6月27日の封切からまだ1週間余りしか経っていない月曜日の夜6時半の回を久々の新宿武蔵野館で観て来ました。都内ではたった2館、ここと松戸でしかやっていないようで、ここは1日2回ですが、松戸は1日1回の上映しかありません。関東に拡大しても神奈川・埼玉に各1館が増えるだけで、上映館数は非常に限られています。マイナーな映画とは言え、原作者が山本直樹なのでもう少々扱いが大きくても良いようには思います。
私はこの作品を観るのをかなり長いこと楽しみにしていました。山本直樹の長年のファンだからです。どれぐらいファンかを『ファンシー』の劇場鑑賞の感想記事で書きまくっています。
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私がこの超マイナーな作品を観ることにした理由はたった一つしかありません。それは、山本直樹の作品が原作であることです。私は山本直樹のファンです。一番好きな漫画家を選べと言われたら、ほぼ間違いなく山本直樹を挙げます。幾つかの長編作品を除いて、ほとんどの山本直樹の作品は読んでいます。森山塔や塔山森の名義の作品群も一部齧っています。
不条理感、登場人物のやるせなさ、厭世感や虚無感がシンプルな構図で描かれる様子は最高です。意味や意義を見いだせないセックスをこれほどエロく気怠く、しかし美しく描く人はいないと確信しています。私が最初に山本直樹作品に出合ったのは、(既に記憶が定かではありませんが)多分、『はっぱ64』だったように思います。それは多分、中学生ぐらいの時代、バスで2時間かけて行くことが年に1回あるかどうかというぐらいの札幌の町の書店「リーブルなにわ」のコミック売場でふと手に取って惹きこまれたような感じだったと思います。
その後、どういうきっかけだったか全く記憶がありませんが、『あさってDANCE』に目茶目茶に嵌ります。24になって家財道具まで売り払って現金化して留学した際に、唯一手荷物で持っていくことにしたコミックが『あさってDANCE』でした。アニメ・ヒロインで一人最高に好きな人物を挙げろと言われれば、間違いなく綾波レイⅡですが、コミックのヒロインなら今でも間違いなく日比野綾です。
ハズレ作品が圧倒的に多いことを知っていながら、映像化作品もまあまあ観ています。映像化作品で芸術の域に達していて、多くのミニシアターで今尚上映会が催される『眠り姫』は、他の作品の追随を全く許さない至高の完成度です。監督の七里圭さんには2012年に新宿のケイズシネマで行なわれた特集上映『のんきな(七里)圭さん』の場でお会いしたことがあり、数分の立ち話をしましたが、のっけから山本直樹愛で盛り上がった記憶があります。
彼の『夢で逢えたら』をその際に見ましたが、タイトルが山本直樹作品と同一でトリビュートとなっていますが、内容は別の物語です。彼の『のんきな姉さん』はDVDを持って何度も見返す価値があるほどに優れています。
それ以外の実写化作品は、良くてB級Vシネレベルか、チョイエロ深夜テレビドラマレベルの作品ばかりです。私がDVDで持っているものでも、『テレビばかり見てると馬鹿になる』『なんだってんだ 7DAYS』『アダルトビデオができるまで』、『アダルトビデオの作り方』、『ヒポクリストマトリーファズ』、『BLUE』があり、2005年に制作された『あさってDANCE』全4巻も持っています。そのどれも見返す値を見出すことなく今日に至っているDVD群です。
山本直樹の作品でも群を抜いて好きな『あさってDANCE』は1991年にも中嶋朋子主演(さらにその後芸能界から秋元康によって放逐されたと噂を聞いたことのある裕木奈江出演)の作品があり、劇場で観ましたが、比較的中嶋朋子推しの私でさえ、ゲンナリ来て立ち直れないほどの駄作でした。
