『アプレンティス ドナルド・トランプの創り方』

 1月17日の封切からまるまる5週間以上経った水曜日。11時35分からの回を明治通り沿いの映画館で観て来ました。1日2回の上映が今尚なされています。認知度の低い作品としてはかなりのロングランでそれなりの上映回数と考えることができると思います。上映館数も都内では新宿・室町・有楽町の3ヶ所で、都内に拡大すると立川が加わります。

 この上映館の入っているビルは床面積が小さく、入っている2館が両方とも2フロアずつを占めています。このビルで比較的最近ですと、『祝日』、『唐獅子仮面 LION-GIRL』、『春の画 SHUNGA』を観ているはずですが、2館のどちらで何を観ているか分からなくなっています。2館のうち1館は韓流ドラマとエログロ系作品の比重が高い割に、その隙間的上映作品を観に来ることが多く、2館のうちの鑑賞頻度はこちらの韓流&エログロ系の映画館に偏っているように認識しています。今回はこの韓流&エログロ系の館ではない方の鑑賞になり、映画.comで上映館名を観た際に、新宿エリアの上映館であるにも拘らず、どこにあるのかぱっと思いつかない状態でした。

 認知度の低い映画で上映館数はスタートから少なかったと思います。少ない上映館数の中で、少なくともこの館では当初1日3回か4回程度の上映が為されていたように思いますが、徐々に上映回数が減少してきたのが見えてきたので、慌てて観に行くことにしたのでした。(3月に入ってからの鑑賞に回そうかと思っていましたが、2月の月内の鑑賞にしたのはこのためです。)

 私はこの作品を必ず劇場で鑑賞しようと思っていました。私は大雑把な括りで言うとトランプ支持者です。厳密には、メディアで散々叩かれるばかりの彼の多くの政策の主旨の理解はまあまあできているという意味で、少なくとも、理解者程度ではあろうと思っています。とは言うものの、日本人で米国の大統領の支持も不支持も、理解も無理解もほとんど意味を為していませんし、先日の大統領選挙のハリス・トランプ戦でも、結果に拠って私達一般日本人の生活が大きく左右されるともあまり思っていません。

 ただ、米国民主党の狂気さえ感じるようなポリコレ政策群はあからさまに無理があるとは思っています。勿論、子供でも分かるような原理として人種差別はよくありませんが、能力によって正当に評価するのが妥当と考えるなら、少なくともマイノリティに対するクオータ制などの施策は実質的な逆差別として機能しているように思いますし、現実のBLM活動などもその多くが被差別者本人とは関係のない所で利権を生み出すことがあるのも、日本の部落差別対策のみならず、こうした活動にかなり共通した結果だと認識しています。ポリコレの現実の姿は『ポリコレの正体―「多様性尊重」「言葉狩り」の先にあるものは』に書かれている内容と私の認識がかなり共通しています。

 今から30年以上前に米国の田舎町で2年少々を過ごした際でさえ、ポリコレ的な思想や発想は世の中に歪みをもたらしているように感じられ、「アファーマティブ・アクション」と呼ばれる被差別者に対する優遇措置は完全に逆差別に変貌していました。

 黒人学生はどう見ても知的に劣っている場合でも大学に入ることができ、相応に優れた白人学生が多少成績を落としただけで奨学金が打ち切られ自主退学する場面も見て来ました。苦学生がそれなりに居る中、4分の1だけ昔「インディアン」と呼ばれた人々の血が混じっている母子家庭で育った学生が補助金で悠々自適で大学に通えたりするなど、尋常とは思えない待遇の歪みを見て来ました。

 企業の採用枠の人種構成や役員の性別比率など、単純に且つ厳密に、能力が高い人間を採用・登用すれば良いことです。それが中小零細企業なら、オーナー経営者のお眼鏡がすべてであるでしょうから、合法で公序良俗に反しない限り、どのような物差しで採用や登用が為されようとも、私は問題ないものとさえ思っています。私がビジネス誌の編集部員として取材した千葉県の中小企業では、社内に10人弱いる女性社員が髪型も顔のつくりも体型も背丈も(相互に親戚縁者でもないのに)酷似しているのに驚かされたことがあります。採用者の好みを反映した結果と理解するしかありませんが、そうしたことが罷り通るのが中小零細企業だと思います。それが嫌な人物は、端っから入社しないか入社してしまったなら数多ある他企業に転職すれば良いだけのことです。

