『ラプソディ・ラプソディ』

 5月1日の封切からほぼ3週間経った木曜日の正午開始の回を靖国通り沿いの地下にある老舗映画館で観て来ました。当日は1日4回の上映ですが、翌々日金曜日からは1日3回に上映が減じる予定と、当日になって更新されていた映画.comの上映スケジュールには書かれています。上映館数も非常に限られており、23区内では新宿のこの館と池袋西口の老舗ミニシアター、そして銀座のこれまた私が時々行くキワモノ文化系映画館の3館しかありません。都下に拡大しても立川が加わるだけです。池袋西口のいつもの老舗ミニシアターでも既に1日2回しかやっておらず、かなり終わりが迫っている感じがします。月末のそこそこの繁忙の中での鑑賞を避けて、且つ、溜まっている観たい映画を早めに消化すべく、鑑賞に赴いたのでした。

 この作品が劇場鑑賞候補作リストに入った理由は幾つかあります。一つはトレーラーでチラ見した際に、最近作られたにしては妙に若く見える高橋一生です。結局鑑賞後もその若い見た目の理由は分かりませんでしたが、鑑賞動機の一つになったのは間違いありません。最近私は年相応に見える役を演じる彼を何回か観ています。

 例えば、最近観た中で、何と言っても彼のイメージを固定してしまうぐらいの嵌り役で、本人も監督やプロデューサーを唸らせるほどの薀蓄と思い入れを持つ役を演じる『岸辺露伴は動かない』シリーズ(含む劇場作2作)です。そのイメージが強すぎるのですが、敢えて記憶に残る他の出演作を手繰ると、つい最近観たばかりの『脛擦りの森』が挙げられます。特殊メイクに4時間掛かったという妖怪じみた白髪の老人役でした。(劇の中盤過ぎに、若い時代(と言っても、30代には入ってそうなルックスでしたが…)も登場します。)そして、彼にしては珍しい力自慢でおつむは弱めの武闘派侍役を演じた『引っ越し大名!』、そして美しいラブドールの製造職人を演じた『ロマンスドール』もかなり印象的です。後から彼と知った『シン・ウルトラマン』のウルトラマンの声の役も、『シン・ゴジラ』の動きを演じた野村萬斎並みの面白さではあります。

 私が彼を最初に辛うじて認識したのは『嘘を愛する女』でしたが、元々私の知る中で最もエロい長澤まさみ目当ての鑑賞であり、高橋一生は尺の多くを病院で意識不明の役なので、その存在感がかなり薄かったように思えます。

 本作の鑑賞段階で高橋一生は実年齢45歳とウィキには書かれていますが、劇中では30代前半ぐらいに見えます。(パンフに拠れば監督は40代前半を想定しているようですが、天然で御人好しキャラという役柄故か、カッチリ決めた髪型にブルー系のスーツを着ているシーンが多いせいか、妙に若く見えます。)

 そして私がこの映画に関心を持ったポイントがもう一つあります。それはトレーラーで観た、コミカルなタッチと知らない女性に籍を入れられていた男の謎解きミステリーテイストの掛け算が面白そうに感じられたことです。実際には、後述するようにこの想定はかなり誤っており、映画は想定よりかなり強い好感を持てるものでした。

 ついでに敢えて付け加えるなら、トレーラーでチラ見して我が目を疑うほどにサイズが大きく膨れ上がった池脇千鶴の状況を確認すると言うのもほんの少しだけ動機になっている気がします。ネットニュースの記事でも池脇千鶴が「アンチ・アンチエイジング」などと自分の体重増加も加齢の変化と受け止めているような主旨が書かれていたことがありますが、本作でアップで見ると全く別人と言っていいぐらいのサイズ変更です。

 同じくネットの記事に拠れば、この池脇千鶴の膨張は、テレビドラマ『アンメット』(2024)やNHK朝ドラ『ばけばけ』(2025)の出演の際の役作りがきっかけとありますが、単純な役作りのためであれば、元に戻すのが普通であろうと思われます。本人が「アンチ・アンチエイジング」と言っている以上、膨張結果がデフォルトになっていると考えるべきであるように思えます。少なくとも、到底、『ジョゼと虎と魚たち』や『そこのみにて光輝く』の濡れ場で見られる華奢な体からは連想できませんし、『ストロベリーショートケイクス』の軽快な動きも全く微塵も観られません。

