『X-MEN:フューチャー&パスト』

 月曜日の深夜、午前2時10分からの回をバルト9で見てきました。テレビをほとんど見ない私ですので、テレビではどの程度の販促が為されているのか分かりませんが、映画雑誌や映画館のフリーペーパーなどの紙媒体を見ても、トレーラーを観ても、映画館ロビーのモニター設置型の販促手法を見ても、やたらに金が掛けられていて、赤ん坊から寝たきり老人まで入れても、全国民の認知度は50%を越えているのではないかと思えるほどの状況です。その映画を封切3日目で観ようと言う暴挙です。なので、深夜2時過ぎで挑戦してみました。多少男が多いぐらいの性別構成比で、約20人程度の客が居ました。流石不夜城新宿です。

 このシリーズではスピンオフもので駄作感バリバリだった『ウルヴァリン:SAMURAI』のエンディングで、この映画の始まりにつながる所があり、『ウルヴァリン:SAMURAI』の映画全編の中で、最もX-MENシリーズっぽいクールな映像だったように思っていました。さてさて、その前評判全開の作品はどうだったかと言うと、まあまあ、という感じでした。

 このシリーズのメインストリームである、初期三部作と『X-MEN:ファースト・ジェネレーション』の流れに位置付けられるべき作品ですが、過去のメインストリーム4作品の中では最も躍動感がない作品のように感じられます。

 特に、概ね能力が大体分かっている登場人物が、そのままに登場してただ能力を発揮するだけでは、既に面白さが感じられない程に、観る側の期待度が上がってしまったからということも言えます。ジョジョの中の人気キャラ(私は、とても好きと言うほどではないので、一般的な人気キャラと言う意味です)の承太郎がスタンド能力に関して、「シンプルな能力の方が強い」と言っていますが、全くその通りです。

 何でも単純にできてしまい、強敵は弱点のクリプトナイトを使った誰かと言うだけのスーパーマンは基本的に面白くないですし、逆にベースはただの人間なので、どんどん変な武器などを投入して戦うバットマンも、シンプルさの応用がなく、切れがありません。シンプルな能力をどのように応用して戦うかとか、何人かの合わせ技でこのような可能性も広げられる…と言った展開があると、慣れ親しんだ特殊能力モノは、とても楽しめるのだと思います。スパイダーマンなどの人気が際立つのは、このようなポイントだと思います。

 今回のX-MENの人々で、そのような応用能力を発揮しているのは、いつもの如くのミスティークと新キャラのビショップ、ブリンク、クイックシルバーぐらいです。敵役のセンチネルがX-MEN(+全人類)に対するターミネーター的存在になっているので、X-MENたちが基本、いいとこナシと言う展開が余計に、そのような感じを増長します。

 さらに精神だけのタイム・スリップと言うアイディアは斬新ですが、基本的に未来から過去に一回行って、歴史が変えられた瞬間に未来の方が消え去ると言うだけのことですから、構造的には非常に単純です。ドラえもんや、洋画なら時間軸の複雑さで米国では悪名高い『バックトゥザフューチャー2』でさえ、楽勝で理解できる日本人には、まあ、こんな感じですねと言うぐらいのタイム・スリップです。

 時間軸の複雑さで言うと、他のX-MENシリーズとの時間軸の接続関係を朧気な記憶を頼りに把握しなくてはならないのが難点です。(その意味では、単体で楽しめるものだったX-MENメインストリーム4作品に比べて、単体で見た場合の面白さ半減という感じも否めません。)『ウルヴァリン:SAMURAI』のエンディングはほぼ現代ですが、そこから、センチネルに追い詰められた歴史は全く触れられていず、あっという間に、ターミネーターにやられた後か、ケンシロウとラオウが戦っていそうな終末世界が本作でいきなり登場します。『ウルヴァリン:SAMURAI』につながっているのは間違いないのですが、かなり飛んでいて、ヱヴァンゲリヲンの『破』から『Q』への飛躍に並ぶ断絶感です。パンフレットにまとめ年表が載っていましたが、極めて的を射たグッズ販売のマーケティング手法だと思います。