 LGBTQなどのジェンダーの問題に関しても、米国の若年層に関しては『トランスジェンダーになりたい少女たち SNS・学校・医療が煽る流行の悲劇』などの書籍に書かれていることがまあまあ本当で、わざわざ問題を拡大させて騒ぎに仕立てている動きが無視できないものと思っています。若年層以外に関しても、ジェンダーにまつわる話を弱者ビジネスに仕立て上げようとしている動きもかなり明らかです。私は同性愛者の知り合いが数人いますが、そのうち誰一人としてLGBTQの活動に積極的に与していませんし、全員が少なくとも肯定的ではない、または否定する姿勢であるのを知っています。

 ハリス・トランプ選挙戦直前の10月。機会があったので、15年ぶりに以前暮らしたオレゴンの田舎町を含む周辺地域を旅してきました。バイデンの民主党政権の政策はあからさまに奇妙・珍妙で、「生活に困っているが故の窃盗は犯罪ではない」と言った行政判断など、ほとんど意味不明なものは多く、普通に働き生計を維持している、(特に、インフレが続く中、生計を辛うじて維持している多くの)人々にとって、全く寛容できない馬鹿げた施策が罷り通る現実を見聞きして来ました。

 不法移民が麻薬を持ち込み、犯罪を起こすという認識は、極端ではあるものの、強ち間違ってはいないように現地の肌感覚では思えました。少なくとも、EUの大量の難民受け入れが過去の植民地搾取の贖罪であるような位置付けでは(奴隷制度が背景にある黒人以外に関しては)ない米国が不法移民を選別して取り締まるのは或る意味適切な判断でしょう。留学生も中にはかなりグレーな存在が混じり込んでいますし、米国が敵対視する中国からの留学生が修士・博士を取得してその研究ごと中国に持ち帰るのは防がねばならないと考えることに不思議はありません。(中国の場合、もっと深刻な情報詐取の犯罪を米国で多々引き起こしていると報じられていますが…。)

 その後、グリーンランドを買い取りたいのとカナダを51番目の州にしたいとトランプが言うのも、かなり極端な表現ではありますが、事実上日本の空をすべて米軍が支配しているぐらいの状況から考えたら、あまり疑問が湧きません。氷が融けて不凍化している北極海でのロシアの覇権拡大を防ぐために緊急のアクションを取らねばならないとしたら、アラスカしか北極海に面していない米国が、モタモタとカナダやデンマークと軍事同盟的な政治を展開している余裕がないと考えることは一応できます。同様に、パナマ運河を乗っ取る話も極端ではありますが、運河の両サイドの主要港の権利を中国が獲得しようとしているのを、東海岸への輸出入の半分前後をパナマ運河を介している米国が見過ごす訳には行かないのが当然でしょう。

 このように考えると、私はトランプを贔屓したいとも思っていませんし、好きな人間のタイプでもありませんし、表現の仕方や物事の運び方は馬鹿げて不細工だと思っていますが、少なくとも米国大統領としての判断の方針は概ね妥当で、従前のレーガンあたりの米国の姿勢をかなり投影しているようなものであろうと理解しています。逆に言えば、寧ろ、そうした切り口で考えると非常に分かり易い言動をしているとさえ思っています。

 中絶だの女性の権利などに関しても、元々かなり極端なキリスト教原理主義の国である米国なのですから、そうした教義に従ったジェンダー・ロールを、少なくとも、生まれながらの初期設定として重視すると言うのは、特段驚きに値しません。2年半で学士と準学士各々1つを取得した私は留学中に周囲から米国に残って修士や博士取得に進むよう散々薦められましたが、社会に蔓延するキリスト教原理主義にほとほと嫌気がさしたのが最大の理由で帰国してさっさと就職する道を選びました。そうした私からすると、何を今更と言う感じに受け止められる部分が大きい問題です。ゴアとの接戦で知られる選挙戦で選ばれたブッシュ息子もそうでしたが、こうしたキリスト教団体に対する選挙上の配慮はずっと行われていることで、海外からみたら、大統領選の際の論点として目立っているだけでのことで、日常レベルでこのような信仰態度が社会に根ざしています。

