9月12日の封切から既にまるまる2週間以上経った、10月最初の木曜日に池袋の南口にある映画館で観て来ました。午後6時25分の回です。1日2回の上映です。新宿でも上映されていますが、1日1回しかない上映は午前中の時間帯で夜型人間の私には辛過ぎたので、池袋に足を伸ばすことになったのでした。上映館数は非常に限られている作品です。都内ではたった5館。全国でも26館しかありませんが、そのうち6館が地元沖縄県下の映画館ですから、引き算すると、東京都と沖縄県以外では15館しかないことになります。
この館は2018年に『ありえなさ過ぎる女 ~被告人よしえ~』と『イマジネーションゲーム』を観て以来来ていませんでしたが、リフォームされたのか、以前よりかなりイメージが明るくなって、スタッフも若返っているように見えました。
名作と鳴り物入りのプロモーションが展開されていて、地元では大盛り上がりと報道されている沖縄が舞台の物語『宝島』は9月19日封切の191分の大作ながら、全国で378物数に昇る映画館で上映されていますが、かなり大コケと言われています。そして地元では大盛り上がりの筈が、沖縄県下ではこの作品よりも少ない5館でしか上映されていません。(9月29日段階で『製作費25億円『宝島』、妻夫木聡主演の超大作も上映数激減の“爆死”報道…監督の“SNSウザ絡み”にも批判』というネット記事まで登場しているぐらいです。)
この作品についての映画.comの紹介文は以下のように書かれています。
[以下引用↓]
南大東島で育つサトウキビを使ったラム酒作りに挑戦し、契約社員から社長になった女性の実話をもとに、人気作家の原田マハが執筆した小説「風のマジム」を、伊藤沙莉主演で映画化。
那覇で豆腐店を営む祖母カマルと母サヨ子と暮らす伊波まじむ。祖母がつけた「まじむ」という名は、沖縄の方言で「真心」を意味する。ある時、祖母とともに通うバーでラム酒の魅力に惹かれ、その原料がサトウキビだと知ったまじむは、契約社員として働く通信会社「琉球アイコム」の社内ベンチャーコンクールに、南大東島産サトウキビを原料としたラム酒製造の企画を応募する。やがてその企画は、家族や会社、南大東島の島民をも巻き込む一大プロジェクトへと発展していく。
主人公まじむ役を伊藤が演じるほか、まじむの祖母役を高畑淳子、母役を富田靖子、まじむが通うバーのバーテンダー役を染谷将太がそれぞれ演じる。監督は広告やショートフィルムを手がけ、本作が映画初監督作となる芳賀薫。
[以上引用↑]
私がこの作品を観てみようと思い立ったのには、幾つかの理由があります。一つは商売柄、地方創生的な話に関心が湧いたからです。地方創生はいろいろと歪んだ状況になっていると私は感じています。中央のオカミがいろいろと助成を用意しても、地方行政が言わば「笛吹けど踊らず」的な状態になっていたり、一方で「ふるさと納税」が奨励されたり問題視されたりで紆余曲折を経たりしています。では地方行政任せで上手く行っているかというと、多くは勘違い的なプロジェクトや的外れな地域興しといった話で、そこへその分野の専門家と称するコンサルタントが報酬目当てだけで到底持続可能とは思えない施策をプロデュースしに現れたりするなどの話さえよく聞きます。(現実に、映画でも『レディ加賀』の前半はそう言った話に終始していますし、書籍でも『過疎ビジネス』というほぼまんまのタイトルの本が出版されているぐらいです。)
地方創生に絡んで、地方行政の最大の課題は人口流出と高齢化で、例えば石川県などの被災地などではそこでの生活の再建に見切りをつける人々が全年齢層に亘って存在し、急激な人口減少を招いていると、比較的最近中小企業診断士の資格更新研修で聞かされたばかりですし、それ以外の特に何かの被災のない地域でさえ、若者、特に若い女性が流出し、「人口減少は若い女性達が地域にいつかないせいである」といったテーマが、ジェンダー的な話も絡めてよく議論されていたりします。
地域的な人口減少対策で人口集中地域からの移住を進める施策などもよく見聞きしますが、地域の人々との摩擦や衝突が問題となったり、思ったほど低くはない生活コストや、意外に苦労の多い田舎の暮らしなどに辟易して都市部へ舞い戻るといった事例もネットなどで散見されます。これらすべての問題に対して何か有効な解をこの作品が提示するとは勿論思っていませんでしたが、参考になる何かは見つかりそうに思えていました。
さらにこの地方創生に関係したテーマとして、若手人材、取り分け、未経験人材に拠る起業も私がこの作品に期待した主要なテーマの一つです。起業と言っても、実際の起業セミナーなどの主要な参加者は、中年に差し掛かる手前ぐらいの(子育てに少々区切りがつきかけた段階の)女性と、定年退職後の高齢者なり立て男性であるのはかなり知られている事実だと思います。その多くは、飲食店を未経験で始めたいと希望して、女性はカフェ、男性はバルを始めたがるとも言われています。
