『アット・ザ・ベンチ』

 11月15日の封切から3週間弱経った木曜日の午後2時40分の回を靖国通り沿いの地下にある映画館で観て来ました。この映画館に来るのは8月に観た『ひどくくすんだ赤』以来だと思います。

 この作品はシアターが一つしかないこの館で1日4回も上映されているメイン上映作品ですが、上映館数は極端に少なく、23区内で見てもこの館のある新宿と二子玉川でしか上映されいません。調べてみると、地域を拡大しても関東圏ではこの2館で変わらず、全国に拡大して初めて大阪が加わる程度です。(大阪でも梅田1ヶ所ですから、全国で3館しか上映館がないようです。)

 この映画は広い河原らしき場所の遊歩道沿いにぽつんとあるベンチに腰掛ける人々の物語です。同じホテルに泊まる(一応)人々のドタバタを描いた映画(洋画だとマドンナが出演していることでも知られる4話オムニバスの『フォー・ルームス』や邦画だとオムニバスではありませんがこれまた豪華キャストの『THE 有頂天ホテル』など)などがありますが、単純にベンチ一つが舞台でオムニバスというのはなかなか見ない設定です。おまけにこの河原はニコタマ付近の河原で、上述のように東日本で新宿と並び上映している館が二子玉川に存在するのは、どうも地元の映画であるからのようなのです。

 オムニバスの話は全部で5話もあるのに、全体の尺はたった86分です。一体各話はどんな展開なのだろうかと不思議に思え、映画.comなどを読んでも、あまり手掛かりがありません。物語に関しては…

「川沿いの芝生にぽつんとたたずむ小さなベンチ。ある日の夕方、そのベンチには久々に再会した幼なじみの男女が座り、もどかしくも愛おしくて優しい言葉を交わす。その後もこの場所には、別れ話をするカップルとそこに割り込むおじさん、家出をしてホームレスになった姉と彼女を捜しに来た妹、ベンチの撤去を計画する役所の職員たちなど、さまざまな人たちがやって来る。」

と書かれているだけです。これではイマイチかもと思ったのですが、それでもこの変わったオムニバス映画を観てみようと思い立ったのは、この作品の上映館数や知名度に見合わない有名キャスト陣の顔ぶれを知ったからです。広瀬すず、仲野太賀、岸井ゆきの、岡山天音、今田美桜、森七菜、草彅剛、吉岡里帆、神木隆之介が全員揃う映画など、なかなかあるものではありません。例えば、『翔んで埼玉』シリーズ、『キングダム』シリーズやもうすぐ封切になる『はたらく細胞』などは豪華キャストがウリの一つになっていますが、本作はたった86分の映画にそれらの大作を凌ぐほどのキャスト陣のように思えます。それが全国でたった3館の上映など、ほぼ信じられない異常状態だと思えます。

 この辺で俄然関心が湧きました。キャスト陣で特に観てみたいと思えたのは、仲野太賀、岸井ゆきの、岡山天音、今田美桜です。仲野太賀はつい最近まで話題のドラマ『新宿野戦病院』を観ていて初めて認識できるようになりました。岸井ゆきのは『空に住む』を劇場で観てからDVDで観た『ホムンクルス』、『神は見返りを求める』で認識できるようになりましたが、私にとっては劇場で観ることがあまりない女優のままでした。

 岡山天音は、年齢が結構違うものの私は時々青木柚と区別がつかなくなりますが、ここ最近だけでも、DVDで観た『キングダム』シリーズやつい最近劇場で観た『Cloud クラウド』、他には以前劇場で観た『ホテルローヤル』の伊藤沙莉とラブホで心中する高校教師とかが印象に残っています。青木柚とごっちゃになって、より印象が重なり、最近よく見るのに、主役級の作品を観たことがないままの男優です。(今回はオムニバスの中の短い一篇の中とは言え、一応主役だと思います。)

 今田美桜は劇場どころか映画作品では全く(認識して)観たことがないままでしたが、その状況が劇的に変化したのは『ラストマン-全盲の捜査官-』の準主役級といって良いほどの目立ちぶりの彼女を観てからでした。このドラマシリーズで彼女をがっちり認識できるようになってからは、彼女が出演するどちらかと言えばポスターなど2次元静止画像ビジュアルのCMが膨大に街や地下鉄内に溢れ返っていることに気づかされました。その後、ウィキで見ると、私が劇場で谷村美月ばかり見ていた『罪の余白』や、DVDで観ても永野芽郁ばかり見ていた『君は月夜に光り輝く』と高畑充希・菜々緒ばかり見ていた『ヲタクに恋は難しい』にも出演しているようなのですが、全く認識できていません。それが今では。ネットでもTVでも執拗なまでに流れているジャンボ宝くじのCMで、妻夫木聡と吉岡里帆しかずっと気づいていなかった脇に今田美桜がずっといたことに驚かされた状態です。

