とうとうこの劇場映画鑑賞感想記事も600本目の作品に到達しました。(記事のエントリー数では602本目ですが、同じ作品を二度見ているケースが過去に二回あるので、作品としては600本目です。)
5月23日の封切から1ヶ月弱。土曜日の夜10時20分の回をバルト9で観て来ました。1日1回の上映です。23区内では主要駅で映画館で上映がされており、新宿も池袋と並んで1駅2館が上映をしていますが、映画.comの上映館リストで見る限り、どこも1日1回の上映に留まっており、
本作と『サブスタンス』、『かくかくしかじか』は観ようと思っているうちに急激に上映回数を減らしてしまって、月末で日中のアポが混んできた状態では、かなり観ることが困難になって来てしまっています。そんな中でどうしても逃したくなかった1本が本作です。
私は自分が所謂『ジョジョの奇妙な冒険』シリーズのファン一人だと思います。聖地巡礼をしたり、コミックの全キャラの台詞を暗唱したり、アニメも小説も全部網羅して知っているというほどのコアなファンでは全くありませんが、『ジョジョの奇妙な冒険』シリーズファンのヒエラルキー(全く無知識の人々を底辺として全人類を分類したヒエラルキーです。)があるとしたら、私はトップ30%ぐらいには入っているのではないかと思えます。そのファンである程合いは、『ジョジョの奇妙な冒険 ダイヤモンドは砕けない 第一章』と『岸辺露伴 ルーヴルへ行く』の2本の感想で大分書いたので割愛しようと思いますが、今回の上映前のメディア・ミクスに関しても、コミック最新巻(『岸辺露伴は動かない』第3巻)も購入し、『JOJO magazine』最新刊(2025 SUMMER)も購入して鑑賞に臨みました。一応のファンとして、この作品の鑑賞を逃す訳には行きませんでした。
チケットを買おうと券売機の画面を見ると、シニア枠が65歳以上になっており、まだアラカンの私は一般枠になることが分かりました。他の映画館でもそうであるのか確かめたいと思いますが、久々に映画1本に2000円を支払うことになりました。シニア扱いから61にして一般に戻りました。
後ろから三列目の端の方の席でもスクリーンがかなり迫って見える狭い急な傾斜のシアターで観客は全部で20人弱でした。2人連れが4組ほど居て、男性2人連れが1組と男女の組み合わせが3組居たように見えました。男女構成比はほぼ半々で、年齢層は20代後半から40代前半ぐらいが中心層で、私と同じかさらに高齢な観客は非常に限られていました。
かなり人気と言われていましたが、終電に多少引っ掛かる時間枠とは言え、1ヶ月を経ずに週末にこの程度の集客状況になっているので、リピーターがそれほどできるのでもなく上映期間は終ろうとしているのだと考えられそうです。
ネットのニュースでは夫婦共演などとよく書かれています。1ヶ月近くのイタリア・ロケでは夫婦でどのように過ごしていたのか分かりませんが、今回の二人は居る街は一緒でも意外に二人セットの場面が少ないので、世の中で言われるほど共演感はありません。
飯豊まりえは『岸辺露伴 ルーヴルへ行く』以降この作品を観るまでに、TVerで『オクトー Season2』に出演しているのを観ました。言葉少なで少々自閉症気味と言っても良いような捜査官の役回りですが、言葉が少ない分、微妙な言動や表情変化などでの表現が重視される状況で、やや無理があったように感じています。さらに『岸辺露伴 ルーヴルへ行く』や一連の『岸辺露伴は動かない』のテレビドラマ・シリーズと異なり、主役だけに彼女の表情アップが多く、往年のともさかりえよりやや酷くない程度の左右非対称の顔が非常に目立ちます。静止画像や遠景の動画ならそれが目立たないのでしょうが、アップの動画ではそれがより目立つように感じました。
