『幻肢』

 全国でもたった四館。関東では三館で、都内では一館。『妻が恋した夏』を観に行ったケイズシネマでポスターを見て興味湧き、再びケイズシネマに足を運びました。9月27日の封切から二週間半。一日四回の上映は、シアターが一つしかないケイズシネマではかなりの大盤振る舞いだと思います。しかし、雨の平日12時半。観客は私も含めてオッサンばかり三人だけで、残りの二人は私よりもかなり高齢でした。。

 映画の冒頭、大学教授役の佐野史郎が、幻肢という現象を説明してくれます。この言葉のアクセントが「原子」と同じであることを私は初めて知りました。第一次大戦中に手足を失った兵士達の一部に、自分の失われた手足の感覚がリアルに残っている者がいるとの発見が、幻肢の最初の記述との話がパンフにも載っています。

 劇中の佐野史郎の説明では、単に感覚があると言うだけではなく、本人には実際の腕や脚が見えていると言う話でした。私がこの幻肢現象を知ったのはかなり前のことです。当時発行されたばかりの、ルパート・シェルドレイクの『世界を変える七つの実験―身近にひそむ大きな謎』をネットもない時代に偶然書店で見つけ、買って読みこんだのですが、その中に実験の一つとして紹介されているのが幻肢の存在を証明するための実験でした。

 その実験は、幻肢が単に本人に感じられたり、見えたりするだけではなく、他人が幻の手に触れて感じることができるなど、幻肢を何かのエネルギー体と捉える仮説を証明しようと言うものでした。キルリアン写真などに写るとされるオーラなども、一応、波動か何かのようなものとして、存在が検証されつつあると言いますから、このような実験によって幻肢の物理的存在証明も可能であるのかもしれません。(私はこの時に幻肢を知ってから、ずっと、アクセントは「減資」と同じだと思っていました。「幻覚」などのアクセントから類推すると、私のアクセントの方が正しく思えますが、正しい発音を検証してはいません。)

 主人公の医大生、雅人は幻肢を研究テーマにしていて、現実に鬱治療に使われているTMS(経頭蓋磁気刺激法)を脳の特定部位に当てると幻肢が見えるようになると彼は考えています。四肢だけではなく、自分の存在さえも危ぶまれるほどのショックを伴う喪失対象があった時、それが愛する人などであっても、脳が本人に幻を見せ、ショックを緩和すると言うことが考えられ、それが幽霊などの話の多くを説明し得ると言っています。

 実は、最近読んだ『「超常現象」を本気で科学する』の著者の石川幹人も、幽霊や宇宙人などの目撃は、無意識が作りだしたイメージであると説明しています。幽霊譚ともともと知っていた幻肢現象が結び付いて説明されている点で関心が湧いたのが、この映画を観に行くことにした直接的な動機です。

 最近、“趣味と少々の実益を兼ねて”学習をしている催眠技術は、詰まる所、人間の無意識を制御する技術の集大成です。現実に、深い催眠にある状態の被験者に、「私が全く見えなくなってしまいます」と暗示を入れると、被験者にとっては透明人間になることができます。(見えなくなるだけで声が聞こえる状態と、全く存在が消し去られてしまう状態と、ケースによって、きちんとコントロールできない様子ですが…)

 逆に目の前にいる人物について、催眠状態の被験者に「あなたが大好きなアイドルが会いに来てくれましたよ」と暗示を入れると、目の前の人物がアイドルに見え、そのような言動をとるようになります。このような催眠技術による現象を鑑みると、幻肢は無意識の産物と言うことが一応できそうです。

 生存が危ぶまれるほどの喪失によるショックが前提と、映画では強調されていますが、催眠技術で、好きで好きでたまらない人物の幻を自分の周辺に出しておくことができるなら、『ときメモ』や『ラブプラス』は全く不要であることになります。ここでもまた、催眠技術の応用方法の一つが見つかったのは、大収穫です。

 平仮名で書くと私と同じ名前の主人公雅人は、交通事故後の意識消失状態から、目が覚めると、交通事故の経緯の記憶どころか、自分が交際していた女子大生の遥の記憶も一切合切すっぽり抜け落ちて、全く思い出せないことに気付きます。そこで、自分が研究していたTMSを試し、幻肢の遥を終始存在させることにして、遥の幻肢との対話や共生のプロセスから、記憶を取り戻そうとするのでした。

 記憶を取り戻していく過程を描く中、映像はどんどん薄暗くなっていき、遥の女友達の女子学生はしつこく詰め寄って来て、大の親友は口籠って行きます。事故の責任は自分にあると雅人が考え始めると、幻肢の遥の頭から血が流れ始めるだけではなく、顔中血塗れになったりするようになります。そして、雅人にとってどれほどの後悔も十分とは言えない事故の顛末が、はっきりと思い出され、雅人の絶望が描かれます。そして、そこから映画は一転して、ハッピーエンドに舵を切り、カタルシスの中に終わるのです。

 非常にうまくできた構成です。パンフレットによると、映画の監督と小説の作者が共同作業で、脚本と原作小説を並行して創り上げたと書かれています。映画館を出た後、普段小説を読まない私が、どうしても原作を読んでみたくなり、紀伊国屋の新宿南館に行ってみて、手に取ってみると、なんと、原作では映画と男女が真逆の設定でした。遥の方が記憶を失っていて、雅人の幻肢との生活を過ごし、自分が引き起こした事故の顛末を知るのです。非常に練られたプロットであることが分かります。

