『Cloud クラウド』

 9月下旬の封切から約3週間経った土曜日の真昼間に、歌舞伎町のゴジラの生首ビルの映画館に行って、午後1時40分からの回を観てきました。余り来たくないと思っている館で、これまで最後に来たのは今年2月の『カラオケ行こ!』ではないかと思います。その時も以前に比べて大分ロビーが清潔になっていましたが、上映後のCM撮影の初体験に関心が取られてあまり印象に残っていませんでした。今回訪れたら、外国人観光客もそれなりにロビーに見つかるのに、衛生面がかなりきちんと保たれているように思えました。8月に『ルックバック』を観に行ったバルト9とは対照的です。

(このように言うと、外国人を差別しているものと評価されるかと思いますが、現実問題として、新宿や秋葉原など外国人が溢れ返るようになった街は一様に路上のゴミが増え、建物内のトイレなどの衛生レベルもガタ落ちになるのは非常によく知られています。ここに何らかの有意な相関を見出す調査を私は知りませんが、尤度の高い相関であろうと私は思っています。)

 既に1日1回しか上映していません。上映館も新宿ではこの館だけなので、致し方なく久々にこの館に足を運ぶことにしました。

 鑑賞の動機は転売屋(「テンバイヤー」と呼ぶべきかもしれません。)がどういった人々なのか全く知らなかったので、それを映画で観られるのならと思い立ったのが最大の理由です。

 マーケティングの基本的な考え方に「プロダクト・アウト」と「マーケット・イン」というものがあります。商品・サービスと買い手のニーズのいずれからビジネスを設計するかという論点です。前者は売り手の商品・サービスが先に決まっていて、それによって満たせるニーズを持っている買い手を後付けで探すという発想です。後者はその真逆で、先に特定の買い手軍のニーズを把握しておいてから、そのニーズを満たせる商品・サービスを用意するという流れです。

 私の素人理解の中では、転売屋はお客のニーズどころか商品についての知識も乏しい中で、自分が大量に仕入れた商品を市場における価格調整だけで売り切ろうとする商売である一方で、「背取り」と呼ばれる行為は、相応に商品のレアな記号的価値を理解し、それを欲しがる人々のニーズや相場観をそれなりに知っていて行なう商売です。この認識の一部でも確認してみたく思って、観てみることにしたのでした。

 そして、実際の転売屋がどの程度にどうであるのかは分かりませんが、少なくとも、劇中で見る限りでは、従前の私の理解がそれほど誤っていず、転売屋は完全にプロダクト・アウト型の商売で、自分が安く仕入れたものを、儲けが極大化するような値付けをネット上で探りつつ行ない、仕入れたものを極力すぐに売り切るビジネス・モデルでした。

 例外として希少なフィギュアを発売開始当日の開店直前の店に押しかけ、本来の売値の二倍を提示して全量買い占めて自身で保管しておき、あまりに希少故にネットで価格が暴騰するタイミングを待って売る…というようなこともしています。純粋にプロダクト・アウトではないケースと見ることができますが、だからと言って、この転売屋がそのフィギュアの価値や市場ニーズの大きさ、そしてファンの思い入れの強さを理解してやっていることではありません。

 そんな転売屋の物語を観るべくチケットを購入しようとして驚かされました。都内ではまだ25館で上映しているものの、新宿でもたった1館の1日1回の上映となれば、大分人気は落ちているのだろうと思いきや、この映画館で下から二番目に小さい86席のシアターはほぼ満席の状態になっていました。ここ最近全くお目にかからない超高稼働率です。シアターに入って見渡すと、80人程度の観客は男女ほぼ半々で男女共に20代が多かったように思います。ほぼ4割から5割ぐらいが20代だったかもしれません。殆どが単独客のようでしたが、女性同士の二人連れや男女カップルなども3、4組は居たように記憶します。

 物語の前半は主人公がアパレル系の工場なのか洗濯物の工場か何か、服を畳む作業を重ねている工場で、社長から傷心するように勧められる辺りから始まります。この時点で既に主人公は副業で転売屋を細々行なっていますが、1案件(1回にまとめ仕入した同一の商品群)を売切って600万円の大金が入った所で、工場を辞め転売屋一本で食べて行くことを決意します。都内(だと思われますが…)の古アパートを引き払い、群馬の山中の湖畔の以前は小規模な会社事務所であったように見える1軒の家に引っ越して転売屋商売に専念することになりました。

 その際に、以前から交際していて半同棲になりかけていた秋子も、都内の仕事を辞め、主人公と完全に同棲を始めます。結婚はしていませんが専業主婦と言った立場で、主人公も彼女を働かせることなく養っていけることが一つの自負になっているように見えます。

