『BAUS 映画から船出した映画館』

 3月21日の封切から1ヶ月余り。水曜日の夜7時25分の回を吉祥寺の駅の東側のガード脇の映画館で観て来ました。霧雨が降り続く、悪天候でも駅前にはそれなりに人が溢れていました。

 この映画をわざわざ吉祥寺にまで観に行ったのは、単純に都内でここしかもう上映館が残っていないからです。2週間ほど前までは新宿でも上映されていましたが、いまではこの映画館1館で、それも1日1回の上映しかありません。この映画館に来るのはかなり久しぶりで、10年前の2015年に『シン・シティ 復讐の女神』を観に来たのが最後ではないかと思います。

 私がこの作品を観たいと思った動機は、これが吉祥寺の有名映画館の物語であることを、タイトルの中に入っている「BAUS」という言葉からすぐに分かったことです。この映画館は2010年代のどこかで、大量のファンから惜しまれつつ、閉館したことを私も知っていました。現実にこのブログを書き始めてからも、『アンヴィル! ~夢を諦めきれない男たち~』『東京公園』、『カウントダウン ZERO』の三作を観ている映画館で、ネットで今回調べてみると2014年に無くなったことを知りました。その際のイベントの熱狂ぶりもネットの記事などで知るに至りました。通称武漢ウイルス禍の際にも、幾つかの映画館が閉館しましたが、(過度に騒がれている)それなりの感染状況ではあったものの、このような多くのファンが“動く”状況にはなっていなかったものだと思います。

 他の鑑賞動機も少々あります。それは、今年に入ってから『私にふさわしいホテル』と『早乙女カナコの場合は』という劇場鑑賞だけで2作品で観ている橋本愛と、劇場で観る機会があれば極力観てみたいと思っている夏帆が出ていることです。特に夏帆は最近私の中でかなり評価が上がった女優です。きっかけとなったのは、『ブルーアワーにぶっ飛ばす』と『違国日記』の2作です。

『違国日記』の感想に私は以下のように書いています。

[以下、抜粋↓]

 夏帆の方もガッキーほどではありませんが、あまり劇場で観ていません。私が劇場で観たのは『ブルーアワーにぶっ飛ばす』と『架空OL日記』だけで、『架空OL日記』の感想で以下のように書いています。

「夏帆の方は『ブルーアワーにぶっ飛ばす』の方が今までの彼女が演じた役柄に比べかなり飛躍がある役どころで、ここ最近プロモーションが激しくなっている新作『Red』の背徳に溺れる姿と並んで、少々イメージがあっていないように感じていました。(このイメージ・ギャップは若い頃の黒川芽以を観ようとレンタルした『ケータイ刑事』シリーズのDVDで少女時代の夏帆を観て余計に強まりました)それに比べて、今回の作品でのジムでトレーニングに励むリアリストOLはかなり無難にこなせていて好感が持てたように思えます。元々、私の印象に残っていた夏帆は『予兆 散歩する侵略者 劇場版』や『海街diary』、『箱入り息子の恋』などの彼女であったからだと思います。」

 ただその後、作品としては『ブルーアワーにぶっ飛ばす』が高評価で、『架空OL日記』はかなり不発感があるため、DVDで購入した『ブルーアワーにぶっ飛ばす』を何度か見返し、徐々にその中の夏帆のぶっ飛んだ良さが分かってきました。

[以上、抜粋↑]

 その後、DVDで観た『女王の教室』の主人公の志田未来演じる小学生の姉を演じていたのも観ましたし、最近ぽつぽつとTVerで観るようになったドラマで、『架空OL日記』同様、バカリズム脚本の『ホットスポット』のかなり重要な脇役で登場する彼女も、鬱陶しい不思議ちゃんのホテル従業員で、なかなか見せ場が多く楽しめました。他にも、DVDで観た映画で『さかなのこ』の彼女はやや印象が薄く、劇場で観てかなりハズレ感のあった『MOTHER マザー』の彼女は結構存在感がある役所の福祉担当者でしたが、出演頻度が低く…と、劇場で観る彼女で印象に強く残っている主役や主要脇役の彼女は、『ブルーアワーにぶっ飛ばす』と『違国日記』の2作ぐらいしかなかったのです。そこで彼女が存在感をガッツリ出している劇場鑑賞作品ができれば良いものと思っていたのでした。