『そこのみにて光輝く』の鑑賞記事には、池脇千鶴について以下のように書かれています。

[以下引用↓]

 登場直後にはしゃいで喋り捲る拓児の場面以外、セリフが非常に少ない映画です。一言二言聞き逃すだけで大事な何かを見失ってしまいそうになります。そんな中で、前述のような、数々の名作に共通する様々な要素を、そのまま濃縮して配置できた要因には、主役の役者陣、特に池脇千鶴の名演技が挙げられるように思います。

 若い頃より、何かむっちりとした、池脇千鶴はセックス・シーンでは、やはり貧相な感じが必要以上に強調されてしまっているようには思います。私が池脇千鶴を最初に意識したのは『ストロベリーショートケイクス』で、さらにその後DVDで観た『ジョゼと虎と魚たち』では、その生き様が感じられる役作りに驚嘆しました。『はさみ hasami』の彼女も見ていますし、『20世紀少年』の彼女も覚えていますが、どうも精彩がありません。脱いでエロティックさを感じさせる女優ではありませんが、表情や言葉、カラダのちょっとした所作の中に、情念のようなものが、やたらに滲み出てくる女優だと思います。そのような特徴が生きる映画の設定で、彼女の魅力は活きると言うことなのかなと思っています。脱ぐことのない役ですが『凶悪』の主人公の記者の妻の役は、日常で蓄積された不満を呪詛のように吐きかける役でした。

 現実に、周囲の老若のカップルを観ていると、どちらかと言うと、女性の方が、数々の濃厚なキス・シーン、セックス・シーンや性欲処理シーンも含めて、食い入るようにスクリーンを見つめ、帰途でも熱心に語っていたように思えます。私にはそれが池脇千鶴の魅力のなせる業に思えるのです。

 何度か繰り返し見た『ジョゼと虎と魚たち』のDVDのオーディオ・コメンタリーの中で、面白いことに、池脇千鶴本人は、自分のヌード・シーンを観て、「今度、整形しようかな。バーンと胸とか出す豊胸とか」と唐突に言い出し、妻夫木聡に物凄い突込みを受けています。一方、妻夫木聡が上野樹里にベッドで(着衣ですが)寄り添いキスするシーンでは、「うわ。見入っちゃう。コメントできないよね」と絶句している有様でした。彼女のセックス観や自分の体に対する評価が垣間見られる、非常に貴重なコメントだと思います。先述の通り、彼女のエロティックさは、普段の言動や表情に強く出るのだと思います。

[以上引用↑]

 そんな感じで、大分体の容積が膨張して、見た目が変わった池脇千鶴ですが、それでも、劇中ではやたらに動きや表情、口調が可愛らしく、精緻な演技は健在どころかさらに磨きがかかっているようにさえ思えます。その結果、外観と言動がとんでもなく違和感を伴って印象に刻まれるキャラになっています。

 シアターに入ると30人程度の観客が三々五々入ってきました。私はカウンターでJ6と座席を指示したはずなのですが、入口でチケットを読み取り機に翳した際によく見るとG6のチケットを売りつけられていました。しかし、上映も迫っており、特にG6でも大きな不都合のないぐらいの空きようだったので、そのままG6に座って観ることとしました。ネットで見ると218席もあるので、30人程度の観客では、15%も行かない稼働率です。見渡すと、座席の上に見える頭は白髪だらけで、見える範囲の服装や顔立ちなどから、50歳以上が7割を占めるような状況に見えます。当日はサービスデーで一律1300円で、私も該当するシニア層は元々1300円ですから、わざわざ一律の割引価格を求めて来る必要性はないはずです。そのように考えると、何故か白髪頭の50代の観客が結構集まったと解釈することも一応できそうに思えました。