 妙な転売サイトを立ち上げて大失敗をした先輩筋の転売屋とは端っから疎遠になって行き、主人公は転売行為を粛々と繰り返して儲けて行きます。或る時仕入れたブランド物に見えるバッグの真贋も分からなままに安く(といってもブランド品としては安く、しかし、主人公の仕入値からはバカ高く)売って儲けようとした際に、出入りの運送屋がバッグが偽ブランド商品であることに気づき、地元の警察に相談して、警察から目を付けられます。この辺から主人公の人生が暗転します。

 転売屋として伸し上がろうとして、主に、「仕入時に相手の足元を見て買い叩くこと」と「希少なフィギュアなどの商品を高値で販売前から買い占めてしまうことで一般のファンの購買チャンスを奪うこと」、そして「ブランド品に見える商品の真偽を確かめずただ売り切ろうとすること」の行動から、どんどん敵を増やしていきます。エゴサをすると、主人公のハンドルネームのラーテルに騙されたとかの恨み節や誹謗中傷、さらに復讐を募る声がじわじわと増えて行きます。

 このエゴサも主人公の所に来ているバイトのアシスタントの青年が行なっていて観客はそれを早い段階から知りますが、主人公は青年からそれを指摘されても尚、殆ど気にすることのない様子で、転売にどんどんのめり込んでいきます。自宅にガラスを割ってモノが投げ込まれたり、嫌がらせが実体化してきて不安が募るのに構ってくれない主人公を見限り、秋子も家を出て行きます。

 この秋子は元々主人公のカネで楽して暮らせること、さらに高いものを飼えるようになることが狙いで主人公の元に居ることがミエミエで、主人公が不在の際にバイト青年を誘惑しようとしたりまでします。そのミエミエをどこまで分かっているのか、主人公はそれでも秋子が好ましくて、或る意味「大事なお人形」のように扱っています。バイト青年は何か微妙に社会常識が掛けている感じが、ずっとしていますが、純粋で野心家です。初めて知った転売屋の仕事に強い関心が湧き、アシスタント以上の存在になりたくなってきて、主人公のPCを勝手に弄ったことが露見し、クビになります。

 ここでとうとうネット上に蓄積していた悪意が実体となって主人公に襲いかかってきます。悪意の実体を構成する人々はまちまちで、主人公に安く健康器具を買い叩かれて事業が立ち行かなくなった(と思われる元)工場経営者や、ネットで単に「同じアホなら踊らにゃ損損」とばかりに集まってきた男、そして元々先輩だったのに主人公に見下されたように感じた転売屋の男もいます。

 注目すべきは、例の服を畳む工場の経営者です。自分が目を掛けて昇進話を持ち掛けたのに、それを無下にして転売屋ではぶりよくやっている主人公が余程許せなかったのでしょう。(彼は主人公の家を訪ね、再度説得しようとしますが主人公はあからさまな居留守を使っています。彼にはそれが最も許せないことだったようです。)何と彼は妻子まで既に猟銃で殺害して、主人公を殺害する気満々で襲撃に参加しています。

 ネットの炎上の末に、電凸や晒しなどが起きて問題になることがありますし、電凸も攻殻機動隊のSAC(Stand Alone Complex)よろしく、全く連携していない人々が集中して同時に攻撃を仕掛けて来て、嫌がらせ電話が鳴りやまない…といったことも現実に多々起きている事例が報道されることがあります。しかしながら、全員銃器持参で襲撃してくるのは尋常ではありません。勿論劇中でも集合した際には銃器持参でも、実際には脅すだけでよいとか土下座して謝る姿をネットに曝せばよいぐらいに思っている参加者もいますが、先述の元上司のような完全にガチな既に犯罪者として手配されていて完全な「無敵の人」となっている人物まで居ます。

 個人がストーカーとして誰かを付け狙うことは日本でも起こり得ますが、半グレや暴力団絡みでもなければ、銃器持参の襲撃を10人近いグループでただ集まった人間が行なうというのは、なかなかあり得ません。

(最近のトクリュウのように一般家庭への強盗行為が闇バイト集団ということは勿論発生していますが、これは組織犯罪なのであって、ネットのスレで盛り上がったメンツが計画や目的設定もあやふやなままに行なっているようなことではありません。)

 そういう意味で、この作品はファンタジーです。そんな言葉があるのか知りませんが、暴力をテーマにしている「バイオレンス・ファンタジー」とでもいうべき作品です。『バイオレンスアクション』という橋本環奈主演の作品があり、設定から何からかなり荒唐無稽でした。現実離れの仕方からみたら『バイオレンスアクション』の方が「バイオレンス・ファンタジー」と呼ぶにふさわしい気もしますが、本作も現実感バリバリの転売屋の日常が描かれた後に中盤の襲撃劇からファンタジー感が一気に湧き上がるのです。

