7月4日の封切からまだ3週間しか経っていず、日本と台湾の合同作で日本人では阿部寛・菜々緒が出演し、さらに、世の中で大流行のAI絡みの話やらFXの話やらがガッツリとテーマになっていて、それなりには事前のプロモーションもされていて話題になっていたように感じていたので、「まだ大丈夫だろう」と油断していました。「観たい作品ラッシュ」の今月に入って優先順位の高い順に観ていて、ふと気づいたら、この作品は全国でたった3館でしか上映していない状態になっていました。
都内ではたった1館、例の俄か老人虐めのバルト9です。それも1日たった1回の早朝枠しかありません。朝8時からの上映を観て来ました。今月7本目の劇場映画鑑賞です。
他の映画館は北海道函館市の1館で1日1回の上映です。もう1館は、私が嘗て通称武漢ウイルス禍で愚劣にも多くの映画館が自分の首を絞めることを平然とやり始めた際に、わざわざ新幹線に乗って『酔うと化け物になる父がつらい』の映画鑑賞に赴いた静岡県の三島駅からバスで行く映画館です。こちらも1日1回の上映しかしていません。なぜこのようなとんでもない不評状態になったのか全く分からず、今でも完全に謎が解けませんが、レビューを見る限り点数は総じて低く、概ね物語が薄いということとFXに関わる話が分かっている人間には突っ込みどころ満載と言うことの二点が主要因のようでした。私がチェックした時点で映画.comでの評価が2.2ですからかなり悪い方と言えるかと思います。
何が不評なのかのレビューをよく読みこんでみて、私もかなりの点で「まあ、そりゃそうだろうな」と理解し、観たい気持ちがかなりぐらつきましたが、この作品が一気に上映回数や上映館数を減らされ“劇場映画市場”のほんの片隅に追いやられてしまったもう一つの理由の状況もみてみたいと思って、敢えて、この超夜型人間の私が体調の調整までして6時半に起床して観に行くことにしたのでした。
この映画作品が超弩マイナーな立ち位置に追いやられた大きな理由は他に人気作が目白押しだからです。考えてみると私は最近続編の封切日が宣言された『M3GAN ミーガン』の際にも同じ現象を目の当たりにしましたが、今回はさらに極端です。バルト9の公開状況を見るとそれが一目瞭然です。私が先日観たばかりの『LUPIN THE IIIRD THE MOVIE 不死身の血族』も長澤まさみ主演の『ドールハウス』もどちらも封切から約1ヶ月程度で1日1回の上映に押しやられています。封切後2週間の大作『スーパーマン』でさえ1日2回です。
一方で、ダントツなのは『鬼滅の刃 無限城編 第一章 猗窩座再来』で色々な形式分類はあるものの、合計すると1日になんと20回も上映されています。(人気作では1日30回と言うような事例もあったように思いますので、寧ろ少ない方かもしれませんが…)
さらに私が全くその作品観を理解していない『KING OF PRISM-Your Endless Call-ルート1オバレ』が11回も上映しており、『ファンタスティック4:ファースト・ステップ』と、『仮面ライダーガヴ お菓子の家の侵略者』・『ナンバーワン戦隊ゴジュウジャー 復活のテガソード』のセット売り上映が各々1日7回です。どう見ても尋常ではない状況で、大混雑になっているものと思えました。嘗てのダイエーの中内功は社用車の移動中でも、街で行列を見つけると並んでみようとしたと言われていますが、(それほど徹底した習慣ではないものの)気持ちだけは同様に盛り上がった人気が形となってみることができる消費の場を傍観してみるのも悪くないと思えたことが、本作そのものへの関心以上の映画館に向かう動機として湧いてきたのでした。
つまり、FXとAIの話で当初関心を持ちましたが、それはレビューを読んでほぼ全く期待できないことが分かったにもかかわらず、映画館の状況を観に行くという点での動機がそれなりに強く残った形です。そしてそれに加えて、相対的にはかなり弱いものの、私がこの作品を観たいと一応思えた理由がさらにもう一つあります。それはすっぴんに近い菜々緒を観たいということでした。
最近私は多少菜々緒が気に入っています。2023年に観た『怪物の木こり』の感想にこのように書いています
