3月8日の封切から1ヶ月近く経つ金曜日の夜9時5分の回を新宿ピカデリーで観て来ました。ここ最近新宿ピカデリーの頻度が上がっていますが、上映館が非常に限られてきていて、新宿ではここしかなく、おまけに1日1回と言う状況が多くの館に広がって来て都合が極端に合わせにくくなり、致し方なく新宿ピカデリーになりました。
上映の1時間半前ほどにピカデリーに寄って券売機でチケットを買った際には、モニタ上の40席ぐらいが埋まっていました。それから新宿の街で買い物をして戻ってきてシアターに入ると、30人に満たない観客しかいませんでした。ところがシアターが暗くなり、他作品のトレーラーが終わりかける頃に、まるで示し合わせていたかのように、次々と観客が加わって、元々座っていた人数の60%増しぐらいまで観客数が膨れ上がったように感じます。総勢50人近くの観客の中に所謂男女カップル客は多く、暗くなってから入ってきた面々も含めると、10組近くいたのではないかと思われます。
特にこれらのカップル客を中心に年齢層は非常に低く、全体で20代から30代の観客が7割ぐらいを占めていたように思えます。男女カップル客の比重が高い上に、残りの観客も性別がほぼ均等にばらけていて、男女構成比はほぼ半々に見えました。それらカップル客以外は、女性の二人連れも1、2組いたような気がしますが、男性は記憶の限りでは全員単独客だったように思います。
この作品の前に観た『コットンテール』の感想に私はこう書きました。
「 先述のリストからすると、当面残った映画には、『コットンテール』、『映画 マイホームヒーロー』の二つがあり、どちらを観ようかと考えあぐねました。両者ともに木村多江が出演しています。前者は木村多江が死んだ妻、後者は木村多江が生きている妻で夫婦で死体処理をする物語です。色々考えて、後者の方はまだ上映館・上映回数が多少は残っているので、観ようと思えばまだ時間があることや、まあDVDで観ても良いぐらいの作品であろうということ、おまけに、原作のコミックやテレビドラマのシリーズの話をフォローしていないので、(それでも十分面白いとネットや『王様のブランチ』では言われていますが)今一つ動機が弱くなりました。」
この鑑賞の動機が、上述のように木村多江狙いであることは間違いなしですが、他にも幾つかこの作品を観てみたいと思えた要因があります。一つは長らく行われていたこの作品のプロモーションの摩り込み効果です。私がこの作品を知ったのは昨年末ぐらいだったのではないかと思えます。元々原作も全く知らない状態で、まずは劇場ロビーでチラシを見つけました。佐々木蔵之介が天を仰いでいる姿を横から捉えたかなり目立つヴィジュアルで、関心を湧かせるには十分でした。おまけにキャッチコピーがまさにキャッチ―で「娘よ、君の彼氏を殺しました」というものでした。
その後、あちこちの映画館でチラシが視界に入るようになり、さらにトレーラーでも再三観るようになりました。そのトレーラーでこの作品がかなりコメディ・タッチな夫婦劇であるように認識し、その妻が木村多江であることを知り、俄然関心が強まりました。ミステリー・ファンである夫が死体処理をテキパキと進め、それを見て木村多江が「ホントに人を殺したの初めてなの」と真顔で聞くシーンがやたらに可笑しく、印象に残りました。おまけに、夫の殺人直後の部屋に入って来て頭部から血を大量に流した死体を見て、「ひゃああぅ!」みたいな文字にならない声を上げる木村多江もなかなかの可笑しさです。
さらにじわじわと他の情報が特段調べようとしなくてもネット上の広告だのから断片的に入って私の中に蓄積されて行きました。例えば、問題の娘の役は齋藤飛鳥がやっていること。この作品には原作コミックがあり、それはまだ連載中で、それと並行してドラマができ、この劇場作品はその完結篇に位置づけられていること。(つまり、原作の完結を待たず、実写版はテレビドラマから劇場版に移行して完結してしまうこと。)などなどです。
実写版のテレビドラマの前にアニメ版があることを知ったのはかなり最近です。観るべき映画のリストに加えてから、一応タイトルを検索窓に入れてザックリ見てみて、アニメ版の存在や、実写版もストーリー的にもキャライメージ的にも原作ファンがかなり好意的に受け容れている“原作に対する忠実度”であることなども知りました。ただウィキで見るとファンの熱意ある丹念な描写が逆に細部に渡り過ぎていて、それなりに登場人物も多くなかなか読み解きが大変で、「これは完結篇である劇場版を観ても、ついていくのは大変かも」と考え、観るべき映画のリストの中で優先順位を下げることにしました。