井浦新が夫婦二人に次ぐぐらいの位置にいますが、私はこの男優をTVerで菜々緒見たさに何話か見た『無能の鷹』で初めて認識しました。ウィキで彼の出演作のリストを見て、「そう言えば『福田村事件』の田中麗奈の旦那で主役だったな」とか、「げ『空気人形』のあの男か」とか色々気づきました。何となくベースがぼんやりした人という印象でしたが、TVerで数話だけ見た『アンナチュラル』ではかなり気合の入った人の役で、印象の幅が広がったというよりも、違和感が湧くという感じに思えました。私が若い頃に見てかなり衝撃を受けた『トルソ』にも出演していると井浦新のウィキには書かれていますが、『トルソ』側のウィキでは彼の名前は書かれていませんでした。かなり端役だったのでしょう。今回の作品では以前の印象のぼんやり系で、さらに思い詰め系なので、しっくりくる感じです。
ボリュームがそこそこあるインタビューが『JOJO magazine』に載っています。以前の『岸辺露伴 ルーヴルへ行く』の感想記事で高橋一生が物凄いマニアックな岸辺露伴ファンだと知ったことを書いていますが、井浦新は『ジョジョの奇妙な冒険』シリーズ全般のかなりマニアックなファンで、「人から気持ち悪がられるほど好き」と発言しています。以前『メンズノンノ』のモデル時代に編集部からどんな人と対談したいかと問われて、「荒木飛呂彦先生と対談させてもらいたいです」とずっと一択だったと書かれています。
呪われた井浦新の呪いを引き継ぐ娘役は玉城ティナが演じています。以前DVDで観た『わたしに××しなさい!』が多少記憶に残っているぐらいで、あまり印象に残っていません。辛うじて『ホリック xxxHOLiC』に出ていたのと、私が結構気に入った『零落』の主人公が昔付き合っていた女性(猫顔の少女)の役ぐらいです。今回はかなり目立ちます。父の代からの呪いを背負っても淡々と生きている落ち着いた人格で、派手な場面もあまりありませんが、露出度合いで見たら井浦新以上かもしれません。寧ろ立っているだけで存在感が放射されるような今回の役はモデルである彼女に合っているように思われます。
私が今後彼女について最初に思い出す代表作は本作になるのではないかと思えます。ただ、スクリーンで観ると(『零落』でも猫顔の役ですが)やたらに丸顔が目立ちます。おまけに目も大きく丸いので、顔の見栄えが異様なぐらいに際立っています。
自分で顔を見てもメイクが激しくて自分に見えなかったとパンフレットで語っている戸次重幸は、本当に全然分からないレベルで、私もパンフを見て初めて彼だと驚きとともに認識しました。私は北海道育ちですが、TEAM NACSは全く知らずに過ごして来て、『水曜どうでしょう』なども東京などでよくファンだという人物に会いますが、私は全く関心も持てず、全く観たこともありません。当然、TEAM NACSに属しているらしき人々も、バラで徐々に認識して行きました。大泉洋は何となく北海道でテレビを観ていたらたまに現れる人ぐらいの印象で長年過ごし、YOSAKOIソーラン祭りの際に大通りでナマの本人を見かけたこともあります。『アフタースクール』で初めて、「ああ映画にも出るんだ」ぐらいの認識をし、それ以降色々な作品で観るようになりました。
次が安田顕ですが、当初は『女子ーズ』と『映画 ビリギャル』の2本の映画でねちねちと有村架純に嫌がらせを言う人物として最初に記憶されました。『映画 ビリギャル』の感想の追記には以下のように書いています。
[以下抜粋↓]
追記2:
パンフレットをよくよく読み返してみると、「さやかちゃん」をクズと呼び続け、机に突っ伏して寝ている「さやかちゃん」の髪を鷲掴みにして引き起こし、最後には校庭で全裸にされる学校教師の役の安田顕という俳優は『女子ーズ』でまさに劇団員のグリーンに「森の木B」を宛がった演出家も演じていました。因縁の二人…と見ると笑えます。
[以上抜粋↑]
御覧の通り、この時点でも名前さえ認識していません。その後、『SPEC』シリーズで認識できるようになり、DVDで観た中では『勇者ヨシヒコと魔王の城』でチンポジの気になる山賊や『アリバイ崩し承ります』の警察の管理官、TVerで観て気に入りましたがDVD化は絶望的な『セクシー田中さん』のペルシャ料理屋主人、映画作品なら『愛しのアイリーン』、『ザ・ファブル』シリーズや『朽ちないサクラ』などで演技に味があることを認識し、好ましく感じるようになりました。
