『デッドプール』

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 6月の最初の水曜日の晩、と言っても、12時を5分過ぎた上映開始時刻だったので、実際には木曜日の未明にバルト9で観て来ました。きちんと数えていませんが、1日に10回近くの上映があったと思います。

 上映開始後のオープニングのいつものマーベルのコミックのページがパラパラと捲られて行くパターンの後、「3Dで見ると本当に飛び出して見えるほどの…」などとパンフに書かれた、破壊された車の中の悪役達とデッドプールの戦闘場面のクローズアップがパンしていく場面がありましたから、本来、上映には3Dもあるものと思います。全くコスト・パフォーマンス的に3Dの魅力を感じない私は、いつもの如く、2Dを選択しました。しかし、気付いてみると、珍しい水曜日の封切りから二日目ですので、途中で無くなった訳ではなく、端っから3D上映はなかったのではないかと思われます。

 その週の『こちら葛飾区亀有公園前派出所』のエピソードは、知り合いが運営する古い映画館を、両さんが大音量スピーカーを大量に配置した爆音映画館として流行らせると言うものでした。その中で、競合大手シネコンのマネージャーが「3Dは面倒臭がって、客から敬遠されている」などと言っています。多分、バルト9でもそうなのではないかと思われます。これほど、いかにも3D向きに作られたアクション系作品を3D無しの上映のみとしたバルト9の英断を讃えたいと思います。

 晴れた夜でしたが、終電過ぎの開始。封切り二日目の入りは上々で、100人近い観客だったのではないかと思います。性別ごちゃ混ぜの若い二人連れが多かったように感じます。ざっと見、私はトップ10%には入っている年齢であるように思いました。珍しく、ネイティブ臭いイングリッシュ・スピーカーも数人聞き分けることができました。

 コミックでも『デッドプール』は日米で大人気で、コミックのテイストを非常に忠実に再現したこの劇場作品も、やはり日米で大人気なのだと言います。封切り二日目とは言え、終電後でこの入りなのですから、その噂には信憑性が感じられます。しかし、私は、特段『デッドプール』が好きではありません。むしろ、マーベル作品で言うと、やや嫌いな方かもしれません。

 元々、私はデッドプールの存在を2009年に『ウルヴァリン: X-MEN ZERO』を観るまで全く知りませんでした。記憶があやふやですが、私が、ブログに「ウルヴァリンを含む数人分の能力を併せ持つキャラが、やたら高次元な闘いっぷりを見せてくれて、楽しめました」と書いた最強・最悪キャラだったのではないかと思っています。このキャラを私はそれなりに気に入っていました。これがデッドプールだと思うのですが、このキャラが単体で登場する映画だったらとの私の淡い期待はあっさり裏切られました。

 今年の7月には6階の洋書売場を残して撤退する予定の紀伊国屋新宿南館の1階のコミック売場では、『デッドプール』のアメコミ翻訳版がコーナーになっていて、その表紙を見て、サンタクロースの出来損ないのような格好を見た時から嫌な予感は確かにしていました。そして、その嫌な予感の方は、ばっちり当たりました。鑑賞後にパンフを見ると、ファンの間では、『ウルヴァリン: X-MEN ZERO』のデッドプールの方が大不評で、その名誉挽回作がこの作品のようでした。前述の通り、私は一般のファンと逆の期待をしていたことになります。

 デッドプールは傭兵の男で、娼婦と恋仲になり、セックスばかりしていて一年経ち、とうとう結婚に漕ぎ着けたら、いきなり末期の悪性癌が見つかり、それを治してやるとのオファーに騙されて、ミュータント化することになります。癌を治さねば死んでしまうため、治癒のミュータント遺伝子を組み込まれたようで、基本的に不死になったようです。『ウルヴァリン: X-MEN ZERO』の方では、瞬間移動などの能力もフュージョンしてあったように朧気に記憶します。それに比べて、こちらは、ウルヴァリンほどではありませんが、高い治癒能力と高い運動能力が売りと言うことのようでした。

 騙され、(大きなストレスがかからないとミュータント遺伝子が活性化しないため)散々拷問されて、漸くミュータント化して不死になったのは良いのですが、全身の皮膚がただれて、顔もボコボコになってしまいました。これを治してもらうために、自分をミュータント化した(デッドプールにとっては拷問の恨み骨髄の)科学者を探し出す活動を開始します。この捜索劇が基本的にストーリーの中核になっています。

