『劇場版 笑ってさよなら 四畳半下請け工場の日々』

新宿東口を出てすぐの映画館で土砂降りの雨の祝日午前中に観てきました。先月21日公開の映画で、GW後半真っ最中にもかかわらず、そして悪天候にもかかわらず、小さな劇場内に20人以上は観客がいたように思います。

たった60分丁度の長さしかない、トヨタの四次下請け工場(こうば)のドキュメンタリー映画です。

名古屋市の南区にあるその下請け工場は、雇い主(個人事業主ということのようなので、社長ではありませんが)の小早川弘江という当時56歳の女性の御主人がこれまた下請け配管設備施行会社の社長で、その会社の倉庫の一角の四畳半相当の広さに設けられた、(専用の建物や部屋がある訳でもない)「スペース」と呼ぶべき場所です。

タイトルに「劇場版」とあるのは、この作品が実はテレビで放映された番組であったからです。2010年に東海地方でのみ放送されたこの番組は、反響を呼び、日本屈指の番組コンクール「地方の時代映画祭2010」でグランプリを受賞し、翌年には英語版が作成され、世界120ヶ国で放送されたとパンフレットにあります。

この作品のサクセスストーリーはその後も続き、世界四大映像祭の一つである「モンテカルロTVフェスティバルのニュース・ドキュメンタリー部門で、最優秀賞である「ゴールデンニンフ賞」を獲得するに至ります。劇場版はこの結果を受けての、或る意味で自然な流れだったのだと思われます。

TV放送では47分だったものが、再編集を経た60分の映画版になっていますが、時間が非常に短く感じられる秀作です。ただ、秀作ではあるものの、私にはこのレベルのドキュメンタリー番組は他にも多数あるようにも思えます。だとするならば、それらも世界でトップ水準の作品であったと言うことなのかもしれません。

この映画を見に行くことにした理由は、eiga.com の映画紹介を読んで、この工場で何が起きたのかに関心が湧いたからです。紹介には以下のように書かれていました。

「名古屋市南区で小さな工場を営む小早川弘江さんは、近所の主婦2人と一緒に楽しくおしゃべりをしながら1個5円の部品を1日数千個作り続ける日々を送っていた。しかし、2008年のリーマンショックが発端の円高にトヨタ自動車の輸出産業が直撃を受けた時期は、半年間仕事がなく、当たり前にあると思っていた仕事がいつなくなるかも知れないと知った小早川さんは、工場の閉鎖を決意する。最近ではエコカーブームで工場は再び忙しさを取り戻し、周囲からも引き止められたが、小早川さんの決心は変わらず、工場最後の日が訪れる」

関心が湧いた理由を二つ挙げるなら、一つは、なぜ半年ぶりの工場再開から売上が回復し、上り調子になっている所で工場を閉める決意をしたのかと言う疑問の答えを知りたかったことです。

もう一つは、「一緒に楽しくおしゃべりしながら」の仕事というのが、単純に考えれば、「やはり、真剣にやっていないような、ちゃんとした仕事になっていなければ、淘汰されると言うことか」ぐらいの解釈も成立するのですが、それでは世界に評価されるドキュメンタリーになるものとも思えません。「楽しいおしゃべり」の現場実態を知りたかったと言うことです。

一つ目の疑問の答えは、端的に言うと、自律性の確保ということかと理解しました。10年当たり前にあって、そのまま変わらないと思われていた仕事も、突如半年間来なくなり、再開したかと思うと、今度は劇的に増える。それが四次下請けの現場では全く説明なく、全くの手掛かり情報なく、全くの内示一つなく、発生する事実を、彼女が重く受け止めたと言うポイントは大きいと思います。

小早川さんは、この一件から過去を振り返り、元請けから「なくなるよ」と言われた部品が、数年かけてじわじわと受注を減らし、最終的に消え去った事実を思い起こしています。日々の受注にただ向き合うだけでは分からない変化。しかし、何か見えない大きな流れの中の一部として自分の仕事が発生していることの、或る種の不気味さが語られていました。さらに、テレビの画面から伝えられる総元請けのトヨタの営業不振やリコール問題など。真剣なまなざしでテレビを見つめる主婦三人の姿が印象的です。