 私が35年前に留学した際にも全米で騒ぎになっていた「モンキー・トライアル」(学校で進化論を教えないようにするための一連の裁判)が、昨年10月の渡米の際にもまだ燻っていました。大統領は就任の宣誓を聖書に手を置いて行ない、すべての紙幣には「我々の信ずる神の名において」と書かれており、その神は「the GOD」で単数形の絶対神ですから、何をかいわんやです。

 インテリ系の人々が主の民主党はメディアや大学を支配し、妙な性善説のきれいごとを重ねて、こうした共和党の全米の人々の動きに根ざした活動を批判して、それを報道や学術研究や大学生指導に反映させます。その情報を有難く受け取ってただ書き写すだけの日本のメディア報道では描かれることのない米国の多くの、特にシモジモの、人々の現実を、本気か政治上のトークだけかは別として、きっちり捉えて選挙に打って出ていたのが、第二期を目指すトランプの様子でした。

 そうした分かり易い人物トランプの為人がどのようなものであったのかを知ることができるであろう映画をどうしても劇場で観ておきたかったのです。

 シアターには観客が20人弱居ました。6割は女性で20代~30代が半分ぐらいの構成比だったと思います。残りが40代以上に満遍なく散っている状態だったように記憶します。残りは男性で私も含めて50代以上ばかりで、70、80代ぐらいに見える人物もいました。その後、トレーラーが終わるぐらいのタイミングで中高年男女カップル1組、中年女性1人が加わりました。この中高年カップル以外はすべて単独客だったように思います。ネットで見ると53席のシアターですので、それなりの稼働率になっています。私が上映時間の25分前にチケットを買った際に席は大分埋まっている感じで、座席の列の片端は壁に接している座席構成の中で、私がいつも座る列の端の席はかなり埋まっており、スクリーンから3列目のはじの席を取ることになってしまいました。

 観てみると、なかなか興味深い内容で、人気の背景が分かったように気がします。マッカーシズムの時代に赤狩り推し進めた弁護士のロイ・コーンと知り合う所から、映画は始まり、トランプが不動産業をどんどん拡張して、名実ともに富裕層の仲間入りをし、最初の妻であるチェコ人のモデルのイヴァナと結婚し、その結婚生活が急激に褪色してイヴァナと仮面夫婦のような状態になるのと並行して後に二番目の妻となるマーラと交際をし始めるころまでを描いた内容です。

 タイトルの「アプレンティス」は原題では「the」が着いて「The Apprentice」ですが、単語だけの意味を取れば弟子と言うことになります。ただ日本で言う師匠と弟子のような弟子の意味の単語はぴったりくるようなものが米語にはなく、寧ろキリストの12使徒のような重い意味合いが大きいように感じます。この映画のタイトルは、ロイ・コーンから富裕層になり上がる勝者の哲学を学び取り、成り上がった若きトランプを指した「ロイ・コーンの弟子」としての意味もあるでしょうが、米国人にはトランプと言えば、長年彼がプロデューサーとホストMCを兼任していたテレビ番組のタイトル「The Apprentice」が連想されるものと思います。原題はこの両者の意味を掛けた、センス溢れるネーミングなのだろうと思われます。

 映画冒頭、父の不動産会社の副社長になったばかりの若者のトランプは、父の会社が所有している巨大アパートの住人の入居に当たって人種差別をしたとの訴訟を受けたり、同じく所有している商業施設が抵当に入って取り上げられそうになっていたりするような経営危機に陥っている状況を何とかしようと野心込々で奔走している真っ最中でした。富裕層があつまる会員制クラブに入会し、そこで当時政財界・司法界のフィクサーと見做されていたロイ・コーンに見出されます。

