『早乙女カナコの場合は』

 3月14日の封切からまだ1週間経たない3月20日木曜日祝日の夜9時35分からの回を新宿ピカデリーで観て来ました。終了は23時45分なので実質的に終電時間枠です。他に11時台の時間枠があるだけで、1日たった2回しか上映されていません。前日の水曜日までは1日4回だったのですが、午前と深夜の2枠と言う不人気枠に押しやられることとなっています。(これより先の状態で超不人気枠と言うのがあり、それは早朝の開館直後の回の設定かと思っています。)かなり人気がない作品であるようです。

 実際に他の上映館も都内で9館、23区内では5館しかない状態です。映画.comの上映館の一覧をざっと見すると、多くの館で新宿ピカデリーよりも上映回数が少ない1日1回の状態になっていることが分かります。封切時点から上映館数は変わっていないものと思いますが、スタート時の上映館数が既に少なく、1週間を待たずにどんどん上映回数も減ると言うのはかなりの不人気状態と言わざるを得ません。その状況に気づき、もう少々後に鑑賞する予定だったのを慌てて繰り上げることとしたのでした。

 私がこの作品を観ようと思った最大の動機は、先般観てそこそこ好感が持てた『私にふさわしいホテル』の続編的な位置づけにこの作品があることです。時系列で繋がっている訳ではなく、どちらかというとパラレルワールド的な位置づけにありますので、続編ではなく「姉妹作」などと呼ぶ方が適切かもしれません。本作と『私に…』はまず原作者が同じです。そして、『私に…』で作家として成り上がって行くのんが、本作にも登場しています。おまけに『私に…』のエンドロール後に本作のCM動画が流れると言う類例のない関係性もあります。

 主演の橋本愛の方は、『私に…』ではベレー帽を被ったカリスマ書店員の役回りですが、今回は別人物と言うことのようで、編集者になっています。それでもあまり知られていないものの実際にはかなりの数がある橋本愛とのんの共演作と言うことで、そのコレクションとして観てみたいという意味もあります。

 橋本愛とのんの共演作は、『私は…』の感想にも書いた通り、一般には(私が全く観ていない)『あまちゃん』が知られていて、その後、映画の『私をくいとめて』が橋本愛とのんの再共演と話題になりました。しかし、現実には二人の共演作は『告白』・『アバター』があり、メディアの打ち出し方にかなり無理があるものと感じています。

 私にとっての橋本愛は不思議な存在です。『私に…』でも以下のように書いています。

<以下、抜粋>

「私にとって橋本愛は何か捉えどころのない女優です。実写版の『寄生獣』二連作のうち、原作ファンとしては結構酷い作品である1本目の感想で私は橋本愛について以下のように書いています。

「■さらに、これまた大ファンと言うほどではありませんが、橋本愛も結構好きです。
 ホラー系の作品の『アバター』や『アナザー』にも主演しているどころか、『貞子3D』で貞子を演じる暴虐ぶりですが、一方で、『告白』、『桐島、部活やめるってよ』、『渇き。』の彼女は、私から見て等身大の“その年代の子”がやたら自然でやたらに印象深く演じられていると思っています。後者のグループの延長線上で、確かに、私が『寄生獣』で最も好きなキャラである村野里美を演じると言うことなら、これは必見と判断せざるを得ません。」

 そして『寄生獣』の第二作の方では、橋本愛は期待以上の大活躍で、原作にもある主人公とのセックス・シーンも異常なぐらいに丁寧に緻密に描かれていて驚かされました。エンディングでも重要な役割を持つ役柄でしたが、原作から乖離することなく原作の魅力のキャラ村野を三次元に再現することに成功しています。という風に、ジワジワと好感が増して、私にとっての注目女優の一人になりかけたのですが、『寄生獣』第二作の直前に観ている『ワンダフルワールドエンド』で私は橋本愛が目指す方向が全く理解できなくなりました。

