bizcom@msi-group.org
このメールマガジンは、
インターネットの本屋さん『まぐまぐ』を利用して
発行しています。
(http://www.mag2.com/ )
通常号は毎月10日・25日発行
盆暮れ年始、一切休まず まる26年(足掛け27年)。
マガジンID:0000019921 (ナント、たった5ケタ)
★弊社代表のコラムが色々満載。
ソリアズのバックナンバーも各号の全文が読める弊社ブログ。
http://tales.msi-group.org/?cat=2
★講読の登録・解除はこちらのURLでお願いします。
http://msi-group.org/msi-profile/saf-index/
===================================
(完)