 ロイ・コーンは、現実に入居者が黒人だった場合、書類に「C」(「colored」の頭文字で有色人種を示す記号)と書いてあるなどの証拠から敗訴確実のトランプ側を、彼が握っているスキャンダルで検察側を脅迫して提訴を取り下げさせるなど、水面下の数々の違法行為を駆使してトランプを窮地から救います。余りの悪辣なやり方に若きトランプも半ば恐怖して尻込みしかけますが、得られた名声に酔いしれるようになり、どんどんロイ・コーンの哲学を学び取り実践に移していきます。

 劇中ではロイ・コーンの勝利の哲学は、3つにまとめられています。

1.「攻撃、攻撃、攻撃あるのみ」
2.「何一つ認めるな。全否定で押し切れ」
3.「勝利宣言せよ。決して負けを認めるな」
です。

 この3つを知ることができると言う部分だけで、この映画の価値があると思えるぐらいに、現在のトランプの言動を端的に表している哲学であるように思えます。ロイ・コーンは法廷のあちこちに盗聴器を仕掛け、要人の裏側の部分のネタをたくさん隠し持っており、それを切り札に自分が求める結果を脅迫や脅迫的交渉によって獲得しています。その場は法的な闘争の場であることがほとんどです。容赦なく、手段を問わず、結果を純粋に追い求める姿勢です。映画ではあまり描かれていませんが、「赤狩り」で辣腕を振るった経緯から、共産主義や民主党員の社会主義から米国を守るという愛国心の発露として、こうしたことを平然とやってのけています。彼の考える祖国防衛のために手段を問わない戦争をしているということでしょう。

 その姿勢をそのままビジネスに転用したトランプは、財政は破綻寸前で貧困や犯罪が街を覆い尽くすような状況のニューヨーク市を偉大な街に戻すことを自身のミッションとして、それを具現化するビジネスをどんどん推し進めて、多くの負債と引き換えに不動産を得て行きます。(不動産獲得を繰り返すプロセスになぜロイ・コーンの司法的交渉力(=脅迫力)が必要なのかと思っていたのですが、トランプは自身のビジネスとしてニューヨークの一等地を買い、高層ビルを建築したり、その場に在ったビルを大規模改修したりするなどを進めるのですが、その際に、「これは市に新たなビジネスを引き込む魅力を増やす作業なのであるから、市は課税すべきではない」と一方的に主張するのです。当然諍いが起き、裁判劇になるということでした。

 そうした裁判には市民が傍聴席に大量に現れ、「貧乏人から搾り取った税金を肥え太った金持ちに渡すのを許すな」と至極真っ当な主張をしています。たとえば、商店街の土地を買って出店した店が、「商店街の活性化の効果が大きいのだから固定資産税を免除するのが当然だ」と市を訴えて主張するというのは、なかなか考えにくいシチュエーションです。あまり日本では見られない裁判劇であるように思えました。

 トランプはそうした過剰な拡大主義と雑な経営がもとで1990年代前半に最初の経営危機を迎えていることはよく知られています。そのタイミングに丁度私は留学中で経営を専攻していたので、トランプに関わる新聞ネタが授業の議論のテーマに採用されたことも時々あり、記憶に刻まれています。その後、サブプライムの余波でも二度目の経営危機になっていたことを私は今回ウィキを見て知りました。そうした苦境が訪れる前の彼の人生をこの映画は描いています。

 その結果、社長の愚鈍な坊ちゃんがどんどんなり上がって行くだけの一本調子の脂ぎった成長譚としてトランプの人生が描かれていて、(家族がそれで人生を破壊してしまったことを観ているが故の)トランプの有名な酒・煙草・ドラッグを一切やらない習慣が生まれた経緯も分かります。また、辛うじて負の側面では、ファースト・フードばかり食べる食生活で肥満が嵩じ、劇中では性的不能に悩んだり、脂肪吸引をしたり、毛髪が薄くなって頭皮切除の手術を脂肪吸引と同時に受けたりといった事柄も描かれますが、基本的に元々チョイ富裕層の坊ちゃんが大風呂敷を広げてどかどか不動産を買い捲る話の展開になっていて、3原則の実践がそこにあると言う発見以外はあまり観るべきポイントがありません。

