『二重生活』

【注意!!】
 このページのコンテンツは、2016年10月26日未明に発生したアイ・ドゥコミュニケーションズ株式会社によるサーバクラッシュにより失われ、さらに7か月分がバックアップされていない状態での復旧対応により、一旦、完全に消失したものです。弊社にて過去のデータを浚い、概ね回復しましたが、一部に当初ページ・コンテンツのアップ時とは異なっている可能性があります。ご了承ください。
===================================================

 封切は6月下旬。「観に行ってみたい」と思い続けて、8月上旬になっていました。段々と上映館が減っていくのをサイトでチェックしていましたが、今週になってとうとう関東でも上映館が1館になっていました。その1館、新宿のピカデリーでは、最終週は毎日1回しか上映がなく、その最終日の金曜日の朝9時15分の回にギリギリ滑り込みで観て来ることができました。

 映画専門サイトでは「大学院の哲学修士論文を書くために、見知らぬ男の尾行を始めた女子学生が、尾行と言う行為にはまっていく姿を描く」などと概要が紹介されています。この映画の一般的な魅力は、「異常な行為」としての尾行が、観る者にとって、自然な行動に感じられるようになる点だと言われています。

 週に30分ほどしかテレビを観ない私が偶然見た朝の情報番組で、門脇麦が全員がアウトドア志向の家族に育ち、自分もコテコテのアウトドア派であるとカミング・アウトして、スポーツ用品店にアイゼンを買いに行く模様を紹介していました。そして、当然、この映画の宣伝映像が流れていました。この映画がどの程度の販促予算を持っていたのか分かりませんが、私はこの映画の広告をトレーラー以外で見たことがありません。トレーラーでも、ピカデリーに来た中の1回ぐらいのことであって、何度も見た記憶はありません。ただ、そのトレーラーの印象が微かに残っていたので、朝の情報番組の告知の前からこの映画の存在は知っていました。

 私は門脇麦が特に好きな訳ではありません。他の登場人物にも特段劇場まで足を運ばせるほどにファンである俳優が見当たりません。私がこの映画に関心を持ったのは、尾行そのものをど真ん中に置いた映画のテーマです。どんな風になるのかかなり関心がありました。

 観てみると、それなりに楽しめて、DVDも入手が必要と感じるほどでした。観客は小さいシアターの4分の1ほどは埋まっていて、総勢40人以上と言う感じでした。女性客が過半数と言う珍しい客層です。年齢は20代から40代前半にばらけているように見えました。単独客もいれば二人連れもいます。中年男を尾行する修士課程女子大生の話がそれほどに面白いのか、それ以外の何かの魅力があるのか私には分かりませんでした。

(シアターからの帰途のエスカレータで聞いた何人かの女性の会話内容は、「尾行、やっぱ、ヤバイって…」的なものや「哲学分かんないけど、ヤバイよね。やっぱ、自業自得になっちゃうよね」的なものではありました。)

 尾行に関心があったのは間違いありませんが、私が楽しめたのは「尾行、やっぱヤバイって」と言うニュアンスではありません。素人尾行の陥りやすいドタバタ劇に共感できたのが最大のポイントです。共感できる理由は、刑事でも探偵でもありませんが、私も仕事で時々尾行をするからです。尾行を時々はしますが、特にそればかりする仕事でもないので、特段専門の訓練や勉強をしている訳ではありません。ですから、劇中の門脇麦の慌てふためいている様子に共感できることがたくさん見つかるのです。

 クライアントの店舗付近の商圏の駅からの人の流れを検証してみるために、駅の改札でランダムに選んだ人物を1〜2時間追跡してみることもよくあります。また、スーパーマーケットや大規模商業集積などでは、建物内の来店者の行動や動線についての仮説を検証するために、やはり、30分から数時間の単位で尾行してみることもあります。特に必要な場面では隠し撮りもします。ただ尾行しているだけなら、不審がられそうになったら、「まあ、いいか。次の誰かにしよう」と諦めれば良いだけですが、撮影したり行動内容をボイス・レコーダにぶつぶつ呟いて録音したりすることになると、色々と細かな配慮が必要になりますし、失敗するリスクが格段に増えます。

 門脇麦がタクシーで尾行して、持ち金の残りが気になってきたりしている場面も、「あるよなぁ」と思います。門脇麦がふと死角に入った対象者を慌てて追いかけると、実はすぐそこにいたりしてさらに慌てる結果になる場面も、「あるある…」と頷けます。さらに、トイレに入った対象者を追いかけて慌ててトイレに入ったら、洗面台のところに立っていたので、怪しまれないように、個室に入り、手持ち無沙汰になって聞き耳を立てながら、緊張からつい何となくトイレット・ペーパーをずるずると引きずり出してしまう場面などは、笑いを堪えるのが大変でした。