この『ファンシー』が映画化されることを、私は偶然この映画館だったかどこかの映画館だったかでチラシで見て発見しました。チラシに書かれた「山本直樹」の文字が一瞬にして視界に飛び込んで来たのを覚えています。ただ、多々ある短編作品群の中で、チラシをパッと見ただけでは『ファンシー』がどのような作品だったか私は全く思い出せませんでした。原作の『ファンシー』の主人公はペンギンだからです。そのペンギンが大きく描かれていなかったので、「これ、どんな話だったっけ」と訝ることになったのでした。(ただ、チラシの裏面はペンギンのイラストがドーンと描かれたデザインです。逆に、他のキャラも背景もなくペンギンだけが大きく描かれているだけなので、それはそれで『ファンシー』のものとは分かりにくいようにも思いますが…。)その状況は、その後この作品のトレーラーを観ても、あまり変わることがありませんでした。
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この『ファンシー』を観たのが2020年で、その2年後には問題作(と言っても山本直樹の作品群はすべて多かれ少なかれ問題作ですが…)の『ビリーバーズ』が映画化されました。勿論観に行っています。それも封切当日です。感想の中に『ファンシー』と『ビリーバーズ』の間で実写化作品を観逃した山本直樹作品についても言及しています。
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山本直樹作品への愛は語れば留まるところを知らないぐらいに好きです。実は『ファンシー』の後にこの作品に先立ち実写映画化された山本直樹作品があります。21年12月に公開された『夕方のおともだち』です。この作品を私は観ていません。引退して普通の生活を送り始めたSMプレイの女王様と彼女の仕置きを極上の癒しとしていた男の彼女の仕置きへの渇望を描いた作品です。セックスを描くことばかりの山本直樹の作品群の中にあって、SMを主題に持ち込んだ比較的少ない作品のうちの一つで、且つ名作であるのは間違いありません。名作であり過ぎて、正体を暴かれ、迫られ続けた女王様の今までの集大成のようなSMプレイの描写が、SMプレイの趣味を持たない私にはあまりに生々しく、特に包皮を剥いた亀頭にカミソリの刃を立てるコマなどはトラウマ級で辛い作品でした。映画でそのようなプレイまでがきちんと再現されているのかどうか確認していませんが、原作の辛さ故に結果的に実写映画もパスしました。
そんな私ですから、『ビリーバーズ』は逃す訳にはいきません。北海道どころか東北以北で1館も上映されていない状況で、東京でも繁忙の日々が続いている時期だったので、先延ばしすることなく、躊躇なく、都合がギリギリ合った封切日の第一回目の上映に足を運ぶことにしました。
この『ビリーバーズ』という作品は大判のコミックで2冊しかない物語です。或る無人島で暮らす宗教的な団体・ニコニコ人生センターに所属する2人の男(議長とオペレーター)と1人の女(副議長)がいます。彼らは雑魚寝する狭い部屋さえ同じ共同生活を送りつつ、瞑想や見た夢の報告会やテレパシーの実験などを行なっています。教団の本部からメールで送られてくる指令を実行しながら、途切れがちに届く僅かな食料でギリギリの生活を送り、俗世の汚れを浄化し、安住の地を目指すための修行を行なっているのでした。
教団本部からの指令は深夜に船で来る運搬係の集団に対して、倉庫から荷を出しておくことですが、この荷物の中身が拳銃など違法な物品であるようで、彼らはそれを知ろうともせず、知ってしまっても知らなかったことにしつつ修行を続けています。この違法物品はおそらくカルト教団の“実行部隊”が用いる武器なのであろうと思われます。(現実に終盤で登場する集団自殺の場面では機関銃的な銃器を持つ教団員が何人も登場しています。)
鑑賞に行った日は安倍元首相が明後日の参院選の遊説先の奈良で銃殺された当日です。別にそのように狙った訳では全くありませんが、異様な新興宗教団体ニコニコ人生センターの活動を描くこの映画のエンディングでは、教祖が至近距離から射殺されてしまいます。原作者山本直樹がその問題の宗教団体の教祖の役でカメオ出演しています。
