『テルマエ・ロマエ』 番外編@小樽

GW後半の雨の日、娘を連れて、時たま訪れる小樽の映画館に足を運びました。ロビーはこの映画館にしてはそれなりの混雑でした。皆、雨の祝日に行く場所がないということなのでしょう。上映30分前にチケットカウンターで座席を指定すると、「大変混雑しているので…」と言われたので、どれほどかと思って入ると、全体の6割少々ぐらいしか席は埋まっていませんでした。これが翳りつつある地方都市の“混雑”であるものと再認識しました。

原作がヒットマンガであることぐらいは知っていますが、全く読んだこともなく、単純にローマ人が日本の風呂にタイム・スリップしてくる話ぐらいにしか、知りませんでした。見に行きたいと思わせたのは、劇場で何度も見たトレイラーや映画紹介サイトの動画で繰り返される、阿部寛のローマ人の熱演です。さらに、直前に読んだ、定期購読誌『DVD&ブルーレイでーた』のかなりよくできた特集記事で駄目押しされました。当初、一度誘っても「行きたくない」と言っていた小五の娘も、記事を読ませたら、俄然行く気になったようでした。娘も前日に行った書店で、『テルマエ・ロマエ』の非売品のサンプル誌で冒頭の十数ページを読んでいて、親子してかなり盛り上がって劇場に赴きました。

娘が「テルマエって、お風呂って意味だね」と言えば、「スペルを見たら、英語のサーモだって分かるでしょ。サーモ使う言葉、なんか思い出さないかな」と私が言い、「サーモグラフィ!おぉーっ」と娘が応じるなどなど、これほど期待感を持って見に行った作品は久々です。

見てみて全く期待を裏切らない映画でした。非常によくできています。それも色々な意味でです。細かく見ると、タイム・スリップが何度もできる仕組みがよく分かりません。現代日本への来方(きかた)と帰り方が違う点を始めとして、なぜ準主役級の上戸彩扮する真実が風呂などの水場に近づくと阿部寛がタイム・スリップして水中から現れるのかなど、最後まで解けない設定上の不思議は残っています。さらに言うなら、売れない漫画化志望の真実が突如、かなり広範な語彙を伴ってラテン語を流暢に会話できるようになるなどの不自然さも感じないではありません。しかし、そのような瑣末なポイントを全く気にしないで様々な観点から楽しめる映画です。

600円の割に、やたらに分厚くお得感のあるパンフレットには、原作者が映画の感想として…
「一言では形容できない、大歴史スペクタクル&人情風呂映画になっていて、あまりにも多元的で間口が広くて、どういう角度で見ても面白い。ローマ好きの学者が観ようと、風呂好きの人が観ようと、阿部さん好きが観ようと、誰が観たってこの映画に裏切られることはないでしょう」と述べています。全く同感です。この映画のジャンル分けはかなり困難ですし、どのようなジャンルに分けても、間違いなく及第点以上でしょう。

また、
「『グラディエーター』とか『ベン・ハー』とか、ローマを撮った映画はたくさんありますけど、こういう角度のものはひとつもないはず。どの時代のローマ人に観せても、いまのイタリア人に観せても、恥ずかしくない作品だと声を大にして言えますね」と、イタリアにも嘗て在住し、ローマ史オタクと紹介される夫が居る原作者が言うのですから相当なものです。現実に、ローマ市でのプレミア上映で大浴場跡地で上映され、現地に人々の賞賛の嵐を受けたと言う話もパンフレットに紹介されています。

文化史的にも、史実的にも比較的忠実で、社会の人々に供する技術のあり方を貪欲に且つ真摯に追求してゆく、阿部寛扮するテルマエ技術者のルシウスの熱意と皇帝への忠誠の姿には胸を打つものがありますし、監督がパンフで語るように、戦場にさえオンドル小屋のテルマエを用意する際に人種や立場を超えて皆が協力する様は、大震災直後の人々の画像の如く、感動を呼ぶ要素が含まれて居ます。

そして、所謂ドタバタのSFタイム・スリップものとしての面白さだけをとっても、秀作の『サマータイムマシン・ブルース』に比肩する面白さです。さらに、古代ローマ人技術者の眼を通して表現される風呂や便器とそれに関わる習俗の描写は誰しもが笑い出す絶妙のコメディとして成立しています。一方でローマの政治劇要素もあれば、日本の老人が持つ純粋な技術力と発想が結果を生み出す『プロジェクトX』的要素も含まれているなど、ごった煮にされている総ての要素がハイレベルです。

単なるちゃっちいコメディに終わっていない最大の理由は、映画化を誰しもが疑う中、監督が古代ローマ再現において細部にこだわったこととと、古代ローマ人のあり方をロケ地において数多くの外国人俳優達と日本人俳優を混ぜ合わせて違和感なく構築したことであろうと思います。ロケはローマ最大の映画撮影所チネチッタで行なわれ、そこでの荘厳なローマ宮殿などのセットに触発されて、日本での撮影も体育館を借り切った巨大な公衆浴場セットを作るなど、舞台づくりに並々ならぬ労力が充当されていることがパンフレットに書かれています。

阿部寛と何人かのローマ人役は顔の濃さで選ばれた日本人俳優ですが、ローマ時代の場面は、それ以外総て外国人俳優です。彼らは母国語で話しているはずなのですが、それを丁寧にアテレコして殆ど不自然さを感じず日本語を話しているようになっているのには、画面を見ていても驚嘆させられました。阿部寛は日本にタイム・スリップすると、ラテン語を話しますが、ローマ時代のほうでは、外国人俳優を含む皆が(ラテン語なのですが)日本語で話しているのです。この言語設定のこだわりようにも、製作者の熱意が溢れているように感じられました。真実がラテン語をマスターした後、阿部寛と一緒にローマ時代にタイム・スリップすると、画面の片隅に「BILINGUAL」と出るのはご愛嬌で、これだけでも、かなり笑えました。

「撮影はチネチッタで空前の規模で…」などと書かれた前評判を見て、「ふ?ん。あの川崎駅前の映画のセットみたいなところでちゃっちゃと片付けたんだな…」などと考えていた私の愚昧が全く恥ずかしい限りです。全編を通じて流れるオペラの名曲なども、クラシック音楽に全く疎い私には分かりませんが、楽しめる人には非常に楽しめるものなのであろうと思われます。

最近、増田悦佐氏の日本文化論を何冊か読んでいて、その素晴らしさを再発見させられていますが、『テルマエ・ロマエ』の原作者が強調するように、ローマ人の高い技術の社会生活への適用の姿勢にも、共通の何かが確かに感じられました。

劇場を出て、娘と行った遅い昼食はショッピングモール内の子供ビストロと銘打った店でしたが、「案内致しますので待っていて…」と書かれた入口の看板脇に立っていて10分近く声も掛けられずシカトの状態で待たされ、注文すると、たった二品が出てくるのに25分もかかり、私の頼んだオムライスは皿が脂ぎって汚れて(拭いた後がそのままに)筋状になっており、娘のラーメンは麺が毛糸玉状になっていました。会計をしようとすると、クレジットカードの決済操作ができる店員に交代すると言い出し、その店員は、日本人なのに決済はできても、「食事代」と領収書に漢字でかけない状態でした。さすが地方都市の競合もないままに、急激な人口減少に病んで行くショッピングセンターです。ローマ人技術者を「恐るべき文明の高さ」と驚愕させた平たい顔族の人々はここにはいないかの如くでした。

DVDは間違いなく買いです。