封切後約一ヶ月。上映最終週と聞く週の祝日の月曜日の夜の回を、時間が作れたので観てきました。新宿での上映館は二館。そのうち一つのバルト9はその日もう一本観る予定だった映画とダブった時間枠でたった一回しかない上映時間だったのでパスして、歌舞伎町の映画館に行きました。久々に見るコマのあった場所には建築物は何もなく、建築現場特有の塀越しに向こう側の建物が見える、非常に違和感の湧く風景が広がっていました。
面白い映画です。DVDも当然買いです。ここ最近の近未来的SFでは多分一番好感が持てる内容だと思いました。ここ最近のこのジャンルのベストは多分、『トータル・リコール』だ(ちょっと、『アイアン・スカイ』をこの作品と並列にしたくはないので)と思いますが、逃走劇や場面移動がやたらに続く印象が強いのがネックだった『トータル・リコール』より、ややこの作品に軍配が上がるという気がします。
主人公のダーク・ヒーローぶりや、同時に公開されている中で他に出演作が二本ぐらいある筈のブルース・ウィリスの久々のハードボイルド・テイストの格好良さと、更に、プロットがそこそこ練られているのに複雑すぎもせず、タイムマシンものなのに、それほど強烈なパラドクスが意識されることもない…など、色々いいねと思える部分が見つかります。
観に行く前に、トレーラーを何度か観ましたが、なぜそんな設定なのかと分からないことがかなりあって、「変な映画のはずなのに、結構世の中では好評の様子」と言うのが、何となくの観に行くきっかけです。先月があまりに重たすぎる『その夜の侍』を観てしまったので、少々消化に時間がかかり、その分軽めのものを観ようかと言うのも理由の一つではあります。
さて、その変な設定の謎は、例えば「なぜ、わざわざ未来人は、現代(正確には今から40年後の未来で低空飛行できるスクーターのような乗り物もあります)に、犯罪者を射殺されるべく送り込んでくるのか」とかでしょうか。他にも、「ドラえもんのように未来の色々な時点からバンバン犯罪者が送り込まれたら、後から手前の時代の犯罪者を殺してしまったりして、パラドクスがバカバカ起きてしまうのではないか」とか、「なぜ、現れたら、道路のど真ん中のような変な場所で即座に撃ち殺さなくてはならないのか」とか、「なぜ、自分がこの世界で射殺を逃れて逃げ出すと面倒なことになるのか」などなど。色々ありました。
全部綺麗に解決する訳ではないのですが、一応、遺体になっても個体認識が簡単にできるようになって、簡単に死体を処分できない未来社会の中で、タイムマシンはどうも犯罪組織の手にある一台しかなさそうなことや、ルーパー達は元々30年後の自分をいつか殺して引退することになっている制度の説明などが色々とあり、まあまあ、納得感が湧いてきます。
そうこうする内に、未来から送り込まれてきた自分を打ち漏らしてしまう、主人公の親友の場面が登場します。打ち漏らしたことが分かるや否や、組織は打ち漏らした「若い方の自分」を拘束し、まずは来るべき住所を深く腕に刻み込むように傷つけるのです。すると、30年後の「老いた方の自分」の腕に痣となって、その文字が浮かび上がります。さらに、組織は逃走中の「老いた方の自分」にプレッシャーをかけるため、「若い方の自分」の指を順番に切断していきます。すると、「老いた方の自分」の方では見る見る指が欠損した状態になっていきます。そして腕や足が見る見るなくなって行くのです。
例えば『ジョジョの奇妙な冒険』と言うコミックがありますが、そこに出てくるスタンドといわれる超能力は個々のスタンドごとにかなりシンプルです。しかし、そのスタンド使いの個人はその能力を色々な場面で駆使して百戦錬磨の状態になっている訳で、想定もしないような使い方が為されるのを次々と見せ付けられるのが、このコミックの醍醐味になっています。それと同じような感覚で、この映画の設定から、当り前に想定できる事柄でも、まだ映画の時間長の中でこちらが追いつけていない部分をバンバン見せ付けてくれる展開で飽きさせません。
一つ、予告編に出てこない重要な設定が、このルーパーの設定とは別に存在することが分かります。それは、TKと呼ばれるサイコキネシス能力を持つ人間が遺伝子変異で10人に一人の確率で生まれる世の中になっているということです。この能力は人類から相応の期待や危惧を持って迎えられましたが、実際にはコインやライターを掌の上に浮かせる程度の能力でしかなく、合コン芸以上の何かに役立つことはないという設定になっています。実は、そのTK使いにも、爆発的に強大な能力を持つものが現れることも稀にあるという話まで行って、それが映画の核の部分になっていくのです。
これは少々違和感が湧く設定と言うか、或る種、辻褄合わせのつぎはぎ的設定に見えてなりません。それは多分、「未来から送られてくる自分を殺す」と言う不可解な設定をあまりに事前に印象深く観客に刷り込んだからではないかと思われます。
違和感といえば他にも、その爆発的なTK能力を持つ人物は子供時代に母をルーパーに殺されるので、逆にその制度の強大な敵となるという展開なのですが、一番最初の時間軸の世界の中で、(その時点ではルーパーの存在が発生していない筈ですから)誰に母親を殺されて悪の大物に育つのか…などのタイムパラドクス的な謎は一応存在します。しかし、例えば『ターミネーター』シリーズのような入れ子状態などがないために、それほど目立つものではありません。
また、一度、組織が「老いた方の主人公」と「若い方の主人公」を両方前にして、「老いた方の主人公」を追いかけるシーンが登場します。その時点では「若い方の主人公」は、一旦取り逃がした30年後の自分を射殺することで組織に戻ろうと考えているので、「老いた方の主人公」を追いかける立場で行動しています。つまり、組織と「若い方の主人公」の両方がかなり接近して「老いた方の主人公」追い掛け回すシーンと言うことです。しかし、先に先述の「若い方」さえ捕まえてしまえば、その先の「老いた方」は幾らでも処分できると観客に提示しているのですから、このシーンは非常に間抜けに見えざるを得ません。これも少々気になるところではあります。
それでも、スタイリッシュな未来社会、しかし、40年経っても、その先の70年先でも、一般生活において物凄く大きな技術的進歩はなく、貧民層もいれば、雑居ビル立ち並ぶ場所もある。そんな未来社会を舞台に、そこそこに速い展開で、そこそこに濃密で、そこそこに複雑なプロットを楽しませてくれる秀作です。
登場人物の中に、一人、どこかで見た顔の女性を見つけました。高級コールガールの役で、登場時間は短いですが、比較的重要なポジションを占めていて、且つ妙に魅力的なキャラが立っている役です。パンフで調べてみると、『コヨーテ・アグリー』の主人公である、都会のガールズバーで働くことになった田舎娘の役のおねえちゃんでした。『コヨーテ・アグリー』から13年。パンフレットに書かれた幾つかの出演作は、私が知らないものばかりでしたが、この人を見るためだけでも、一応、このDVDは買いかなと思えるほどのいいチョイ役でした。
追記:
『コヨーテ・アグリー』のテーマ曲はかなり好きで私のiPODで今もベスト25に入っています。「Can’t fight the moonlight」と言う曲ですが、直訳するなら、「月光には勝てないぜ」と言うことです。(実際には「月の夜に湧き上がる想いに誰も逆らうことはできない」とでも言った意味です。)私が現在、取締役を仰せつかっている会社の名前が有限会社ムーンライトで、この曲はこの会社のテーマ曲となっていました。