それでも今回劇場に足を運ぶことにしたのは、齋藤飛鳥を観てみたいという微かな動機が少々加わったことです。ドラマ版では大学生だった彼女が、警察官になっているというのです。かなりのイメチェンが要求される変化ではないかと思えます。私の中の齋藤飛鳥はたった一作品で事実上時が止まったままです。それは『映像研には手を出すな!』です。元々娘がコミックでファンであったのでその存在を薦められて知っていましたが、それを実写版の映画で観てみて私はド嵌りになりました。それで実写版のドラマもDVDで全部観直し、今に至っています。
「乃木坂46のアイドルがこの『映像研には…』の主人公である個性溢れる(というよりもかなりクセのある)三人娘を演じられるのか」という疑問や不安、否定的見解が製作前には多々あったようですが、私にも「奇想天外な物語の現実と夢想が交錯する演出が続出する中のこんな変なキャラをこれほどのフィット感で演じられるなんて…」と驚嘆する出来栄えでした。
私は三人娘の中でも私は特に梅澤美波が演じた金森さやか推しで…
「そして、梅澤美波のルックスと長身から繰り出される迫力の演技、そして、数々の策略謀略を駆使して目的を達成しようとする貪欲さが実体化した金森さやかの姿は、或る種、『下町ロケット』とか『空飛ぶタイヤ』などのような零細企業カタルシス系物語と十分比肩する盛り上がりを創り出しています。」
と『映像研には…』の記事に書いたほどですが、齋藤飛鳥演じるコミュ障全開の浅草みどりもかなり振り切った役柄だったと思います。それが違和感なく演じられる齋藤飛鳥を、(その後は顔を認識できるようになったので)あちこちで見るたびに、如何に浅草みどりの役が齋藤飛鳥の中で演技のふり幅の最極端に位置づけられる役だったかが理解されるようになりました。
例えばその後に観た作品の中には、DVDで観た『サイド バイ サイド 隣にいる人』がありますが、彼女はかなり延々と出演している準主役級の役回りでしたが、物語がやや難解で映像表現にも癖があり、おまけに彼女が演じたのは極端に口数が少ない人物だったので、彼女とは認識したものの、何かあまり印象に残らないままに終わりました。特段もう一度観たい作品という認識もありません。そんな経緯から、事実上の準主役級の本作の齋藤飛鳥がどのように『映像研に…』の浅草みどりから変わったのかを、多少は観てみたいと思えてきたのでした。
ドラマの段階で、齋藤飛鳥演じる娘が半グレ集団の男と大学生時代に付き合い始め、殴るなどの暴行を受けているのを見て、両親(主に父)が動き始めます。そして、この半グレ男は単に交際をしているのではなく、母の実家の莫大な財産をも狙って、組織的な企ての一環として娘と交際を始めたことが明らかになります。そこで父が(ドラマを見ていないので、どの程度意図的だったのかよく分かりませんが)その半グレ男を撲殺するに至ります。すると半グレ男が帰属する組織にはヤクザ組織も(多分ケツ持ちということかと思いますが)ついていて、このヤクザ組織からも父は狙われることになります。
半グレ組織、ヤクザ組織、事件を調査し始める警察、これらの組織からの追求の手を如何に(今や完全に共犯となった母の助力を得つつ)父が躱すかというのがコミックでは第一部と言うことで、ドラマもこの第一部で完結したようです。第二部は母の実家がある田舎の村落の宗教団体を舞台にした物語のようですが、私がざっと理解した範囲では、実写化はされていないようです。第一部の段階で追及の手を緩めないヤクザ幹部を追加で殺害することになった(正確には、よく分からない設定ですが、追い詰めた父を殺人罪にするため、父の前で追い詰めてきたそのヤクザ幹部が自殺した…という設定のようですが)父は、その死体もさらに山に埋めて隠蔽します。
第三部で完結篇となる劇場版は、土砂崩れでこの埋めた遺体が白骨化して発見される所から、再度かなりの高い精度の疑惑を抱いたヤクザ組織、警察から父が追われることになる物語です。さらに、第一部のドラマで半グレ男の殺害をヤクザ組織の一人の男に擦り付けたのですが、その男が刑に服することなく潜伏していて、その男も今回再登場します。おまけにどれほど優秀なルートで警察入りしたのか分かりませんが、今回の複雑な事件の捜査に当たる警察の第一線に、齋藤飛鳥演じる娘が捜査官の一人として存在しているのです。つまり、自分の娘から追われる両親(特に父)という構図です。