 なぜ、それほどに真剣に顔を治したがったかと言うと、元娼婦の彼女の元に戻るためでした。「皆が醜いと顔を背けるのだから、彼女に会いに行っても、別れが来るだけだ」と端っから決め付けています。結果的に科学者を見つけますし、科学者の方も、デッドプールに付きまとわれるのは迷惑なので、デッドプールを殺しにかかってきて最終対決に至ります。最後はデッドプールが勝ち、科学者に顔を治せと迫ると、嘘だと告げられて、「だったら生かす価値ないじゃん」とあっさり命を奪います。人質にとられた元娼婦の彼女を救出し、カミング・アウトすると、彼女はあっさり彼を受け容れるのでした。

 デッドプールはコミックでも映画でも、見ている側に話しかけてくることが特徴です。どのような背景でそう名付けられたのか分かりませんが、これを「第四の壁を越えた」と表現するようです。その語り掛けの中で、デッドプールはこの物語をラブ・ストーリーであると言っています。確かにそのように見たほうが良いような構成です。15歳未満は観られない制限は、数々のバイオレンス・シーンよりも、冒頭に執拗に登場するセックス・シーンと、何かと言えばすぐ口をついて出るエロ系ギャグが原因なのであろうと思います。

 ただ、折角のラブ・ストーリーなのに展開が読めてしまうのです。元々ストーリーを知っていた訳ではありませんが、デッドプールになる前の男への彼女の愛情の深さから、顔のひどさに関わらず愛の結実はほぼ必然で、それをグダグダ逡巡する方が異常に見えます。大体にしてデッドプールの顔が二目と見られないかと言えば、必ずしもそうではありません。

 古い友人で彼のサポート役になっているバーテンの男が、カミング・アウトしてきたデッドプールに対して、「ホラー映画を作ることにして、主演すれば人気が出る」と人生の方向性を助言する場面があります。しかしながら、劇中でもギャグで出てくる『エルム街の悪夢』のフレディの方がよほど受け容れにくい顔をしていますし、『エレファント・マン』や『ダークマン』の主人公や、『マスク』のエリック・ストルツの方が、日常生活に支障を生じる顔になっているように見えます。この程度であれだけ深く愛している彼女が去る訳がないと普通分かると思えるのです。

 不死で再生能力が強いので、美容整形手術をしてもデコボコ顔に戻るのかもしれませんが、今時の美容整形の技術の粋を集めれば、幾らでも何とかなりそうに見えます。大体、デッドプールは、突き刺された心臓も再生し、手首から先を(自分で)切り落としてもまた生えてきます。(劇中ではやっていませんが)臓器を抉り取って売却などすれば、『亜人』の佐藤のようにバカ儲けができます。金が幾らでも作れるのなら、幾らでも何かの方策を考えられそうなものです。

 さらに言うと、『X-MEN』シリーズの学校兼基地が何度か登場して、(予算がなかったということらしく、主要キャラは全く出てこず、金属の体になるコロッサスと、『X-MEN』シリーズでは未登場だと思われる炎を纏って爆圧を全身から出せる少女が登場するだけですが、)『X-MEN』シリーズとの関わりが描かれています。あれだけありとあらゆる能力の人間が揃っている施設なのですから、顔ぐらい何とか治せそうなものです。ミスティークやビーストと並んでいたら、デッドプールはちょっと異色な顔程度にしか見えないことでしょう。

 デッドプールの見所はファンに拠ると、先述の第四の壁がどうのこうのと言う話、ベラベラしゃべり続ける中身はかなりマニアックなオタク系ネタとエロ系ジョーク、さらに、いやいやヒーローをやっているスタンス…と言ったことのようです。

 第四の壁は、私は特に魅力を感じませんでした。細かく見ると、色々な作品にそういう場面はあるはずですし、『ラスト・アクション・ヒーロー』や『カイロの紫のバラ』、『君が愛したラストシーン』などは劇中で劇の人々がこちらに話しかけてきた挙句に飛び出てきます。

 手錠を掛けられて連れ去られそうになったら、自ら手首を切断する場面では「127時間が、どうのこうの」とか言ったりしますが、それは当然、『127時間』の岩場に手を挟まれて動けなくなった男の話のことだと思いますし、『X-MEN』の洋館に行くと、「プロフェッサーは今は誰がやっているんだ」などと言い出しますが、それも最近時間軸を巻き戻したストーリー・ラインへの言及だと思います。

