『JKエレジー』

 8月9日の封切からまだ1週間経たない水曜日の晩8時50分からの回を久々に行くテアトル新宿で観て来ました。

 全国でもたった二館でしか上映していません。そして、1日1回の上映しかない状態でなので、この映画のマイナーぶりが窺えます。

 観客は30人から40人ほどいましたが、封切からのタイミングと1日の上映回数や上映館数を鑑みると芳しくない状態に思えます。観客は概ね私ぐらいの年齢層が中心で20代ぐらいに見えるのはほんの数人でした。男性がやや多く女性は全体の3割少々のように見えました。どうしてこの層の観客がこの映画を観たいと思い至るのかが全く分かりませんでした。水曜日は入場料が激安の日なので、単に「映画を安く観よう」と言う人々も一定割合は居るのだと思われますが。

 私がこの映画を観に行くことにした最大の理由は、ここ最近、どちらかというと鑑賞するのが大作映画に偏りがちなので、少しバランスを取らねばならないという思いです。その延長線上に「全国で二ヶ所しかやっていない稀少感」もあります。けれども、それ以外に、多少、最近の関心の対象からの理由もあるにはあります。

 それは…
・大学進学を中心としたキャリア形成全般
・人口減少が明らかな地域の人々の生活

と言った感じのテーマです。両者ともに商売の中小企業診断士の関係で、それなりにホットなトピックです。前者は、カネさえあれば大学全入時代において、ライフスタイルの多様化を受けて大学生達の本来の就職率は急降下している様子であるので、その背景的な実態を学ぶ材料になればよいと思えました。大学が発表する就職率は100%に近いものになり、企業側でもなかなか学生が採れない状態が続いていて、如何にもな感じに見えます。しかし、全国津々浦々にある膨大な数の無名大学の卒業生のうち、一学年単位で見たら、民間企業(正社員)就職者・公務員試験合格者の合計は、全体の6割を切ってさらに減少傾向と言う話は、あちこちから聞かれます。結局、少子化などのマクロ的な流れで学生が減っているのも間違いありませんが、それ以前に、「就職」という概念自体に背を向けた学生が増えているという風に解釈する方が、事実に近いように思えるということです。

 後者の論点は、あちこちが地方都市化しているのが感じられます。首都圏でさえ最近の人口減少現象が山手線駅から私鉄の特急に乗ると1時間以内エリアに迫って来ています。若者は地方から人口集中地帯(実質的に東名阪でしょう)にどんどん吸い取られ、そうなると、生活が厳しくなるから少子化がより進む…と言った傾向などもよく論じられています。それが問題だとするなら、地方の方に若者を吸い寄せる魅力を作らねばならないことになります。ところが、映画に描かれる地方都市の疲弊感や行き詰まり感は「日常的」にさえなっていて、そこでどうすれば良いのかも分からずもがく人々が描かれるケースが多数派です。

 最近の名作では『ここは退屈迎えに来て』などは典型的ですし、犯罪者でも良いから住んでもらって人口を増やそうという取り組みを描いた『羊の木』も問題作です。もっと前ならブラジル移民が多数根付いた地方都市の日本人の荒み方をガッツリ描いた『サウダージ』もかなりの問題作だと思います。

 大ヒット作『君の名は。』を始め、アニメの世界では、なぜか地方都市で生き生きと生きる若者たちが描かれることが多いように感じられるのとは対照的です。先日見たばかりの『フレームアームズガールズ』も、市がPR経費を拠出しているのではないかと思えるぐらいに立川市が舞台として際立った位置にいます。タイヤ・メーカーのミシュランはタイヤをどんどん消費させるために、有名なミシュラン・ガイドを作ったという話ですが、多くのアニメ作品もファンによる巡礼を誘発する狙いもあって、地方都市の生活を好意的に描いているように考えられなくもありません。

 いずれにせよ、人口減少が場所によっては急激に進む中、ビジネスの環境変化としてそれらを計算に入れなくてはならないクライアント企業も増えており、その具体的なイメージの材料を得るのも、この映画などの地方都市を舞台とした映画を観ることの理由です。

 ロケ地は桐生市ですが、桐生のような地方都市が舞台と言う理解でよいのだと思います。主人公はタイトル通り高校三年生の女子で、団地暮らしです。母は(劇中で七回忌が行なわれているので)6年前に亡くなり、父は母の逝去のショックをきっかけに働くのを止め、困窮して「カラダを悪くした」を言い訳に生活保護を受けています。さらに、兄がいますが、数年前に同級生の友人と漫才師になるべく上京しますが、簡単に夢破れて帰郷します。それ以降、漫才の研究と称して家でお笑い番組を見てはゴロゴロし、全く働かずに過ごしています。一応、収入は生活保護だけですが、主人公の女子高生ココアはバイトをしていて、高校卒業と共にこの腐った家を出ることを夢見ています。

