『妻が恋した夏』

 三連休の最終日である月曜日祝日。台風が東京を今月二度目に直撃したその日、夜9時の回をケイズシネマで観てきました。観客は20人少々でしたが、そのうち2?3割は作品の制作関係者だったのではないかと思います。女性もそれなりに居ました。封切から三日目。全国で上映はここ一館のみ。そして、毎日たった一回の上映。そして映画館の予定によれば、たった一週間の公開期間しかありません。つまり、たった7回しか上映しないと言うことです。

 以前この映画館で意味不明なお祭り騒ぎ的短期上映で、時間を何度も無駄にさせられた『リュウグウノツカイ』の際もそうですが、マーケティング的には、供給を制限して付加価値を高める方法論として一応評価できるものの、これが一体何のための上映であるのか分からない様な公開の仕方には、私は正直言って不快感が湧きます。

 映画紹介サイト『映画.com』によると、くも膜下出血で突然死した妻かおりが自分とはセックスレスだったのに、妊娠三カ月だったことを知り、嫉妬に駆られて居る中、

「かつての不倫相手の玲子と再会した浩二は、当時、浩二の子を妊娠した玲子が、かおりから子どもだけはあきらめてくれと頼まれたことを知る。そして、かおりは子どもを堕ろさせたことへの罪の意識と、夫の裏切りに対する失意から、ある行動をとっていたことが明らかになる」とのことでした。

 この「或る行動を取っていた」と言うのが妙にサスペンス的で、さらに、映画紹介のサムネイル写真の宮地真緒の座位で男に抱かれる怪しい目線が妙に気になり、何かの復讐劇を期待して、劇場に足を運びました。

 結論から言うと、結婚(ないしはプロポーズ)から18年を経て子供も持たなかった夫婦の妻が、恋愛的な感情も薄れ倦怠一歩手前のような関係の中で、夫の不倫相手との会話から夫への信頼がぐらつき、無力感を味わっている所へ、小学校の同級生のちょっとイケメン系の男に久々に偶然出会い、その男が胃癌で余命半年と言うので、可哀そうに思って一度セックスしたら、どんどんのめり込み、妊娠しても堕胎しない決意をしたと言う話でした。

 まず、よく分からないのは、夫の嘗ての不倫相手とか言いますが、妻の方が不倫を始める少々前までガッツリ付き合っていた感じで、時系列的にはほとんど“嘗て”と言えないことです。それに、結局夫はこの嘗ての不倫相手と、妻の死後、短期間よりを戻しています。

 かおりは、確かに「夫の裏切りに対する失意」が感じられる言動をしていますが、「子供を堕ろさせたことへの罪の意識」に関してはほとんど感じられません。正直言って、映画の中のどこの部分にそれを読みとればよいのか、女性の言動の読み解きの学習のためにも、誰かにきちんと説明して欲しいぐらいです。

 かおりは「或る行動」をとっていたと書かれていますが、これは「或る行動」ではなく、「或る(強い)感情を抱いていた」と言うことの間違いではないかと思います。「或る行動」と言うと、英語では“certain activities”などと言えるので複数でも可ですが、日本語なら特定の単数の行動だけです。かおりは死にかけの小学校同級生と知り合ってから、彼女の強烈な恋愛感情に突き動かされて、ありとあらゆる行動をとっています。何が「或る行動」なのか、私には不明に思えます。

 映画紹介文章やサムネイル写真のイメージから抱く期待とは全く別の夫婦のすれ違う恋愛感情の行方を描いた物語としてなら、十分理解できる内容ですが、それであれば、他にも色々と名作はあり、わざわざ妻が死ぬ設定も、小学校同級生の死にかけ設定もあまり必要なかったのではないかと思われます。

 単なるすれ違う夫婦の恋愛物語としてみると、一応成立はしているのですが、それにしては、今度は色々な所で質的なまずさが目につきます。まず、やたらに台詞回しがわざとらしいのです。「こういう受け答えをここで言うか?」とか「え。今時、こんな決まり切った台詞言うか?」と次々と疑問が湧くのです。たった一回しか商業映像作品の脚本を書いたことのない私でさえ違和感が湧くのですから相当なものです。途中で、違和感を越えて、台詞が予想でき、台詞当てゲームが脳内で展開するほどでした。結構な正答率でした。