 この四人が主役級の劇場作品を観る価値を感じた私はこれを機会に全員のウィキに目を通してみたのですが、驚愕したのは仲野太賀で、以前『酔うと化け物になる父がつらい』を観た際に初めて調べた渋川清彦のように「無数」としか表現できないぐらいに自分が観ていた作品に出演していることを認識させられたケース程ではないものの、かなりの数の私が観た作品に仲野太賀が出演していることを今回初めて知りました。

 例えば、『フリージア』『感染列島』『真夏のオリオン』『スイッチを押すとき』『桐島、部活やめるってよ』『MONSTERZ モンスターズ』『私の男』『スイートプールサイド』『走れ、絶望に追いつかれない速さで』『アズミ・ハルコは行方不明』『50回目のファーストキス』『来る』『町田くんの世界』『MOTHER マザー』『今日から俺は!!劇場版』『ある男』『愛にイナズマ』『四月になれば彼女は』など、とんでもない数です。渋川清彦や江口のりこ級に少々及ばない程度で、これらの作品をDVDで観直して彼を確認して回ることにしたら、途方もない時間を消費しそうです。ウィキに拠ると15年以上の映画やドラマの出演キャリアがあるようで、私は『新宿野戦病院』で彼を認識するまで、全く彼の存在に気づいていませんでした。

 同様に仲野太賀ほどではありませんが、岡山天音も私が観ていた多数の作品に出演していることを今回知りました。(逆に私が何となく彼が出演していると思っていた幾つかの作品は先述のように青木柚であることも分かりました。)例えば『麦子さんと』『鬼灯さん家のアネキ』『合葬』『ライチ☆光クラブ』『セトウツミ』『帝一の國』『氷菓』『空飛ぶタイヤ』『純平、考え直せ』『翔んで埼玉』『新聞記者』などです。

 パンフレットもなくチラシも(少なくとも私が劇場で観た範囲では)存在していない作品で、ネットの映画紹介以外の前情報は劇場内の壁に貼られた大型ポスターのみという状態だったので、劇場到着後そのままシアターに入りました。大雑把に数えて40人ほどの観客が居ました。男女はほぼ半々といった感じでしたが、年齢の分布は性別によって異なるように見え、男性は比較的広くばらけた感じで、女性は比較的20代後半から30代前半ぐらいの層が厚く他の年齢層は薄く広く分布と言う感じに見えました。珍しく20代ぐらいの男性ばかりの3人連れという組み合わせも1組見られましたが、あとは数組女性の2人連れが居ました。それ以外は多数派の単独客と言う感じです。

 映画は全部で5篇で、映画.comの情報に拠れば、「動画配信プラットフォーム・Vimeoで2023年9月30日に第1編、24年4月27日に第2編を無料公開して反響を呼んだ2本の短編に、新たに制作した3本の短編を加え、全5編のオムニバス長編作品として劇場公開。」ということのようで、オリジナルでいきなり創られた作品ではないものの、半分以上の話が映画用に追加されているということのようです。

 第一話と第五話は同じ広瀬すずと仲野太賀のエピソードで、時間軸としてやや間が空いていますが、連続した話になっています。映画.comが書く「久々に再会した幼なじみの男女が座り、もどかしくも愛おしくて優しい言葉を交わす。」話です。第二話が「別れ話をするカップル」で岡山天音と岸井ゆきのの二人が演じています。容喙してくるおっさんは荒川良々という、私には顔はよく見るものの名前は初めて今回知らされた男優です。

 第三話が「家出をしてホームレスになった姉と彼女を捜しに来た妹」でこの姉妹を今田美桜と森七菜が演じています。私が最も観たいと思えた組み合わせです。そして第四話が「ベンチの撤去を計画する役所の職員たち」で作業服の草彅剛と吉岡里帆が演じています。しかし、この第四話は特殊で実は劇中劇です。