 そして、笑い出してしまう場面が多々見つかるが故に、『愛の渦』で「ア〜、ア〜。ワ〜、ワ〜」と棒読み風にただ叫びながら腰を前後させてセックスに狂っていた根暗女子大生の門脇麦には全然関心が湧きませんでしたが、今回の門脇麦の地味なおきゃん振りは結構気に入りました。

 そんな楽しめる部分が大きいのでDVDは先述の通り買いなのですが、あちこちに「なんだよ〜」とがっくりさせたり「はあ?」と疑問を湧かせたりする部分があります。

 まず、門脇麦以外の俳優が多作の人々なので、ウンザリ来ます。門脇麦が何となく同棲していて、朝から何となく単調なセックスをするだけのデザイナーの若い奴は、『そこのみにて光輝く』の刑務所送りになる弟であり、『海月姫』の女装男です。どちらもかなり目立つ役だったので、その印象が強く、どうも本作でも、「うわぁ!」とブチ切れて人を刺したり、突如女装をしたりするのではないかとハラハラしてしまいます。髪型が『海月姫』の女性別キャラのようながっぷりと被ったもので、これまた『海月姫』を連想させるオタク的内向性を強烈に見せてくれます。

 門脇麦が追尾して回る出版社の部長の不倫中年男は、『地獄でなぜ悪い』のイカレ監督です。血糊が幾らあっても足りないような修羅場の撮影を終えて瀕死の重症なのに、映画のデータだかフィルムだかを持って走り去る映画を締めくくる役だったので、これも印象が妙に強かったです。さらに、この男は『進撃の巨人 ATTACK ON TITAN』二作のシキシマで、ミカサを抱くように女を口説いてしまいそうと思っていたら、映画の比較的早い段階で、予想を裏切らずいきなりビルの隙間で立位のアオカンを始めてしまいます。

 そのアオカンの相手はつい最近『TOO YOUNG TO DIE! 若くして死ぬ』で牛頭を被り物で演じていて全く認識できなかった烏丸せつこです。不倫劇や略奪婚、自己破産を経た人生経験をそのままにぶつけてくれているイメージでやってくれます。

 その他にも、門脇麦に尾行を論文テーマにするように薦める大学教授は、リリー・フランキーが演じていますが、どうも『凶悪』で、借金返済目的で家族から保険を掛けられた老店主に、踊り狂いながら電気ショックを続ける「先生」役がなかなかぴったりで、印象に残ってしまっています。あちらも呼び名だけは「先生」なので余計にイメージがダブります。おまけに、上映前に観たトレーラーの『秘密』でもガッツリ登場しています。最近では『女が眠る時』にも意味深なことを言う役で登場していて、かなりキャラが被っています。

 どうしてこうも、濃い俳優を揃えるのか疑問に持たざるを得ません。これらのどれかが功を奏して、集客に成功し、大規模なプロモーションもなく、まるまる1ヶ月半の上映を実現したのかもしれません。

 さらに素人尾行とは言え、尾行と言う行為そのものにも、色々な点で疑問がどんどん湧いてきます。門脇麦は、リリー・フランキーの教授がフランスの女性アーティスト、ソフィ・カルによる『本当の話』とか言う書籍に登場する「文学的・哲学的尾行」を元に発案して、無作為に選んだ誰かを接触することなく尾行することを論文テーマに選びます。それならば、この「文学的・哲学的尾行」がどのようなものか、キッチリ学ぶ必要があるように思えますが、全くそのような経緯は描かれていません。

 ネットで調べると、ソフィ・カルは、大学中退後に無目的な世界放浪を7年も行ない、帰国後は他人の生活に強い関心を持つようになります。他人を尾行して写真を撮影することを始めます。本人にはゲームのように感じられたと言う記述もあります。ホテルのメイドとなって、部屋の様子を撮影したり録音したりするなどを重ねます。さらに、探偵を雇って自分自身の観察結果を知り、対象者の観察結果と現実の生活の乖離の度合いも検証するほどでした。

 確かに哲学的ですし、私が最近よく読んでいる適応的無意識についての本に拠れば、自己認識よりも他人からの自分についての評価の方が、正確性が高いと言いますから、「文学的・哲学的尾行」が「人間」を知る有力な方法と言うことも納得できます。納得できるのですが、その辺の説明が全く劇中には存在せず、劇中の門脇麦が行なう尾行程度の距離や推察では、到底、ソフィ・カルの目指した「人間の理解」に至れるとは思えません。

 それの遥か以前に、門脇麦の尾行自体が非常に浅薄です。尾行対象も近所のセレブ家庭の夫を、書店のサイン会の著者脇に見つけて衝動的に決定し、唐突に追尾を始めます。決めたら、それなりに個人情報を調査すればよいでしょうし、よく行く場所なども事前にロケハンしておけば、失敗のリスクが大きく抑制できます。アオカンを見てから、デザイン事務所を経営する女性事業家の烏丸せつこをネットでキッチリ調査しています。ならば、自分の追跡対象はもっとキッチリ調べるべきだったでしょう。