 他の微かな鑑賞動機には、吉祥寺が比較的好きな街の一つであることも上げられるかもしれません。中央線沿線でも際立った存在感のある街と、20歳で上京した際から思っていましたし、10年弱住んでいた世田谷区祖師谷からは、十字式整体院の治療所が吉祥寺にあった関係で数ヶ月に一度は通い、ついでに街並みを観て回るようなことをしていました。また、私はスープストックトーキョーの店舗が比較的好きですが、よく行く田端駅や新宿南口の地下の「KEIO MALL ANNEX」にあった店舗も撤退してしまいました。

 勿論、新宿にもまだ店舗は幾つか存在していますが、どれも私の居る場所からは遠く、店舗も小規模で混雑しているのです。そんな中で、(十字式整体院もなくなって)今では行く機会が激減した吉祥寺とたまにビジネス書を観に行く丸の内のオアゾの地下のスープストックトーキョーは、店舗が比較的大きく空き席が見つかりやすい二店で、その地に行く機会があった際には寄るようにしています。

 私にとって巨大なアーケード型商店街に個性的な店舗が居並び、そこに大型商業施設も組み合わさっていて、魅力があるものの、なかなか足を伸ばすことがない街が吉祥寺です。ただ、私は吉祥寺と言う寺が吉祥寺には以前存在していたので、吉祥寺という地名になっているのだと思っていましたが、今回パンフを読んでみると、吉祥寺に吉祥寺がなかったことを初めて知りました。

 元々太田道灌の時代の江戸城内にあった諏訪山吉祥寺が江戸時代になって本郷の辺りに移転したのですが、明暦の大火で一旦消失して本駒込に再建されて今も存在しています。その明暦の大火の際に門前の人々が避難して、大火から2年後に入植したのが吉祥寺であるとのことでした。つまり、諏訪山吉祥寺の門前に居た人々が自分達が別途入植した街に、吉祥寺と付けたという(だけの)ことだったらしいのです。そう言う街の由来も満足に知らないぐらいの吉祥寺の気に入り度合ですので、吉祥寺の街のファンと言うほどのことは全くありません。

 劇場には上映時間の40分ほど前に着きました。シアターは2フロアに別れているようでしたが、私が赴いたフロアではロビーらしきスペースはあっても椅子は(なぜか小さなテーブルを挟んで)2つしかなく、あとは立ってブラブラしているしかない状況でした。私は運よくその椅子席に掛けることができ、やたらに小さいテーブルを挟んで私と対面で座りたく思った観客は発生しなかったので、1席が上映開始まで空いたままでした。

 小さなテーブルでこの文章をPCに打っていると、前の上映が終わり、シアターからゾロゾロと30人ぐらいは観客が出て来ましたが、その観客がどう見ても20代前半の女性が8割以上と言った極端な偏りを見せていました。私は上演開始ギリギリに入場しましたが、その直前に周辺に居たスタッフに尋ねると、前の上映が為されていたのは『山田くんとLv999の恋をする』であるとのことでした。3月28日の封切ですから、本作ほどではありませんが、かなり封切から時間が経っています。1日何回上映していたのか把握していませんが、それなりの人気作であることを認識しました。

 シアターに入った当初は少なかった観客が、スクリーンで映画泥棒が逃走劇を繰り広げる頃に、じりじりと増え始めました。暗がりの中での人物観察は覚束ず、終映後も観客達が足早に出て行くので、観客の属性の把握があまりよくできませんでした。取り敢えず、見た範囲では、全体数で25人程度。男女比はほぼ半々ぐらい。男女共に年齢層は30代後半から50代前半ぐらいに集中していたように思えます。(勿論、私も含めて、「外れ値」は存在しています。)殆どは単独客でしたが、高齢男性同士の2人連れ1組に、男女の2人連れ2組の合計3組6人の非単独客がいたように思います。

 観てみると、非常に独特な雰囲気を持つ作品でした。第二次大戦前1929年に、本田ハジメとサネオの二人兄弟が青森から上京して、吉祥寺の映画館である「井の頭会館」で働き始める所から、本田一家が関わった3館目の映画館バウスシアターが2014年に閉館するまでの物語を描いています。モノクロではないのですが、戦前戦後の時代の映画館の中の場面や夜の場面、戦前の屋内の場面も多く、暗い画像がモノクロやセピアのようなイメージのシーンが長く続きます。