原作が山本直樹ですから、コミックにおいて前述のような気怠いセックスが延々と続きます。特に副議長とオペレーターがセックスを重ねる関係になると、議長は歪んだ嫉妬を抱き始めます。議長は当初、自分の性欲の害毒を出すためと、自分を長い杭に縛り付けて、全裸になった副議長にフェラチオをさせ、射精の後に自身の男性器を食い千切るように迫っています。
その後、それでも議長の目を盗んでセックスを重ねようとする副議長とオペレーターを許せず、議長はオペレーターの下半身を土に埋めて反省を迫ります。そして、自身の宗教的且つ組織的権力を利用して副議長に肉体関係を迫るのでした。副議長は当初執拗に要求されていたフェラチオを行なうふりをしてとうとう議長の男性器を食い千切ります。そして島から議長を排除することに成功するのでした。二人きりになった副議長とオペレーターは日々を全裸で過ごし、寝て起きて、海で取れた貝などを食べ、それ以外の時間は、漫然とセックスの快感に耽る毎日を過ごすのです。
[以上抜粋↑]
2022年の『ビリーバーズ』の鑑賞後、『夕方のおともだち』をDVDで観ましたが、普段地味なOLとして生活するSM女王の豹変と畳み掛けるようなSMハードプレーの描写のコントラストが(少なくとも私には)大きな魅力の一つであると思えていましたが、それがほぼ全く発生しない物語展開になっていて、かなり落胆しました。『ビリーバーズ』のここまでやっていいのかなと言うぐらいの原作にも忠実でエロ全開の出来栄えに比べて、本来主要登場人物がたった二人でその内面をシンプルに抉りつつ、過激なエロ要素を含んでいるはずの『夕方のお友達』がピンボケした作品になっているのは非常に残念でした。
このように私にとっての評価はかなり大きくばらつく山本直樹原作作品群ですが、何にせよ、それを見なくてはならないと思えるほどに、私は山本直樹作品群のファンだと思っています。
シアターに入ると、ぽつりぽつりと観客が継続的に増え続け、数えるには最適なペースでしたので、私以外に間違いなく14人の観客だったと思います。そのうち女性客はたった3人で、20代らしき女性が2人と60過ぎに見える女性が1人でした。男性は20代から30代ぐらいまでで半数以上を占め、残り半数が40~60代と言う感じで、若手に中心層があるものの、まあまあの年齢の分かれように思えました。敢えて言うなら私より上の高齢者層がほぼゼロだったのが特徴的かもしれません。山本直樹はウィキに拠ると現在65歳(1960年生まれ)で、その良くも悪くも有名になった時期にファンだった人間は私も含め彼よりやや若いぐらいの年代であろうと私は思っています。それにしては、そういった年齢層が少ないように思えました。若い年齢層の男性客は何を期待してこの作品を見に来ているのか想像がつきません。観客は全員単独客でした。
私にとっての本作『YOUNG&FINE』は、山本直樹の単行本化した作品では最初の『まかせなさい!』同様に特異な立ち位置を占めている作品だと思っています。学園モノですが、教室内の風景など殆ど登場しません。作中人物の様子を淡々と描いただけの作品で、その中に流れている時間をその時間枠の終端から見ると何となく滲み出る哀愁や郷愁をじっくり描いている作品です。山本直樹のウィキの中にある彼の作品群についての特徴は以下のようになっています。
[以下抜粋↓]
正気でない人やエロを題材とする作品を描くことが多い。大胆な性描写とシャープな演出センスで問題作を発表しており、愛とセックスに溺れる弱い人間たちが織り成す悲哀を過激に、シニカルに、そしてややユーモラスに描く。性描写が問題になった有害コミック論争以降も作風は変わらず、『ありがとう』では更に過激な描写を見せ、レイプ、新興宗教、いじめなどの困難に屈せずに奮闘する父を描き、「家族とは何か」という問いを投げかけた同作は、高く評価された。
[以上抜粋↑(文中注釈略)]
この特徴は非常によくまとめられている文章だと私は思っていますが、これに当て嵌める時、『YOUNG&FINE』は山本直樹作品群の中でかなり外れた所にあることが分かります。『YOUNG&FINE』に「正気でない人」は一切登場しませんし、エロばかりが脳内を占めている男子高校生が主人公ですが、付き合っているJKは挿入をどうしても高校卒業まで取っておきたいと主張して、所謂「ペッティング」までしか許しません。劇中、それじゃあとアナルセックスを主人公が強要し、それを主な切っ掛けに何となく二人は別れます。エロはエロですが、一般的な山本直樹作品に比べると描写はかなりマイルドです。