 その後も、明らかに彼女は何かの主義や方針を以て出演する作品を厳選しているように思えます。『寄生獣』第一作と同年に公開されている『リトル・フォレスト 夏・秋』・『リトル・フォレスト 冬・春』の連作で彼女は主演を務めていますが、それ以降、彼女が主演を務めるのは先述の『ワンダフルワールドエンド』を始め、私がDVDで観たことがあるものだけでも『うつくしいひと』『PARKS パークス』『ここは退屈迎えに来て』『21世紀の女の子』とどれも認知度の低い作品ばかりで、多くが若者の日常を心象風景として描いているような作品ばかりです。

 私はTVドラマをあまり観ないので分かりませんが『あまちゃん』への出演や、ウィキにあるように大河ドラマで主人公の正妻役を3度もやっているなど、十分な知名度があるはずなのに、映画ではこうした主演作ばかりなのです。『私をくいとめて』や『ホリック xxxHOLiC』など多少認知度の高い作品にも登場していますが、そこでは端的に言って端役ばかりに見えます。『残穢 -住んではいけない部屋-』もホラー作品として一定の評価のある作品だと思いますからこの分類に入れられるかもしれません。この状況は余程何か(それこそのんが業界から干されていたような)何かの裏の関係によるものなのか、先述のように本人が何かの主義・方針によって自分の出演作を絞っているのか、そうしたことが無ければ説明できない状況のように見えます。

 最近ではTVerで観ていた『新宿野戦病院』で歌舞伎町のフィクサー的人物の娘でオモテの顔はボランティア系NPO代表、裏の顔はSMの女王という濃いキャラクターを好演していたり、中央日本土地建物のBAUSのCMでやや物憂げな面もある明るい若妻を好演していたりするのに気づいていました。

 その私から見て、橋本愛の活躍はなぜかのんと組み合わさった際に際立つように思えています。

<以上、抜粋>

 実際にこの作品の主演に当たりネット記事に載った橋本愛のインタビューでは…、

「正直、お芝居って、やればやるほど苦しいんです。自分を追い込みますし、その過程を楽しいとはなかなか思えないけれど、やはり、それを経たからこそくるんですよ、しびれる瞬間が。それはまぐれではなく、みんなで手繰り寄せた奇跡だから、ここまでいけるんだ! と思えたときは本当に幸せです」

と語っており、やはり出演作の選択には何か強い考えがあっても不思議ないような言動に見えます。

 この橋本愛・のんの関係や「姉妹作」である『私に…』との関係性からの鑑賞動機の他に、この作品にはもう一つややマイナーな鑑賞動機の要素が存在します。それは根矢涼香の出演作であることです。根矢涼香はスクリーンで観ることがあまりない女優です。自身が監督をしてる訳ではないらしいにも関わらず『根矢涼香、映画監督になる。』という作品もあるらしく、映画への出演はかなりの数なのですが、如何せんマイナーなインディーズ系の映画が多く、その中でも主役級が少ないために、なかなか彼女の出演作を見つけることが困難です。また、映画関係のアート系の仕事も手掛けるようで、劇場で観た『水深ゼロメートルから』では宣材用のスチル写真撮影係をしています。(これも偶然パンフレットを読んでいて気づきました。)『水深ゼロメートルから』の感想で以下のように書いています。

<以下、抜粋>

他にこの作品のパンフを読んで二点発見がありました。一つはこの作品への根矢涼香の関与です。根矢涼香は伊藤沙莉見たさに観たDVD『獣道』で気付き、その後にDVD『神と人との間』で作家とねんごろになる眼鏡の女性編集者を演じていたのが印象的でかなり認識できるようになり、さらに、その後『酔うと化け物になる父がつらい』で始まった松本穂香短期的マイブームで『アストラル・アブノーマル鈴木さん』の特典満載のブルーレイを買ったら特典の一つが根矢涼香主演の『ウルフなシッシー』のDVDだったことに驚かされました。よくよく観てみると『アストラル・アブノーマル鈴木さん』にも根矢涼香が出演しているとクレジットされているので、どこだろうと探してみたら、壁掛けの額入りの学生のバストアップ写真が彼女だったりします。

 やや釣り目傾向ですが、私の好きなタヌキ顔系にギリギリ入り、クセのある役と相俟って、結構気に入ったのですが、探すのが大変です。(『ビジョメガネ』という写真集も買うほどに、メガネっコはメガネで極端に魅力がカサ増しされて感じられる私は、メガネ付の根矢涼香の編集者は結構ハマりました。)その根矢涼香が本作では写真家としてスチール担当をしています。(パンフにもそのようにクレジットされています。)撮影現場でスチール写真を宣材用などに取っていたようですが、パンフにも手記が掲載されていて、そうであったことに気付きました。

