祝日の月曜日、JR新宿駅に実質的に隣接しているミニシアターで観てきました。二時間を超える作品ですが、トレーラーの上映が1本しかなく、時間になるとすぐさま始まったような感じがします。一日二回の上映で、正午をまたぐ回と夜9時過ぎから始まる終電間際の終わり時間の回です。私は夜の回を観に行きました。
6月20日の封切から、まる一ヶ月経った翌日です。上映している映画館は少なく、上映回数も少ないのですが、逆に観たいという需要は強いのか、知名度が非常に低い中でも、この日、観客は、30人以上いたと思います。上映中に立ち上がるとスクリーンへの投影を妨げるから遠慮しろと言う警告付のミニシアターは100近くの席があります。30人ぐらいの観客でも、かなりのみっちり感があります。
この映画を観に行った理由は、そのテーマ性です。昔、ショーン・ペンと結婚していた頃の印象があって、つい当時のロビン・ライト・ペンと私は呼んでしまう女優、ロビン・ライトが自分の役で主人公を務めています。その年老いたマネージャーが名優ハーヴェイ・カイテルです。なかなか自虐的な展開なのですが、ヒット作が出ることもなく、落ち目と言っていいロビン・ライトの所に、「最後の契約」と銘打ったオファーが映画会社から届けられます。それは、現在のロビン・ライトを“スキャン”して、CG上の女優にしてしまい、(契約時の本人の希望を踏まえた枠はあるものの)好きにありとあらゆる映画にキャスティングする権利を映画会社が買い取るというものでした。この契約をすると、その俳優は一切の俳優としての活動を禁じられます。設定としては漁民に対する漁業権に近い概念に思えました。劇中で契約を逡巡するロビン・ライトに対して、映画会社側は既にキアヌ・リーブスも契約していると説明されています。また、その後の場面では、トム・クルーズも登場します。
CGになったロビン・ライトは生身の人間の際には出ることのなかったSFに出演し『エージェントR』と言う宇宙を股にかけたワイルドなヒロインを演じ、大ヒットします。イメージ的には、『トゥームレイダー』のアンジェリーナ・ジョリーと『ウルトラヴァイオレット』のミラ・ジョヴォヴィッチを足して、何かもうちょっと「悪の女幹部」的なものを混ぜてから3で割ったような、ガサツなヒロインです。
この契約は20年間のもので、当初44歳だったロビン・ライトは、20年後に契約更新をしに行くと、次の契約は付帯条項が新たにつくと言われます。それは、CGとして映像化することに加えて、消費者にサプリとして提供されることでした。このサプリは購入者が吸引すると、頭の中にロビン・ライトのイメージがくっきりと湧き、自分のイメージの中のロビン・ライトを含む好きな妄想の世界を楽しむことができるというものです。劇中明示されていませんが、自分がロビン・ライトになりきる使い方もあるように見えます。
いずれにせよ、発達した科学の中で、特定イメージを湧きあがらせるように緻密に設計された幻覚剤の吸引によって、人々は現実の生活から逃避して生きるという世界が出来上がりつつあったのです。その契約時に、映画会社ミラマウントは、(わざとらしく、日本名が加わって)ミラマウント・ナガサキと言う化学会社となって、この吸引サプリを世の中に発売することを発表する場を設けていました。これが、映画のタイトルの『未来学会議』であり、同じものを意味する原題『コングレス』です。
この会議と言うか、イベントと言うか、コンベンションと言うか、よく分からないものは、何かよく分からない反対派の襲撃に会い、完全に妨害されます。ミラマウント・ナガサキの社長も暗殺され、混乱のさなか、ロビン・ライトは漏れ出したサプリを過摂取して、重度の精神障害になります。そして、さらに20年後まで冷凍され、目を覚ましてみると、人々は、『北斗の拳』か『ダイバージェント』か何かのような世界に生きていて、多くの下層の人々は現実から逃避して、常時サプリによって幻覚の中に生きているのでした。