 ココアのバイトは遊園地のホットドッグ売りとクラッシュ・ビデオへの出演です。クラッシュ・ビデオとは、女性が色々なものを踏みつぶす映像作品を指していて、フェチ系のニーズがガッツリある分野と言う話です。フェチ系の映像作品には、糞尿系のものやら、女性の腹部に只管パンチを繰り返すものなど、多種多様なジャンルがあるとは一応知っていましたが、踏み潰す専門の作品ジャンルがあることを初めて知りました。

 ココアの進路の選択肢は、「貧乏なので就職してもすぐには家を出られない」と「貧乏なので余計のこと進学はできないが、進学すれば(この市の中に大学がないため)家を出ることがすぐにできる」という二択になっています。集中して勉強してみたら、かなり好成績を取ることができ、担任からも進学を薦められます。

 貧乏であることを相談すると、奨学金をもらうことと、公立大学を目指すことで何とかできるだろうと教えられます。そして、無事、学校から推薦されて奨学金も受けられることになります。七回忌の際に(母の妹である)叔母から、「ココアちゃんの大学受験のために、お姉ちゃんはお金を残しておいたはずで、入学金ぐらいにはなっているんじゃないの」と言われます。奨学金と母の遺産、そして、自分のバイトの組み合わせで大学進学に向けて始動するココアでしたが、彼女の環境がそれを許しませんでした。

 まず、生活保護まんまの父が母の遺産を使い潰してしまっていることが発覚します。(おまけに、市に嘘の理由がばれて、生活保護も止められてしまいます。)さらに、クラッシュ・ビデオが売れに売れてしまい、顔に掛けてあったはずのモザイクが完璧ではなくて、学校の知る所となり、奨学金を取り消されます。

 だったらと、元々あまり乗り気ではなかったクラッシュ・ビデオ制作に傾倒しようとしますが、販売ルートに田舎の半グレ顔役が絡んでいて、製作が儘ならなくなってしまいます。さらにそれまでにココアが稼いだ金を、ニート状態の兄が持ち逃げして、そのまま家を出てしまいます。(生活保護を止められた父が、(元々悪意もなく、DVなどに向かう訳でもなく、ギャンブルは好きでも気の良いおっさんと言った感じの性格なので)働くことを決心し、一緒に働くように言われたのが嫌で仕方なく、兄はあっさり逃亡するのでした。)

 ココアの大学進学とクズの家脱出の目論みは脆くも崩れてしまうのでした。ココアには親友と呼べる女子が二人存在します。一人はそれなりに育ちが良さ気で、「理由は考えたことがないけど、普通みんな大学行くでしょ」と疑問も持たず大学受験の勉強を重ねている子です。自分同様に大学受験を決心したココアの勉強を助けていたら、ココアの方が良い成績を取ることになりましたが、妬むこともあまりなく、ココアと共に街を出ることを夢見ています。

 もう一人は、どこかで見たことがあると思っていたら、『王様のブランチ』でレポーターを時々している子が演じている高卒でいきなり結婚予定の子です。就職でもなく付き合っている若い男と結婚が決まっていて、卒業前の時点ですでに妊娠が発覚しています。進路のスペクトラムで言うと、両端のパターンが親友の中に存在し、彼女達の進路は揺らぎがないという点で共通しています。一方、ココアの進路は周囲の人間に振り回されてばかりで、自分の思うようになりません。

 クラッシュ・ビデオのバイトが彼女達にもばれて「なぜ言ってくれなかったの」と責められて軋轢を生み、一旦距離を置きます。しかし、何もかもなくしてから、「もう誰にも振り回されない」と腹を括り、地元の祭りの夜の翌朝に河原で彼女たちと再会する所で、物語はふっと消え入るように終わります。すべてを失ったものの、ココアも漸く確定した進路を歩めるということであるように受け止められそうです。社会からただただ逃避を重ねていた兄は既にいなくなっていますし、貧乏とは言え一応働き始めた父との二人暮らしになるのですから、奨学金がなくても、何とかするような進路は歩める可能性が大です。

 この映画を観るにあたって、ふと「エレジー」って具体的にどういう意味なんだろうと思って調べ、“elegy”という英単語であることを初めて知りました。意味は「哀歌、挽歌、悲歌」と英辞郎にはありますが、ウィキで見ると歌のみならず文学作品を指すこともあるようです。文学作品なら“tragedy”とも少々重なった意味に思えます。