<以上、抜粋>

 このように、なかなか発見できない根矢涼香出演作ですが、今回は珍しく映画.comのキャスト一覧に上から4番目に載っており、もともとこの作品ののんの出演を確認するためにキャスト一覧を「もっと見る」で引き延ばして見たので、早い段階から根矢涼香の出演に気づくことができました。主演とほぼ考えられる『ウルフなシッシー』などもありますが、(不人気作とは言え)この作品ぐらいのメジャーな映画作品で、主人公と部屋をシェアする女友達役で、特に前半でそれなりに重要な役回りをする…というのはなかなか珍しいことです。

 シアターに入ると、私以外に8人の男女が居ました。男性5人女性3人の組み合わせです。そのうち男女のペア客が1組居て、それ以外は単独客でした。年齢層はほぼ全員30代から40代の範囲に収まっているように感じられました。トレーラーが始まってから暗がりの中、恐る恐る入ってきた男性が私より少々若いぐらいの年齢に見えましたが、いずれにせよ、多分間違いなく私がシアター内の最高齢の人間で、シニアの値段で鑑賞しているのも私だけだったのではないかと思えます。ネットで見ると、このシアターは115席あるようなので、恐ろしく低い稼働率です。先述の通りの不人気状態と考えて良いようです。

 観てみて感じたのは、やはりマイナーなインディーズ色が強い作品で、20代最後の作品という橋本愛の典型的出演作テイストです。今回は10年以上続く恋愛「的」な男女関係を描く作品で18歳の大学入学から30代前半までを演じているところが、いつもの橋本愛テイストの作品群に比べて野心的と言えば野心的ですが、それでも、「ああ、橋本愛が主演作に選ぶ訳だ」と納得してしまいます。

 大学入学初日に橋本愛演じるカナコ(タイトルでも片仮名表記ですが、劇中で一瞬漢字表記が出る場面があったように記憶します。)は、演劇部の男子学生、長津田啓士に出会い、映画・演劇にまつわる趣味が重なる二人は付き合うことになります。趣味は重なるものの、人間的にはかなり違ったキャラで、カナコの方は、ネットの映画紹介欄に「男勝りで過剰な自意識から素直に甘えられない不器用な早乙女カナコ」とある通り、真面目ですが特に何かに優れた才能がある様子もなく、特に劇中で、過去のトラウマのような理由が登場することもなく、単に男性に可愛らしく見えたいと言った欲求が全くないように見えます。

 一方の長津田は脚本家を目指すと言いながら、チャラくて、何かに真っ向挑んで失敗することを恐れていて、日々を楽しくカッコを付けていきていますが、脚本も一本も書き上げられず、大学も留年を重ねて卒業せず年を取り続けるような生活をしています。不器用でも卒業して夢の出版社勤務を実現すべく着実に歩を進めるカナコとは口喧嘩も増え、カナコが4年生になって大手出版社に内定をもらう辺りには、長津田は卒業して就職することと脚本を書き上げることの二つのカナコとの約束を反故にしていて、二人は完全に擦れ違うようになってしまっていました。

 カナコの大学卒業が迫る頃、長津田には演劇部にインカレ入部した女子大の1年生、本田麻衣子がモーションを掛けて来ます。麻衣子は高校まで地味目の女子だったようで、大学デビューによって、人生を変えようとしています。しかし、美男美女を入会審査までして選ぶ、セレブ臭いサークルには入れず、男に値踏みされる女と言う位置付けを否定するようになって行きます。さらに、夢に向かって邁進する大人の男性に見えた長津田が、カナコとは3年あまり維持できたのに、麻衣子には簡単にダメ男であることを見透かされてしまい、たった数ヶ月で別れるに至ります。その際に、麻衣子は長津田の心の中にまだカナコへの執着が残っていることを知ります。