[以下抜粋↓]
私がこの作品を観たいと思った動機は、単純に出演している菜々緒と吉岡里帆の二人を観るためです。一年程前に劇場で観た『七人の秘書 THE MOVIE』の記事で私はこう書いています。
「まず菜々緒です。会社系のドラマは仕事の参考になるかと観てみることにした『Missデビル 人事の悪魔・椿眞子』でいきなりハマりました。『女王の教室』の天海祐希のような態度の人事担当の女性をあの人形染みたスタイルで演じる菜々緒がかなり気に入りました。その後、少々コケティッシュな霞が関のお役人を演じた『インハンド』や殆ど『Missデビル…』と同様のキャラの編集者を演じている『オー!マイ・ボス!恋は別冊で』もDVDで観ました。やはり、あの人形染みた外観そのものや何をやっても決めポーズに見える様子がやたらに楽しくも思えます。さらに遡って、『週刊モーニング』でまあまあ原作コミックが楽しめた『主に泣いてます』の彼女や、弟子が三浦春馬が好きだというので、陰謀説盛んな「自殺」の後に何か観てみようと思って観た『ラスト・シンデレラ』(本来「・」ではなく、ハート。環境依存文字のため表記略)の彼女も観てみましたが、初期の頃のまだ幼さが残る風貌が現在とあまりに違い過ぎて、イマイチに感じました。
映画では『白ゆき姫殺人事件』、『神様はバリにいる』、『エイプリルフールズ』、『グラスホッパー』、『銀魂』、『マスカレード・ホテル』、『ヲタクに恋は難しい』、『地獄の花園』など、DVDで観たものも劇場で観たものも合わせると、私が好感を持っている作品群に多数出演していますが、如何せんすべて脇役で、強烈に印象に残っているのは、『銀魂』、『地獄の花園』ぐらいしかありません。どちらの菜々緒もアクション押しです。」
尺こそ短いものの、実は私の中で一番印象に残っている『Missデビル 人事の悪魔・椿眞子』でもアクション・シーンが存在します。また、アクションではありませんが、基本的にSかMで言うと圧倒的なSキャラなので、その意味ではアクション押しの『銀魂』や『地獄の花園』、『七人の秘書 THE MOVIE』の彼女演じるキャラとベクトル的にはそれなりに共通しています。その点で言うと、比較的最近の(つまり、デビュー当初の一群の作品ではない)準主役級の立ち位置のなかでは、『インハンド』のコケティッシュな官僚が私の中では一番親しみやすいキャラだったかもしれません。
そんな彼女の刑事役でもアクションのないプロファイラーとしての役柄を観てみたいと思ったのが、一番目の動機です。
監督の三池崇史はアクションの巨匠と言われ、彼が監督した劇場作品では本作の前は『妖怪大戦争 ガーディアンズ』です。アクションは勿論その演出において彼の独自のテイストがあるように私も理解していますが、どちらかというと、私には、『クローズ』シリーズ、『ヤッターマン』、『忍たま乱太郎』、『愛と誠』、『テラフォーマーズ』、『無限の住人』、『ジョジョの奇妙な冒険 ダイヤモンドは砕けない 第一章』など、コミックやアニメ原作作品の実写化を多く手掛けた監督という印象が強いように思います。
菜々緒は本作で監督とは既に『土竜の唄 香港狂騒曲』で一緒しているからやりやすいと言い、監督の方は「以前は鞭を振るうような役だったが、本作はちょっと違う」と言っています。まさにSっ気の少ない菜々緒の魅力が問われる配役だったという風に考えて良いでしょう。今回はMITで博士号まで取っているらしいインテリなので細いフレームの眼鏡までかけています。
[以上抜粋↑]
そしてその後、かなりハマっている『TOKYO MER…』シリーズでも主要な役割を演じていて、菜々緒の存在感はハンパありません。最初のテレビシリーズでは、第三話にして彼女を中心に描く物語が登場し、見せ場山盛りです。このような家族構成やプライベートの物語が登場するのは主人公以外では辛うじて後に副チーフと呼ばれる麻酔科医以外になく、漸く劇場版第一弾で官僚でもあり(TOKYO MER在籍時にはセカンドドクターだった)医師のプライベートが明かされています。