 確かにココアの期待はほぼ完全に崩壊しますが、奨学金と言う大きな負債を抱えることもなくなりましたし、学校には関係なく進路を自由に決められるようになりましたし、父は一応まともになりました。エレジーと言うほど、必ずしも悪いことばかりでもありません。ヒステリックな文調の作品ばかり書く中村敦彦の『女子大生風俗嬢 若者貧困大国・日本のリアル』や緻密な分析を重ねる坂爪真吾の『パパ活の社会学 援助交際、愛人契約と何が違う?』などを読むと、女子大生がそのようなカネ稼ぎの選択肢に走る背景には、たっぷり金利も取られる事実上「消費者金融」でしかない現在の奨学金制度があることが分かります。

 むしろ、『〈副業〉AV女優 ふたつの顔を持つ女神たち』に描かれているような(ココアの場合、服を脱がないし、性行為もしないものの)ヤバ系の映像作品に出演しつつ、奨学金をもらうことなくカネを稼いで、どこかのタイミングで大学に行くなどした方が真っ当な展開になりそうに思えます。作品販売も半グレ顔役など通さず、今時、自分で作っては売る、ネット通販で十分であろうと思われます。

 卒業してから数年で奨学金返済ができず破綻・破産する多くの学生達の窮状を描いた書籍や記事などでは、「そこまでして大学に行かなくても、人生の進路はいくらでもある。安易に大学に行こうとしてはいけない」といった意見が散見されます。劇中でも、ココアを含む三人娘も、学校の指導担当者も、皆、高校卒業のタイミングでしか大学に行けないと、「奨学金返済地獄を回避して高卒として生きろ」論者同様に、頭っから思い込んでいるのが、私には不思議でなりません。

 単に、高卒で働き始めて、カネを貯めてから大学に行けばよいだけです。世の中には放送大学もありますし、留学すれば高校卒業直後の入学者は少数派と言う大学はいくらでもあります。今時、ネットで日本国内に居ながらにして“留学”できる海外の大学もあります。それに行けば良いだけです。それどころか、今時の国内の大学は志望者不足にずっと悩まされ続けています。数年遅れて入る学生でも大歓迎であることでしょう。公立の大学でもAO枠はやたらにあります。受験科目を数科目に絞り込んで、高校卒業後、その学力を維持することはそれほど難しくないことでしょう。

 家を出ることだって、ココアの二択はあまりにも貧弱です。市の外の住む場所もセットで提供する職場に就職すれば良いだけの話です。人材難の今時、そういう条件の職場など、掃いて捨てるほどあります。風俗どころか、全く「女性性」を売りにしなくても、(時間当たりの稼ぎ額は少ないかもしれませんが)問題なく暮らしつつ稼げることでしょう。

『学歴分断社会』でも『女女格差』でも、高卒専門卒のグループと短大・大学以上のグループの交流は限られていることが明らかにされています。そして、橘玲の新刊『上級国民/下級国民』によれば、知識社会の到来がどんどん明確になる中、「学ぶこと」を人生の中心に置くような生き方は、これからの必須サバイバル条件です。勿論、高卒・専門卒は学ばないということではありません。しかし、若いうちから「学ぶこと」の訓練をしておくことは、人生の上での大きな資産となり、その後の人生の軌道を大きく分かつ要因になるのはほぼ間違いありません。

「公立大学は安いぞ」と担任の教師に教えられ、ココアはファミレスらしき所で、スマホで検索して調べています。金額は確かにネットで分かることでしょう。しかし、その事実さえも、「スマホで何でも分かる」時代に、教師から示唆されなければ調べることさえできない高校生の現実と、そのようなありきたりの指導しかできない現実から大きく乖離した教師の進路指導の実態と、そして、一見最もまともそうな叔母でさえ遺産の存在を伝えるだけで終わる事実など、ココアの“環境そのもの”の貧しさが痛感されます。

 馬鹿げているのは、こんな世の中の当たり前のことを知らない劇中の人々同様に、パンフの中の各種の評論その他の中でも、ココアが、そしてココアと同様の問題を抱えた多くの高校卒業者が、採り得た多様な進路の選択肢について、誰も言及していないことです。

 私が高校を卒業してから就職して6年半働き、今更大学入試の「共通1次試験」の大作勉強などをしても受かりそうにないので、米国に留学したのは、今から30年も前の話です。私もフルブライト留学生だった大学教授にそのような方法を指導されてできた話ですが、30年経っても、そのような普通にある選択肢を高校生たちに教える人間が存在しないことのあまりの馬鹿げた状態に、飽きれる他はありません。

 色々なことを考えさせる良作です。88分の短い尺でしたが、シンプルに話を進めるのに丁度良い長さに感じます。(多分、これ以上伸ばせば、冗長なシーンが増えてしまうことになったでしょう。)上映後、ロビーに出ると、監督(・脚本)さんと主演女優さんがいたので、買ってあったパンフの表紙にサインをもらってきました。DVDは出るのか尋ねると、「まだ分からない」という様子でした。即「DVDが出たら買いますよ」と宣言してきました。