音尾琢真に至っては一昨年『どうする家康』を観るまで全く知らず、その時にウィキを見て、初めてTEAM NACSがこれらの人々をつないでいる“グループ”であることをまあまあ認識しました。それ以降、『アンチヒーロー』や『風よ あらしよ 劇場版』で辛うじて認識できましたが、その程度に留まっています。
そして、TEAM NACSという言葉というか概念を認識しても尚、個人を認識するに至らなかったのがこの戸次重幸です。TVerで観て結構楽しんでいた『GO HOME~警視庁身元不明人相談室~』でかなり重要な役回りで非常に印象に残りました。けれども現状それだけの状態でした。パンフレットで彼の名前をドアップの呪いのホームレスの下に見出した時、「げ。これゴーホームの人か」と驚愕しました。本作では呪われた少女の舌に浮かび出る顔を演じたり、怨霊となって二人の人間に次々と憑き纏ったりと大活躍でしたが、あまりに通常とイメージが異なり過ぎるので、これからも彼は当分私の中では「ゴーホームの人」であり続けると思います。
原作の物語は、構造は複雑でも短編ですから、他の『岸辺露伴は動かない』作品同様に短く、110分の尺の映画にどのように盛るのかと思っていたら、原作では幼いままで話が終わる娘を後半の中心人物に立てて、娘が露伴の知略を得て父親から続く呪いに対峙する物語になっていました。さらにヴェネツィアが舞台ではあるものの、原作にはなかったヴェネツィアの仮面の話が盛り込まれたり、イタリアオペラの名作を物語のカギとして配置したりなど無理なく重厚な物語に仕上がっています。『岸辺露伴 ルーヴルへ行く』に比べて、原作の話の構造が単純なので、よく言えば分かり易く、悪く言えば荒木飛呂彦作品にしてはやや捻りが少ない物語になっているような気がします。
それでも、原作に比して、娘が呪いで死んだと知った父親が娘の死を悲しむより自分が呪いから解放されたことを喜んでいる姿を見た岸辺露伴の複雑な表情など、かなり厚みのある物語表現が企図されていることが分かります。その後、露伴の仕掛けた芝居によって娘は実際に生きていることが分かり、結果的に呪いは父にかかり直すような状態になってしまっています。それを露伴は(ここでは)原作同様に「この男は今後どうなってしまうのだろうか」とぼんやりと想像して物語は終わるのでした。
原作では話の中心で、映画では前半のクライマックスのポップコーン試練の場面は、客観的に見れば馬鹿げた“対決”であるのですが、原作にかなり忠実に撮影されていて、この実写『岸辺露伴』シリーズのいつものことながら、原作への強い思い入れが見て取れます。考えてみると、負けず嫌いでプライドが高く挑発には乗るタイプの岸辺露伴関係の物語でこうした対決は多く(今回は露伴本人がポップコーン試練を受けている訳ではありませんが)ジャンケン対決に命を賭けたり、チンチロリン対決の最中に家を半焼させたりしています。こうした露伴の高いプライドの様子が、「だが断る」や「この岸辺露伴をなめるなよ」などの名言を作っているのは間違いありません。今回はそれらの定番の台詞は登場していませんが、「ここまで舐められたのは久しぶりだ」と呪いへの対決に敢然と立ち上がる場面があります。
因みにパンフレットを読み込むと、このクライマックスのポップコーンのシーンは撮影に2日を要したとあり、1日目でポップコーン3投のうちの第2投までが撮影できたと書かれています。重要な脇役である大量の鳩も自然に寄って来ているとのことで、シナリオに沿った場面を偶然を重ねて集めるのに、2日を要しただけで済んだ方が不思議であるようにさえ思われます。このシーンが終わった際にポップコーン試練を受けた男を演じた大東駿介という男優はまるで撮影全部が終了したかのように疲労困憊し、周囲の制作陣や他の俳優陣まで歓喜と安堵を重ねたようです。
出演者に関して言うと、シリーズ中、いつもの冒頭の二人が出て来ない初めての作品ではないかと思われます。この二人については『岸辺露伴 ルーヴルへ行く』の感想記事の中で以下のように書いています。
[以下抜粋↓]