当然他作品に比べると「大胆な性描写とシャープな演出センス」も際立っていませんし、「愛とセックスに溺れる」というほど溺れている人物も(エロに頭がかなり犯されている主人公も、別に誰彼かまわずセックスを求めて行く訳ではありません。後述するように据え膳を食わないような場面もあります。)見当たりません。
山本直樹作品群は、エロ作品用の別名義である搭山森や森山塔の作品とは異なり、基本的に人間のやるせなさをテーマにしているのだと私は感じています。失敗もあれば恥ずかしいことも不埒なことも悔いが残ることもしてしまう人間を肯定するプロセスの中に、それら登場人物の生活の一部としてのセックスを誤魔化さず、そこに表出する人間の非合理な部分に着目して、その人物達を描いているのだと思っています。その観点からすると、『YOUNG&FINE』は、セックス比重が低い中で、流れて行く時間の中の人々の日常的な行動が、後から見てどれほど些末で、どれほど今と整合性を持っていないかを描いた作品とも言えるように思えるのです。物語の筋書きは映画.comの紹介文に簡潔にまとめられています。
[以下抜粋↓]
「ビリーバーズ」「BLUE」「レッド」などで知られる漫画家・山本直樹の青春漫画を実写映画化。映画「ビリーバーズ」の監督・脚本を手がけた城定秀夫が脚本を執筆し、長年にわたって城定監督作品で助監督を務めてきた小南敏也がメガホンをとった。
海沿いの町に暮らす高校生・灰野勝彦は同級生の玲子と付き合っているが、なかなか一線を越えさせてもらえない。そんなある時、どこかがさつな雰囲気の女性高校教師・伊沢学が、灰野の家に下宿することになり、灰野と伊沢はひとつ屋根の下で暮らすことになる。伊沢と仲良くなっていく灰野と、そんな2人の様子に嫉妬する玲子。3人は次第に奇妙な三角関係となっていくが……。
[以上抜粋↑]
物語の主軸は灰野と伊沢の関係性です。伊沢は灰野家で灰野が玲子とのセックスなどに自由にしていた別棟を賃貸することになり、しぶしぶ部屋を明け渡した灰野は結局どんどん伊沢の部屋に上がり込み、親から遺伝だというアル中気味の伊沢と慣れない酒を飲み、交流を深めて行きます。そのプロセスでブラとパンティだけで寝入る伊沢を目にしたり、あろうことか寝ぼけた下着姿の伊沢に抱きつかれたりしていますが、当時の高校生の純情な恋愛観からか玲子とのセックスを期待するばかりで、伊沢を思いやりつつもセックスする選択肢を取ろうとしません。
成績は低いままラグビーに明け暮れ、玲子とのペッティングに明け暮れ、何となく高校生活を過ごす灰野にとって、伊沢は自分を一人の大人として認めてくれる姉のような存在になって行き、伊沢の言動を通して、大人になることについて考え始めて行きます。
伊沢はこの「海沿いの町」の出身で、灰野の行きつけの寿司屋の二代目とも上京してサラリーマンをしている灰野の兄とも同級生でした。寿司屋に行っては深酒して飲んだくれる伊沢を見、実は片想いの対象だった灰野の兄を見て動揺し、彼を避けるようになる伊沢を見るにつけ、灰野は高校時代の人間関係が数年後の人生に如何に投影され影響を与えるかに気づいていきます。
伊沢は隣町の実家に戻りますがそこにはまだアル中に苦しむ母がいて、その悩みなどから逃避しようとして伊沢自身もアル中で入院に至ったりします。自分とは違う次元に生きる大人のナマの苦しみや痛みを知った灰野は玲子とのペッティングの駆け引きへの関心も失っていくのでした。それと同時に伊沢に強く惹かれている自分に気づき始めます。
伊沢は灰野の兄への想いを仄かに持ちつつも、灰野に好意を抱き始めていますが、灰野が自覚的になり、伊沢に告白しようと決断した時には、数々の悩みや辛さに押し潰されそうになっていて、彼女をかねてより好きだった寿司屋の二代目から求愛され、肉体関係を初めて持ち(伊沢はそれまで処女であったことが灰野へも酔った勢いで告白されています。)、寿司屋の二代目とあっという間に結婚出産へと至るのでした。