一方で菜々緒演じる看護師はテレビシリーズでも、トンネル内の崩落現場に主人公と二人で乗り込みますし、劇場版では爆薬を仕掛けられ大炎上・大爆発の横浜ランドマークタワーの展望室に取り残される役回りです。もうすぐ公開される劇場版第二弾では、何と主人公と共に指導役として新設された南海MERに派遣され、物語の中心に居続けています。(テレビシリーズ、テレビスペシャル版、劇場版第一弾、劇場版第二弾で見ると、唯一テレビスペシャル版でのみ他メンバーと同じぐらいの活躍度合・目立ち度合なだけです。)
ロケは災害現場や事故現場の場面が多く、医療用語てんこ盛りの台詞は覚えるのが困難で、おまけに殆ど吹替えや代役ナシの手術シーンの緊張感が尋常ではなく精神的にも負担が大きく、菜々緒はファンや医療関係者の激励や感謝のメッセージをたくさんいただいていなかったら、できれば断りたいぐらいの仕事と公言しているぐらいです。
このように私が(それなりに認識できるようになって以降)ドラマや映画で観てる菜々緒は、基本的に仕事がバリバリにデキる人間を演じることが多く、多少コケティッシュな役回りだった『インハンド』での役ぐらいが例外でした。そんな中で、メイクも薄く、主張もあまりないような今回の菜々緒の役回りはトレーラーで観た段階で際立っており、私はそれが観てみたいと思えたのでした。
映画館のあるマルイのビルに朝7時35分に着いてみると、1階のエレベータ前で既に観客整理員が一人居て、エレベータに現れた来館者を割り振っていました。それでも殆ど待つこともなくエレベータで9階に上がると、(人気作終了後のロビーに溢れ返るような人だかり程ではないにせよ)ロビーはごった返していました。多くの観客は既にチケットをネット予約しているようで、当日券の販売機は各々待ち行列が2、3人ぐらいで、これまた思いの外、混んでいませんでした。甚だしい混雑ぶりだったのは、コンセッションとグッズ売場で、特にグッズ売場の方はロビー内では列が収容しきれず、普段閉鎖されていて意識することがない開放された非常階段に延々と観客が並ぶようにされていました。私もパンフを買おうと並ぼうかと思いましたが、どう見ても100人は居るかと思われる列に並んでも上映前にパンフを買えそうにないようだったので断念しました。
この列に並び、グッズ売場に到達すると、売場を周遊し商品を手にしてレジにさらに並ぶことになります。一方でパンフレットだけを買いたい人間にはこのプロセスが全く無用ですので、パンフ購入のみの目的の来館者は別の列にすべきであるように私には思えました。映画を観てもしパンフが必要だということになれば、深夜にでも出直してくれば良いかと考えながらシアターに向かいました。(90分余の本編プラス予告などの時間を経た鑑賞後、グッズ売場の列は奇麗に解消されていました。レジ付近のボードを見ると、この作品のパンフは元々制作されていないとの告知がありました。日本・台湾合同作と言う、それなりには鳴物入り的な扱いなのにパンフがないのは奇妙に感じました。折角待ち行列が解消していて、喜び勇んでレジに向かったのに、糠喜びに終わりました。
バルト9ではやや小さめの130席余りのシアターには、最終的に15人ほどの観客がいました。男性の方が6割ぐらいで、概ね40代以上という感じに見えました。残る女性は30代から上に均等に分布している感じです。殆ど全員単独客で、50代ぐらいの男女2人連れが1組暗くなってから現れただけでした。
基本軸の流れは複雑ではなく、大きなどんでん返しも存在しない物語の概要は映画.comの紹介文にスルッとまとめられている通りです。
[以下抜粋↓]
ハッキングによる株価操作の罪で刑務所に収監された天才ハッカー・野原の前に、FXトレーダーの杏子が現れる。一方、サイバー大国・台湾の大企業幹部リンネは、野原の卓越した技術を利用してFX市場で巨額の利益を得ようともくろむ。その作戦は、金融市場の番人であるAIを騙すことだった。決行日は、日本に新天皇が誕生し金融機関が警戒を緩める2019年5月某日。杏子は野原に自らと同じ“共感覚”を感じ取り、計画をサポートすることを決意。かつての仲間たちも次々と呼び戻されるが……。
[以上抜粋↑]
観てみると、FXだのAIだの詳しい人間でもない私にさえ、かなり突っ込みどころだらけの作品で、細かな設定を全部無視して昭和の国際メロドラマ(というジャンルを適当に私がでっち上げただけですが…)を観ているような気分で見るしかないような作品でした。
