『ウルトラマンブレーザー THE MOVIE 大怪獣首都激突』

 2月23日の封切からまる1ヶ月が経った土曜日の朝10時15分からの回を、ここ最近避けることができず訪館頻度が高くなっている新宿ピカデリーで観てきました。

 既に先週以前から1日1回の体制になっているようです。上映館も非常に限られており、鑑賞時点で、23区内には新宿以外に亀有でしか上映されていません。東京都下に拡大しても昭島、日の出、武蔵村山が加わるだけで、かなり終了寸前の感じになっています。ピカデリーの券売機の画面で見るとタイトル脇に「LAST」と書かれており、これは上映最終週の表示と女性スタッフが説明してくれました。鑑賞日が土曜日で翌週の木曜日までの上映とのことでした。

 午前中の早い段階なのにロビーには人がかなりいましたが、シアターに入ってもここ最近観る中ではかなり多い方の観客数で、全体で70人ぐらいはいたように思います。性別構成は男性6割と言う感じに見えましたが、70人のうち15人程度を占める小学生以下ぐらいの年齢の子供は男子が圧倒的多数派です。子供の引率係は親が一人と言うことが多く、両親で連れてきているケースは見当たりませんでした。親の方は母もいれば父もいる感じです。

 全体のほぼ半分がこうした親子客ですが、私も含めた残りの観客の構成はぐちゃぐちゃです。年齢層も20代から60代ぐらいまでバラバラですし、単独客もいれば二人連れもいます。女性同士、男性同士の二人連れ、男女カップルもいれば、40代ぐらいの女性単独客などもいます。先般、『消齢化社会 年齢による違いが消えていく!生き方、社会、ビジネスの未来予測』を読み、全然、「未来予測」でも何でもなく、数十年前ぐらいから顕著になりつつあったことと言う風に感じましたが、『ウルトラマンブレーザー』というコンテンツの消費者の年齢的・性別的幅広さをリアルに体感できる状況だったと思います。

 日曜日に子供連れがたくさん来られる…ということから考えて、この混みようでも当たり前で、平日はかなり淋しくなってきているが故の「LAST」なのかもしれませんが、少なくとも、パンフレットも長く売り切れになっている様子で、その旨を伝える貼紙が新しい感じがしませんでした。先述の様な上映館の少なさですから、別の館でパンフレットを買うことも早々に諦めました。

 私がこの作品を観に行くことにしたのは、久々にここ最近のウルトラマンをスクリーンで観てみたいと思ったからです。私はウルトラマンブレーザーを他のここ最近のウルトラマンに比べて(あくまで相対的に見ればと言うことでしかありませんが)かなりよく知っています。私は『ウルトラマン』、『ウルトラセブン』辺りのリアルタイム鑑賞の機会を逃しましたが、頻繁な再放送で『ウルトラセブン』のやたらにレベルの高いSFぶりに心酔しました。それと並行して『帰ってきた…』、『ウルトラマンA(エース)』、『ウルトラマンタロウ』ぐらいをリアルタイムでよく観ていて、『ウルトラマンレオ』で体育会系のノリの特訓が続いた上に、ウルトラセブンの“末路”の描かれ方が中途半端で嫌気がさして途中で投げ出しました。

 その後、アニメの『ザ☆ウルトラマン』を観たり、石田えり見たさに、一度も負けたことがないと有名な『ウルトラマン80』を観たりしましたが、あまり記憶に残っていません。寧ろ『ウルトラセブン』以外はどれもあまり記憶に残っていないと言った方が良いかもしれません。その後、ティガだのダイナだのも知らず、さらに、ニュージェネレーションと言われるらしいエックスだのゼロだのギンガだのも全く知らないままに(ほぼ)今日に至っていました。

 ちょっとした転機が起きたのは、ネットの記事で新しく始まったウルトラマン番組が異色であると報じていたのを見たことです。何だろうと関心を持ったのが『ウルトラマンブレーザー』でした。テレビのない生活の中でどうやったら観られるだろうと思ったら、ネット上のTVerで観られることに気づき、いつも公開されている最初の3話を観てみてなかなか嵌りました。確かに異色だと私でも分かります。

 先程「ティガだの…エックスだのゼロだの…」と書いたウルトラマンは、私には旧世代の私の観ていたウルトラマン全般(『ウルトラセブン』だけは抜きんでた珠玉の名作ですが…)とは異なり、概ね以下のような点が私には違和感が湧く点でした。

