『ディアスポリス -DIRTY YELLOW BOYS-』

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 月曜日の夜9時40分からの回をバルト9で観て来ました。封切からほぼまる3日の段階で、バルト9では、一日7回の上映回数で、この回の後にも、12時少々過ぎの回や午前2時過ぎの回もあります。夜の9時40分の回が終わるのは夜11時45分。終電にはギリギリの時間帯で、台風が連続して日本に到達する中での久々の終日好天で、どの程度の混み具合なのかには関心がありました。

 シアターに入ってみると、観客は20人ほどで、あまりばらつきのない、30代を中心とする年齢層でした。男女は圧倒的に男性に偏っており、カップル客の片方が女性と言うケースしか女性客は見当たらなかったように見えます。これが、『週刊モーニング』の原作の読者層と想定すると、一応納得できる客層分布のようにも思えます。ただ、20人ぐらいの観客数は意外に少なく感じられました。

 私がこの作品を観に行くことにしたのは、偏に、2006年から2009年にかけて連載されていた原作『ディアスポリス 異邦警察』が好きだからです。東京に約15万人いるとされる密入国者が、日本の社会制度の枠の外で生きるために組織した裏都庁と言う設定がユニークでしたし、猥雑な街を舞台に、まるで町内会でも今時ないようなグダグダな組織運営と、法制度の外にあるが故の型破りな事件対応方法など、類を見ない設定がとても魅力的でした。

 そうした作品の魅力を知っているが上に、この作品を観に行かねばとは思っていましたが、初めてこの映画作品の告知を観た際から、主人公の裏都庁警察官久保塚の設定から始まり、違和感がありました。『週刊モーニング』に掲載されていたインタビューで、主演の松田翔太は原作のファンであると、如何にもなクリシェ的な発言をしていましたが、外見のイメージが全く違うのです。やはり久保塚と言えば、アフロにベストの姿でなくてはなりません。言動を見ると、少しキャラも松田翔太のイメージに引っ張られている感じがしなくもありません。

 久保塚の部下の鈴木も、もっとデブの小男っぽくなってほしかったですし、こちらも原作とは異なり、ただのグダグダでうざいだけのキャラにシフトしている感じに見えます。周囲のメジャーなキャラも同様にキャラずれを起こしています。唯一準レギュラーで、私がイメージに合っていると思えたのは、クリスチャンでヤクザ幹部の伊佐久だけです。

 私は全く知らなかったのですが、この映画作品と並行して、テレビドラマも制作されていたということで、パンフに拠れば、テレビの方の監督と映画監督の両方が、本作の中にカメオ出演していると言われています。テレビでは全10話で5個のエピソードが放映されていたようです。そのオープニングが、この映画でも用いられていて、制作会社や配給会社のシンボルロゴも出る前から、いきなりオープニング映像の上映が始まるので、一見、『ディアスポリス…』のトレーラーが始まったのかと思いました。トレーラーが始まるということは、上映される本編は違う作品であることを意味しますので、間違ったシアターに入ってしまったかと、かなり焦りました。

 このトレーラー紛いのオープニングには、私が原作で久保塚の次に好きなキャラが、映画本編には全く登場しないのに、チラリと映ります。裏都庁の無敵のボディガードで、元女性テロリストのイサームです。イサームは、マリーと言うセネガル人とのハーフのモデルが演じているとネットには書かれていますが、原作でも一部の例外を除いて、イスラム系女性の伝統的服装そのままなので、目しか見えない状態です。その顔がチラリとオープニングに出るのですが、少なくとも、目だけで見る限り、伊佐久以上にオリジナルにぴったりでした。本編に全く登場しないのが残念です。

 原作には幾つものエピソードが『…編』とまとめられて存在しており、テレビでは5エピソード、そして、この映画では、テレビでは制作されなかったエピソードになっています。もしかすると、テレビ版と全部合わせてみると世界観がだいぶ原作に合致するのかもしれませんが、映画だけを見る限り、どうも、場面設定も原作とのずれを感じさせます。

 映画のエピソードはタイトルに入っている「ダーティー・イエロー・ボーイズ編」ですが、このエピソードは原作でも珍しいロードムービーの形になっていて、舞台を東名阪と移していく構造になっています。その結果、裏都庁の存在する街(概ね新宿から大久保界隈に見えます。)の猥雑さや混沌さの描写が激減してしまっているのです。

 本編の冒頭で、久保塚の活躍を皆で祝うことが目的らしいパーティーは人種構成がまさに坩堝状態ですが、ただ彼らは大騒ぎしているだけです。原作でも「パーリー!」とモブが騒いでいるシーンは比較的頻繁に登場しますが、コマ数はそれほど多くありません。それが、やたらにパーティーのノリでただ酒に溺れるだけの久保塚を、これまたやたらに時間を使ってねちっこく描くのです。

 これも、テレビ版と合わせてみると補完されるのかもしれませんが、ダーティー・イエロー・ボーイズと名乗る犯罪グループの主犯格の中国人留学生崩れの二人が、政府から弾圧される隠れクリスチャンであったため、どれほどの苦汁を味わったかが、たった115分の映画の尺の中で、大きな構成比を占めつつ描写されるのです。映画だけを見ると、本来の主人公たちの人間関係や、裏都庁の組織構成以上に、この腐った中国人留学生崩れの話が描かれることが、とてもバランスを欠いているように見えます。久保塚や裏都知事や助役達が、他の違法入国者たちと関わりつつ、エネルギッシュに日々を生きている姿をもっと描いて欲しかったと思います。

 さらに言うと、久保塚が特技の「発音からの出身場所当て」を一度だけ披露する場面が劇中に存在しますが、もう一つの特技システマを披露する場面がありません。原作で言うと、「ダーティー・イエロー・ボーイズ編」は、久保塚がシステマをマスターする「寒い国から来た男編」の前に位置するので、設定としては正しいのですが、映画が単体作品であったなら、寧ろ、久保塚の活躍を描く格好の材料として採用されていてしかるべきであったように思えます。

 このように考えると、この映画の弱点は、(少なくとも原作ファンから見ると、)久保塚を始めとするキャラの描写が原作と中途半端に乖離していること、そして、テレビ版の総集編でもなく、外伝でもなく、単純にテレビで作れなかったエピソードをテレビ版の延長に一話作って見せただけと言う位置づけの中途半端さにあるように思えます。

 アフロじゃない久保塚、システマを使わない久保塚を観に行くのは、一応覚悟の上でしたが、代わりに執拗にキチガイ中国人留学生崩れのチンピラの回想シーンを見せられるのにはうんざり来ました。DVDは必要ないと思います。好きな作品であったのに、コミックは購入していませんでした。DVDの代わりに、原作を購入して再読してみたい気がしてきました。