終盤、高校卒業後町役場に勤めた灰野は海岸で伊沢に会います。伊沢は灰野の兄に片想いだったけれども、最後の最後に告白できなかったと吐露します。そして別棟を借りていた時、灰野のことも好きになったと告白します。玲子は大学に進学し、高校時代パッとせず、灰野と玲子の関係(セックスをしているという風に想定されていましたが)を羨んでいた男子クラスメイトと同じ大学で交際を始め、バンバンセックスをしている姿が描かれています。
灰野の兄は既に結婚しています。そしてエンディングで伊沢と海岸で別れた灰野は道沿いのバス停で遠出をしようとしている母を見つけます。母は夜勤も多い看護師でかなり捌けており、伊沢が別棟を借りていた頃、よく灰野に向かって「間違いを起こさないでよ」と普通に言ってのけて出掛けて行くような人物でした。その母は灰野の兄は結婚し、灰野も就職して社会人になったので、これからは自分の人生を歩むとバス停で灰野に告げます。家も既に売ったので、灰野に会社の寮に移るように言い、自分は小説を書いたので上京してしばらく向こうにいると唐突に語ってバスに乗っていくのでした。
学校教師をやっていた伊沢と子供を抱え寿司屋を手伝う伊沢の間には何等の関係も存在しないように見えますし、同様に看護師で稼ぎつつ(どのような理由か分かりませんが)シングルマザーで灰野の学校生活を金銭的に支えた母と上京して小説家になるという母には全く連関が見つかりません。玲子でさえ、灰野の挿入を拒んでいたのは一体何だったかというほど、大学生活でセックスに励んでいます。ここにも敢えて言うなら連関が見つからないように思えます。
そして、高校教師と生徒の関係で酒を飲み交わしていた伊沢と灰野が秘めていた想いを明らかにして肉体関係まで持っていたら、さらに、明確に交際を意識し始めていたら、人生はどうなっていたのか。それ以前に、伊沢は高校時代に灰野の兄に告白して高校時代の終わりから交際を始めていたらどうなっていたのか。想いに従った行動を起こせないままにエネルギーを持て余し空回るアオハルと、想いに従った行動をとった寿司屋が伊沢の人生の軌道を大きく変えて、その結果の平坦な寿司屋の家庭の日常をもたらしたこと。
そうした時系列に見た人生の分岐とその選択の結末を否応なく受け容れざるを得ない人間について考えさせるのがこの作品で、その意味では原作の物語を丁寧になぞって訴えるべきメッセージを実写映画も成立させていると思えました。
ただ、やはり、どうもミスキャスト・ミス演出といった感じがやや否めないようにも思えます。最大のミスは伊沢です。伊沢は向里祐香(こうり・ゆうか)という今年34歳の女優が演じています。伊沢の実年齢からすると10歳近く年齢が上です。身長171.5cmとネット情報にはありますから、細く縦長感のある原作の伊沢に体型的にはぴったりです。しかし、年齢ギャップとは逆行して顔が原作伊沢に比べて丸顔で可愛らしいタイプなのです。私は全く知らない女優でしたが、ネットで調べると、最近、Disney+ で公開されてエミー賞を受賞したというドラマ『SHOGUN 将軍』に遊女役で出演していることが話題になっていて、画像検索でもその役柄でのモノが多めに出て来ます。
それ以外にも『べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~』にも1話に登場しているようです。映画の出演作はあまり多くありませんが、私がDVDで観た『福田村事件』に出演していたようです。しかし、全く記憶していません。テレビドラマの出演が多いようですが、年齢からすると量が少なく、どのような経緯でこのキャリアを始めた人物なのかウィキにもほぼ全く手掛かりがありません。本人はネット記事で今回の出演についての挨拶で…