 2人連れは3組で女性同士が2組、男女の組み合わせが1組です。それ以外は全員単独客ですが、男女比は7割以上女性のように見えました。

 観てみると、想定とはかなり異なる映画でした。私の当初の想定は前述の通り「それはトレーラーで観た、コミカルなタッチと知らない女性に籍を入れられていた男の謎解きミステリーテイストの掛け算が面白そう」な作品です。劇場に到着してから数10分空いた時間でチェックした映画.comの紹介文章は以下のようになっており…

[以下引用↓]

「クロエ」「さよならドビュッシー」などの映画監督作を発表してきた俳優の利重剛が13年ぶりに長編映画のメガホンをとり、主演に高橋一生を迎えて撮りあげた人間ドラマ。人付き合いを避けながら生きてきた男性が、いつの間にか知らない女性に籍を入れられていたことをきっかけに、人生が思わぬ方向へ動き出す様子をユーモラスに描く。

少し天然で絶対に怒らない男・夏野幹夫は、パスポート更新のため戸籍謄本を取得するが、そこに全く身に覚えのない「続柄:妻」の文字を見て驚く。「繁子」という女性が自分と勝手に籍を入れていたことを知った幹夫は、正体不明の彼女を探しはじめる。やがて、街角の小さな花屋で繁子を発見するが、彼女は触れるものすべてを壊してしまう、型破りな女性だった。そんな繁子に振り回される幹夫だったが、奇妙な出会いはいつしかふたりの人生に思いがけない変化をもたらしていく。

心優しく繊細な主人公・幹夫を高橋一生、周囲を翻弄する謎のヒロイン・繁子をNHK連続テレビ小説「まんぷく」の呉城久美が演じ、芹澤興人、池脇千鶴が共演。さらに利重監督もキーパーソンとして自ら出演した。世界的ジャズピアニストの大西順子が音楽を担当。

2026年製作/106分/日本
配給:ビターズ・エンド
劇場公開日:2026年5月1日

[以上引用↑]

とあり、「彼女は触れるものすべてを壊してしまう、型破りな女性だった。」という件(クダリ)を読んで、もしかして何かのスタンド遣いとかスペック・ホルダーとか(高橋一生が出ているので、どうしても岸辺露伴のイメージが纏わりついてしまいます。

 そして、本編を観てみると、そのような「勝手に入籍していた女」や「触れるもの総てを破壊する」などという設定が殆ど無意味なほどの、濃密な恋愛ドラマになっていました。端的に言って、この物語は最近非常に数を増やしている、タチの悪い拗らせ系メンヘラ女子と超レアなレベルの御人好しの男との、ロマンティック・コメディです。そして、作品としてかなり上質です。

 この作品の脚本・監督、そして、かなり重要な脇役として出演までしている利重剛(りじゅうごう)を私は殆ど記憶していません。脚本や監督まで務められる人物だということを知らない上に、役者としてもほぼ全く記憶に残っていませんが、何かで観たような記憶がぼんやりと出てくる感じの存在です。ウィキで見ると、『酔いがさめたら、うちに帰ろう。』『劇場版 SPEC~天~』『スイートプールサイド』『ワンダフルワールドエンド』『罪の余白』『人魚の眠る家』『シン・ウルトラマン』など多数の私が劇場やDVDで観て好印象を抱いている作品群にも役者として出演しています。その中のどれか分かりませんが、彼が台詞を話しているシーンがその重要性故か、何かぼんやりと記憶にあるのですが、この作品を鑑賞後ずっと考え続けても、それが何の作品のワン・シーンだったか全く思い出すことができません。

 この変わった名前の人物の本作の脚本における設定のテイストは非常に優れモノですし、劇中の彼が務める狂言回し的な位置づけの、高橋一生が演じる主人公の叔父で歯科医の壮年男は穏やかで懐の深い良いキャラです。

 この物語を鑑賞して頭に浮かんでくる事柄が二つあります。一つは、世の中によくある、偶然の理由で同居することになったり、結婚することになったりする男女が、本気の恋愛に陥る物語群です。同居だけなら、やたらに今でもよくあるぐらいの定番プロットです。遥か昔なら若き日の薬師丸ひろ子が主演したコミック原作の『翔んだカップル』などもそうですし、ここ最近なら『週刊ジャンプ』連載中の『アオのハコ』もそうです。集団同居で少々変則的でしたが、『週刊モーニング』でつい最近完結した『ドラマな恋は基本から』もあります。