 劇中劇の設定は結構複雑で、やたらに長寿で千年・万年単位で生きているらしいエイリアンが1人(どうも流刑のような設定だったように記憶しますが)公園のベンチに擬態か変形させられていて、ぽつんとそこで時間を過ごしていて、そのエイリアンの息子と娘の兄妹が父に帰還を促しに来るという設定の物語です。ですから、草彅剛と吉岡里帆は、オカミ系の建築関係事業者の作業員の先輩と後輩の設定で人間界に紛れ込んでいますが、実際には兄妹なのです。妹感を演出するためか、吉岡里帆は作業服に不似合いなおさげ髪で、CMで「DIC岡里帆」と名乗っていた彼女と(今回は作業帽は被っていませんが)同じイメージのおさげメガネの再来で、屋外で喋りまくります。

 問題はこの喋りまくり内容で、兄妹で口論となり白熱して来ると母語のエイリアン語に切り替わり、全く意味不明のエイリアン語で議論を大声でしまくるのですが、妙に甲高い声になって発話も大変そうで、喉に悪そうなおかしな会話を展開します。さらに近くに通行人が来ると、突如日本語に戻っては、またエイリアン語に戻るという忙しなさです。笑えます。よくも大真面目にこんなことをするものだと、私は結構楽しんでみていましたが、そこで唐突に「カット!」の声が入り、これが劇中劇の撮影だったことが分かるのです。そして劇中劇の監督をしていて、二人にどうでも良さ気なエイリアン語のイメージの指導を執拗に重ねるのが神木隆之介です。劇場で観るのは『ゴジラ-1.0』以来ですが、今回は私の印象では以前の彼の配役に多かった、ちゃらんぽらんで頼りなく流されやすいキャラを踏襲した感じの訳の分からないことを言う監督です。頭は2・8分けのような独特な髪型で、服装もおかしな業界人そのまんまと言う感じです。

 レビューで見ると、各話の評価がバラバラで、レビューアーの好みや視点に因って大きくばらけています。それでも総じて評価が低めなのが第三話と第四話です。しかし、私が好感を持てたのはこの二話で、後の話は楽しめはしたものの、どうも好感が湧かない、ないしは共感できないように感じられました。

 第一話と第五話の二人は幼馴染でお互いずっと近くにい過ぎてあまり意識できないままに来たものの、周囲の同級生などがどんどん結婚していく中で、互いを意識し始め、恋愛相手として告白する段階を実際にはとっくに超えてしまっている心境になっています。それでも手をつないだこともなくキスもセックスもしていないような、まるで『週刊ジャンプ』に出てくる主人公とヒロインのようなじりじりしたもどかしい関係です。

 ドラマや大人の物語のコミックなどでは、大抵、酔った勢いなどで一夜を共にして、よりぎこちない関係になるものの、そこから相互を更に見直し深くなるか浅くなるかは別にして、次の段階の関係に進む…といったことが起きるような展開がよく見られるように思えます。たとえば、比較的最近観た中では、(残念ながらDVD化の道が断たれてしまっているように見える大ヒットドラマ)『セクシー田中さん』で準主役級のめるるが演じた若い女子社員がまさにその展開を引き摺っている状況でした。よくあるどころか、デフォルトに近い、ないしは、主要なデフォルトの一つぐらいの位置付けの展開パターンです。

 しかし、このいい年をした幼馴染にはそう言ったことも何もなく、唐突にベンチに男が呼び出されて、元公園だった所がただの草地に均されて、その後に保育園が作られる予定だの、それなのに3つあったベンチのこの1つだけが残っただのの話をしながら、互いに仕事の話やらカレシ・カノジョの有無だのを探り合ったりするのです。それが第一話で第五話で二人は結婚を前提に同棲をするのか、結婚によって同居するようになるのか、そうした段階になっています。

 第二話の二人は別れ話のカップルですが、既に4年付き合って来て、所謂恋愛三年寿命説に拠れば、既に惰性に入っていたり倦怠期に入っていたりする時期と言えますが、男の方は何となく昨日と同じ今日が来て、さらに同じ明日が来るような生活感の中で、日々に不満なく過ごしていますが、女の方は男の細かな言動や価値観(例えば、バイクも持っていないのにバイク乗り的な服装をしているとか野外のベンチでご飯を食べようと言っているのにスーパーですしセットを買ったとか)に小さな違和感を重ねていて、ベンチの会話でふと思いつきのノリで「別れようか」と言ってしまいます。