 カナコはカナコで、ダメ男の長津田を頭で肯定できないが故に、ダメ男でも長津田が好きと、自分自身を肯定できないままに就職が近づき、インターンシップを重ねて根付き始めた出版社の人間関係の中で、編集者でメンター役のハイスペック男性から付き合いたいと告白されます。セックスする訳でもないままにデートを重ねたりしていますが、長津田への想いが消えないうちは、二股を掛けたり、すぐに乗り換えるようなことをしてはいけないと、自分に枷を掛けています。

 実はハイスペック男性にはつい最近まで同じ出版社内のバリバリ営業担当者という交際相手が居ました。その女性営業は社内でも仕事がデキると評判で、人生設計でさえ10年先のゴールを決めて逆算で計画すると言う前のめり人生を送っていました。それにハイスペック男性はついて行けないと感じ、彼女の方は結婚目前と思っていた状態で、いきなり別れを告げたのでした。

 このハイスペック・メンターを離れて、インターンシップ、アルバイトの延長から、入社が決まり事前業務研修として、カナコは営業も体験することになります。その際に営業部でカナコのメンターになったのが、このバリキャリ営業女性だったのです。バリキャリ営業女性は勿論、ハイスペック男性の方も、カナコに彼らの以前の交際関係を明かさない日々が続きます。カナコを指導する複雑な思いを傍らに、バリキャリ営業女性はカナコが去ったばかりのハイスペック男性の部屋に押しかけ、「泊まって行きたい」と迫りますが、彼女をベッドに寝かせ、彼はソファで横になるのでした。

 この作品が妙に今風であるのは、ドロドロした恋愛観を醸し出さないことです。バリキャリ営業担当者の未練に捉われた言動が中盤そこそこ紹介されますが、その程度のことです。麻衣子もカナコに嫉妬しますが、逆に自分が長津田に対して醒めて来るにつれて、同じ男性を好きになった女性としてカナコに関心を持つようになります。カナコはバリキャリ営業担当者と自分の新しいカレシ候補であるハイスペック・メンターの過去の関係も知る所となって、劇中の人間相関図が把握できたところで、麻衣子ともバリキャリ営業担当者とも、飲んだり食事したりするなどの関係性になって行きます。妙に美しく正しい人々です。

 橋本愛は原作小説が10年以上前の作品であることから、現代のジェンダー観に基づいた役づくりを意識したとインタビューで答えており…

「男らしさ、女らしさ、といったジェンダーロールにとらわれ、自意識が絡み合って葛藤する登場人物が描かれているのが、この作品の面白さです。カナコの根底には男性恐怖症というのがあり、性的な目線で見られることを忌避しています。それゆえに、いわゆる“女性らしい振る舞い”をしないよう心がけ、周りからは“男前”と言われている。でも、その“男前”の表現が、テンプレートなものにならないよう意識していました。そうしないと男社会に迎合できないカナコの不器用さや、生きづらさを伝えられなかった」

と言っています。「テンプレート的なものにならないように」した結果、何かスルリとすり抜け続けながら、10年以上に及ぶ物語が進んでいくように思えてなりません。橋本愛はカナコと自信に共通点があると言い…

「自意識過剰で、生き方が左右されてしまうことが大いにあります。10代なんて、ずっとそうでした。見られたい自分と、こうありたい自分と、いま、何をしたいかという自分とが全部矛盾していて、葛藤を抱えながら生きていた。ドロドロした気持ちが渦巻いていました。一時は、そういう部分を消し去ろうとも思っていましたが、いまは、そこまで切羽詰まることなく、自分を面白がれる余裕が出てきました(笑)」

と語っていますが、そんなドロドロを29歳になった橋本愛がきれいに整理整頓してしまって、18歳からのカナコを演じてしまったのではないかと疑われます。

 因みに、根矢涼香演じるカナコのルームメイトは、揺れるカナコの心中を察して、麻衣子と映画デートした後の長津田に向かって、カナコには出版社の先輩がモーションを掛けていると明かし、長津田が自分の本心を自覚するようになる、劇中の重要なターニングポイントを導出する役割を果たしていますが、後半は殆ど登場しなくなります。(パリに卒業旅行に行き、現地で知り合った男性とフランスで暮らすことを選択したと言うことになっています。)