 ただ、籍がいきなり入っている話はあまり多くはありません。偽装結婚が外国人の違法滞在の方法論の一つになっていることも理由の一つかもしれません。または、もともと日本の見合い文化はほぼ知らない者同士が籍を入れるという制度であるため、そうした話に目新しさがないのかもしれません。いずれにせよ、いきなり知らない者同士が、それも不本意ながら入籍した状態から、実際の恋愛状態に至る物語は取り急ぎ多少はレアな設定であろうかとは思われます。

 そんなことを考えていたら、ふと、私の大好きな映画の洋画50選にも含まれている『グリーン・カード』の存在を思い出しました。今まで観た中で大好きな50本の映画の中に含まれるぐらいに、私にとっての好感度の高い映画ですが、私はこの『グリーンカード』がなぜ好きなのか上手く説明できません。コメディとして上質で、取って付けたようなドタバタもなければ、意味不明なほどの下ネタもなく、人を馬鹿にしたりする場面がないという点もあるかもしれませんし、米国人に典型的な妙な自己主張や過剰な権利意識などが(主人公の一人が非米国人であるため)目立たないのかもしれませんし、何にせよ、留学が終わりかけている封切時期に私は(帰国の機上の鑑賞も含め)何度もこの映画を好んで観ているのです。

 この『グリーン・カード』では、アンディ・マクダウェル演じるニューヨーク在住の園芸家の女性が、既婚者しか入居できない温室付きアパートに住むことを目指し、一方フランス人の芸術家の男性は米国永住権を得ようとしていて、二人は偽装結婚をすることになります。そして、入管がこの偽装結婚を暴き、彼を強制送還しようとする頃には、二人の間に本当の恋愛が芽生えていて、事なきを得るという予定調和的な物語です。けれども何か妙に愛おしいのです。

 ニューヨークなどの米国東側の大都市群を舞台にした恋愛劇は、ウッディ・アレンの多くの作品群を含めて多々ありますが、かなりビター・テイストであることが多いものと思います。パッと考えて思い出せるのは、トム・ハンクスとメグ・ライアンの共演作の『めぐり逢えたら』と『ユー・ガット・メール』 辺りが、ほんわかした恋愛テイストが、『グリーン・カード』に近いようには思えます。いずれにせよ、そうした恋愛コメディです。そして、和洋の違いはありますが、本作もそうした恋愛劇の範疇に間違いなく収まっているように思えるのです。

 もう一点は、この作品が非常に身近に感じられることです。なぜそう感じるかと言えば、私が仕事で経営支援をする中小零細企業で採用を行なうと、総じて女性の方が適性検査などの採用時試験の結果が優秀になります。しかし、そうした女性であっても、特に20代から30代ぐらいにかけて、かなり精神的に病んでいて病院にお世話になるレベルの少々手前で踏み止まっているような、所謂メンヘラと世間で言われる状態の人材が相応の確率で混じり込んでいます。特に不人気業種で採用を行なうと、そうした女性人材がかなり高濃度で混じり込みます。

 そうした私の仕事上身近な女性人材の精神的特徴として私は3点が挙げられると思っています。「低い自己肯定感・強い承認欲求・強い疎外感」の三重苦状態です。人気を博したテレビドラマ『新宿野戦病院』でもトー横キッズが登場し、同じく人気ドラマ『GO HOME ~警視庁身元不明人相談室~』でもトー横キッズが登場していますが、どちらもこの三重苦状態です。トー横キッズは典型的にこの三重苦の三要素がどれも激しい状態ですが、いずれかが特に際立っている程度の人物は世の中にゴロゴロ存在します。