さらにテレビドラマとテイストの共通化は隅々に行き渡って行なわれており、DVD全三巻の各々の冒頭で(岸辺露伴のスタンド能力を説明するために)必ず岸辺露伴によって本にされる(同じ俳優の二人によって演じられている)二人組が登場するのが、映画でも全く同じ役者二人による同じ展開となっています。
[以上抜粋↑]
この二人が登場しなかったのが残念ではあります。(舞台がイタリアになって、同様な扱いを受けるイタリア人二人組は登場します。)
いつもながらの服装のデザインにはその手のセンスが殆どない私にも素晴らしいものと感じます。露伴は黒がベースでコートは売っていたら買いたくなるようなゴシック系のデザインです。いつも露伴と対照的で派手な出で立ちな飯豊まりえ演じる編集者泉京香はこれまたファッション・モデルような(と言っても、元々彼女はファッション・モデルですが)出で立ちの連続です。際立つのは。美しい天井画や壁画があしらわれた教会での晴れがましい結婚式の場に現れた彼女はガッツリ黒で身を固めていることでした。登場時のショッキング・ピンクの出で立ちから白へ黒へと遷移するセンスには嘆息させられます。
それにしても、原作シリーズには当初『富豪村』にしか登場せず、今回の『懺悔室』の原作にも登場しない泉京香はどんどんその存在感を増しています。今回の映画の封切と並行して出版された『岸辺露伴は動かない』3巻でも『ホットサマーマーサ』、『ドリッピング画法』、『ブルスケッタ』の3作に登場し、『ホットサマーマーサ』では原画に手を加えるという辣腕を発揮している上に、敵(と言えるかと思いますが)の女性の嫉妬を受けて、命を落とす寸前まで追い込まれています。元々コミック1巻の『富豪村』に彼女が登場した際に、荒木飛呂彦はコミックの各話に配されたコメントで…
[以下全文↓]
この『富豪村』の大きな収穫は、登場する女性編集者=泉京香のキャラクター。この女性に対し、ムカつきながら描きました。でもキャラとしては大好きで傑作の出来と自負します。
名誉のために言っておきますが、モデルは僕のまわりの編集部にはどこにも存在いたしません。本当です。怖くて言い訳しているのではありません。
[以上全文↑]
と言っていますので、作者拘りのキャラな訳ですが、その割には『富豪村』以降大分登場することがありませんでした。しかし、映画の飯豊まりえが表現した泉京香の存在感に原作者荒木飛呂彦も心を動かされたようで、『岸辺露伴は動かない』3巻のカバー折り込み部分に「また実写ドラマや映画化の影響も逆にあって、泉京香さんのキャラに結構愛情を注いで描いています。」と書いているぐらいです。
本作でも泉京香はかなり活躍しています。前半と後半で呪いが異なり、前半は告解する男の過去の話で男の幸せの絶頂で命が奪われるというものでしたが、後半は男の娘の幸せの絶頂で男に最大の絶望を与えるという内容でした。玉城ティナ演じる娘が幸せな結婚をすることになり、男は自分が死ぬものと考えて、それを回避しようと結婚に反対し、結婚式を邪魔したり、相手の男の暗殺を企てたりします。しかし、その話を露伴から聞いた泉京香は、「絶望を与えるというなら、殺さないんじゃないですか。寧ろ生かしておいて他の方法で絶望させないと…。私だったらそうします」といきなり喝破します。そして、その構図が露伴と泉京香が二人で鑑賞したオペラでも再現され、露伴はその構造を確信し、男ではなく結婚する当人の娘の方が命を落とすものと見抜くのでした。
ジョジョ・シリーズでは、というよりも荒木飛呂彦作品全般では、こうした細かな設定を読み取ることが当たり前なので、前半の呪いを躱した後の男が、後半の呪いでも自分の命が狙われるという(元々原作に明確に存在しない)設定自体に少々無理があり、それに露伴が気付かないこと自体がおかしい気もしますが、少なくとも、露伴は終盤で泉京香に彼女の指摘への感謝を述べていますから、一応、大活躍と言えるかと思います。