 のんは『私に…』のアフターストーリーとでも位置づけられそうなぐらいに、既に安定の売れっ子作家になっており、インターンシップ時代に件のハイスペック・メンターに紹介されてから、入社後、カナコがのんの担当編集者になって、さらにこの物語に相当するであろうカナコの長津田を中心とする大学時代の人々の人間模様を描く作品をのんが書くと言う展開になっています。劇中終盤、その新作を売り出したのんが担当編集の橋本愛の紹介で、小説作中の人物達のモデルとなった麻衣子やフランスから駆け付けたルームメイトに会って会話する場面まであります。『私に…』を観たからこそ分かる作家としてののんの成長ぶりが感じられる場面です。

 出版社の別れてしまった大人の二人は、各々中村蒼と臼田あさ美が演じています。この二人は映画で私があまり観ることがないのですが、最近ぽつぽつと幾つかのドラマを観ることが増えたTVerでは、頻繁に目にします。

 中村蒼は映画では全く知らず、最初に印象に残ったのはDVDで観た名作『仮面ライダーBLACK SUN』の大学生時代の南光太郎です。その後、TVerで観た『ギークス〜警察署の変人たち〜』の主要脇役で真面目な刑事役は、今回同様にかなりハマっていたように思えます。何となく本作でもそうであるように、真面目実直・誠実なのに少々ヘマやらポカをやらかす人物をやるとハマるように思えます。その観点から南光太郎の方はちょっと無理があったように思います。

 臼田あさ美の方は映画の劇場鑑賞で、既に3度観ていますが、『架空OL日記』がまあまあ印象に残る程度で、あまり印象に残っていません。今回の橋本愛に対しての指導役会社員を演じているように、『私をくいとめて』ではのんの先輩社員を演じています。どうもこうした先輩社員や指導役、それもガチガチの指導者ではなく、何か人間として弱みや穴があるような人物を描くとぴったりくると言うことなのかもしれません。私は彼女を最初に劇場で観た作品があまりに酷い出来だったので、どうもその記憶が彼女を見る目に影響してしまいがちです。『私をくいとめて』の感想で以下のように書いています。

<以下、抜粋>

「そんな彼女が職場で日々を送る支えになっているのが先輩“お一人様OL”のノゾミさんで、臼田あさ美が演じています。『架空OL日記』でも臼田あさ美は「やっちゃう系OL」を演じていますが、本作でも(『架空…』のような上司への積極的な嫌がらせを敢行するなどのワイルドさはないものの)同様の尊敬される先輩OLを好演しています。私が彼女を映画で初めて認識したのは、『桜並木の満開の下に』ですが、脚本なのか何がよくないのかよく分かりませんが、全く評価できない作品でしたし、彼女に対しても悪印象しか持てないぐらいの作品でした。その後観た『愚行録』は私にとってランク入りレベルの超名作で、その中の彼女は登場頻度の高い脇役でした。本来イヤミス作品の「イヤな部分」を体現すべき役柄をきちんと彼女がこなしていたようには感じられませんでした。

その後、少々マイナー系な邦画のDVDをレンタルすると他作品の紹介で『南瓜とマヨネーズ』のトレーラーを十度以上は観たように思いますが、やはり、そこでの彼女も私には何か心の奥底の懊悩を表現し切れていないように思えました。これらの印象に対して、『架空OL日記』の彼女は輝いていて、主役の二人以上にやたらに目立っています。脚本でのそういう設定であるということもあると思いますが、自分の価値観を怯むことなく表明し、決然と実行に移せる姿が、愛らしく思えるような味のある演技であるように私には思えました。『架空…』を観て、彼女をウィキで調べ直し、「げっ。これ『桜並木…』の主演女優だったのかよ」とかなり驚きました。

本作の臼田あさ美演じるノゾミさんは、(『架空…』でも一人抜け駆け的にいきなり結婚に踏み切る役でしたが…)職場で悪印象の珍妙な伊達男への恋愛に猪突猛進であったりと、結構ぶっ飛んでいますが、のん演じるみつ子の指針であり模範のキャラとして、のんの奇妙なお一人様行動の説明役としても好演を重ねています。」