 そしてそのファンタジー感はさらに大盛り上がりの銃撃戦の中で増加の一途を辿ります。リンチに遭い、命まで落としそうになる直前の主人公を救ったのは、クビになった例のバイト青年です。都内と思しき(それも東横線の各停のみ停まる駅に見える)駅のホームで、わざわざ(この場面にしか登場しない)松重豊と落ち合って、拳銃数丁などの武器の調達をしてから、主人公救出に打って出てきます。本人は登場時点で「東京に一旦上京したがあまりうまくいかなくて地元に帰ってきた」などと言っていましたが、東京で秘密組織で訓練を受けたような感じの設定なのです。例えば、自衛隊の別班とか海外の諜報組織とか、そういった非合法系の組織に属していたような感じで、松重豊と別れる際に「隊長によろしく伝えてください」などと言っています。

 その彼が主人公をすんでの所で救い反撃に出ます。全員皆殺しにした所で秋子が現れますが、彼女も金儲けの本性を顕し、拾った拳銃を主人公に向けますが、秋子が愛しい主人公はただオタオタするだけです。その時、バイト青年が彼女を一撃で射殺します。

 このアシスタント青年は流石に『ザ・ファブル』の主人公のような天才的な戦闘力を発揮することこそありませんが、傭兵経験でもあるかのような慣れた銃撃で敵を次々と射殺して行きます。それはそれで見事ではあるのですが、特に息をのむ展開と言うほどでもなく、往年の昭和ドラマや昭和映画の銃撃場面のように多層階の廃工場でパンパンと撃合っては一人殺し、また撃合ってはまた一人殺すと言った展開です。その手のドラマやVシネマなどをあまり観ていない私でも、多少のノスタルジーが湧くような展開です。そしてこれがこの作品の監督の持ち味の出しどころでもあるのだと思います。

 監督の黒沢清は私が好きな作品群でも、『ドレミファ娘の血は騒ぐ』『スウィートホーム』『CURE』『リアル~完全なる首長竜の日~』『散歩する侵略者』などがあり、理不尽な物語展開や乾いた暴力性といった味のある演出で知られています。 

 二時間越えの作品ですが、全体がやや冗長に感じます。前半が冗長になるのは主人公が恨みを買うプロセスをかなり丁寧に描いているからです。後半の方は主人公を彼の自宅で襲撃するプロセスが早々に収まり、巻き添えになった猟友会メンバーをあっさり殺害してしまうあたりから、(主人公を配工場に連れ込みリンチの準備を粛々とする場面が間に存在しているものの)先述のバイト青年が乱入する辺りから、ただの銃撃戦に変化して行き、それがかなり長く続くように感じられます。

 おまけにこのバイト青年の正体や経歴が明かされることはありません。しかし彼の手慣れ感は甚だしく、秋子も含めた10体近い遺体を電話一本で何かの組織に処分するよう依頼していたりします。

 愛する秋子を失い、転売屋に励むことの目的も見失ってしまって項垂れた主人公を車に乗せて、「さあ。帰ってまたどんどん稼ぎましょう。吉井さん(主人公)が企画してくれれば、後は俺が全部やります。これで欲しいものは何でも手に入る生活が始まりますね」と意気揚々とバイト青年は語るのでした。欲しかった女性との同居生活でさえ儘ならず失われた主人公には(少なくともその段階で)欲しいものが何でも手に入るなどと到底思えなかったことでしょう。

 このエンディング・シーンは車のフロント側からの運転席と助手席のアップになっていますが、周囲に見える空の色はまるで山火事の炎と黒煙のミックスのようにおどろおどろしいものとなっていて、パンフにも「地獄」のような演出になったと書かれています。主人公本人は自分が何を間違って今回のようなことが起きたのかをきちんと理解しているようには思えませんが、全体構成としては、ネット社会の狂気もありつつ、一応、主人公の自業自得感が漂う物語として十分理解できる展開ではあります。

 しかしながら、先述のようなファンタジー要素が妙に鼻につき、本来の転売屋の仕事のありようや、どうあればゴーイング・コンサーンを果たせる事業としての転売屋が営めるのかが分からないままだったので、転売屋のビジネス・モデルに一番の関心があった私には少々不発感が大きな作品でした。それでも、ややアスペ気味にさえ感じられる主人公の菅田将暉による好演や、『MOTHER』ではそれほど注目しませんでしたが、『君は放課後インソムニア』の好演からやや注目していた奥平大兼の謎のバイト青年役は、一応の見所があるので、DVDはギリギリ買いです。