 色々なことを思い起こさせる映画です。遥の幻肢は当たり前ですが他の人間には全く見えません。幻肢の遥と喫茶店に入って、注文を一つにするか二つにするか雅人が考え込んで、遥が「だって、私は雅人が作った私だから、飲んだり食べたりできないんだよ」と雅人に告げる場面があります。このシーンを第三者目線で再現した映像は登場せず、ただの独り言を言い続ける傍から見たら薄気味の悪い雅人は全く描かれません。彼の多幸感が溢れ出る遥との生活を映画は丁寧に描きます。

 幼いころの孫の写真などを楽しげに見続ける老人などを連想することは非常に簡単にできます。そう言った人々やこの映画の雅人を見るにつけ、人は幸せな思い出の中に生きていけることが痛感されます。ミルによれば、今自分が幸せかどうか考えずにいられることが幸せであるとのことです。現在の幸せを実感できないのが幸せであるのなら、寧ろ、過去の幸せの実感の中に生きていた方が、マシであるように思えます。

 もう一つ、この映画が痛感させることがあります。それは、自分にとって大切な物事を、多くの場合、失うことでしか実感することができない人間の愚かさです。意図しない些細な言動が、一生続く後悔や贖罪を齎すことは、残念ながらそれほど珍しいことではありません。催眠技術では、忘却催眠などと言って、記憶からそのような事柄を消してしまうことはできますが、私は、その後悔や贖罪の念を消すことなく背負い続け、その想いと共に生きる人生の方が、潔く思えます。

 劇中の雅人は、くだらない嫉妬やコンプレックス、自棄的な想いから遥を傷つけた揚句に諍いから事故に至り、遥の命を奪ってしまった現実を唐突に思いだし、深い後悔と呵責の淵に叩き込まれます。そこまでの遥との幸せな日々の描写が丁寧に描かれているからこそ、この絶望がいや増しに感じられます。この感情を強く惹起させるもう一本の映画が思い起こされました。『エターナル・サンシャイン』です。

 愛し合い、その日常がいつか褪色し、諍うようになり、(その時点に存在する技術で)互いに互いの記憶を消し去る二人が、結局、記憶がない中で邂逅し、再び愛し合うようになる話です。結末近く、二人は互いの記憶を回復させます。そして、お互いの大切さを心奥に深く刻みつけることに成功するのです。

 現実には不可能であることが多い、失って分かった大切なものを回復することができた奇跡の話です。この『幻肢』は、淡々とした恋愛劇の『エターナル・サンシャイン』とは異なり、サスペンスやSFテイストも盛り込み、段々とテンポを上げる展開で、観る者を物語の中の感情の渦に引きずり込みます。サスペンスやSFテイスト(さらにほんの僅かなホラーテイスト)が盛り込まれた上質な恋愛劇と言うことで見ると、『リアル 完全なる首長竜の日』の方が近いかもしれません。

 このような優れた物語が成立しているのは、先述のとおり、勿論脚本によるところが大きいように思いますが、もう一つ、谷村美月の存在が大きいように思えます。

 物語上の再現シーンに登場する現実の遥。ハンディカメラの独特の露出の高い映像の中ではにかむ幸せそうな遥。雅人にとって都合のよい恋人である幻肢の遥。そして、雅人と同じ病院の病床で雅人のことだけを想い続ける遥。これらの多数の異なる遥を明確に演じ分けている驚くべき緻密な演技力には目が離せません。

 ウィキで調べると、『ユビサキから世界を』で、自殺願望のある少女を演じた際には、監督に「あなたの演技には、何も言うことがなかった」と言わしめたとあります。『ユビサキ…』はDVDで観た筈なのですが、どうも記憶が定かではありません。他にも、映画館で観たり、DVDでかなり好きになったりした作品、例えば、『笑う大天使』『魍魎の匣』『リアル鬼ごっこ』『その夜の侍』『風俗行ったら人生変わったwww』『白ゆき姫殺人事件』など、多数の作品に彼女は出演していますが、どうも、今までは明確なイメージが持てない存在でした。(画像記憶ができない私は、彼女と満島ひかりがたまに混同することがあるほどです。)

 観た作品を色々思い出してみても、『リアル鬼ごっこ』で柄本明に胸を揉みしだかれる少女とか、『その夜の侍』で山田孝之に財布を取られた挙句に犯された警備員とか、『風俗…』の妙に辛辣なピザの配達員など、ギリギリ浮かぶ役がロクなものではありません。ウィキによれば、緻密に役作りをするタイプとある彼女を、DVDを観てみようかと思ってからそのままになって久しい主演作の『サルベージ・マイス』などで観てみたくなりました。現在24歳と知りましたが、映画の出演数はやたらに多く、年に4、5本は出演しているようです。谷村美月探しをしたら大変な作業になってしまいそうです。

 今年のベスト5に入る作品です。バッドエンドでもインパクトの大きな作品になったと思いますが、そういう展開にしなかったセンスに大喝采します。DVDは出るなら絶対に買いです。映画の原作を読むことはほとんどなく、且つ設定が真逆なので、どう思えるのか不安ですが、小説も買ってしまうかもしれません。