▲怪獣が強い
 ウルトラマン単独では勝てないぐらいに強く、やたらゴテゴテした感じのウルトラマンよりも二回りぐらい大きな体躯を持っているケースが多いように思えます。

▲人間も支援しなくては怪獣に勝てない
 ウルトラマン単独で勝てないので、ウルトラマンが複数掛かりで戦うケースもあるようですが、人間側の組織がかなり活躍して怪獣を倒すという感じに見えます。

▲多段階変身をする
 仮面ライダーなどでも言えることですが、ウルトラマンがさらにアーマー的な装甲を身に着けたり、私からすると、レインボーマンとか破裏拳ポリマーとかのように目的に応じたフォームに再変身する設定が散見されます。

▲武器が多い
 これも仮面ライダーなどでも言えることですが、剣やら槍やら色々どこかから出してきます。帰ってきたウルトラマン(ジャックと言うべきでしょうか、私の時代では新マンと呼ばれていましたが…)のブレスレット以来、エネルギー体ではない武器をバンバン出すウルトラマンはあまりいなかったはずですが、最近のウルトラマンは当然の如く剣やら槍やら盾やらを持ち出すように見えます。

▲必ずしも宇宙人ではない
 M78星雲とかいう設定はレオの段階でも崩れていますが、宇宙の何処から来るだけではなく、地球の中の何処かとか、異次元空間とか、発祥地が多様化していますが、それがウルトラマンの何らかの特徴として明確に表現されているようにはあまり思えません。

▲怪獣が結構レトロ
 新たなシリーズとして出てくる怪獣はかなりゴテゴテしてパワー押しが凄い感じが相応に共通していますが、ネタに困るのか、ぬいぐるみの制作費を浮かせるためか、私のような年代のファンを獲得するためなのか、ウルトラマン、ウルトラセブンなどの頃の怪獣などが結構な頻度で登場します。ゴモラとかエレキングとかキングジョーとかレッドキングなど、ゴテゴテの現代的な怪獣とは一線を画したデザインや能力で登場されるとかなり突出した感じになります。

▲味方も結構レトロ
 ウルトラセブンが用いたカプセル怪獣などが味方の怪獣として使い回されているケースがあります。怪獣のソフトフィギュアのようなものを用いて人間が怪獣に変身するような設定のシリーズもあるようです。その場合の怪獣も大抵はよく知られている古典的な連中です。

▲旧ウルトラマン世代を再三使う。ティガだのの世代はスルーされている。
 何か過去のウルトラマンの能力をカードやメダルの様な形で重ねあわせて取込むことができるウルトラマンのタイプもあるようです。その際に登場するのは、古典的なウルトラ6兄弟やそれに伴う父や母やキングなどが多く、例の「ティガだのダイナだのグレートだのゼアスだの…」はいないようです。

 私にはこうした設定が何かご都合主義というか世の中の風潮への過剰な迎合というか、どうもしっくり来ず、これらのウルトラマンシリーズを観る気が殆どしないままに(ほぼ)今日に至っていたのです。ところが、こうした芳しくない特徴を一部持ちつつも、『ウルトラマンブレーザー』はかなり異色なウルトラマン物語でした。当初私が読んだネット記事にもありましたが、実際にTVerで3話を観て、その後、1話単位で時々とびとびに観てみて、その可笑しさ(≒面白さ)を理解しました。ざっくりと列記すると以下の感じです。

(『ウルトラマンブレーザー』が終了した後、TVerで始まった『ウルトラマン ニュージェネレーション スターズ』をちょっと見てみたら元(別名義で)着エロ的アイドルだった黒木ひかりに段々嵌って来てまあまあ見続けています。エックスだのゼロだのゼットだののニュージェネレーションのウルトラマンをこの番組で垣間見る結果、余計にブレーザーの「異常性」がよく分かるようになりました。)

●変身者が隊長
 過去に人間の防衛組織の隊員が変身するケースばかりだったと思いますが、隊長が変身するのは珍しいように思います。考えてみると、命令される隊員よりも、命令を出す隊長の方が行動の自由度が高いので、変身する余裕も多く生まれるはずです。結構、組織論に基づいた逆転の発想だと思われます。