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初めまして。こんにちは。伊沢学役を演じました向里祐香です。2000年初頭の”あの頃”の青春臭さがぎゅっと詰まった、どこか懐かしく、思わずクスッと笑ってしまうような作品になっております。灰野くん(新原くん)新井玲子(新帆さん)そして伊沢学をはじめとする登場人物たちは皆、不器用で愛おしい…ぜひ人間模様を観察してみてください。そして、ついに公開日が決定しました! 先行上映では即完が続き、ご覧いただけなかった方も多いかと思います。まだ観てない方も、もう一度観たいという方も、スクリーンでお会いできるのを楽しみにしております。
[以上引用↑]
という当たり障りない、その上、クスッと笑ってしまう作品として『YOUNG&FINE』を捉えていることが分かるコメントをしています。
原作の伊沢は24、25ぐらいの年齢で背は高くぼさぼさの髪で顔がよく見えないぐらいの様子で、高身長女子によくある猫背の暗い感じの女性です。物怖じしまくりで空気が読めない理系コミュ障女子といった感じで、おまけに要因が先天的か後天的かは分かりませんがアル中になりかけです。不器用で愛おしいのは間違いありませんが、この女優のルックスも劇中で醸し出す雰囲気も(あくまでも原作に比べればですが)かなりキャピキャピ感が伴い可愛らしさが滲み出すぎて、中盤以降はダダ漏れ感があります。さらに中盤以降、灰野に対する想いもかなり強めに出ていて、(原作にはなかったシーンだと思いますが)酔った勢いで浜辺で下着姿になり、灰野に抱きついで「いいよ。しよ」と言い出しているぐらいです。
どうも先述の「やるせなさ」が上手く出し切れていない作品に思えます。ちなみに灰野の方は新原泰佑という男優が演じていますが、映画.comの記事にもドラマ『御上先生』の出演が紹介されています。私も『御上先生』はTVerで見ていたので、誰の役だったろうと調べてみたら、回想シーンと現実の場面でも幽霊(/生霊)として登場する主人公御上先生の(学校で自決した)兄でした。回想シーンでも言葉少なで、生きていても言葉が少ないのですから死後の状態では話すこともなく、概ね険しい顔で直立していたりする役柄でした。彼の方はネットで見ると実年齢24歳とのことですが、もっとはっちゃけた高校生灰野を演じて良かったのではないかと思えます。エンディング直前のクライマックスであるバス停の母との対話のシーンは結構イケてたので、やはりワチャワチャした高校生にはなり切れていなかったということかと思われます。
映画.comの説明の「映画『ビリーバーズ』の監督・脚本を手がけた城定秀夫が脚本を執筆し、長年にわたって城定監督作品で助監督を務めてきた小南敏也がメガホンをとった。」に登場する本作脚本担当の城定秀夫は、山本直樹原作の『アダルトビデオの作り方』や『アダルトビデオができるまで』、『どれいちゃんとごしゅじんさまくん』の監督・脚本も務めている、“山本直樹通(ツウ)”ですが、どうも脚本だけの関わりでは足りなかったのか、『ビリーバーズ』のようにぶっ飛んだ作品でなくては山本直樹の世界観を表現しきらなかったのか分かりませんが、私もDVDをガッツリ持って観ている『アダルトビデオの作り方』や『アダルトビデオができるまで』同等のチョイエロ深夜テレビドラマの域に作品を収めてしまったように思えてなりません。
しかし、例えば、最近TVerで観て嵌り、どうもDVDにならなそうなのでコミックで買いそろえ始めた『こういうのがいい』などの、上にも述べた“チョイエロ深夜テレビドラマ”で、それも山本直樹原作作品だと思ってみたら、十分良い出来栄えですし、向里祐香の愛嬌も堪能できます。DVDは買いだと思います。
追記:
今回改めて山本直樹のウィキを見ていて、幾つかの長編を(ストーリーは知っていたり、断片的に呼んでいたりしますが)コミックで持っていないことに気づきました。探して買わねばいけないかと思い始めました。
追記2:
武蔵野館ではこの作品のTシャツを販売していましたが、白地で胸側にしかプリントがなく、おまけに合うサイズがないという状況だったので、購入を断念しました。考えてみると山本直樹作品関連グッズというものを私は全く持っていません。いつまた次の機会があるか分かりませんが、グッズも入手して行きたいものと思っています。