第一部のドラマを観ていないので、何とも言えませんが、物語の面白さはミステリー小説ファンで、自らもミステリー小説を執筆するぐらいの趣味を持つ父が、ありとあらゆる知識を駆使して、素人ながらにヤクザ集団や警察の追及を躱し逃れる展開にあるのであろうと私は想像しています。ですが、今回は早い段階で(元々父の殺人も知らなければ、その殺人が自分を守る為であったことも知らない)娘が警察官として「罪を犯したものを絶対に許さない」と言った矜持を誇らし気に両親に語る場面があり、これを受けて父は自分の罪が免れえないものであると(娘に対して誠実であろうとするが故に)覚悟してしまいます。
ですので、ドラマのようなありとあらゆる手法を駆使して追っ手を翻弄し、父はおもちゃメーカーの管理職の立場という日常を維持しつつ、母も(まさにタイトル通りの)自宅もあればその後第二子(長男)まで生まれる家族を守り維持することに成功する…というような展開があまり発生しないのです。『王様のブランチ』では出演者まで出てきた特集で、「ドラマを知らなくても楽しめる」と言っていますが、実際に観てみるとその評価は「売らんがな」のかなり好い加減なものであると分かります。ドラマ版のそうした物語の魅力は、この劇場作のパンフにもかなり詳細に解説されています。ところが、それに類する魅力がこの劇場作ではあまり見当たらないのです。それは(繰り返しになりますが)父が早い段階から、免れることを諦めてしまい必死感が少ないからであろうと思えます。
その結果、家族の棲む家はそこそこ早い段階で放火で焼失してしまいますし、父は会社にまでヤクザが押し掛けてきて、出社も儘ならなくなり、日常を急速に失っていきます。さらに母と幼い息子もあっさりとヤクザに拉致されてしまっています。その前の段階で父から「明(息子)を守ってくれ」と言われて深く頷いていた母は、一体どれほど息子を守ろうと努力したのか全く分からないままです。
半グレもヤクザも容赦なく迫ってくる。警察も無配慮に捜査を進め網を縮めてくる。その中取り繕い嘘を吐き、トリックを駆使し日常を守るという展開を見せるようなことも殆どなく、早々に守るべき日常生活も崩壊してしまうのです。
例えば、私がかなり好きな往年のコミック『BE FREE!』という作品があります。型破りな高校教師の物語として始まりますが、中盤、ヤクザ組織岩尾組と問題児集団のさくら組の諍いがどんどんエスカレートしていく展開になり、奇想天外な対抗策を駆使してさくら組は岩尾組を翻弄することに当面成功します。この展開は全くあり得ないほどに非現実的なのですが、発想が斬新で当時の私は強力に引き摺り込まれ、主人公が乗り回すバイクの疾駆の様子にまで影響されたのが一因で中型二輪の免許を後日取ることになったほどです。結果的にさくら組は執拗な岩尾組の追撃に匙を投げ学級ごと南海の島に逃避することになるので、ここでもまた最終的には日常が崩れます。しかし、それまでの戦いの在り様は大興奮の物語でした。
こうした一般人(個人の場合もあれば、個人+背負っている人々との関係性全部の場合もありますが)対暴力団組織という構図の話は多数あります。例えば私がDVDで観た『RETURN(ハードバージョン)』などもそうで、既にクセがある顔をしている椎名桔平の当初の無害なサラリーマン演技が違和感そのものですが、それでも展開はなかなか面白い作品でした。他にも狂気のベッキー観たさに劇場に足を運んだ『初恋(2020年作品)』もこの類の物語と観ることができるでしょう。この構図は或る種の黄金パターンだと思いますが、所謂ランチェスターの弱者の戦略の構造を採用してくれればくれるほど、楽しさが増すと私は思っています。
本来この劇場作もそうした面白さを提示してくれるものだと思っていた所に肩透かしだったのです。この映画で父が腐心しているのは、娘に後顧の憂いがないようにすることを始め、(本当は十分共犯なのに)母(妻)を罪に問われないようにし、まだ幼い息子との家族を守ることだけでした。端的に言うと、執拗な追及と拗れた事態の落としどころを探し、そこにソフト・ランディングさせることだけなのです。
ネットを見てもシアター内の観客の様子を見てもファンが多いと推量されるドラマ版を観た人々にとって、その後の顛末を描いたこの劇場作の魅力は相応にあるものと思いますが、先述の通り『王様のブランチ』での宣伝文句と大きく異なり、原作やアニメ、実写ドラマ全部抜きで、この作品だけを観た私を含めた一部の観客は何を楽しめばよいのか今一つ不明確な作品だと言わざるを得ません。