●変身者が妻子持ち
 変身者の家族が個人単位で登場することはあったかもしれませんが、マンションらしき家庭の中まで劇中に登場します。今回の映画でもラストに家で焼肉パーティーが開かれ隊員たちが招かれていて、その場で変身者の妻の第二子懐妊が報告されていたりするぐらいです。
 おまけに長男がくれたミサンガを隊長は手首に巻いていますが、(正体を知らない設定ですが)テレビ越しに長男がブレーザーを(自分もミサンガを手にして)応援するとブレーザーにパワーが付加されたりします。
 これもあって不思議ではない設定ではありますが、なかなか常識破り的だと思います。

●女性隊員が二人
 ここ最近のウルトラマンシリーズでは珍しくないようですが、隊長以下5人しかいない人員のうち、2人と言う4割の女性比率は、旧ウルトラマンのアンヌなどを見慣れている私には珍しく感じます。
 特にそのうちの諜報活動にも秀でた蒼辺恵美隊員は、もう一方の武闘派の美南杏梨隊員に先んじて第一話からカジュアルな服装の謎の工作員として登場して、いきなりバズーカ的な武器を担ぎ出して怪獣の鼻腔に特殊弾を撃ち込んでいます。趣味がコスプレという設定で、かなり異質なキャラです。
(諜報活動に当たり変装で頻繁に登場するので、こうした特撮モノでよく女性隊員にフィーチャーした七変化的なエピソードが一話単位で挿入されているのとは訳が違い、かなりの高頻度で蒼辺恵美隊員の変装が登場します。第二話では早くも漁港での先行調査に当たって漁師の娘の格好をしています。)

●ウルトラマンの顔がアシメ
 これも非常に珍しいことだと思います。酩酊しているかのような赤ら顔のゼアスなどの例はありますが、アシメは私の知る限り他例がないように思います。おまけに掻き上げた髪の様な部分は周囲が薄暗くなってくると明るく光を放っていて、ウルトラマン定番の目の輝きよりも光度が高いぐらいです。

●ウルトラマンの声・動きが未開部族民的
 上手く表現できないのですが、ブレーザーの声や動きが尋常ではありません。第一話でもそうですし、今回の劇中でもそうですが、変身して巨大化して現れても、ビルの蔭から怪獣の様子を窺っていたり、ビルの物陰に隠れて移動して、不意打ちのキックを怪獣に浴びせたりします。
 怪獣に相対した直後や倒した後にルーティーン的な仕草をします。(何かの祈祷のようでもあります。)槍的な武器を持った時には、コイサンマンのように飛び跳ねたりしますし、雄叫びを挙げて怪獣を煽ったりもします。第一話では池袋のビルに猿のようによじ登り、怪獣を見下ろして上から威嚇したりしていました。
 力を込める際の発声も「うるるるるるろい!」のような「音声」ですし、やられてダメージを受けた時にも「あわうわああおろあ~」のような「音声」で、台本があるなら何と書かれているのか見てみたいぐらいです。
 知能もちょっと低めに思えます。他のウルトラマンは例えばエースは最終回で子供たちに言い訳臭い説教を垂れてから去って行くなどするぐらいなので、流暢に人語をこなします。しかしブレーザーは最終回で一度瀕死の状態で地球に落下して来ますが、(その前に分離されていた)隊長がブレーザーを置いて怪獣に立ち向かおうとすると、「オレモ、イク…」と言い隊長と再融合して戦闘に入るのでした。まるで異国語を辛うじて単語ベースで語っているような拙さです。それまで何度となく日本人の隊長と合体していて、隊長の日本語は延々と聞いて理解しているのにも拘らずです。

●同じ怪獣が何度も登場する
 例の「ティガだの…」のような時代ではどうだったのか分かりませんが、同じ怪獣が何度も登場するのも、初期のウルトラマンシリーズ作品に慣れていると非常に変わっています。考えてみると、動物のようにどこかで繁殖していて、たまさか人類の生活圏に入り込んできて問題になったものだけが「怪獣」として対処されていると考えれば、寧ろ、何度も現れる方が普通だと思えます。

●物語全体に登場人物たちの言動に緊張感がない
 隊長自身が「下の名前か渾名で相互に呼ぶこと」と隊員に課しているぐらいで、隊員もそのノリに引き込まれ、かなりふざけたことを言ったり、作戦中にも冗談を言ったりしています。その隊長が合体しているからかもしれませんが、ブレーザーも、体内温度が100万度を超えたタガヌラーを抑えつけた際には、「おわっちぃちっちぃ」的に跳ねまわったりしたりしますし、怪獣を倒して例のルーティーンをしている際に、横に居るメカゴジラ的兵器のアースガロンも同じルーティーンをしようとする場面などもあります。全体に微妙に緊張感がない展開が続きます。
 今風な職場環境を意識した結果であるようにも思えます。