しかしながら、飲食業は非常に付加価値が付けにくく、差別化が困難で、おまけに過当競争状態な上に、原材料コスト高騰や採用難で、経営の難易度が非常に高くなっています。飲食業の起業者の95%は1年以内に廃業すると、起業支援のコンサルタントから数年前に聞いたことがありますから、今はもっと生存確率が下がっていることでしょう。
そんな中で沖縄の製造業起業の実話ベースの話と知って、俄然、関心が湧いたのです。沖縄のという点がキモだと思います。私は沖縄にたった一度だけ、その地の大学からの新卒者採用ができるか否かの下調査をしに赴いたことがあります。2泊3日で那覇と隣接市の4つの大学の就職課を巡りました。その際に半日ほど大学巡りとは別に、所謂ドヤ街的なバラック群やちょんの間的な風俗街、面積と店舗数だけなら日本最大級に見えるソープランド街なども歩き回ったりタクシーで通過したりして観て回りました。(ウェブの噂ベースでは辻のソープランド街では、JCのソープ嬢が在籍する日本唯一の店があるとさえ言われていました。)キャバクラ街では、キャバクラの店舗数に対してその5倍は居るのではないかと思えるほど、路上に屯し、ただ佇んで暇を潰している客引きの男性の人だかりを掻き分けて歩きもしました。現地の人々が言う「男が働かないので、女が稼ぐしかない」構造はそれなりに本当であるように見受けられました。
観光名所的な商店や商業施設も巡りましたが、飲食店のサービスは劣悪と言うぐらいに酷い所が多く、道を走る自動車も古く傷んだものが多く、付加価値の高いものを販売する店舗は観光客目当ての一部商業施設以外に存在しませんでした。2016年2月のことです。具体的には、街を歩いたり、地元の人々が行く商業施設などを巡って宝飾店を見かけたことはたった1回だけですし、道を走る車に高価格な外車を見ることは一切ありませんでした。さらに私が驚いたのは、郊外の路上でパンクしたタイヤを取り換えるタクシーを見たことです。
路肩に停められたタクシーの左後輪のパンクしたタイヤを、運転手がジャッキで車体を持ち上げて取り外し、パンクしていないものと取り換えていました。私も自家用車を持っていた米国留学時代にタイヤ交換をしたことはありますから(それどころか、夏タイヤをDIYで冬タイヤに「補修する」店舗で、自前でタイヤにスパイクを打ったこともあります。)、タイヤ交換作業自体に驚くことはありません。しかし、今時、業務用車両が路上でパンクする事態も見ることはありません。タクシーなら日常的に車両点検をするのが当然であることを、タクシー業界の取材を遥か以前にした際に知っています。また、タイヤも相応の価格のモノをきちんと使っていれば、通常の街の道路を走っていてパンクすることはほぼ皆無と考えられます。だとすると、この地元ではそれなりに有名なタクシー会社は、日常の定期点検も行わず、劣悪なタイヤを購入装備していることになるように思えます。現実に、(そのパンク・タクシーではありませんが)タクシーの乗り心地は、香港にもよくあるようなセメント打ちっ放しのような路面の上で、粗い運転技術も相俟って芳しいものではありませんでした。
平日真昼間から地元の飲み屋の路上に食み出たテーブル席で酒を酌み交わす人々も多数見ましたし、1000台規模の大型パチンコ店も開店待ちの長蛇の列でした。巨大な客船が中国人観光客を乗せて接岸する日には、街に日用品や家電製品を買い漁る中国人が溢れ返る状況も目の当たりにしました。キャバクラに試しに入ってみるとキャバ嬢の昼の顔は、事務OLで、稼ぎが足りなさすぎるからこの仕事をしていると語っていました。実際に聞いた金額は、普通にフルタイムの労働時間で割ると、法定最低賃金以下でした。「ソープも考えている」とのことでしたが、「あちらは言葉が通じなくてもできるサービスだから、米兵と中国人観光客相手がメイン」との話でした。刺激的な世界です。
そんな中で、データでは失業率がほぼダントツ日本一と言った状態が続いているのが沖縄です。仕事がそれほどないのなら、東京の無名企業でも新卒採用の可能性はあるかと考え、リサーチに来たのでした。訪れた就職課には山ほど求人がありました。しかし、「本土」に出て働きたいという若者は殆どいず、特に「シマンチュ(沖縄本島以外の島の人々)なら、本島にすでに出て来ているから、本土に行くのも多少可能性はあるが、沖縄の大学生が本土に行ってまで働くと言えば、家族が絶対に反対する。もし行くんでも、数年後に沖縄の勤務先に転勤が約束されているようでなければ、お話にならない」と就職課の担当者は言っていました。ところが、沖縄県内では、高失業率なのです。AIさんに沖縄の高失業率の原因など幾つか尋ねた結果は以下の通りです。
※ここで注意が必要ですが、失業率の計算の中に、仕事をする気も探す気もなくブラブラしている人々は含まれていません。統計上の失業者はアクティブに仕事を探している人々です。ですから、働く気のある人々が皆無で、皆やる気なく働いてもいない状態の社会が仮にあったとしたら、失業率はゼロです。
[以下、AIとの問答#1↓]
問)沖縄の失業率は全国ワースト1ですか?