FXだのAIが分からなくても普通に突っこめるポイントから挙げてみます。まずは劇の前半に登場する共感覚の設定がほとんど役に立っていないことです。合計するとまあまあの尺を割いて、ことあるごとに数字に色が結び付けられる共感覚の状態が説明されていて、それを阿部寛も菜々緒も持っている設定になっています。これだけ強調した設定は何の役に立っているかというと、この二人が知り合うきっかけになったというだけの話でした。あとは市場動向を示すチャートを観る際に、ローソク足の色の識別をする際に二人ともそれが数字のイメージで捉えられるという事実がありますが、それが何か二人に有利な状況を導いているというほどのことではありません。
登場している舞台は世界に散らばっていて如何にも国際的な展開をしているのに、相場操作を仕掛けるのは日本の元号が平成から令和に変わるタイミングだと言っています。言いたいことは分かるのですが、日本市場の重みが全世界においてそれほど大きくないことはまあまあ知られたことではないかと思えます。イスラム圏のAIを騙すためにはイスラム圏の人々の価値判断をフェイク出来るようにならねばならないというほどに世界規模の相場操作なのに、タイミングを選定する根拠が日本の元号変更というのが、イマイチ説得力を欠くように感じます。
他にも阿部寛はキーボードを叩けなくなったと掌に障碍があることを繰り返し述べます。彼が逮捕された際に刑務所に収監される際の検査で警棒で叩かれたことが原因であると分かるよう、劇中でもその場面がきちんと登場します。しかし、その打撃は一撃のみです。仮にそれで骨折したのだとしても、きちんと治療すれば指が満足に動かないほどの障害が残るようには思えません。刑務所の中だからきちんと治療されなかったというのなら、重大な人権侵害です。それを訴え出るだけで、国民年金の数倍か十数倍の補償が貰えそうな気がします。手の障害のせいで仕事ができないのではなく、単に後述するオフラインの地味な仕事や、仮にオンラインであっても派手さがない商売をする気にならないというだけのことのように思えます。いずれにせよ、警棒一撃で片手の指が殆ど動かなくなるような障害が刑務所で発生するという事実が引っ掛かるのです。
さらにFXだのAIだの辺りは、詳しくない私でも「ん。本当かな?」と疑問が湧く場面が結構あります。DVDで観て検証してみた方が良いようなこともありますが、映画.comのレビューにもほぼ同意見が見つかりますので、おかしな状態になっている可能性はそれなりに高いものと思います。たとえば以下のような事柄です。
▲FXは為替レートの変化を予想して儲けようとするものだと思いますが、劇中の相場操作の場面で、円安と円高が逆になっているように見えました。
▲チャートのローソク足を凝視して、絶妙な売り買いのタイミングを計っている場面がありますが、普通に考えてそのようなアバウトなグラフではなく、実際の数値を見て決めるものではないかと思えます。
▲阿部寛のキャラがUSBに入れたプログラムを過去に自分を裏切った今回の依頼主の女性に渡すのですが、彼はプログラムによりPCの時間を10秒遅らせて彼女が正しいタイミングで売買をできないようにします。発想は分かるのですが、ローカルのPCかネットワーク・サーバの時計を狂わせるのが精一杯だと考えられます。それに対してチャートに現れるのは全世界共通の仕組みの筈ですから、そちらをハッキングして狂わせるとかしなくてはならないような気がします。
▲AIを騙すというのも、AIに対して相場が変動するような世界のニュースを流すと、AIがその内容を理解して瞬時に売買の反応をし始めるということになっています。ニュースの内容を読解してそれにどのようなパターンの反応をするかまで、きっちりAIの動きと言うことになっているのです。そんなところまで令和元年に進んでいたのか私は分かりませんが、私の想像ではそうしたニュースに人間のトレーダーがワッと反応して、そのような動きをAIが察知してミリセカンドとかのレベルで反応するということではないかと思えます。ニュースを読解して売買の判断を下すというレベルにこうしたAIが至っていたのか疑問です。