 夫が寝ている妻に迫り、「おまえ、子供欲しいって言っていたろ」とのしかかって胸を揉みしだき始めると、「今日はちょっと」と妻が言い、「ん。生理か」と夫が聞き、「う。うん。そう」と応えます。妻も「代わりに手でしてあげるよ」とも言わず、夫も「じゃあ、また今度な」と言うだけで、二人で並んで寝ます。何か目線が合わない言葉少なの意味深なベッド・トークでも始まるのかと思えば、何も起きません。

 考えてみると、黒澤作品や小津作品などでも会話はこの程度に単調だったような気もします。しかし、そのような作品群に出ている役者陣には圧倒的存在感と演技力がありました。今回の配役には無理があり過ぎます。台詞の音声も、何かアフレコの問題なのか、映画の録音処理などには全く知識がないので分かりませんが、妙にボリュームが大きいのです。これが先程の素人めいた台詞と相俟って妙に耳障りです。これも何か昔の日本の娯楽映画によくあった感じのような気がします。昔と言っても、かなり昔で1970年代などのことです。

 さらに考えてみると、セックス・シーンの多さや、その際のアングルや露出感も昭和テイストです。恋愛物語ですから、セックス・シーンは多くても不思議はないのですが、一つ一つが長く、夫が嫉妬に駆られて想像する妻のセックス・シーンも、執拗に出現します。やけ酒を飲んでみては嫉妬系妄想セックス・シーン。遺影を床に叩きつけては嫉妬系妄想セックス・シーン。妻の服をタンスから出して臭いをかいでから投げ散らかしては嫉妬系妄想セックス・シーンです。

 ところが、このセックス・シーンの半分程度は、挿入前の妙にねちっこい前戯などで、パンティはおろかブラも外していない状態なのです。別にAVのようにアクロバットのような体位を見せてもらわなくてもいいですが、今時の一般人のセックスでもこんなに地味ではないように思います。宮地真緒は、下着で隠れていない所にも各所に性感帯が全開で用意されているようで、その状態でもガンガン感じています。なぜこのような展開なのか、よく分からなかったのですが、上映後のトーク・ショーに出てぼそぼそ喋る監督をネットでチェックして全ての謎が解けました。ピンク映画を多数作った監督なのです。

 今まで気になっていた事柄は全部、にっかつロマンポルノか何かの一本だと思ってみていれば、理解できます。私が成人年齢に達してすぐの頃、既ににっかつロマンポルノは凋落して、ロマンXだのと言う作品群を出していたり、ロッポニカと言う劇場運営セットのコンセプトを打ち出していました。その頃、ギリギリ時代年齢的に見ることができた劇場作品群にこの映画のテイストは酷似しています。

 ストーリー展開や設定でも、疑問はどんどん湧いてきます。最大の謎は二つあります。一つは、「なぜ、この小学校同級生と妻は避妊をしなかったのか」と言うことです。その後の修羅場も離婚も覚悟して、ガッツリやり込む…と言うのにしては、あまりに衝動的な関係です。ごまかしながら続けるなら、避妊をすれば良かったように思います。同級生は長らくセックスをしていない状態だったようで、初回のセックスは妙にぎこちない様子です。それが二度目のセックスでは、器用に舌を這わせたり、格段の技術向上を見せます。ここまで余裕があれば、避妊は楽勝でできたことでしょう。

 劇中で、妻が夫に書いた手紙で、大学時代に知り合ってから18年目と言っていますので、妻も40歳に近い筈です。この歳になって、妊娠三カ月になるまで妊娠が分からないのも、少々不自然に感じますが、それはおいておきます。同級生男の強い願いに押し負けて、妻は子供を生む決意をします。「嫌いではない」と自分も思っている夫ですし、夫もセックスを求めてきていることがあるのですから、さっさと夫ともセックスを再開すれば良かったものと思われます。多分、早産を装って同級生の子供を問題なく生むことができたのではないかと思われます。それぐらい、この夫は妻の表情や微妙な言動に鈍感です。「なぜ、妊娠を知った妻はすぐさま夫とのセックスを再開しなかったのか」が二つ目の謎です。