また、彼女は発話するときこそ片言ですが、多くの会話の場面で自分は日本語を話し、相手はイタリア語を話している状態でコミュニケーションをこなしています。露伴はヘブンズ・ドアーで自身に「●●語を話せる」と書き込めば何語でもいきなり話せるようになりますが、劇中で露伴がこの能力を泉京香に施した場面は存在しません。終盤、すべてが終わりイタリアを去る直前、露伴が泉京香に「泉君、君はイタリア語が分かるのかい」と尋ねると、彼女は「いいえ。全然」とあっさりと答えています。これは露伴が実は彼女にも書き込みを行なっていたことを彼女が意識していたのかを尋ねたということかもしれませんし、『岸辺露伴 ルーブルに行く』の際も敵の呪いの能力に抵抗力を持っていたことなどが明らかになっている彼女ですので、何らかの意思疎通のコントロール能力を持っているということを指示しているのか、よく分からないままです。
ただ、いずれにしても、原作コミックでは登場頻度が増え、剛腕編集者としての一面を発揮し始めた彼女ですが、テレビシリーズから映画へと続くドラマ版では殆どの回に登場して、露伴の助手的なポジションを占め始めています。最新作ドラマ『密漁海岸』でも、トニオ・トラサルディー(ネットなどの表記では末尾の音引きがありませんが、原作コミックでは音引きがあるので、それに従った表記にしています。)の料理を食べて異常に大量の涙を流す(CGナシだとウィキにありますが)特撮シーンなどがあり、原作では登場編以降はほぼギャグ・キャラの虹村億康がこなした役回りを実写でガッツリこなして見せてくれるほどの成長を遂げています。現状の映画2作は勿論、今後のテレビドラマ版でも、彼女の存在が物語の主軸を支えるモノになっていくことは、喜ばしいことだと思っています。
先述の通り、荒木飛呂彦作品全般に比して、そして、先行劇場公開作『岸辺露伴 ルーブルに行く』に比して、やや捻りがないようにも思えますが、井浦新を始め俳優陣の中の『ジョジョの奇妙な冒険』シリーズファンが第五部のギアッチョの追跡シーンまで聖地巡礼したという歴史あるヴェネツィアの光と影が際立つ街並みを存分に盛り込んだ本作は十分鑑賞の価値がある作品でした。DVDは出れば勿論買いです。
追記:
本作の上映前のトレーラーで『BAD GENIUS バッド・ジーニアス』と『キャンドルスティック』を観ました。前者は映画.comの今後の公開作品を見た際にはあまり関心が湧きませんでしたが、少々観たくなりました。後者は元々AI的なネタの映画には(『AI崩壊』のようなイミフな作品もありますが)一応時節柄関心があり、さらに菜々緒見たさもあるので劇場に行ってしまうかと思います。
追記2:
『JOJO magazine』では書籍の初版購入特典でアシンメトリーシャツというシルエット風に第五部の暗殺チームや岸辺露伴がプリントされたシャツの購入を申し込めるようになっています。第五部は好きですが、暗殺チームの面々全部が好きな訳でもなく、コミックでの岸辺露伴は単体で見ると『ジョジョの奇妙な冒険』シリーズの中ですごく好きな訳ではなく、悩み所ではあります。
追記3:
原作者の荒木飛呂彦は映画の物語構成の追加的変更には非常に柔軟だったようですが、画像表現についてはかなりこだわりがあったとパンフに紹介されています。ポップコーン試練に敗れた男は、原作ではまるで『オーメン』の一シーンのようにいきなり首が飛びますが、本作では現場からかなり逃げた上で、狭い道で荷車と擦れ違った際に「スコップの歯かノコギリで」腹を切られて死んでしまいます。所謂ゴア作品における切り株シーンを排除するまではOKでも代替案には荒木飛呂彦が自分でイラストを描いて、その脇に「スコップの歯かノコギリで」とコメントを書き入れて指示をしたと『JOJO magazine』にはそのイラスト入りで説明されています。
同様に少女の舌に現れるホームレスの悪霊はコミック通りの演出ですが、巨大な舌を作ってその中に戸次重幸が顔を入れて台詞を語る撮影をしたと説明されています。荒木飛呂彦のそのような拘りは、鑑賞前に『JOJO magazine』を熟読すれば分かったはずですが、怠ってしまったので、DVDでその場面を見返さなくてはならないと思っています。
※関連作品過去記事リンク:
『ジョジョの奇妙な冒険 ダイヤモンドは砕けない 第一章』
『岸辺露伴 ルーヴルへ行く』