沖縄は失業率では全国ワースト1となっている。 その中で、深刻なのが若年層の雇用状況である。 特に 15~19 歳の失業率が 18.2%と全国平均の 5.1%に比べて 4 倍近く、突出して高くなっ ている。 20~24 歳も 9.3%と全国の 5.6%の約 1.7 倍となっている。
問)沖縄県の失業率が高い原因は何ですか?
沖縄県の失業率が高い要因としては、①雇用の場の不足、②求人と求職のミスマッチ、 ③若年者の就業意識の低さが要因と分析されることが多い。
問)沖縄で人手不足の職業は?
沖縄で人手不足が深刻な業種は、飲食料品小売、運輸・倉庫、旅館・ホテル、そして情報サービス業など多岐にわたります。特に観光業が盛んなため、ホテルやレストランなどのサービス業で顕著な傾向が見られます。また、建設業、情報サービス業、メンテナンス・警備・検査業なども人手不足が報告されています。
問)沖縄県はなぜ貧しいのでしょうか?
沖縄県の貧困の主な原因は、所得が低い一方で生活コストが高いこと、そして歴史的背景に起因する経済構造、高い離婚率によるひとり親世帯の多さ、安定した雇用の不足、地理的な孤立による物流コストの増加などが挙げられます。これらの要因が複合的に作用し、貧困の連鎖を生み出しています
◆経済的・社会構造的要因
・生活コストの高さと低所得のアンバランス:
沖縄は本土よりも生活コスト(食料品、輸送費、光熱費、車関連費用など)が高く、所得が全国平均の3分の2しかないため、収入と支出のバランスが崩れやすいです。
・産業構造の偏り・非正規雇用の多さ:
安定した収入が得られる雇用環境が整備されておらず、非正規雇用者の割合が高いことが経済的な不安定さを招いています。
・平均所得の低さ:
沖縄の平均所得は全国最下位の水準であり、貧困率も全国で最も高い水準にあります。
◆地理的・歴史的要因
・地理的な孤立:
本土から離れた離島県であるため、輸送コストが高く、これが物価高の一因となっています。
・過去の高度経済成長の影響:
高度経済成長期に本土の経済発展から取り残され、経済的従属の歴史が、現代の貧困問題にもつながっているという指摘もあります。
◆社会的な要因
・高い離婚率とひとり親世帯の多さ:
沖縄県は全国的に見ても離婚率が非常に高く、ひとり親世帯が多いことが、貧困に陥る大きな要因となっています。
・貧困の連鎖:
貧困家庭で育つことで教育の機会が奪われ、大人になっても安定した職業に就きにくく、貧困が子どもの世代に引き継がれる負の連鎖が起こりがちです。
これらの要因が複雑に絡み合い、沖縄の貧困問題の背景を形成しています。
[以上、AIとの問答#1↑]
人手不足の業種の中に沖縄外ではかなり登場する頻度が高い「製造業」が存在しませんが、それは製造業だけ労働力が満たされているのではなく、沖縄県下に製造業が殆ど存在しないことが原因です。これは大学就職課の求人票を見ても分かることでした。そこで、AIさんに沖縄の製造業について尋ねてみた結果が、以下の通りです。
[以下、AIとの問答#2↓]
問)沖縄には製造業が少ないのはなぜですか?
沖縄県で製造業が少ない主な理由は、島嶼経済特有の輸送コストの高さや市場規模の小ささに加え、金型や熱処理、メッキといった製造の基盤となるサポーティング産業の脆弱性、そして精密機器の梱包業者の不足など、製造業の発展を妨げる複数の要因が重なっているためです。
◆経済構造と市場規模:
沖縄は観光業が基幹産業であり、全体として第3次産業の割合が高い産業構造を持っています。本土に比べ市場規模が小さく、国内市場へのアクセスが限られています。
◆輸送コストと物流の課題:
島であるため、原材料や製品の輸送コストが高くなります。精密機器の輸出に必要な特殊な梱包業者や、迅速に対応できる専門業者が少ないため、輸出に困難が生じます。
◆製造業の基盤産業の不足:
製造業の発展に不可欠な、金型や金属加工、熱処理、メッキといったサポーティング産業が育成されていません。これらの基盤産業が脆弱であるため、製造業全体の振興が困難になっています。
◆経済の観光・公共事業等への依存:
長年にわたり、沖縄経済は「観光」「公共事業」「基地関連収入」に依存する傾向にありました。製造業への大規模な投資よりも、こうした特定の産業への依存が強かった背景があります。
[以上、AIとの問答#2↑]
対象業種を問わない経営コンサルタントの間ではよく知られていることですが、「流通の下流に行き、ブツを扱う度合いが減れば減るほど」×「経営規模が小さくなればなるほど」経営の質はあくまでも一般論では悪くなります。つまり、端的に言うと、同じ10人規模の組織ならば、製造業の経営の質は一番高く、卸売業、そして小売業がそれに続き、サービス業や飲食業が最低の位置に着くということです。これはどの会社もそうなるという訳ではなく、総じて見るとこういう傾向であるということですが、それは裏返して見ると、在庫リスクや設備投資リスク、回収リスクが大きいため、質の高い経営をしなければ失敗しやすい製造業を一つの極として、飲食業やサービス業などそうしたリスクが極少の業種がもう一端に存在する間のリスク度合いのグラデーションとも言えます。
勿論飲食店などでもチェーン展開をして経営規模が大きくなれば、当然経営の質を上げて行かねばやっていけなくなります。一方で製造業はかなり小規模でも相応のことを考えながら経営をしなくてはならないということなのです。
街で観る高付加価値商品や高付加価値店舗の極端な少なさ、低賃金、貧困、製造業の極端な少なさなどは、実は同じベクトル上にある事象であることが読み取れるのです。それが沖縄の経済のみならず、社会傾向の実態であろうと思われます。それでも、そうした社会の状況に不満を持たない人々が多数存在しているのも沖縄の実態です。AIさんに三度(みたび)その辺を尋ねてみると、以下の回答が来ました。
[以下、AIとの問答#3↓]
問)沖縄の幸福度は?