 さらに、時代を超えて本田家の男達が立ち寄った屋台のおでん屋が登場しますが、このおでん屋のシーンは常に夜で、まるで演劇の舞台のように、屋台がポツンと闇に包まれた空間に存在している形で描かれています。周囲に街並みも何もないのです。それに時代の流れに達観の眼差しを投げるおでん屋のおやじは長い時代の中で年を殆どとっていません。そうした登場人物は他にも(映画館で働く3人の男性など)数人存在しています。一方で、主人公達は淡々と物語が進むにつれて、ナレ死も含めて、どんどんあっさりと死んでいきますし、死に至るまでに明確に老いていく容姿や体型も描かれています。

 ハジメは弁士となりますが、トーキー映画の時代になり「活動(活動写真の略で、映画のこと)が喋るようになった」ため職を失い、当初は映画館の周囲で八百屋などをやっていますが、第二次大戦に召集されビルマで戦死し、遺骨も遺品も全く戻って来ませんでした。サネオは映画館員として雇用されて数年を経て、いきなり「井の頭会館」の会社を譲られて、社長になります。

 雇用されて1年目で職場で知り合ったハマと結婚します。このハマを夏帆が演じています。戦中は軍需工場の働き手で、戦後は占領軍軍人などで、吉祥寺の街は賑わい続け、映画館も(戦中の政府からの大きな制限の時代を除くと)概ね客足を確保し続けることに成功しています。サネオはMEG(武蔵野映画劇場)という近代的な映画館を1951年に開設し、2館体制を築きましたが、彼は市議会議員になるなど政治や地域づくりの場に活動領域を移し、映画館の運営はハマとその母や、サネオの二人の娘などが多くの社員と共に切り盛りしていました。2館体制ができて僅か2年後、ハマが入浴中に脳溢血で逝去します。

 吉祥寺の街が大きく発展し、まだ始まったばかりのテレビ放送よりも映画の方が人々の娯楽の中心に在った、映画のピークの時代に、井の頭会館を閉館します。サネオの息子(次男)のタクオが法政大学を卒業してMEGの営業担当になって行きますが、その矢先、今度はサネオが逝去します。タクオは兄の耕一にも劇場運営に当たらせつつ、サネオの後を継ぎ、1983年にMEGを閉館します。その翌年、3館目のバウスタウンを開設し、ロックコンサートやロッキーホラーショーのイベント開催など、映画館を超えた若者文化の発信地としての施設運営に舵を切ります。

 しかし、そのタクオも年を取り、米国留学をするなどしていた愛娘のハナエが2007年に29歳で亡くなると、急激に活力を失い、2014年にバウスタウンからバウスシアターに名前を変えた施設を閉館させるのでした。劇中では1929年の上京より前の兄弟の青森での生活も僅かに描いていますので、約100年の本田家の歴史を描いている作品と言えます。

 映画は全体で前半と後半に別れています。前半はサネオの物語で青森時代から、上京後の生活と映画館運営の日々、そして第二次大戦中の混乱と苦境、その後のMEG開設を描いた後、ハマの突然の死で終わります。時系列で描かれる物語ですが、それでも30年ほどの時が流れ、その中には、街の風景なども殆ど描かれませんし、空襲の悲惨も夜の家の中で息を潜めるシーンしかなく、後は焼け出された人々が先を争ってハマが用意した薬缶の水を飲むシーンなどで、描かれるだけです。史実通り、巨大な飛行船が日本に飛来して、登場人物達がそれを見上げ息を飲むシーンも二度ありますが、上方から彼らを映したカットだけで、飛行船そのものは一切映っていません。そうした人々の姿にフォーカスした描写は、NHKの『映像の世紀』と、同じくNHKの大河ドラマを掛け合わせたような見栄えになっています。

 後半は老いたタクオの語りで足早にその後を描く回想で、前半の描写のありかたから流れが大きく断絶しているように感じられます。回想が行なわれている現在は2014年のバウスシアター閉館前後の時点です。なぜタクオが閉館を決めたのかが、彼自身の人生の振り返りの中で分かるようになっています。そこにあったのは愛娘ハナエの喪失によって、生きる目的を失いかけた一人の男の姿です。ハナエはタクオの想い出の中で幼女になったり、成人女性になったりして登場しています。享年29歳のハナエを橋本愛が演じています。

