『いそぎんちゃく』

 7月上旬の土曜日、新宿三丁目界隈の明治通り沿いのミニシアターで観て来ました。この映画が製作されたのは1969年。この映画館の『大人の大映祭』という6月下旬から7月中旬までの大映設立75年記念企画の1本として上映されていました。他の作品も概ね1950年代から1970年にかけてのエロスを前面に押し出した作品ばかりです。『鍵』や『痴人の愛』、『氷点』などの文学系の作品や『女体』、『十代の性典』、『不倫』など、タイトルからして、そのまんまの21作の作品群を上映するものでした。

 1950年生まれの主演の渥美マリと言う女優を、この作品が公開当時6歳だった私は全く認識していません。ウィキによると、両親ともに有名俳優で、1968年にガメラのシリーズモノ作品で映画デビューし、翌年の1969年、この作品で主演デビューを果たしたとあります。このたった1年の2作の間に他にも10作もの作品に出ており、そのうち『ある女子高医の記録』などを含む、タイトルからエロス系全開感のある『記録』シリーズが5本を占めています。

 彼女は、この作品で主演を務めて以降、自身の代名詞となった“軟体動物シリーズ”と呼ばれる作品群に主演し続け、“和製ブリジット・バルドー”と称賛されながら、元祖セクシー女優の一人として活躍を続け、妖艶な演技と魅惑的な肉体で一世を風靡したとのことです。軟体動物シリーズは、『いそぎんちゃく』に始まり、『続・いそぎんちゃく』、『でんきくらげ』、『夜のいそぎんちゃく』、『でんきくらげ 可愛い悪魔』、『しびれくらげ』と続きますが、最後の『しびれくらげ』さえ1970年作品です。たった1年の間に、6本もの軟体動物シリーズ作品が続々と製作され、公開され続けていたことに驚かざるを得ません。

 私は、この「軟体動物シリーズ」を多分リアルタイムで子供心に認識していたように思います。その後、エロス映画にそのようなタイトルの作品群があることを、何かの話題のたびに再認識していたように記憶します。ただ、一度もそれらの作品を観たことがありませんでした。前回『破裏拳ポリマー』をこの映画館で観た際に、この大映祭の企画を知り、機会がなければ観ることがあまりない、一度も観たことのなかった一連のシリーズモノを観てみようと思い立ちました。大映祭の中には、『しびれくらげ』も含まれていますが、やはり、観るならシリーズの原点であろうと、第一作の『いそぎんちゃく』を選びました。

 小さなシアターに入ると、半分ぐらいの席が埋まっていて、人数では30人ぐらいの観客が居ました。観る限り、年齢はどうみても、私より上に偏っており、女性は二人連れが一組と、カップルの片方の1人で、合計3人しかいませんでした。

 和製ブリジット・バルドーと言われても、ブリジット・バルドーさえ殆どスクリーン上で見たことがない私は、ブリジット・バルドーがどの程度のセクシーさを誇っていたかも知らず、元祖セクシー女優の作品を観ることにしたのでした。観てみて、正直、セクシーさもあまり感じませんでしたし、色々な映画評などで言われるほどのダイナマイト・ボディでもないように見受けました。

 セクシーさは何を持って表現するのかという問題はありますが、私の感じるセクシーさは、たとえば、『女殺油地獄』の山田キヌヲ演じるお吉などです。

> 砂をかむような毎日を送るお吉が、与兵衛との接触で揺れ動き出し、
> さらに小菊から「自分と言う女は、あとどのくらい花で居られると思うか」と
> 問われ、自分が妻であり母であり働き手になってしまって、
> ただ自分を愛でるだけの夫との平凡な毎日の中で、
> 「花ではなくなっている自分」に愕然とします。
>
> ここから、オリジナルとは異なる、お吉が女として「花で居続ける」人生を
> 選び取り暴走して行く姿が、緻密にそしてハイテンポで描かれていきます。

 と私は『女殺油地獄』の感想を書いていますが、このお吉が目覚めていく様のエロティシズムは強烈な印象を残します。他にも、水野美紀が演じた『恋の罪』に登場する、仕事と幸せな家庭を持つにもかかわらず、愛人との関係を断てないでいる女刑事なども、その言動や瞬間々々の表情がやたらにエロかったように思います。

 ダイナマイト・ボディの方も、イエロー・キャブの面々などを見慣れてしまっている世代以降では、かなり無理があるような気がします。濡れ場もそれなりのエロティックさを保っていて、この延長線上にピンク映画があり、それが時代を経て世界でも類例を見ないモザイク付AV文化を世界に冠たるものにする土壌を感じますが、端的に見て、『寄生獣 完結編』の村野とシンイチのセックスの方が余程臨場感があり、含羞のエロティックさが醸し出されています。

 ただ、この作品の主人公の浜子は、後にヒモどころか金を集るために浜子に近づいたことが判明するトランぺッターとの愛情が迸り出たセックス以外は、基本的にマグロ状態のセックスばかりです。これは、元々田舎から出てきて最初に住み込み店員を始めた際のクリーニング屋の店主からセックスを無理強いされた時からのことで、カネのためカラダを売るということに気付いて以降、ずっとこのスタイルのセックスが続きます。

 ただ、ボーっと抱かれているだけなのに、何故か男達は、カネのためと常に割り切って生活を続け、金を使わぬよう休みも遊びに行かずにいるようなおかしな浜子を、「独特のスタイルのある女性」と見て惹きつけられていくのです。ところが、クリーニング屋のオヤジも結局嫁には勝てず浜子を追い出し、スーパーの経営者の隠居の老人は浜子に愛人部屋を買いますが浜子とセックス中に脳溢血になり後日死亡。さらに、浜子が女給をするキャバレーで知り合った広告業界の男は、マンションまで買ってくれるのに、使い込みがばれて失脚。おまけにこの男とは刃傷沙汰から裁判劇にまで発展します。

 裁判まで出てきた時点で、浜子の物語はどのように終わるのかと思ったら、裁判劇で無罪を勝ち取り、一躍時の人となり、銀座の高級スナックのホステスに収まると言った「双六の上り」でエンディングでした。

 田舎の貧乏生活の忌避。そして、金を稼いで成り上がることへの執着。この映画にはセックス・シーンと並んで、浜子が言葉少なにムシャムシャと高級料理をほおばるシーンが再三登場します。カラダの対価として男から与えられたカネもメシもどんどん飲み込んで行ってしまう貪欲さが表現されているということなのだと思います。

 住み込みの店員の生活環境から始まり、当時のファッションや価値観などなど、見ていて、自分も生きていたはずの時代ですが、幼すぎて覚えていない当時の社会が色々と分かる楽しさはあります。しかしながら、浜子の成り上がり物語は、今一つ、言われるほどの魅力を現代の映画に慣れた目では見出すことができないままに終わりました。DVDは不要です。