沖縄県は、地域版SDGs調査などの複数の調査で4年連続または3年連続で幸福度ランキング1位に輝いており、住民の約8割が幸福を感じていると回答しています。全国平均所得は低いものの、地域への愛着や定住意欲の高さ、楽観的な県民性、充実した食文化などが幸福度の高さに繋がっていると分析されています。
◆主な調査結果
・地域版SDGs調査 (2021年~2023年):沖縄県は3年連続で幸福度ランキング1位を獲得しており、住民の7割以上が「幸福を感じている」と回答しています。
・都道府県「幸福度」ランキング (2024年):沖縄県は4年連続で幸福度ランキング1位となりました。
◆幸福度の背景にある要因
・地域への愛着と定住意欲:
沖縄県民は地域への愛着や定住意欲が非常に高く、3年連続で1位を維持しています。
・県民性:
「なんくるないさー」という言葉に象徴されるように、楽観的に物事を考え、幸福を感じやすい気質が幸福度に影響していると指摘されています。
・充実した食文化:
沖縄県は人口当たりの飲食店数が全国2位の水準であり、ファストフード店が多数出店・定着しています。
・「豊かさ」の捉え方:
平均所得は全国最下位水準ですが、県民の消費性向が高く、お金を貯め込むよりも「使う」という考え方が定着しているため、購買力が高いことが特徴です。
・自然環境:
豊かな緑と食に恵まれた生活環境が、県民の満足感につながっていると考えられます。
(AIが関連する質問として挙げた)問)沖縄のデキ婚率は?
沖縄県のデキ婚率に関する明確な最新データは見つかりませんでしたが、過去の調査では「できちゃった婚」が全国で最も多い都道府県の一つであったことが示されています。2012年のJBpressの調査では沖縄が42.4%でトップ、また2018年の小学館の記事では『47都道府県の偏差値』という書籍のデータからデキ婚率の高さが指摘されており、これらの情報から沖縄県は全国でもデキ婚率が高い地域の一つと推測できます。
◆デキ婚率のデータ
・全国平均:
厚生労働省の「出生に関する統計」によると、2023年度のデータでは、結婚期間より妊娠期間の方が短い第一子の出生に占める割合は18.4%でした。これは5.5人に1人の割合で「授かり婚」ということになります。
・過去の調査:
2012年のJBpressの調査では、沖縄県が42.4%で全国トップでした。2018年の小学館の記事では、『47都道府県の偏差値』を参考に、デキ婚率が高い上位に沖縄県が入っており、ラブホテル軒数との相関も高いと指摘されています。?
◆沖縄のデキ婚率が高いとされる背景?