さらにこの作品が私にとってかなり辛いものである要因が一つあります。それは齋藤飛鳥が刑事に見えないことです。それはまず台詞回しなどにも見て取れます。最終的に齋藤飛鳥演じる娘は自分が捜査担当から外されているのにも関わらず、実の父に手錠をかけ逮捕をします。逮捕する権限はあるでしょうからよいのですが、逮捕するにあたって時刻も言わねば、罪状も言いません。「逮捕します」としか言わないのです。おまけに、それまでのプロセスでも妙に素人臭いことしか言いませんし、父を逮捕してあからさまな共犯関係にあった母については全く疑いの目を向けていません。(実際には電話越しに母に7年前の事件の顛末を尋ね、母が口籠る場面があって、両親ともに自分の当時の恋人の殺害を隠していたことを悟っているのにも拘らずです。)父には正義感を翳し心を鬼にして逮捕するような展開なのに、なぜ母はまるで端っから眼中にないぐらいの態度なのかが全く理解しかねます。
齋藤飛鳥の刑事役の違和感は他にもあります。車外からのショットで運転席と助手席に座る父娘の会話のシーンがあります。佐々木蔵之介と齋藤飛鳥の頭のサイズがあまりにも違い、まるで同じ生物種に見えないのです。(齋藤飛鳥のウィキを改めて今回読んでみましたが、「8頭身で縦18センチ、頭回り50センチの小顔の持ち主であり、アイドル界最小クラスといわれている」と書かれており、むべなるかなという感じです。)同じ生物種ではなくても刑事は務まるのかもしれないのですが、その小さく可愛らしくしか見えない齋藤飛鳥の様相が佐々木蔵之介を逮捕し得る力強さを全く伴って見えません。
食卓での家族四人団欒のシーンもありますが、ここでも佐々木蔵之介と並んで座った齋藤飛鳥は刑事としての武術鍛錬などを重ねているので、「今はお父さんよりもずっと強い」などと鍛えた体を誇示していますが、単純にサイズが違い過ぎて(勿論、「柔よく剛を制す」のようにガタイが大きい相手さえ小さい側が倒すことは十分あり得ると分かっているのですが)ビジュアル的に非常に無理があるのです。
パンフに拠れば齋藤飛鳥はこの作品の刑事役のためにキックボクシングなどの各種のトレーニングをストイックなぐらいに重ねて演技に臨んだようで、現実に犯人逮捕のアクションなどにそれは如何なく発揮されています。しかし、顔の大きい側の旧人種である佐々木蔵之介や木村多江と並び、意志も力も強い刑事を演じると、どうもヴィジュアル上、非現実的に見えてならないのです。
この作品には、私が最近とうとうDVDを入手して名場面だけを繰り返し堪能している『どうする家康』に出演している役者が4人もいます。木村多江演じる鍋の他に、伏見城で凄絶な最期を遂げた鳥居元忠、名高い武将である加藤清正、信長から最後には更迭された家臣の佐久間信盛です。どれもそれなりに複雑な心情展開が発生する役柄で、それを支える演技力が配慮された配役であるように思われます。そうした中で、ドラマ版の女子大生にはぴったりだったであろう齋藤飛鳥の刑事役の違和感は余計に際立ってしまっているように私には見えます。
ネットに拠れば先述の通り実写版は木村多江の母(鳥栖歌仙)役を始めとして、かなり原作コミックのイメージに忠実であるようです。パンフにはドラマ版の撮影時に、木村多江自らが顔面全部をラップで覆う拷問シーンの忠実な再現を主張してそのまま実現したなどのエピソードも書かれています。キーヴィジュアルの佐々木蔵之介の天を仰ぐシーンも、ネットの画像検索で原作版を見ると確かに姿勢やショットのアングルなど非常によく合わせてあります。これらに比して、刑事となった娘の原作のキャライメージと、今劇場作の齋藤飛鳥のイメージがどの程度合っているのか確認していませんが、訝しく思えます。
比較的最近劇場で観た『ウルトラマンブレーザー THE MOVIE 大怪獣首都激突』はテレビドラマ版が完結した後に作られた番外編的な位置づけの短い物語で、全体でも短い尺の中で3分の1ぐらいがドラマのまとめでした。つまり(私は多少ドラマの方の知識を持ち合わせていましたが)劇場版だけを(ネットなどの予習なく)見ても、かなり楽しめますし、完結している中の描かれていなかった途中エピソードのような位置付けの物語が短く加えられただけなので、(それでわざわざ劇場で観るほどの価値があるかという問いは置いておいて)すんなり楽しんで終ることができたように思えます。
それに並べて考えてみる時、本作は既に物語をドラマ版で十分知っている人々に対して完結の物語を提示するための作られたものであることがよりよく理解されます。その意味で、私は元々本作のターゲット以外の観客であったということかと思います。
木村多江はどうして逮捕されずに済んだのか分かりませんし、ドラマ版に比べると(見ていませんから分かりませんが多分)存在感が薄くなっているであろう役柄の保存の価値は思ったより小さく、DVDは不要かなと思われます。
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