 私にとってはそんな評価の『ウルトラマンブレーザー』の劇場作品を観てみて、それなりに楽しめました。しかし、楽しめたのは寧ろ既に放送が終わっているテレビ版の総集編としてと言う気がします。76分の短い尺。そのうち20分ほどはテレビ版の総集編。それが終わって初めてテレビ版のOPが流れて映画本編の物語が始まります。エンドロールではテレビ版の全話のタイトルバックとクリップが流れて、映画単体のオリジナルの物語は、下手をするとテレビの1話よりも短いのではないかと思えるぐらいです。

 ネットのレビューでも書かれている通り、劇場版オリジナルストーリーの方は、結構現代的なテーマを含んでいます。列記するなら…

■不老不死とそれに向かう科学技術の発展の弊害。
 想像に難くないですが、宇宙怪獣の細胞の分析から細胞が衰えないメカニズムを発見し、それを医療技術に転用しようという研究をしている科学者が登場します。明らかにバイオエシックス的に問題のある開発を行なっていて、その偽善を息子に後述するように糾弾・攻撃されます。

■ワーク・ライフ・バランス。家族優先の価値観、全面出し。
 その科学者がネット上では「理想のお父さん」と評価されていますが、実際には倫理的な問題を軽視して無茶な研究をどんどん進める傍ら、(妻は亡くなっているようで)一人息子とコミュニケーションする時間が無くなって行き、息子は疎外感の中にいます。

■英才教育でも不幸になる子供
 この一人息子は英才教育を施され、私には一回聞いてもよく分からない科学的なテーマで夏休みの課題みたいなことをしていますが、その内容を聞く時間でさえ父は捻出できない状態で、父は「欲しいものは何でも与えてきた」と言っていますが、息子が一番欲しいものは父からの承認であったという典型的なオチが待っています。

■「子供の世代に世界的な課題をたくさん残す大人」
 と、この息子は主張して、父に相手にされない鬱憤と疎外感を社会テロによって解消しようとします。英才教育の成果の知識や技術で、防衛組織のミサイル発射装置をハッキングして、父の会社の研究を即刻中断しなければ、父の会社をミサイル攻撃すると恐喝して来るのです。
 そしてモタモタ判断を鈍らせている間に、本当にミサイル攻撃が行なわれ、漏れ出した生物的研究資料が融合して人工生物の怪獣になり、さらにこの一人息子がこの怪獣の脳に取り込まれ、社会への復讐の気持ちを怪獣に供給する「装置」として機能することになります。

 怪獣は不老不死である上に、少年を取り込んでいるので、ブレーザーの活躍の場はなかなか登場せず、まずは少年を怪獣の脳から引きずり出す白兵作戦が隊員たちによって実行され、アースガロンやブレーザーの攻撃が続く中、例の蒼辺恵美隊員がテレビシリーズ第一話よろしく脳神経に直結する触覚を引き千切った跡にアンチダムドキシン(ダムドキシンは宇宙怪獣の細胞から抽出した不老不死のベースになる物質)入りの特殊弾を撃ち込み、騒動は収まります。

 このようなケースの場合、この少年の罪状はどうなって、未成年のテロ犯罪にどのような処分が為されるのか、それなりに関心が湧きますが、映画はそのような点に全く触れずに終わります。

 社会批判性がすごいと思ったのは、この「汚い大人」を糾弾するマインドを自分の脳内の少年から得た怪獣はまず霞が関に向かい暴れようとします。それを隊員たちが「汚い大人の巣窟の霞が関に向かうということか」などと明言する場面さえあるのです。おまけにそれを止めようとブレーザーが出てきますが、怪獣はやたらに強く国会議事堂周辺が舞台で、倒れ込んだブレーザーによって国会議事堂さえ破壊されてしまうのです。なかなかの社会風刺に思えなくもありません。

 ゴジラ映画などでも地方都市が破壊されるのが寧ろ観光アピールになると喜ばれていると聞きますが(ただ『シン・ゴジラ』が破壊した武蔵小杉駅前などはその例ではないでしょうが…)、この霞が関のビル群と国会議事堂の破壊はそういった主旨ではないことは明らかです。いずれにせよ、怪獣に破壊されるのが国会議事堂と言うシーンは(特撮系のマニアならいくらでもご存知そうな気はしますが、少なくとも私は)最近観た覚えがなかったので新鮮でした。