・独特な結婚観:
以前から沖縄では結婚や離婚に対する感覚が異なり、結婚のハードルが低い傾向があるという指摘があります。
・経済的背景:
女性が経済的に自立しており、実家も近いことから、万が一の場合でも生活の心配が少なく、離婚を選択しやすい環境があるという見方もあります。
・生活環境:
人間関係が密接で「世間が狭い」という特徴もあり、浮気がバレやすいといった要素も挙げられています。
[以上、AIとの問答#3↑]
「なんくるないさー」の価値観は幸福度を高める要因として紹介されていますが、一般的にはリスクマネジメントの発想とは真逆の考え方です。(高リスクの判断を下す際に、「なんくるないさー」は精神的負荷を和らげる効果があるとは思いますが、最初から何でも「なんくるないさー」で片づければ、マネジメントという考え方は不要であることになります。)
先述の通り、製造業は高リスクですから、到底「なんくるないさー」が通用する世界ではありません。沖縄に製造業が増えないのは、AIが挙げてくれた表面的な事象以上に、こうした心理背景があるものと私は考えています。欧米発の経営論でも、最近の心理学の研究などを容れて、「ポジティブであること」や(底の抜けたような解釈がなされることがある)「レジリエンス」などが流行っていますが、パフォーマンスで観ると、「防衛的悲観主義」と言われる、言わば「このままで良い訳がない」的発想が最強であることは証明されています。その観点からも「なんくるないさー」は製造業には一般に不向きであることが分かります。
その沖縄の物語で、ラム酒の地元製造で起業する話であれば、新たな発見が当然あるであろうと思えました。さらに、主演が伊藤沙莉です。私が知る彼女の役柄は最近のNHK連ドラなどを見ていないため、少々前(特に彼女の結婚前ぐらいの時点まで)で止まっています。その頃の彼女はかなりおかしな役や危ない役柄を平気で引き受け淡々と(あのハスキー声で)演じる所が魅力でした。ですので、ここ最近の爽やか系の彼女を見ておくのも一興かと思えたのです。彼女が主役級の1人だった『宇宙人のあいつ』の感想で私はこう書いています。
[以下、引用↓]
この作品が観に行きたい映画リストに入った理由は出演者の魅力によります。まずはやはり、『生理ちゃん』のオタク女子の配役以降注目している伊藤沙莉です。その後も劇場では『ホテルローヤル』など幾つかの作品を観ていますが、何と言っても『ボクたちはみんな大人になれなかった』です。それ以降、当分、彼女の出演する観ても良い劇場公開作品は観てみたいと思っています。(今年6月末には『探偵マリコの生涯で一番悲惨な日』の公開も迫っています。)
『ボクたちはみんな大人になれなかった』の感想の記事で、私は伊藤沙莉について以下のように書いています。
「尺は124分で短くはありませんが、ほぼ二時間なので耐えられる範囲で、ヒロインが伊藤沙莉であることで選びました。『生理ちゃん』などの記事にも書いていますが、DVDで観た『女王の教室』からドーンと飛んで、さらにDVDで観た『獣道』と『タイトル、拒絶』もよく、さらに、劇場で観た『ブルーアワーにぶっ飛ばす』・『生理ちゃん』・『ホテルローヤル』辺りから結構好きになってきていました。特に『生理ちゃん』のオタク役は、主演であるはずの二階堂ふみを圧倒的に凌駕した存在感で、彼女見たさにDVDも入手しました。
彼女が以前はコンプレックスを抱いていたが、テレビドラマで共演した大物女優に、「『あなたの声には説得力がある』と。『どんなに望んでも磨いても、声というのは、その人だけに与えられたもの。あなたはすごくいいものを与えられた』と言ってくださって、ものすごくうれしかった」と、かなりあちこちのインタビューで語っています。『生理ちゃん』でそのハスキーで低音の声を覚えてからは、メルカリや東京ガスのCMが流れてもすぐ画面に目が行くようになりました。」
このあと、DVDで『ちょっと思い出しただけ』なども観ていますが、『ホテルローヤル』のラブホで教師との逃避行の末に心中する女子高生の役はさすがに極端ですが、『ボクたちはみんな大人になれなかった』でも延々とラブホテルで時間を過ごす恋人達の女性ですし、この作品でも冒頭から彼女のラブホのシーンが登場するのは、何の因縁だろうと思ってしまいます。やはり、高級感のあるシティ・ホテルやラグジュアリー・ホテルで余裕ある時間を楽しむような役柄を彼女が務めることがないということかもしれません。実際、DVDで観た『タイトル、拒絶』もセックス・ワーカー役ですし、やはり、所謂普通の日常やイケイケの日常を送っている人々の役回りには向いていないのか、若しくは、そこから外れた女性像を演じるには、彼女のような割り切った役者観と達者な芸が必要なのか、そう言ったことなのだろうと思います。
[以上、引用↑]
しかし、こうしたキワモノ感は最近、結構キワモノ的な作品の中でもやや薄れ気味です。彼女の主演作『探偵マリコの生涯で一番悲惨な日』の感想には以下のように書いています。
[以下、引用↓]