 虚を突かれた男は「別れたくない」というと、女は「ちょっと提案しただけ」といって提案を撤回し、「じゃあ、これからも付き合っていよう」と応じます。しかし、男は女のこの提案に動揺し、「別れたくなった理由」を理解しようと話を蒸し返し、どんどんややこしい会話の展開になって行きます。軽妙で笑える展開ではあるのですが、どうでも良過ぎて、どうもスッキリしない後味の悪さがあります。

 別に恋愛話が苦手な訳でも関心がない訳でもないのですが、第一話・第五話の二人は端的に言って子供臭く、察しが悪いのか察しが悪い振りをしないといけないと思っているのか、馬鹿げて婉曲な会話をずるずると引っ張る感じが、微妙に面倒くさく、鬱陶しいのです。

 こういう関係をずるずる引っ張りつつ、ドラマの最後に告白と交際開始になる物語も、相応にあります。例えば最近若い頃の本田翼観たさにDVDで観た『ゆうべはお楽しみでしたね』もゲームオタクの男女のぎこちない恋愛話ですが、少なくとも、いきなり勘違いから同居を始めるという物凄い設定の話で、古くは『翔んだカップル』とか『恋のツキ』だの『グッドモーニングコール』だの『わたしのお嫁くん』だの『15歳、今日から同棲はじめます。』だの、枚挙に暇が無いほどに存在する王道パターンです。(ちなみに『ゆうべはお楽しみでしたね』も本田翼目当てで観ていましたが、今回の『アット・ザ・ベンチ』を観て、岡山天音がゲームオタクのコミュ症男を演じているということにハタと気づきました。)

 こうした物語群と比べる時、幼馴染で既に気持ちはでき上がっていることが分かり切っている二人のベンチでの面倒な会話ではどうも鬱陶しく感じられてなりません。一方で第二話の方は岸井ゆきのの鬱陶しい女のお家芸が全開といった感じです。それに引きずられ振り回されっぱなしの岡山天音のバイク乗りの格好をしてベンチで寿司を食う男。そこにおっさんが乱入して彼女に激しく同意ばかりするという馬鹿げて面倒な話です。

 ジェンダー論的な変な男らしさに拘っている訳ではないのですが、第一話・第五話・第二話に共通するのは、女の方が変な回り道の話題や会話を展開し、男の方はウダウダとそれについていくだけだったり、振りまわされ悩まされる役回りになっている点がさらに鬱陶しい理由かもしれません。「男らしく」を求める訳でもなく、単に付き合っている、ないしは相応に気持ちが通じているはずの関係性の相手なら、「じゃあ、どうしようか」とか「それじゃあ、いっそ、一緒に暮らしてみる?」などのことをズバリ言ってみた方が早いでしょうし、彼らから助言を求められたら、多くの第三者はそう言うでしょう。(第二話の状況で、見ず知らずのおっさんと迎合して4年も付き合っている男を女が非難・糾弾する段階で、私なら男に「もう別れることにした方が話が早そう。『だったら、そのおっさんと付き合えば』と言って立ち去った方が早そうだよね」と告げることと思います。)

 男女が逆であっても、結論に向かう話題の切り出しを行なうべきであろうと思われますが、この作品のこれら三話では常に女がイニシアチブを持っているので、男の対応の鈍さやうざさが際立って感じられるのだと思います。そのように考えると、劇中で会話の主導権を握る、ないしは握ろうとしている男は、草彅剛と神木隆之介だけですが、前者は人間でさえなく、後者は監督と言う立場からそうなっているだけと考えられるので、第一話・第五話・第二話の展開は世の中の風潮を反映したものであるのかもしれません。だとすると、最近よくある「おじさんイジメ」に対する(アンチ男性差別的)風潮を取り入れた方がより先進的であるようにも思えます。

 全五話の中で私が最も注目したのは第三話の今田美桜と森七菜の姉妹です。ベンチの周りで怒鳴る罵る、地団太を踏んで騒ぎまくる二人の場面から始まり、姉の方が(それでも『MOTHER』の長澤まさみのように不潔感がイマイチですが、今回のケースではまだ期間が短いのでそこまで不潔ではないということかもしれませんが)ベンチで寝泊まりをするホームレスで、それを「母さんも心配している」と家に連れ帰ろうとするのが妹ということが会話から分かってきます。