▲劇中でハワイから日本へ今日中に送金せよと言った場面が発生します。ハワイの元金融業界のIT担当職経験者のふくよかな白人男性が「最低でも数日かかる」とか「何とか頑張って明日だ」のようなことを言っています。暗号通貨を買って送金するのは(私はやったことがありませんが)簡単にできそうな気がしますが、劇中ではかなり大きな問題になっています。
▲劇中の令和への元号変更の時代から遡って、阿部寛のキャラが例の裏切り台湾人女の通報によって逮捕されたのは2014年のようです。「その頃にはネットの法律がないので、厳密には犯罪ではない」と説明されていますが、(これも私は詳しくありませんが)多分、企業のシステムを外部からハッキングしたということのようですから、当時でも有罪になるような行為ではないかと思えます。
劇中でカギとなるような部分に、次々と「ん?」となるような要素が鏤められているので、なかなか落ち着いて鑑賞することができません。それでも、サラッとお目当ての菜々緒の自己主張が少なく仕事がバリバリデキる訳でもない珍しい役柄を「おおっ」と鑑賞することぐらいはできました。『…南海ミッション』の前に観ておいて、菜々緒の見比べができるようになれたのは良かったと思います。
あと、色々と疑問が湧き、集中を削がれる作品でしたが、一つ、考えさせられるポイントがありました。多額の報酬をせしめたイラン人のハッカーが先述のBMI値がかなりヤバそうな白人SEに「これからはオフラインで生きろ」という場面があります。既に彼はハワイの家で要介護状態の母と二人暮らしで、何かの生業を「オフライン」で持っているように見えます。
イラン人の言う「オフラインで生きろ」は、「オンラインで大きな仕事ででっかく設けたりするような仕事をお前はもうできない。だから、地味に地を這うような(/砂を噛むような)生活をして暮らせ」という主旨であるようです。確かにFIREを目指す人々などの最も理想的な億り人へのなり方は、各種の危うい投資に勝ち続けることでしょう。原資を稼ぐこともそこそこに、10万円だの100万円だのから億単位のカネが毎月振り込まれるようになった…だのという話はFB(Facebook)などにも溢れ返っています。
そうした夢想の世界ではなく、現実問題として、ベンチャー企業を立ち上げてIPOで儲けたらあっさりとその会社を売り払い、シンガポールやドバイなどでコンサルタントやYouTuberと称する立場になるような人々を私も(直接ではなく間接的にですが)かなり多数知っています。こうした人々はでき上がった資本を動かすことだけで馬鹿げた額の稼ぎを作り続けながら、何か積極的な社会への貢献をすることなく人生を過ごします。
日本にユニコーン企業だのAI系の巨大ITベンチャーが育たないのはなぜかという疑問をよく聞きます。多分主要な理由は、そうした企業に巨額を注ぎ込んでも、私達がコンビニの募金箱に100円入れたぐらいの気分にしかならないような金持ちが国内にはあまり存在せず、存在していてもそのような企業にポンと投資して相応に経営に口も出すと言ったことをしないからであると思われます。
億り人になって、そうした事業に関わる投資もせず、ただ資産額の桁を上げることは、投資を通じて社会に貢献するという側面は微かにあるケースもあるでしょうが、多くは投機とか博打の域の行為であろうかと思います。清貧とか勤勉といった価値は、こうした人々にどのように映るのか疑問です。そうした格差や乖離をどのように考えるべきなのか、この劇中のイラン人の発言はそうした疑問を惹起させます。
文房具の中堅オーナー企業があり、そこの二代目社長を私は知っています。創業社長は大学を出ることもなく苦労して会社を立上げ大きくし、全国にビジネスを広げました。単に文房具に留まらず、その製造ノウハウを応用して各種の生産財などにも製品ラインアップを押し広げるイノベーションも連発しました。彼は息子を慶應の幼稚舎からの筋金入り慶應御坊ちゃまに育てたら、彼は米国の有名証券会社に入り米国の事務所に赴任しました。時はバブル経済真っ只中で、エンターキー一発で数億、数十億を稼ぐような仕事をし続けていました。そして、時が来て帰国して製造業の社長に就任することになったのでした。私が会社見学をお願いしたところ、古株の明らかにやり手の幹部数人が案内してくれましたが、既に40代後半の後継者を「坊ちゃん」と呼び、完全に蚊帳の外扱いでした。