 妻は夫宛に告白の手紙を書いて投函してすぐに路上に倒れ込んでそのまま死亡します。その手紙は劇中で最後に夫に読まれますが、その冒頭部分しか観客には知らされません。その結果、妻はどうするつもりだったのかがよく分からないままなのです。

 同級生男は予定されていた掻爬手術に向かう途上で胃癌の激痛が襲い、緊急入院をし、それによって妻は堕胎の機会を逃し、子供を産み育てる決意をします。そして、意味深に「さよなら」と言って意識のない病床の男をもとを去ります。手紙の中に「告白しなければ、この先やっていけない」と言った文章がありましたので、それでも夫とやっていくつもりであったようにも解釈できますが、その場合、子供のことも夫に正直に言って認めさせる気であったのかどうかはよく分かりません。不倫のことさえ言いだせなかった妻が、子供のことを夫に受け容れさせるようにできるとは到底思えません。

 妻が死んでどれだけの時間が経ったのか分かりませんが、夫が手紙を読んで、同級生男を訪ねる場面がエンディングの直前にありますが、そこでも特にその男をなじる訳でもなく、その場を去り、遥か以前の大学時代のようにボートに乗り、妻の幻影と話をして映画は終わるのです。おかしな夢オチ風のエンディングです。この肩透かし感にはどこかで覚えがあると思っていたら、『フィギュアなあなた』です。やはり、監督が同様なキャリアを踏んできた人物です。

 細かい所で観ると、

「なぜ、同級生男はすぐ死んでいないのか」とか、

「病院から妻が去ったあと、なぜ折角見つけた「俺にはお前だけだ!」と何度も告げるほどに恋焦がれていた相手を同級生男は追っていないままになっているのか」とか、

「夫は夫で、遺影に向かって、「相手は誰なんだよ?」とか叫んでいないで、なぜすぐに興信所にかけ込まなかったのか」とか、

「会社では部下まで抱えるそれなりにできる男の様子で、おまけに家にもそこそこ早く帰って来ていて、妻を観ている時間がそれなりにありそうなのに、なぜ妻の異常さに気付かないのか」とか、

「妻は妻で、くも膜下出血とはいえ、全くもがくことも頭を抱えることもなく、いきなり、着地を気にしたような崩れ方で地面に倒れて、そのまますぐに意識を失い死んでしまうのか」などなど、

 不思議なことが多過ぎる映画です。いっそ、同級生男が妻に狙いを定めてモノにするために、詐病を装ったとか言うオチだった方が、余程、面白くなるのではないかと思えるほどです。

 NHKの連ドラはなぜかチラ見の記憶がありますが、基本宇宙ネタに全く関心が湧かないのでその時の宮地真緒には全然関心が湧きませんでした。その後、雑誌の表紙などで、連ドラヒロインが脱いだと色々と話題になっていたのを知っていて、『人間椅子』で初めて着目しました。良い作品で、宮地真緒も良かったと思います。初の大胆なベッド・シーンがあると言う『失恋殺人』は全く知りません。私の知るその後の宮地真緒は『君が愛したラストシーン』の友情出演と『白ゆき姫殺人事件』のチョイ役です。

 ネットによれば濡れ場が話題になった『失恋殺人』について、宮地真緒は「全て出し切った」と語ったと報じられていますが、多分、間違いなく、今回の方が(下着をつけている場面が多いものの)ベッド・シーンは多いことでしょう。調べると今年30歳であるようですが、やせ過ぎで骨ばった体で客観的な魅力にも欠け、先述のようなピンク映画テイストの環境の中では、40歳の女性の色香や葛藤を表現するには少々無理があったように思えるのです。

 トークショーの後にロビーに居た、同級生男の役の男優に、サインをもらいましたが、DVDは必要ありません。