 あと、彼が「膝に悪いスーパーヒーロー着地」と呼んで冷やかす、片膝を折った高所からの着地も、マーベル・ヒーローのみならず、多くのターミネーターや『僕の彼女はサイボーグ』の綾瀬はるかもやっていて、「なるほど」と頷けます。その他にも他作品への言及やオマージュが目白押しです。エンド・ロール後に流れる映像では壁の影から出てきて、観客に「もう帰れ」と言っていますが、(パンフを読む前から)これも『フェリスはある朝突然に』へのオマージュと直ぐに分かりました。これらは面白いのですが、まあ、分かるものは「ああ」と分かりますが、敢えて見返して見逃したものを色々探したいとも思えません。

 エロ系ジョークは、大学時代に周囲のチャラくて、成績不振で概ね二年生に進級できない学生達の話し方に酷似していて、ウンザリ来ます。いやいやヒーローをやっている感じは、分からんでもありませんが、考え無しの行動が多くて、何か苛々させられる場面もあります。不死の肉体を持つことになった男のラブ・ストーリーであるなら、元娼婦の彼女の方が、どんどん老いて行って死んでしまうことが予想されます。おちゃらけたジョークを濫発しても構わないので、どこかでは『ハイランダー』のような悲壮感もあって欲しかったように思いました。

 また、英文では普通なのに、なぜか日本語訳になると、デッドプールは自分のことを「俺ちゃん」と呼ぶことになっています。コミックでもそのようになっているらしいのですが、少なくとも、私は今のご時世で、「俺ちゃん」と自称する人の人格モデルを全く知りません。どんなキャラを指すものか全く分からないままに、やたらに使われると、(字幕なので耳障りではなく)目障りで、やや不快です。

 SFやファンタジーモノなど(最近では一部の米国のテレビドラマの群像劇まで)で、設定上の区別のためだと思いますが、関西弁や東北弁を話したりするキャラが登場することがあります。『超神伝説うろつき童子』の天邪鬼や『うる星やつら』のラムちゃんのようなケースも、違和感はありますが、使われているのを実際に耳にする方言なので、ギリギリ許せます。しかし、「俺ちゃん」は、普段誰かが使っているのを聞いたこともありませんし、この言葉だけが変な表現で、他は普通の台詞です。最初のコミックの邦訳者の意図が的外れであったように思えて仕方がありません。

 コラボ的になっている『X-MEN』のコロッサスは、本家の方が非常に格好良く、スタイリッシュな若者風です。こちらでは、変身前の青年バージョンはなく、年がら年中、メタリックな風貌の中年のおっさんのようになってしまっていて、ダサくて見ていられません。おまけに、どうやって食べるのか分かりませんが、変身も解かずに、ダイニングキッチンでコーンフレークか何かを食べていたりします。デッドプールが悪ふざけして回るのはまだしも、コロッサスまで変なオヤジキャラにするのは止めて欲しかったように思います。

 爆裂少女の方は、スキンヘッドであまり語らず、ただの変人少女に終わった感があります。どうも、『X-MEN』シリーズとのコラボは私には失敗に終わっているように見えるのです。映画の『X-MEN』シリーズがまあまあ好きな人間からすると、あまり嬉しい状況ではありません。この二人だけなのに、「ブラックバード(『X-MEN』シリーズの専用戦闘機)」で飛んで行って欲しくなかったりします。

 マーベルにして異色の作品で、「第四の壁」の試みも独創的で、15歳以上の制限も、これでヒットすることが確認されたので、他のマーベル作品にも適用される予定と聞きます。しかし、どうも売れない芸人の必死な芸を見ているような感じが否めません。まるで、マーベルの本流作品を、ファンが愛情の発露で勝手に作り上げたサブ・ストーリーをまとめた、同人誌的表現のように見えてしまいます。同人誌だと思って、ギャグやオマージュを楽しめば良いのかも知れませんが、映画としてみると、なにか中途半端です。DVDは再度観て楽しめそうではなく、入手の必要がないと思います。

 元娼婦のヒロインも、まあまあタヌキ顔で色黒なので、好きなタイプの顔ですが、ラブ・ストーリーと言う割には、今一つ精彩を欠きます。デッドプール・ファンの感想とは真逆なのだと思いますが、私は『ウルヴァリン: X-MEN ZERO』の最強・最悪キャラのデッドプールのスピン・オフなら観てみたいと感じました。