私の経営コラムの中に、下請け企業などの経営実態を描いた『未明の野菜』という話があります。価格を自分で決められる訳ではなく、仕事を増やすこともできず、大きく工程改善などを行なうこともできず、仕入先さえ自分で探すなど考えたこともない。このような「経営」とはとても呼べないような組織運営の在り方を、考えたものです。

法人とは、法律上、人と看做す組織体のことを原理的には指しています。そして法人の経営の原則の中に「ゴーイング・コンサーン」という経営は組織を永続させると言う前提で行なうというものがあります。他人に生殺与奪を握られているようでは永続などままなりません。よって、企業体の経営をあるべき姿にしようとするなら、小早川さんの選択は本来、事業の閉鎖ではなく、新規取引先開拓や新事業開拓に向かうべきです。

実際、小早川さんは、廃業間近の日、「こういう技術って、他では何にも役に立たないよね」と呟いています。二人の従業員に聞こえるように言った言葉は、多分、廃業によって技術を今一度彼らが新しい職場で身につけなければならないことへの詫びであったことでしょう。これが永続しなくてはならない法人であるなら、営業・経理・仕入・生産などの各種の場面で、どこの会社にも共通の経営管理の考え方を学ばざる得ない所に自然と追いやられる筈ですので、「他では役に立たない技術」だけしか学べないなどと言うことにはならない筈です。

しかし、私同様、小早川さんは個人事業主で永続させるべき法人を作ると言う選択をしていません。税務署に出す個人事業廃業手続きの書類を作成する場面がありますが、廃業の事由は「転職」でした。私が自分の経営コラムの『余命の堆積』という話に書いた、事業の最後の日の姿がこの映画では多くの時間を費やして描かれています。

映画は、小早川さんの鳥取県の田舎の、今は再び離れることのない病床に伏したままの親との対面や、元の職場である保育園からの依頼で、赤鬼に扮して子供たちを追いまわす節分、さらに沿道でゼッケン番号からいちいち名前を調べて見ず知らずのランナーをその都度、名前を呼んで鼓舞する市内マラソン応援など、数々の小早川さんの人生のシーンを描きます。小早川さんにとって、事業は彼女が直向きに取り組む彼女の人生の幾つものシーンの一つであることに気付かされます。

もう一点の疑問である、「楽しいおしゃべり」は画像を見る限り、小早川さんのほぼ一方的な発信であることが分かりますし、他の従業員の主婦二人は勿論、小早川さん自身、その手が止まることなく、只管に生産に励んでいます。単調な作業自体に動機付け要因を紐付けることは比較的困難です。そのような中で、楽しい場の雰囲気を作る小早川さんの噺が、この工場にどれだけの効用をもたらしているか計りしれません。受注数が記入されたカレンダーが何度か画面に出てきますが、数字は2000などの単位です。数種類の扱い部品のうちの最低単価なのかもしれませんが、一個5円と言われる部品では、一日の売上は一万円にしかなりません。楽しいおしゃべりにかまけて、手や頭がおしゃべりに感けていては、納期も品質も維持できる訳がないのです。

「楽しいおしゃべりの絶えない工場」は、小早川さん流のリーダーシップであり、小早川さん流の従業員動機づけ策が、きちんと機能している結果であることが分かります。見ようによってはこれほどに経営者の理念が浸透した組織も珍しいほどに、10年以上変わらず主婦二人が小早川さんの部下として同僚として、そして最大の理解者としてそこにいることが分かります。

小早川さんの「ただ前進あるのみ、困ったことがあった時こそ、ただ笑うのみ」という言葉には大きな含蓄があります。

私は、永続を前提としない事業を(例えそれが法人登記をしている組織体の事業であっても)経営ではなく、道楽であると看做しています。それほどに経営は多種多数の制約を乗り越えねばできないことです。しかし、道楽だからと言って、好い加減な対応を好き勝手にして居ては、持続はままならず、あっという間に淘汰されるのが事業の本質です。

私も法人なりのメリットもあるかと法人登記はしましたが、個人事業主として事業を行ない、自分の法人を別人格として自分の死後も続く事業にしようなどとは毛頭思ったことのない人間です。自分の人生と結び付いた職の在り方、事業の在り方、そして、その潔く美しい終わり方について考えさせられる点の多い作品でした。

私のクライアントは法人として、「経営」を目指す企業が多く、事業の在り方を描いている割に薦められる余地の少ない映画です。しかし、(出るのか否か少々怪しいように思われますが、出れば、)DVDは絶対に買いです。