『キャリー(R15+版)』

 クリスマスイブの火曜日の夜、関東圏でもたった一カ所の上映館である、歌舞伎町のコマ跡地に近い映画館で観てきました。一日に四回の上映。その最終回の夜7時からの回です。この映画館でも、この週が上映の最終週で、他の夜には仕事が入っていたので、最後のチャンスでぎりぎり見ることができました。

 街は、靖国通りのケンタッキーフライドチキンに行列ができ、コンビニでさえ、ワゴンでケーキのたたき売りを始めている喧噪でしたが、観客は上映開始時点でたった10人少々。広い劇場内はかなり閑散としていました。若い女性の一人客も二人いました。予告もなく盗撮への警告もなく、ぶっきらぼうに上映が始まって5分ほどしたところで、ワヤワヤとヒップホップでもやっていそうな出で立ちの10代後半風の少年達が10人ほど入ってきました。

 10月半ばに見て、少々ハズレ感を抱かされた『クロニクル』の感想で、『キャリー』について…

「同じ高校生のブチ切れ念力ものの中でも、予告で観て気になり、苦手なジャンルだけど、名優クロエ・グレース・モレッツが出ればモロに人間ドラマっぽくなって、おまけに原作も嫌いじゃなかったから、やはり見に行かざるを得ないかと考えている『キャリー』のリメイク版の方が、余程、面白そうな気がしてきます。こちらの方なら、教訓は、弱い者いじめをすると、ろくなことになりません。特に女の子は、いつどんなふうにおお化けするか分かりません。ということでしょう。何かすっきりします。(主演のシシー・スペイセクは到底美人とは言えず、最後に生き残り、その後を知ってしまうエイミー・アーヴィングはギリギリ可愛いかという程度の、オリジナルの『キャリー』でさえ、面白いと思えるのですから、クロエ・グレース・モレッツがやったら、絶対にありだと思えます。)」
 と書きました。それでも、ホラー・テイスト、スプラッタ・テイスト故に、少々気が引けて、オリジナルの方の『キャリー』をゲオ・オンラインのレンタルでまず見てみようと思い立ち、借りようとしたら、ずっとレンタル中で、仕方なく、『キャリー2』を初めてみました。これがかなりスプラッタ・テイストで、それが妥当と思えるぐらいに強調されたキャリーへの嫌がらせは、気分が悪くなるぐらいに愚劣だったので、余計新作『キャリー』に対して腰を重くしてしまいました。観るか否かにこれほど逡巡したのは久しぶりです。

 それでも、新作『キャリー』を結局見ることにしたのは、今月がまだノルマの二作を見ていないと言うプレッシャーの中で、他に特に気になる映画なかったこと。さらに、新作『キャリー』の上映が終わりに近づいていること。そして、その新作『キャリー』にはレア感漂う、「(R15+版)」と言う別バージョンが存在することを知ったことです。結果、見てよかった映画だと思います。色々な面で、それなりに気に入る点がありました。まず、オリジナル『キャリー』に比べて、一点を除いて好感が持てるポイントが幾つかありました。

 単純に、公平に見て、シシー・スペイセクより可愛らしいクロエ・グレース・モレッツが、『キック・アス』の頃よりさらに女らしくなって、さらに演技にも磨きがかかって、好感が持てます。

 そして、オリジナル『キャリー』では、主人公キャリーは自分の超能力に自覚的ではなかったように記憶するのですが(オリジナル版を見返していないので、定かではありません)、新作『キャリー』の主人公は、自分の能力にかなり自覚的で、図書館で文献を漁り、動画サイトでテレキネシスの画像を見つめ、自室で練習に励んだりしています。見ようによっては、自分を苛め、馬鹿にした連中への見返しを意識しているのですから、オリジナル『キャリー』の主人公に比べ、最後の爆発が予定調和的で、ギャップ感に欠けるとも言えます。そして、その立ち位置から見ると、例の有名なキャッチの「キャリーをいじめないで…」さえも、あまりぴったり来なく感じられます。

 オリジナルの主人公が引き起こす惨劇は、追い詰められた末の見境ない狂気のように記憶しますが、新作の主人公は自らの特別な能力に目覚め自信をつけ、やり過ぎている不埒な輩に対する確信的な報復をしています。新作では、盲目的に信心深い母親との関係性においてさえ、その能力の自覚によって解き放たれて行っています。