 タクオの老いが記憶を混乱させている様子を描いているのか、後半は登場する映像の時系列がかなり交錯しており、おまけに幻想や妄想の類まで映像に混じり込んで来ているので、先述の年を取らない登場人物の存在なども相俟って、物語がかなり分かり難くなっています。しかし、前半から後半にかけて通してみると、『ジョジョの奇妙な冒険』のような一族の物語の第一部と第二部を全く描写視点を変えて描き、それら二つをつないで一本の物語にした…といった感じにも思えます。

 バウスシアターは音楽の殿堂でもあって、ライブ用器材を用いた「爆音上映」を2004年には既に始めています。そのバウスシアターの伝統を象徴するかの如く、劇中では、人々が歌うシーンがふんだんに盛り込まれています。ミュージカルのように台詞を音楽に合わせていうのではなく、日常生活の中で人々が歌を歌う場面そのものがふんだんに盛り込まれているのです。

 前半と後半の描写スタイルの違い。モノクロやセピアに近い全体の画像イメージ。芝居のように単純化された背景シーンの利用。幻想・妄想場面の多様。後半の語りによるハナエの死の重さの描写。そして多用される各種の劇中音楽。などなど実験的とも言えるような作品であると思います。

 吉祥寺の文化の一角を支え続けた一家の人々の姿。今に比べて、おおらかでアバウトで活力ある人々の姿。それらがよく分かる作品です。そして、戦前から戦後にかけての劇場映画鑑賞の大きな魅力が描かれている作品でもあります。サネオはハジメに繰り返し「映画は明日だ」と言っています。この「明日」は「未来」と言う意味です。青森の日々の生活は十年一日の如きで、若い兄弟には明日が感じられるものではなく、それが二人に上京の決意を固めさせたことが分かります。

 また、サネオはMEGの開館の際のスピーチで…

「これ(映画)が皆さんの住んでいる世界を見るために、感じるために、開かれた窓だということです。この窓から見えたものを皆さんはそれぞれ一人一人違ったように感じて、違ったように受け取って、そこからやがて自分自身を作っていく。ご飯や学校と同じです。ご飯は体を作る。ね、ご飯は大事。学校は頭を作る。これももちろん大事。そして映画は皆さんの心を作る。これ、とっても大事なこと。」

と語っています。今の時代には、映画以外にも心を作るものがあるようには思いますが、心を作る大きなピースが当時の人々の映画のように何か明確になっている訳ではないようにも思えます。演じた染谷将太もこの場面が印象に残っているとパンフのインタビュー記事の中で述べています。短いスピーチの場面でしたが、この映画の映画文化そのものに対する考えを明確に述べた内容だったと思います。

 この作品は映画.comの紹介文の中にも…

「バウスシアター元館主・本田拓夫の著書「吉祥寺に育てられた映画館 イノカン・MEG・バウス 吉祥寺っ子映画館三代記」を原作に、2022年に逝去した青山真治監督があたためていた脚本を、青山監督の教え子でもある「はだかのゆめ」の甫木元空監督が引き継いで執筆し、メガホンをとって完成させた。」

とある通り、逝去した監督が「あたためていた脚本」段階の企画を、弟子筋の別人が脚本をリライトする所からやり直した作品です。「あたため段階の脚本」がパンフに全文掲載されていて、かなりの場面がカットされていることも分かります。

 パンフには本田家にまつわる年表も詳細に纏められており、まるで大河ドラマの登場人物のように、(例えばサネオの長男の耕一がそうですが)史実に存在する数々の人々が劇中では省略されていたりしていますし、「母ハマが亡くなって井の頭会館を閉め、父サネオが亡くなってMEGを閉めた」のようにタクオが記憶を語っていますが、サネオの死亡とMEGの閉館の間には7年もの時間が流れていたりします。そうした点も100年近い時間長の物語ですので、分かり易くまとめるためにそうならざるを得なかったのかもしれませんし、寧ろ、老いて曖昧になったタクオの記憶を表現するためにわざとそうしているのかもしれません。いずれにせよ、パンフレットの年表通りに必ずしも劇中では描かれていません。

 こうしたことも、前半と後半のタッチの違いなども、先述の監督引継ぎプロセスの中で発生したのかもしれません。しかし、お目当ての夏帆は『細うで繁盛記』の如く大活躍で、映画館を切り盛りするハマを活き活きと演じていますし、独特な演出の妙は類例がなく印象に残ります。偉大だった映画の価値を当時の息吹のままに伝えることにも成功していると思います。DVDは買いだろうと思います。