 また、本作で若き日のエグゼビアは、「ミスティーク(旧称レイブン)を愛していたのに、自分の元を去った」と言うようなことを言ってグレてしまっていますが、これも事実関係を『X-MEN:ファースト・ジェネレーション』で検証すると、激しいド勘違いです。このブログにも…

> 若き日のプロフェッサーXを演じた、ジェームズ・マカヴォイと言う男優は
> 廃刊前5?6号ぐらいの『ぴあ』に乗ったインタビュー記事の中で、
> 三部作のプロフェッサーXには、全く女っ気がないので、
> 自分が演じるにあたって、女性にも興味が普通にある、
> 当り前の若者像を描こうとしたなどと言っています。
> それにしては、ただ酔ってはナンパして回る風景が数回出てくるだけで、
> 同居しているミスティークを性の対象としてみていません。
>
> 若気の至りでセックスの相手を飲み屋で探して回るぐらいなら、
> 一つ屋根の下でミスティークとのセックスに耽っていてくれれば、
> 後にマグニートーが人類の前に何度も立ち塞がった時の大きな戦力を
> 削ぐことに結果的になっていたことでしょう。

と書いているのですが、他人の頭の中を自由に弄れるようなとんでもない能力の持ち主なのに、どこまでご都合主義の記憶だよ…と突っ込みを入れたくなります。

 久々にチョイ役で登場したアンナ・パキン演じるローグや、エレン・ペイジが演じる単なる壁抜け女から時空を越えられる女に成長したキティ、新登場でちょいタヌキ顔かと気になるブリンクなど、見直したい女性キャラはたくさんいるので、DVDは買いなのですが、やはり、何とはなしに、ドラマ性や最大の売りの超能力の表現の部分で、ちょっとパワーダウンを感じた一作です。

 コミック原作にも登場するエジプトの強大なサイキック・パワーを持つ敵の存在が、またもや、マーベルさんお得意のエンディングのチラ見せで登場しています。パンフをみると、その次回作も含めて、発表されている計画だけで、三作分も予定されていると言う話でした。歴史がセンチネルの存在しないものに戻り、またぞろ、新たなエピソードをたくさん作れる状態になったので、それだけ制作できると言うことなのでしょうが、そうなってくると、エグゼビアやマグニートーを演じる役者さんたちの年齢が気になってきます。

 まあ、既に、人気者のエレン・ペイジに至ってキティは三代目ですし、これまた、人気者のジェニファー・ローレンスが出てからは、大人の色気あるミスティークは出番がなさそうな気がします。そんな感じで、役者陣を入れ替えても成立するものなのかもしれませんが。

追記:
 タイム・トラベルものとして観た時、やはり、ちょっと気になる部分は存在します。未来から送り込まれたウルヴァリンの意識は、なぜ変更された未来の一時点に唐突に戻ってきたのか。その場合、それまでのウルヴァリンの人格や記憶との関係はどうなっているのか。
 細かな所では、未来が変更になった瞬間にウルヴァリンを送り込んでいたエグゼビアを含む数人はセンチネルの最終攻撃の直前です。(勿論、仮に致死の攻撃を食らった後だったとしても未来は変更になった筈ですが…)その未来変更の瞬間に消えたのは人間とセンチネルだけで部屋の景観は何も変わっていない様子でした。歴史が根っこからバーンと変えられたのなら、部屋の様子どころか、そこに建物がなくなっていても不思議ではありません。なぜ、人間とセンチネルだけが消えたのか。
 などなど、多少疑問が残る所はあるのですが、ターミネーターなどの矛盾らしきものから考えると、全然、気にならないレベルであることは間違いありません。

追記2:
 この映画の原題は X-Men: Days of Future Past です。『X-MEN:ファースト・ジェネレーション』の際にも思いましたが、原題そのままの方が、私にはスタイリッシュに感じられます。