 私の推しの蒼辺恵美隊員は今回は変装シーンがなかったように思いますが、空中に浮いたまま怪獣に「そろそろ地獄に行く時間だよ」と決め台詞まで言って止めの特殊弾を撃ち込むなど活躍の場面がそれなりにありました。しかし、MITを飛び級で17歳で卒業したという彼女の身の上が、例のテロ少年の環境に重なり、テロ少年に同情するキャラとして描かれているのが、捻りの利いている所かと思われました。

 YouTube動画で蒼辺恵美隊員を演じる搗宮姫奈は、蒼辺恵美隊員の性格や価値観を把握するのに苦労したと語っていて、インタビューなどを見ていると確かに、明るくキャッキャした傾向が感じられる本人には難しかったかもと思われます。モデル・俳優の道以外に、(敢えて言うならそれを極めるという方向性とは異なり)なぜかコーヒー豆を売る会社を立ち上げたという変わった人材のようなので、今後他の役をあちこちでこなす彼女をあまり見ることはないのかもしれません。

 ちなみに、テレビシリーズ当初から、「了解」や「ラジャー」のような返答として、蒼辺恵美隊員が「ウィルコ!」と答えるので、他の隊員も感化されて、皆「ウィルコ!」と指示に応じるようになっています。調べてみると、ネットで…

「Will complyの略。 受信した指示に対する了解を表す無線用語。 “Roger(ラジャー)”が「受信した内容を理解した」という意味であるのに対し、受けた指示を実行する意思表明としての意味合いを持つ。」

と書かれています。この返事のパターンが、もしかするとブレーザーで学んだ最大の知識かもしれません。私が以前のホスト・ファミリーをオレゴン州に訪ねた際に連れて行かれた、農業系に比重が置かれたホームセンターの名前がウィルコで、行くたびにノベルティで配っていた帽子をもらい、今に至っても傷みの少ない2つを愛用しています。変な名称のホームセンターと思っていましたし、誰もそれを解説してくれたことがなかったように思いますが、日本の『やるき茶屋』の有名な「ハイ、よろこんで!」のような心意気をそのまま店名につけたホームセンターだったのかと、正面にでかでかと「Wilco」(そして続けて小さく「FARM STORES」)と書かれた帽子を4つほど手にしてから10年以上を経て理解しました。蒼辺恵美隊員への感謝の念を禁じ得ません。

 映画単体の物語としては少々中身が薄すぎに感じなくもないですし、テレビシリーズにも増して、ブレーザーの活躍場面が少ないようにも感じますが、テレビシリーズの総集編としての価値は十分にあると思います。DVDは買いです。それはもう「ハイ、よろこんで!」。

追記;
 ダムドキシンの研究者のオジサンは、ここでもまた飯田基祐でした。『ゴジラ-1.0』の感想で私は以下のように書いています。

「ゴジラを海中から急激に浮上させるための浮袋づくりを行なうメーカーの社長を飯田基祐という男優が演じています。名前を知ったのは今回の作品のパンフを見てのことですが、鑑賞中からどこかで最近観たことがあるとずっと気になっていました。彼のウィキにも現時点では載っていませんが現在放映されているドラマ『今日からヒットマン』のカンウの役でした。カンウについてのエピソードがかなり面白かったので、吉岡秀隆と山田裕貴同様に、カンウの記憶の方が鮮明に残りそうです。ウィキで見ると、テレビドラマでも映画でも私が観たことのある作品群にやたらに出演しています。名バイプレーヤーということなのだろうと思われます。」

 この『ゴジラ-1.0』とその前に見たドラマ『今日からヒットマン』で彼を名前とセットで認識できるようになりましたが、先日DVDで発売された『どうする家康』を見ていたら、なんと徳川家康の実父松平広忠として登場していました。史実では、松平広忠は24歳で死亡していて、家康誕生時に父である彼は弱冠16歳です。それを50代後半の飯田基祐が演じるというのは、かなり無理のある配役だったことが分かります。その史実を知らなければ、流石飯田基祐、劇中にうまいこと溶け込んでいるように見えました。
 しかしなぜか私にはカンウの方がより鮮明な記憶のままです。

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