逆に言うと、これらの個々の人物に、伊藤沙莉演じるキャラが強く関与したり干渉したりすることによって、これらの個々エピソードが成立している訳ではないことが、物語全体の弱さと言うか淡さのような状況を生んでしまっているように思えます。この映画は二監督体制で作成された珍しい映画で、別々の話を二人の監督が各々3本制作し、合計6本を1本の映画にまとめる形で成立しています。たとえば『ユメ十夜』のような複数の監督による全く独立したショート・エピソードが繋ぎ合わされたオムニバス映画は多数存在しますが、複数の監督が1本の映画作品を章ごとに分担して作る…ということはなかなかないのではないかと思います。しかし、その結果、先述のような物語全体を貫くテーマと言うか推しのポイントが希薄になってしまったようにも思えます。
この点は、同じハチャメチャのSFで伊藤沙莉が出演している『宇宙人のあいつ』と比較すると明確です。『宇宙人のあいつ』にも、4人兄弟の主に人間関係の悩みが個々のエピソードとして登場し、各々が結構ハチャメチャな展開になります。さらに登場人物とコミュニケーションが取れる鰻の母まで登場します。ぐちゃぐちゃです。しかし、それでも、全体を貫くテーマとして、4人兄弟の家族愛が明確に掲げられていて、映画のどこをとっても、そこからぶれることがありません。何度も泣かされることさえある作品です。この作品にはそのような明確なメッセージのようなものがなく、ただスラップ・スティックな愉しみに徹した映画としてこの作品を捉えるべきであるように思えます。
それでも、久々にラブホのシーンがない伊藤沙莉の普通の名演技は光っていますし、比較的言葉少ななキャラなので、トレードマークのハスキー声がより際立つ印象があります。その他の役柄の出演者たちも、成り切り振り切り割り切り…と言った感じで、役を楽しんでいるように見えます。面白い作品です。
[以上、引用↑]
さらに私が観たいと思えた女優が1人この作品には存在しています。富田靖子です。私が若い頃からほぼ同年代の役者として親しみを抱いていますが、劇場で観ることは過去20年を振り返っても、たった1作しかないという超レアな存在です。『線は、僕を描く』の感想でほんの少しだけ彼女について言及しています。
[以下、引用↓]
富田靖子も既に筆を折っているものの、水墨画界最高の目利き評論家として君臨している強烈なおばちゃんを演じています。『さびしんぼう』や『BU・SU』の時代の印象が強く、梅毒に犯された娼婦を演じた『南京の基督』でイメチェンをしても、今回のような逆らうとすぐ怒鳴ってきそうなおばちゃんのイメージは全然湧きません。これまた三浦友和並みに、私がよく記憶している役柄と全く違う印象の役を好演していました。
[以上、引用↑]
最近ではウィキで観て思い出した中に、『超高速!参勤交代 リターンズ』の特別出演がありますし、伊藤沙莉も登場する『もらとりあむタマ子』にも出演していますが、如何せん、存在が大きくない役群で、殆ど記憶に残っていません。あとは、DVDで観た比較的気に入っているドラマの『おいハンサム!!』の第2シーズンに1話だけ登場する近所の中高年独身OLの役ぐらいしか見覚えがありません。そんな中で、悪女とは言わないまでも、主人公にかなり厳しく当たる業界の重鎮役の『線は、僕を描く』はかなり新鮮でした。それでも、富田靖子と言えば、やはり『さびしんぼう』ダントツ一番で、次に『BU・SU』・『南京の基督』辺りが来るイメージの富田靖子出演作を劇場で見られる数少ないチャンスは逃す訳にはいかなかったのです。
シアターに入ると、ゾロゾロと観客は現れ続け、最終的に40人近くになったと思います。年齢層は高齢者に大きく偏っており、若くても50代以上という感じで、例外は1、2人いたかどうかぐらいだと思います。男女比は女性が少なく、多分、4割以下です。3組ほど2人連れ客がいて、全部男女の組み合わせでした。原作者が原田マハなので、そちらの人気からの動員もそれなりに大きいものと思えますし、先述のようなNHKドラマ主役としての伊藤沙莉の人気も反映しているかもしれません。
観てみると良い物語でした。先述のような沖縄の社会的経済的な「負の面」が上手く表面化しないようにできています。通常、零細事業の独立起業には、「潤沢な資金」、「営業力(/店舗の場合には集客力)」、「熱意」のすべてが必要と言われていますが、主人公の契約社員まじむの場合は、社内ベンチャーとして起業していますので、取り急ぎ「潤沢な資金」の問題がありません。「営業力」の方は、売る段階に至るまでの話ですので、あまり明確な問題になることがありません。まじむが持っているのは、沖縄のサトウキビを使ったラム(アグリコール・ラム:サトウキビのしぼり汁から直接作るラム)を作って皆で飲みたいという純粋な想いだけです。しかし、それが結果的に企画を通し、保守的で頑なな(県下最大のサトウキビの産地である)南大東島の人々を動かしていくことになっています。
さらにまじむには広い人脈があります。まじむ本人が意識していませんが、まじむの素直で直向きな人柄とその人柄を創り上げた母と祖母のつながりや、勤務先企業の経営者・社員のつながりなどが多々出て来ます。取り分け、地元で手作りの豆腐屋を営む母と祖母の存在は非常に大きく、物語の中核となっています。