 追跡していてもマル眼鏡を外すことがあるぐらいで、特段変装をする訳でもありません。明らかに無理があるのに、一人で追跡していて、見失いそうになったり、会話内容を聞こうとしたりすると、明らかに対象者の視界内にまで踏み込んでしまっています。

 対象の男の不倫はばれて、セレブ妻は睡眠薬で自殺未遂となります。その際に門脇麦もとうとう対象者にばれて、「おまえが妻に雇われて、不倫の事実を暴いたから、妻は自殺未遂をしたんだ」と事実無根の糾弾を受けます。おまけに、「俺のプライバシーを盗み見てこねくり回して、論文を書こうなんて絶対に許さない」と宣言され、酒を飲まされグダグダと嫌がらせを言われます。泥酔して「論文書かせてくださいよぉ」と抱きついたら、そのままラブホテルに行くことになるのでした。まさにグダグダです。

 この「理由なき尾行」の法的な解釈も普通ならやる前から検討しておくものだと思いますが、門脇麦はそんなこともしていないので、セレブ妻自殺未遂や尾行そのものに罪悪感を強く抱いている様子です。尾行して知った内容をネタに脅す訳でもありませんし、何らかの対象者の不利益に結びつくことをする訳でもありません。論文にだって、実名で書く訳ではありませんし、個人特定に繋がらない情報の範囲なら、全然問題はありません。まして、劇中に見る範囲の門脇麦の行動には撮影も録音も含まれていません。

 全く法的に問題はありませんから、ばれても事情を説明すればことは済みます。多少の誠意を見せることは必要かもしれませんが、どうしても向こうが納得しないなら、「では、訴えてください」と言えば済みます。訴訟は全く成立しないことでしょう。ストーカーでさえ、ストーカー法が成立してさえ、ちょっとやそっとでは警察も動かないのですから、全く問題が発生しようがありません。どうしても説明をきちんとしたいなら、大学側から課題の内容の証明をしてもらえばよいだけでしょう。

 いずれにせよ、ばれた場合の対応策は準備しておくのが鉄則だと思いますが、そのようなことが全く為されていないのです。学士過程を終え、いい歳の大人になって、こんなこともできずに、いきなり尾行を始める学生も学生ですが、そんな学生に不用意に尾行を提案する学校も学校です。

 同棲相手の男も、門脇麦の不審な挙動に嘘を感じ、問い詰めて、尾行の事実を聞き出します。笑ってしまうのは、「何でそんなことをしなきゃいけないの?」、「そんなのおかしいだろ」などと言って詰ってくることです。前者には、「それがテーマだから」が答えですし、後者には「いいえ。おかしくありません。人間理解の最良と言われる手段です」と答えて、ソフィ・カルの書籍を渡せば良いでしょう。

 同棲相手の学歴はどのようなものか分かりませんが、哲学で修士を取ろうと言う女性と同棲するのですから、少しは哲学的な視点でも理解してみればよかったことでしょう。まあ、それ以前に、門脇麦も相手に「こんな面白いテーマをやることになった」などとウキウキと明るく事前説明していれば、この展開にはならなかったかもしれません。「元々、何となく同棲しただけ」の自覚があると劇中でも彼女は言っていますから、価値観や視点の相互理解などは、どうでも良かった二人なのだと考えざるを得ません。

 偶然にしてはできすぎているほどに、対象者の愛人とのアオカンと別離、妻への不倫劇の露呈、修羅場、妻の自殺未遂と、短い期間に門脇麦はたいした努力もなく目撃することになります。実際には、数日にわたる追跡でも結果が出ないので、見張り時間の長さがそのまま人件費に反映し、探偵調査料は通常バカ高くなりがちです。その意味では、事実の断片が色々と見つかる中で何一つ明確にならない『女が眠る時』の方が、「人間世界の人間による認識」の描写としては適切であるように思えます。

 そのような、「なんだかな」と思わざるを得ない部分も多々ありますが、関心は持てる映画です。売り切れていたパンフレットは関東全部で最終回の上映には追加仕入されていず、細かいことはよく分かりません。特にエンド・ロールに、私の好きなジャン・ボードリヤールらしき名前が載っていたのが気になっています。タイトルの「二重」は何が二重なのか判明させることはできないでしょうが、DVDは必要です。

 尾行は仕事でしていますが、「文学的・哲学的尾行」も、(少なくとも、巷間で多くの人が興じる「ポケモンGO」などに比べたら、手ぶらですぐにどこででもできるので)結構楽しそうに思えました。老後の趣味にはいいかもしれません。