後継者が会社見学後の私に言った台詞が忘れられません。「こんな古臭いビジネスの古臭い会社はもうもたないと思うんだ。製造の工夫を散々チマチマと重ねて、何十銭儲けられるようになったとか言っているような商売は馬鹿げている」。彼には日本企業から世界の優秀企業が模倣しようとした製造現場のカイゼンなどの概念が全く理解できなかったのではないかと思われます。劇中のイラン人の台詞で閃くように思いだしたのはこの文房具会社の後継者の「思考」でした。
ネットが普及し、モニタ画面を睨んで誰もがカネを右から左に動かすだけで食っていこうとした時、だれが「実業」を行なうのか。遥か以前、経営において、「Who makes the shoes?」という問いと共に掲げられた疑問です。2003年の私の経営コラムの号にその問いが登場します。
[以下引用↓]
(2003.12.10発行)
その93:心の在り処
「一体いつになったら、僕は引退できますかね」と40にもならない創業社長
が言う。
彼はその強い個性で転職するたびに人脈を広げ、独立してから三年間、会社
の売上は毎年倍増してきた。彼は米国でもがむしゃらに働き、席を並べ同じよ
うに稼ぐ人々が、いつか自分で汗しない身分になっていくのを見続けてきた。
自分で起こした事業の4年目。雇っても雇っても、彼を乗り越えるような営業
マンは育たない。いつも結局彼が出向かないと決まるものも決まらない。
「この仕事って、僕が食うために走り回った成り行きの結果じゃないですか。
この仕事はただ日常の積み重ねでしかないんですよ。もっと拘ってやれる仕事
の会社を作ってみたいんです」
別の日には、老舗企業の四代目の社長が、「親父の介護とかもしたいので、
俺が出てこなくても会社がまわるようにして欲しい。その方法が勉強会ならそ
れでもいい。そういうような会社を他に知っているか。社長が目を光らせてい
なくても、勝手に回る会社の事例を知っていたら教えてくれ」などと言いだす。
会社設立当初の社長、先代から会社を譲り受ける前後の社長。このような人
々から事業企画のお仕事を戴く際に、空欄だらけの「事業コンセプトチャート」
なるものを手渡して、書き込みを行なってもらうことがある。頭に思い描いて
いた会社イメージのぶれや矛盾を顕わにするためである。それを確定させなく
てはそら恐ろしくて、仕事を落ち着いて受注できない。経営者の事業への思い
入れが中小零細企業経営の根幹にあると私は思っている。そうでなくては、誰
が家や土地を担保に会社など始めるだろう。中小零細企業は、オーナー社長に
とって、自分の人生の投影であるような、そして我が子であるような存在では
なかったか。
少し前、「国民総デイトレーダー化」の如く米国の現状を特集するテレビ番
組を見た。国民全員が株の売買で生計を立てられる時、誰がその株を発行する
会社にいて働いているのか。その状況を揶揄して、Who makes the shoes? と
いう言葉も流行したと言う。誰かが苦労して靴を作らねば、靴屋の株は紙くず
になるだろう。株主も社長も情熱を持ち得ない会社。そんな会社に、MBOが
可能なほどの、借金を背負ってでも会社を引き受けたくなるほどの心有る社員
を作り上げる方法を、仕方なく研究し始めている。
[以上引用↑]
多分、今回の為替操作で大儲けした阿部寛と菜々緒は、靴を作るオフラインの生活に入ることはないのではないかと、エンディングの二人の他愛無い会話を聞いて思えました。そこには苦労して稼ぐような気配が全くなかったのです。微妙な映画です。菜々緒の存在故に、私にとって全くイミフでタイトルからして無意味な『AI崩壊』より辛うじて評価できる程度の作品です。突っ込みどころ満載過ぎて、確かにレビューが悪くなるのも納得できます。ただ、地味な菜々緒の動画コンテンツとして観たとき、そのレアさから、本当にギリギリですがDVDは買いかなと思われます。