まじむがラムについて知ることになるのも、祖母と一緒に行くバーのバーテンダーが教えてくれたもので、このバーテンダーはその後も陰日向でまじむに商品知識面からビジネスを広げる支えとなっています。契約社員のまじむが社内ベンチャー企画に応募して1次審査を通って浮かれて楽観しかないような状態になった際にも、祖母が「人様の口に入るものを作ることは簡単ではない」と戒めています。その延長で祖母はまじむに真剣さが鋭く現れるまで、企画の進行に反対の立場を取っていますが、そこにショック・アブソーバーとして存在しているのが祖母の実子であるまじむの母です。
沖縄で本格的な醸造を小規模にしかし拘って行なっている醸造家は、最初はまじむからの依頼を断りますが、最終的にまじむの熱意に負けて引き受けますが、そこに至るまでに、まじむの実家の豆腐店を訪れて、祖母の豆腐製造に向き合う姿勢に共感しているプロセスが存在します。まじむが南大東島の人々に接点を作る大きなきっかけになっているのは、南大東島に住むまじむの高校時代の後輩ですが、この後輩がまじむと親しくあり続ける背景には、実家から離れた沖縄本島の高校に通っている際にまじむの実家に家族のように入り浸っていた背景があります。当然それを許しそうした関係を構築することに大きく貢献しているのは母と祖母です。そして、結果的にその後輩の(南大東島では数少ない若い女性である)妻までまじむの強力な支援者として現地で動くようになっていきます。(南大東島の過疎化の進展は、つい最近『TOKYO MER…』劇場版第二作のパンフレットでも読んだばかりです。)
こうして見ると、まじむはそれほど事業の立ち上げに苦労していません。人々のつながりと会社の新規事業と言う構造に救われて、最大の山場は南大東島の人々の説得で、あとは醸造家にうんと言わせるまでのプロセスがやや存在しているぐらいの話です。(醸造家も家に帰らないぐらいに働き詰めで妻によく電話している場面が登場しますが)まじむの熱意に絆されて、引き受けてみたいと思っていることを妻にも社員にも見透かされてしまっているぐらいですから、大きな障害として存在していません。最大の難関であった南大東島の人々の理解を得ることも、泡盛文化に染まりラムなど全く知らなかった島の(多くは)老人達に、実際にアグリコール・ラムを味わわせることで、かなり安易に解決してしまっています。酒であるラムをアルコール大好き文化の人々に味わわせることなく、それを作りたいと外部から来た人間が騒いでも、迷惑がられるのが当たり前で、その解決が実物を飲ませるだけというのが、拍子抜けの展開に見えるぐらい、劇中の起業劇は安直です。
おまけに製造業の起業とは言え、先述のAIさんが説明する沖縄製造業の困難さにおいて、「経済構造と市場規模」と「経済の観光・公共事業等への依存」の問題は、元々沖縄地元流通を目指していて醸造家も醸造体制もそうした流れの中にありますから問題にならず、寧ろ、後に沖縄の観光産業に多少なりとも貢献するようになっている構造です。(まじむのモデルになっている女性社長は原田マハの小説が出て以降、全国の沖縄物産店での知名度が抜群に上がった様子をパンフで語っています。)
また「輸送コストと物流の課題」も南大東島から300km以上離れた沖縄本島への輸送の問題などはあるでしょうが、全国規模の展開をいきなり目指している訳でもありませんし、地域の醸造家が全面協力している以上、梱包や輸送の問題も最小限に食い止めることができたことでしょう。「製造業の基盤産業の不足」も醸造機器はどんどん消耗するようなものではありませんから、一度設置すれば当分持つでしょうし、ボトリングぐらいは相応の自動化が必要になるかもしれませんが、それでさえ、全国には各種のマイクロブルアリーがあるでしょうから、何か特別な装置開発を要する話では全くありません。
沖縄では「女が稼ぐ」との話も、この劇中に登場する男性で稼ぐ力を持っているのは、醸造家とバーテンダーとまじむの新規事業開発部の管理者ぐらいです。後の主要登場人物は全員女性で、主要な役割を果たすのも多くは女性です。意外に大きな存在だったのが、南大東島の閉塞した社会に生きることが当たり前だと思っていた、まじむの後輩の妻です。説明会で多くの高齢島民が頑なに反対する中で、「そうだから、あなた方の子供たちは皆島を出て行く」と敢然と発言し、古老たちの口を塞ぐのでした。それを受け、まじむの後輩の(少々頼りなさ気な)夫よりさらに若い男が「俺もラムを作るのなら島に残ってやってみたい」と言いだし説明会の空気が変わります。(そこに現物のラムが登場して、大団円の展開です。)
このように起業の物語としてはかなり安易で、(モデルの女性社長は撮影現場に来て、まじむの難航した事業計画書作りの場面などを見て、感情移入で泣き出したと言いますが)どちらかと言えば、多少ファンタジー的にさえ見えるほどです。105分の短い尺ですが、それより短いNHKの『プロジェクトX』(さらにその新シリーズ)などの方が、登場人物が殆ど解決不可能なレベルの困難に次々と直面させられています。