 DVまで酷くはなくても、親の無意識的なネグレクトを感じていたとか、もっと控えめに、子供時代に親を始めとする周囲の人々から褒められることが少なかったとか、そうしたことだけでも、こういった精神構造は生まれやすいと私は思っています。おまけに、今時の30代ぐらいまでは完全にネット・ネイティブ的な人々なので、ネットの世界に浸っていますが、そこには恵まれて上手く行き、皆から承認される人々の姿ばかりが現れます。例えば、村一番の歌の上手い子は、ネットが無ければずっと歌が上手い子で大人になれますが、ネットがあると、常に超えることが到底出来なさそうな凄い歌唱力のもっと若くてもっと奇麗な子が簡単に見つかる状態に置かれます。これでは、自分に自信を持ったり、自分を肯定したり、他人から承認される経験が減るのも当然です。

 取り分け女子(敢えて女子と書きます)は集団内での比較やポジショニングが男子に比べて強く意識されて大人になって行きます。そんな中で、比較優位の要素が自分に見出せない状態の子が殆どといった状況が簡単に生まれるのであろうと私は思っています。不人気業種(例えば、水商売や風俗業各種も含む)には、上手く自分と向き合えない場面が人生で頻繁に起きるこうした女性が、吹き溜まり易くなるように私には思えています。

 こうした女性群の救済(というのは上から目線ですが、実際に助けられたいと思っている個人はたくさんいます。)は、結局彼女達を全承認・全許容・全寛容してくれるような奇特な男性(同性愛者の場合は同性であるかもしれませんが…)が個々に現れることになってしまうものと思います。それが鬼マクラ上等のホストであれ、デートを餌にチェキを売りつけてくるメン地下アイドルであれ、そうした存在がカネと時間が投じられる限りは救済になり得るでしょう。しかし、本作ではそれは(自分自身が子供時代に短気を起こした翌日に鬱を抱えた母が自殺したことから怒るということに対して強いトラウマを持ち、ずっと怒らないように心掛けているという非常にレアな)全寛容の一般人男性ということになっています。

 そうしたメンヘラな女性の危うくギリギリの恋愛劇が(それも恋愛と言えるほどの会話もありませんし、恋愛と言えるほどのセックスどころかキスさえほとんどないような内容ですが)、不信や猜疑、自己否定、自己嫌悪、逃避などを重ねに重ねて展開していきます。正直面倒なオンナで、幾つかのレビューにもある通り、イライラさせられるし不快に思う男性は(そして同性の女性も)多いことと思います。私も観ていて多少そうなりました。そして、とうとう彼女の暴挙に対応しつつとうとう怒声を発した高橋一生に喝采したくもなりました。

 それでも、この作品に描かれるメンヘラ女性の危うさやか細さは、やたらに愛おしく、先述のような私もよく知っている多くの(大なり小なり)三重苦に息も絶え絶えの女性達の、ホストやメン地下アイドルや女風キャストに拠らない全うで理想的な救済の形を描く、究極のハッピー・ラブ・ロマンスに思えてならないのです。

 このメンヘラ女性を演じた呉城久美という女優を私は全く認識していませんでしたし、ウィキで見ても舞台の活動が多く、映画の出演作では『来る』や『湖の女たち』をDVDで観ていますが、今回の彼女とつながるほどの印象は皆無でした。少なくとも劇中では、(そのように目撃談で言われていますが)一応美人の部類ではありながら、猛スピードでダッシュして逃げたり、地下鉄のホームでよろけ続けて、終いには何かの取っ手を壊してしまったりなどのスッとこどっこいぶりは明らかに異常な行動の域に入っていますし、泣くし喚くし叫び出すので、到底、常人の役柄とは言えません。そんな役柄を飄々と演じきった演技力は素晴らしいと思えました。

 同様のキレてぶっ飛んだ役柄、特に最初はまあまあまともだったのに、後のどんどん変容していくタイプだと、本作の呉城女史に比べて余計に変化のグラデーションを描くのが大変であろうと思われますが、そうしたキャラに『愛を語れば変態ですか』の黒川芽以が熱演する主人公の若妻がいます。これまた私の大好きな邦画50選に入っている作品です。本作も邦画50選入りを多少は検討せざるを得ない、私にとってのヒット作だったと思います。DVDはその検討のためにも間違いなく買いです。