 私が留学していたオレゴン州は、今から20年前でも、それほど保守的な地域ではありませんでした。それでも、新作『キャリー』に出てくる母親の狂信的な信仰態度の、大雑把に見て6掛けか7掛け程度の異常さを持つように日本人には見える、クリスチャン達は間違いなく、町中に存在しました。この非寛容で狭量で全く理不尽極まりない態度を生み出すキリスト教であり、(かなり大雑把な括りですが)西欧人の思考が、歴史的に見るとき、夥しい数の犠牲者を生み出してきたことを思い起こすと、本当に嫌悪感が湧きます。特に、今は一人の人間としてきちんと育った娘に対して、自分が過ちを犯し、隣り合って寝ていた友人に犯された結果、その男が自分に残した腫瘍であると言い放つなど、それがどのような信心の結果であろうとも、その愚劣さに吐き気さえ感じます。そんな私には、新作キャリーが力によってこの狂信者をねじ伏せるシーンの方が、プロムでの大殺戮より大きなカタルシスです。

 新作『キャリー』は映像の中にも目を見張る美しさが、細かく埋め込まれているように感じます。特に大殺戮のシーンで、能力を発揮する際の姿は、レンピカの肖像や(それを参考にしたとも言われる)荒木飛呂彦の描く人物のように、不自然に傾き、アンバランスさを常に抱えながら、まるで空気からひねり出すようにテレキネシスを放ちます。その姿には、何か神々しさまで感じさせられます。荒木飛呂彦ネタで言うなら、母親を中心に幾何的に整然と空中に並んだ刃物や金定規は、まるで、人気キャラ空条承太郎を二度も追い詰め、死に至らしめるトラップそのものです。

 訓練の成果か、キャリーの能力も細かく見ると多種多彩です。単なるテレキネシスに留まらず、閂を加熱して、溶接した上で開かなくすることもあっさりとやってのけますし、キャリー最大の理解者となる女の子が孕んでいる胎児の性別を当てたりもします。足を使わずにミシンもきちんと踏みますし、もしかすると、閉じ込められた祈祷室のキリスト像から血を流させるのも能力の発露かもしれません。

 いじめにスマホや動画サイトが多々動員されているなどの今風の展開も、とても自然です。そのような中で、新作キャリーが比較上、多分、唯一の残念な点は、やはり、オリジナルの方の、当時、観る者を悪夢に捉える衝撃のエンディングが、単なる墓石の亀裂に置換されてしまったことでしょう。

 スティーブン・キング原作の作品は非常に多く映画化されていて、その幾つかに本人がカメオ出演しているとも聞きます。私も10作以上は観ています。本人は自分が原作を書いた映画群に対して、かなり明確に好き嫌いを述べており、私の好きな映画は、必ずしも、彼が気に入った映画ではありません。私が洋画全般の中でトップで選ぶ大好きな映画『デッドゾーン』も、原作を読むと、映画にはその執拗な米国の田舎生活の描写がかなり欠けていることが分かります。抜きんでて好きな『デッドゾーン』を除くと、有名な『シャイニング』や『スタンドバイミー』、『ショーシャンクの空に』などよりも『クリスティーン』やオリジナル『キャリー』の方が好きです。

 なぜバケツが頭に当たっただけで、キャリーのプロムメイトは死んでしまったのかとか、謎の図書館男の存在はなんだったのか(※)など、僅かに気になる所はありますし、先述のエンディングのちょっとした落胆は間違いなく否めません。それでも、原作のスティーブン・キングのお家芸であった米国中西部の田舎の日常の緻密な描写に並ぶほど、現代の米国の女子高生の精神的成長のドラマとして構成されたと新作『キャリー』は、『デッドゾーン』には遠く及ばないものの、私にとってスティーブン・キング原作作品の中で二番目の位置にいる名作です。DVDは買いです。

追記:
 映画終了後、パンフレットを買うついでに、映画館スタッフに「(R15+版)」と通常版の相違を尋ねたところ、エンディング近くの母親に対する暴力描写が無修正になっているのだと言う説明でした。両方を見比べてないので私には違いが分かりませんが、どれほど好きなのか、両方を見比べている女性二人連れの観客が近くに居て、「母親のシーンは、あそこまでやっちゃうんだねぇ。前のとはほんとに違うよねぇ」などと言っていたので、やはりそうなのでしょう。
 ちなみに、映画の時間長はサイトでも、映画館の案内でもバージョンによらず100分と言うことになっていますが、映画館スタッフによると、「(R15+版)」は、実際には5分以上長く、誤って100分の想定にしてしまったため、事前の予告上映を一切やめて帳尻を合わせているとか言う話でした。

追記2:
 パンフレットのフィルモグラフィには載っていませんが、クロエ・グレース・モレッツの『キャリー』の前出演作は『ムービー43』の筈です。二本連続で初潮を散々に周囲から辱められる役が続くと言うのも、何か、少々気分の悪さを感じます。

※キャリーの存在を、少なくとも公平に扱うことを明確に表明している男性が劇中二人登場します。一人は後にプロムメイトになってバケツに頭を打たれて死ぬ男ですが、もう一人は、図書館でキャリーに親切にする男です。後者は、その後、どこにも登場していないように思います。この謎の図書館男は、何のために存在したかが全く不明のまま映画は終わります。