新宿ピカデリーの日曜夜の回で見てきました。やたらの混み様です。混むと隣席にぴったりと他の観客がいる状態になるのですが、私語の多いカップルの、注意すると逆ギレする“付ける薬のない”女性の隣で、無意味な緊張感の中、見ました。
この映画の予告では、学校のタイム・カプセルから出てきた数字の羅列を書いた紙を受け取った現代の小学生が、ニコラス・ケイジ演じるMIT教授の父親に見せて、その数列の謎解きに入っていくストーリーを想定させる形になっています。数列は、ここ数十年の大災害の年月日と緯度経度、そしてその災害の死亡者数と判明します。
ここまでは、分るのですが、予告では、その災害予言が当たることを示すような災害の場面がなかなかのSFXの見せ場と共に提示されて、ディープ・インパクトのようなレベルの大災害が迫ることが予見されるような映像が展開され、ニコラス・ケイジが息子を守るために災害を防ぐ努力をするという風に読み取れます。
しかし、実際には、多分、観客動員をあげるために、一つこの映画の大きな要素を省いていることが、映画を見て分りました。それは、この災害予言がどのようにできたかと言うことです。そして、予告には現れないこの説明に、映画はかなりの時間を割いています。
あまり、ネタバレに踏み込みたくはないのですが、この映画は、ストーリーの構図で見ると、かなり『地球が静止する日』や『地球の静止する日』と似ていて、予言の発信者である地球外生命体の存在が映画の早い段階から提示されるのです。あとは、ニコラス・ケイジの奮闘がどの程度、実を結び、この高度な文明を持ち、空中に舞い上がるときには、光の羽のようなものさえ見える宇宙人達がどのように、それに絡んでくるのかだけの謎解きでしかなくなります。
そして、映画を見ながらそこまで読み込むと、もう一つの謎解きをしなくてはならなくなります。それは、宇宙人が警告を与える人々は、何かの条件によって選択されているのかと言うことです。これにも、一応の答えが提示されます。そして、数十年前からこの選択条件に合致している人は存在し続け、その人々の間では、状況設定そのものを聖書になぞらえて理解されている様子で、新興宗教の宣伝映画だったら、全くさもありなんと言う展開で映画は終わるのです。原題も文字通りの KNOWING ですが、何を「知っていること」であるのか、隣の大人気ない一見不倫カップル風の二人の去った後、それなりに考え込みました。
いずれにせよ、予告から喚起される期待とはかなり違った内容であることと、その内容のそれなりのハズレ感故に、拍子抜けした映画です。拍子抜け感においては、M・ナイト・シャマランだかの一連の映画に非常に酷似しています。当然ですが、DVDを買うどころか、今一度見る必然性は全く感じられません。
あと、劇中で一つ、気になるのは、ニコラス・ケイジが災害の記録をネット上の記事でチェックしていることです。大災害となれば、被害者の数が特定するのはかなり後のことですし、記事によって死亡者数が異なることも十分考えられるものと思われます。宇宙人の考える災害死亡者の定義と新聞報道などの基準が一致しているという前提は、今ひとつのれないものではありました。