しかし、この作品には、そうした起業物語とは全く異なる輝く魅力があります。それは女性三代の家族愛です。先述のように、まじむの母サヨ子と祖母カマルは物語の中核に存在し、まじむを厳しく躾けたり、一緒に飲みに行ったり、愚痴を聞いたり、そして、多くの人とのつながりを作りまじむに手渡していきます。そして、それはまじむに対してのみならず、母と祖母が実の親子なので、そこにも母子の深い繋がりと気遣いが精緻に描かれています。取り分け、この二人には豆腐屋を(周囲では厳しい経営環境と後継者不足などから廃業する店が増える中)守り続けるのが当たり前で、それをまじむが引き継ぐものと当たり前に思って来ました。しかし、劇中終盤、祖母は体を悪くし歩行も儘ならなくなってきて、新会社の社長となったまじむが出社前に手伝いつつ母が細々豆腐屋を営む様子が描かれています。
二人はまじむを愛しまじむを尊重するが故に、豆腐屋の未来を諦める決断をしている場面まできちんとこの映画は描いています。その葛藤なども緻密に描くことに成功しているのは、この二人を富田靖子と高畑淳子の超手練れコンビが演じているからであると監督自身がパンフの中で説明しています。監督が意図に及んでいなかった母子の関係性をこの二人が描いてくれて胸が締め付けられる思いをしたと述べているのです。
実際、パンフに見る彼女らの努力は物凄く、まずはかなりきつい現地の(沖縄本島の言葉「うちなーぐち」とも異なる)「しまくとぅば」のマスターを大苦戦の末に乗り越え、さらに、その言葉で二人で現地の歌を唄い、おまけに仏壇で二人で手を合わせ、(私には全く意味不明の言葉で)お祈りを競い合うように捧げる場面をクリアするなど、単なる演技を超えた困難が大きかったようです。その上で、直向きなモノづくりを日々淡々と行なう姿も、まじむとの何気ない家族の会話の中に二人の心の機微を織り込む姿も見事に表現しきっています。
たとえば、2012年に劇場で観た『劇場版 笑ってさよなら 四畳半下請け工場の日々』という優れたドキュメンタリー作品があります。トヨタの四次下請け工場(こうば)の廃業を決断する56歳の女性の物語です。ここに登場する女性社長が家族経営で廃業に至るプロセスを描く作品を仮に作ったとしたら、今回のこの『風のマジム』の母・祖母のような姿になるのではないかと思えてなりません。それぐらいこの二人の生き様は緻密な点描画のように構成されています。
女性起業家のビジネス物語としてはやや不発でしたし、直向きで真面目ながら凡庸な契約社員風味が最後まで抜けない主人公を演じる伊藤沙莉は諸々の過去作を見知っている私には少々味気なく感じられましたが、彼女と富田靖子・高畑淳子の3人による女性三代の零細ビジネス家族劇には、観る者を惹きこむ際立った魅力があります。DVDが出たら買いだと思います。
追記:
AIさんの指摘にもあるように、沖縄のビジネス・マインドは総じて低いと言えますが、私はそれと並ぶほどに、ビジネスに向いていない人々が存在する都道府県を知っています。それは北海道だと私は確信しています。
沖縄と並ぶほどに常に失業率も高く、自己破産の発生率も高く、離婚率も高いのが北海道です。そこから透かし見えるのは、耐えて忍び努力することが非常に苦手な人々です。名画『北の零年』を観ても(私がほぼ全く知らない)ヒットコミックとその実写化作品『ゴールデンカムイ』を眺めても、歴史の浅い北海道に大量に入植してきた人々の本質は、「内地」で食べて行くことができなくなった人々です。「内地」でまともな生活がそれなりにできているのなら、『北の零年』に描かれるような過酷な生活をわざわざ選び取る必然性がありません。
よくて、田畑(でんぱた)を相続できない農家の二男坊・三男坊、それ以外は、内地の人間社会のルールに従うことに息が詰まり逃げ出した人々でもまだよい方で、村々で何かの掟を破るなりして村八分になった人々や、借金に追われ身を隠す人々、何等の人生設計もなく行き当たりばったりに一攫千金を目指す人々、さらに緒方拳主演の『北の螢(ほたる)』に描かれるような犯罪者、政治犯・思想犯、さらにその後、獄から逃れて定住した人々など。こうした人々が集中して社会を構成し、短い歴史の中で交配を重ねて今に至る地域は全国でも他にありません。私はこれを「好い加減DNAの濃縮プロセス」と認識しています。
私は生まれだけたまさか横浜市ですが、先祖が北海道に定住するようになった経緯は、聞いて呆れる好い加減でロクでもないものです。主に上京してから投げ込まれた環境で相応にハードな経験をしてそれらが財産になっていると自覚していますが、基本、「艱難汝を玉にす」などと言われて全く納得できない人間ですので、自らこの「好い加減DNA」を自覚しています。
松下幸之助が1968年に『財界さっぽろ』新年特大号の対談で語った「北海道独立論」は、北海道の可能性を同様な緯度と同様な面積や人口規模を持つ北欧諸国と比較して、道民の意識を強く批判する内容でしたが、そこで彼は「北海道が発展するには、『独立国たるの気概、心意気』を持ち、自主性ある創意工夫を重ねることが不可欠だ」と述べて、「もし北海道が独立国家だったなら、数倍も発展していたはずだ」と言っています。
卓見ですが、その背景の「好い加減DNA」に言及しなかったのは「画竜点睛を欠く」感じです。最近山崎真実を見つけるために観た『ガリレオ』ではありませんが、「現象には必ず理由がある」ので、そうした所まで突っ込んで欲しかったと思います。