 それに対して、目を奪うのは寧ろ脇役であるロイ・コーンです。先述のような非道で違法な手段を以てでも勝ち続けることを是とし、それを頼る者が後を絶たない状況のフィクサーぶりですが、実は彼自身が、彼が卑下し攻撃する同性愛者であるコンプレックスの裏返しであることが描かれていたりするなど、トランプに比べて非常に深く掘り込まれた人物描写になっています。実際に見た目も常に俯き加減の暗く影が差した表情の中で大きな目から異常に強い眼光が放たれているような演出が、彼の凋落が決定的になるまで続きます。

 妙にマッチョ的な言動や妙に気合の入った筋トレ姿も、どう見てもハード・ゲイのように見えるのにも拘らず、本編の初盤ではゲイを否定したり、嘲りのネタにしています。そうした状況の違和感が強く湧いてくるのですが、パーティーの場でトランプが覗き込んだ別室で、アナルを男性に犯されて歓喜に悶える彼の姿が描かれていて、一気に人物像が露わになります。そして、『スワップ・スワップ 伝説のセックスクラブ』にも描かれたニューヨークのセレブ間の乱交や同性愛の流行の中でエイズが一気に拡散していきます。

 エイズは『スワップ・スワップ…』にも描かれている通り、当初は原因も感染経路も不明な謎の死病でした。ロイ・コーンの表面的な言動にも見られる通り、同性愛者は社会的に差別されていたので、エイズは当初同性愛者だけがなる病気で同性愛者に対する天罰ぐらいに認識されていたようです。(同性愛が違法とされ刑罰の対象とさえなることもあった西欧文化が露呈している社会的状況だと思えます。日本で同性愛者がそのようなあからさまな差別を受けることや刑罰の対象となることなどなかったはずです。)そのような社会的無知が消えかけた頃、まずロイ・コーンの男性愛人が衰弱し始め、その後、落命します。

 その愛人にホテルの一室を用意するようロイ・コーンから要請を受けたトランプは、事態を知り、自分もエイズに感染しているのではないかと恐怖し、ベッドで妻を横に泣き出すシーンがあります。数少ないトランプの感情の高ぶりを描写したシーンです。そして、ロイ・コーンは常に肝臓癌であると公言していましたが、やはりエイズに犯されて衰弱を始めました。身近故にその異変に逸早く気づき、(既にロイ・コーンの盗聴ネタの必殺技も必要としないほどに栄華を得て驕っていた)トランプは彼を憐れみつつ距離を置くようになって行くのです。

 顔は土気色になり、意識も絶え絶えになりつつ、車椅子に乗ったロイ・コーンをトランプは豪華な別荘に招き、彼の59歳の(結果的に最後の)誕生日を祝いましたが、トランプが彼に贈った(トランプの名前入りで)ダイヤをあしらったカフスボタンは、彼の隣席に座っていてその時点でトランプに愛想を尽かしているイヴァナからジルコニウム製の偽物だと教えられます。中世の宮殿のような長い食卓の両端に位置したトランプとロイ・コーンの食事はハグすることもないままに、ロイ・コーンの体調悪化による中座で唐突な終わりを迎えるまで続いたのでした。

 栄光と凋落や、隆盛と没落を描く物語はそのコントラストの魅力により、多くの有名映画作品が存在します。その観点で見ると、この作品のロイ・コーンの人物描写がこの作品の魅力を大きくしているのは間違いありません。現在の世界を振り回すトランプの原点を観る以上に、赤狩り以降のフィクサー、ロイ・コーンの盛者必衰の物語として楽しめる作品なのです。

 米国の反知性主義にも通じる、非を認めず権利主張ばかり繰り返す「主張文化」の極端な成功パターンが描かれた作品と見ることもできるかもしれません。当時の米国の状況を知る材料としても観るべき価値があります。DVDの発売はやや怪しいように感じもしますが、出るなら間違いなく買いです。