この映画の特徴は、ロビン・ライトが再契約に行く場面からずっと(ほんの一部の例外の場面を除いて)、幻覚の世界が広がっていて、その幻覚の世界はすべてアニメになっていることです。それが(米国製ではなく、世界六か国の合同制作のはずなのに)古い米国アニメのテイストを意図的に再現しているものになっています。パンフでは何か当時のアニメへのオマージュと言っていますが、私には、遥か昔幼稚園時代に見た『ポパイ』などのアニメのようなキャラの動き方で、陳腐感以外の何にも感じ取れませんでした。
アニメで表現される幻覚の世界は、登場人物は釈迦などの世界の偉人や、マイケル・ジャクソン、シンディ・ローパーなどの有名人などが登場しますし、家具などはダリの絵か、『時計じかけのオレンジ』を髣髴とさせる、サイケとかキッチュと言いたくなるようなモノがあふれています。それが、全部ぶち壊しになるような陳腐感なのです。
当然ですが、主人公のロビン・ライトも後半はほとんどがアニメです。つまり、ダサくて、陳腐な主人公を延々と見続けなくてはならないのです。
アニメで幻想の世界と言うと、せめて初期の映画にもなった『ファイナル・ファンタジー』のようなCG臭い感じか、モロに伝統的なアニメのタッチの映画なら『サマーウォーズ』や『パプリカ』の名作を日本人は多々知っています。
さらに先述のヴァーチャル・アイドルの世界も、日本では遥か以前から、伊達杏子やテライユキのヒットを普通に受け止めているので、別になんだということはありません。名作で連作のアニメが多数作られる日本においては、いちいちナマの俳優をスキャンするぐらいなら、アニメのキャラを立てた方が端っから問題がないのです。
さすがに女優のキャラのサプリ化は発想として面白いと思いましたが、例えば、女優やモデルのファッションや髪型、場合によっては、顔付を整形で取り込むなどは、現実世界で特に問題なく受け容れられていることですから、幻想に浸らなくても、特段問題ないようにも感じます。大体にして、深堀りして極めていくタイプの趣味を持つ人が少ないであろう欧米人なので、サプリで色々なキャラを入れ替えるという発想をするような気がします。日本人なら、お気に入りのキャラになりきり、それに何度もなることにより、そのキャラを極めるという発想をする傾向が強いように思います。レイヤーなどを観ていても、コロコロ対象キャラをとっかえひっかえするという発想のレイヤーは少数派であるような気がします。つまり、サプリなどと言う軽い“変身”ではお話にならないのが日本人的価値観だと思います。
最終的な世界観も、格差あふれる近未来観で、極端な格差が平然と有史以来蔓延っている西欧人の典型的なクリシェで、陳腐極まりないものです。おまけに、最終段階のバーチャルに逃げた人々の生き様も、ほとんど、遥か以前、世の中を席巻したセカンドライフのような発想から全く抜け出ていません。(「現実の世界では障害者として生きにくい人々が、セカンドライフでは活き活きと生きられる」などと言う話が、セカンドライフの美談として語られていたのが懐かしく感じられます。)全く『攻殻機動隊』のような深みもひねりもない単純二元論です。
詰まる所、そういうことなのです。質の高いアニメに慣れていて、世界でダントツに格差の少ない先進文明にいて、ただチャラくキャラを上滑りで被るだけでは満足しないほどに記号化が進んだ日本人には、この作品のどの要素も陳腐で幼稚に見えるのです。
名前が出ると、往年の『フォレスト・ガンプ』が代表作として紹介され、私の記憶でも『デブラ・ウィンガーを探して』で多少の名台詞を吐いていた記憶しかない元ロビン・ライト・ペンにも、全然魅力を感じることがなく、期待していた設定や展開なども、全く陳腐なままのこの作品には、落胆させられました。DVDは仮に誰かが進呈してくれても要りません。