 劇中では語られませんがこの河原はニコタマで、今田美桜の姉は実家の街では真面目な薬局勤務者であったのに、或る男に惚れて、転勤になった彼を追って東京に来たのに、彼とは連絡も取っていない状態で、ベンチでホームレスを続けているということが分かってきます。妹は「おねえちゃんがこんな状態なのに、『一緒に暮らそう』とか言わない男ってどういうことなの?そんなのおかしいじゃん」と姉に迫りますが、姉は「放っておいてよ」と半狂乱に叫ぶばかりで、話になりません。ここまで見ると、バカ姉は男に捨てられて単に行き場無くホームレスをしているというように見え、バカな女に手を焼く家族の代表がこの妹という感じの展開に見えます。

 ところが姉妹が怒鳴り騒ぎ疲れて、やや落ち着きを取り戻し、姉が冷静に語ったのは一途な想いでこのベンチに居なくてはいけない事情でした。少々泣けます。彼に捨てられた自分を分かっていても、自分の彼に対する想いは募るばかりで、気が狂わんばかりなので、彼の家に近く彼とデートした想い出のベンチが辛うじて3つのうち1つ残っているのを守り、そこで心の整理をつけようとの覚悟でベンチで寝泊まりしているというのです。気が狂うほどに人を好きになるということが、人には起きることがあります。坂爪真吾は「不倫はインフルエンザのようなもので、誰しもが罹る時には罹る」と述べていますが、その不倫もそうした止め処なく溢れ出る想いの発露の一つの形であることでしょう。

 世間を散々騒がせ芸能人としての進退が注目されている松本人志が不倫の話題について語って「不倫と言うことは置いておいて、すべてを捨ててでもと言うほどのどうしようもなく人を好きになる体験ができるのは幸せなことだとも言える」というようなことを言ったことがあります。喜多嶋舞主演の名作『人が人を愛することのどうしようもなさ』というまんまのタイトルの映画もあります。(ウィキに拠ると橋本愛は「『人が人を愛することのどうしようもなさ』のDVDを見てひたすら泣いたのを機に、映画を見ることが好きになり、古い作品やポルノ映画などを漁るように見るようになると、映画史を汚さないよう、いい映画を残したいと思うようになり、やる気の向上に繋がった」ということですので、人を動かす力のある作品であると思われます。)

 そんな姉の想いを知って、妹は「大切な人をここに居て想うお姉ちゃんを、私は大切に思うから私もここに残る」と宣言し、姉妹は昔のように笑い合う(短い尺の物語ながら)大団円を迎えます。「おう。流石、森七菜。ボケた田中泯にビンタするだけある」とつい思ってしまうと同時に、この気も狂わんほどの恋愛感情の落としどころを必死に探しホームレスとなっているという難役をこなして見せた今田美桜にも喝采したく思えました。『ラストマン-全盲の捜査官-』で大活躍の彼女もそうですが、決意を秘めた役柄がキュートな顔立ちとアンバランスで逆に引き立つ感じがします。

 先述の通り、第一話・第五話・第二話にやや後味の悪さが残りますが、それでも全話を通して楽しめる作品だと思います。レビューに見られるように、いろいろな人々がその多様な価値観で思い入れを持ったり愉快に思ったりできる広がりを、5つの物語をオードブルのように盛り付けることで実現した佳作なのであろうと思えました。DVDが出るのなら勿論買いです。

追記:
 この作品を観て、画像記憶ができない私には、時々区別がつかなくなる俳優の組み合わせが多数存在することに思い至りました。以前、『恋は光』を観た際に、岸井ゆきのと西野七瀬が(静止画で見ると区別できるのですが)劇中で見ると区別しにくいと書いたことがあります。そのような組み合わせが結構あることに気づきました。
 今回のケースで…
◆岡山天音と青木柚
◆(先述の)岸井ゆきのと西野七瀬、さらに加えて時々さとうほなみ
です。
他にも、
●ネットでもよく書かれている趣里と古川琴音、
さらに…
●黒島結菜と松岡茉優
など、いろいろな役を映画やドラマでこなしているなかで、特にその役が比較的端役に近いと余計のこと、区別が困難になることがあるように感じています。
 幸いにして、ネットでもよく言われる「宮崎あおい・二階堂ふみ・山本舞香」の組み合わせは、二階堂ふみが各種の奇天烈な役をこなす作品に多数出てそれをコンプリートすべく多く観ていることや、先般TVerで毎週欠かさず見ていた『今日からヒットマン』で山本舞香をかなり印象付けたことなどで、間違いなく区別ができるようになったように思っています。