<以上、抜粋>

 その後、彼女をTVerで観ることがここ最近で2度ありました。『新宿野戦病院』で自分の娘にも手を出すDV男と別れられない自堕落母親役と、『御上先生』の養護教諭です。自堕落女性は単に意志が弱く、人生を踏み出せない女性という印象で、娘の非行で呼び出されるたびに、体面だけにはこだわりつつ、オロオロする役でした。養護教諭の方は、文科省官僚の主人公の高校時代の兄の交際相手でもあり、彼女が問題を感じるエリート高校に主人公を呼び寄せるキーマンでもあります。キーマンではあるのですが、よく言えばたおやか、悪く言えば(「アラ困ったどうしよう」的な)考え足らずの人物でもあります。臼田あさ美は外見上聡明感があるのですが、その彼女が、考え足らずであったり、元カレを引き戻そうと情欲に絆されたりする所にギャップが生まれ、それが魅力となっているような気もしないではありません。

 総じて、カナコが二股はダメと自縛した結果、何かスルッと表面的にはきれいごとばかりで物語が進んでしまったように思えてなりません。劇中最後に、長津田から「もう一度会いたい」と連絡を受けた30代のカナコは、その留守電から不穏なものを感じ、長津田のもとに(文字通り)走ります。

 既に長津田への想いが消えないままであることからハイスペック・メンターには交際できないと告げたカナコのことを知り、それ以前から麻衣子からも愛想を尽かされた長津田は一念発起して大学を卒業し、芸能プロダクションでバイトを始め、そのままアイドルのマネージャーとして正社員採用をされています。そして、仕事の傍ら、脚本も書き続け、カナコと宝石店の欲しい指輪をショーウィンドウで観た際に言った「欲しいものはガラスの向こう」というタイトルで脚本を完成させ、それが鮫島賞の佳作を取るのでした。

 これで、10年余の時を経て長津田はカナコとの約束を果たして、カナコを呼び寄せ祝杯を挙げることとしたのが、不穏な留守電のウラ事情でした。その勢いでカナコは多分10年以上ぶりに長津田と同衾します。身体を重ねるべくブラウスを脱がせたカナコの首には嘗て長津田とショーウィンドウ越しに見て、(当てにならない長津田に任せず)カナコが自分で買った二人のペアリングがネックレスとして下がっていたのでした。

 これで映画が終わるのかと思ったら、そうではありませんでした。朝になり長津田が目を覚ますと、カナコが不気味なまでの深刻な顔で長津田を覗き込んでいます。そして「ちょっと出てくる」と言って駆け出して部屋を出るのです。Tシャツ短パン姿でアミューズメント設備の間の雑踏を駆けて行くカナコを、「おい、待てよ」と長津田は追います。カナコは10以上の歳月を経て、自分との約束を果たした長津田をどう受け容れて良いか分からず混乱し部屋から遁走したのでした。

 カナコらしいと言えばその通りですが、映画の終盤として稀有な展開です。カナコの混乱は劇中で収まることはなく、雑踏の中、カナコに追いついた長津田が止まり切れずカナコに覆い被さり、二人の身体が傾き倒れ込む途上で、いきなり暗転して映画が終わるのです。

 この後二人がどうなるのかも、カナコはどのように心を整理するのかも、全部観客に投げ出して、特段の決め台詞も、印象的光景も全くなく、映画的な様式美も余韻もなくいきなりぶった切るような終わりです。「ん。えっ」と私も驚かされました。この映画の全編はこの瞬間のためにあったのかと思えるぐらいでした。少々すんなり過ぎた、30歳になる橋本愛の悟りを感じる出演作ですが、エンディングの面白さとあまり観ることのない根矢涼香のほどほどの活躍の価値故にDVDは買いかなと思います。

追記:
 映画館でポスターを見て気づきましたが、この作品には「As for Me」という英語のサブタイトルがついていました。原作小説は『早稲女、女、男』というタイトルで、「早稲田大学女子学生のような女子」という意味の「わせじょ」という言葉が入っています。そして、映画のタイトルが邦題で『早乙女カナコの場合は』で、英語のサブタイトルが「As for Me」です。どれがこの作品のどこを指しているのか、非常に複雑になってしまっていると思えます。