『今、僕は』

以前、『スミレ人形』や『消えたフェルメールを探して』を見た渋谷のはずれの映画館に行くと、パンフレットもないこの映画のチラシを、監督(・脚本・主演)が自らこの作品のチラシを劇場の入口で配っていたので、帰りにチラシにサインを貰ってきました。

映画は、いかにもな20歳のニートと目される若者が、母子家庭の家でゲーム三昧のところへ、母の知り合いなる青年が現れて、いきなり郊外のワイナリーでのバイト仕事に連れて行かれるて起きる色々な事象を描いたものです。

監督自らが主演を務め、さらには脚本も書いた訳ですので、或る意味全部思い通りになっているはずですが、あまりにも、当り前のニート過ぎる主人公のありように、驚かされます。自分でコンビニ買い物に行ったりするので、完全な引きこもりと言うことでもないのですが、母が置いていった金を使って、スナック菓子を主食にして、ずっとゲーム三昧の日々を送っています。

バイト生活を送りつつ、この手の生活をしているような人は結構いるような気がしますが、稼ぎもせずに、ここまで母親に依存しながら、母親が何か言うと、「うるさいんだよ。しつこいんだよ」一辺倒の主人公の態度は、(本当はこう言う人間が、世の中にはたくさんいるのかもしれませんが、私の周囲には見当たらないので)非常に非現実的に感じました。

20歳にもなっていて、自活の余地が全くない主人公を、なぜか母親も甘やかし続け、働きに行くように言ったら、主人公が「こんな風になったのはお前のせいだ」と殴る蹴るの暴力に打って出てきても耐えています。私が親なら、単に家出するのではないかと思われます。なぜ、ここまで自分の息子に阿るのかが全く理解できません。この母は、何が理由か分かりませんが、中盤で急逝します。

これで、息子は否応なく社会に出ざるを得ないかと思いきや、どういう状況にあるのか、ごみためのようなアパートの一室に住み続け、家賃滞納で追い出されることもなく、貯金通帳を見つめて、残高が少なくなっていることを理解すると、首吊り自殺を図るという、訳の分からなさです。

さらに、初期段階で、母の知り合い(で以前の職場で世話になった)という青年が出てきて、やたら主人公の世話をしようとします。母親が死んだあとも、妙に執拗に、かかわりを持とうとします。大体にして、この青年も、職場のワイナリーではかなり下っ端のようで、バイト仕事を紹介した主人公が仕事から逃亡するなどして、立場が危ういはずなのに、付きまとうが如く主人公に関わる流れの中で車に撥ねられ、病院に担ぎ込まれるまでになります。

母親といい、この青年といい、何が楽しくて、ここまで阿るような関係性を主人公と築きたがるのか、全く理解ができません。見ようによってはと言うか、見る人によっては、美しい人間のかかわりの物語なのかもしれませんが、最後のシーンに至るまで、主人公は明確な成長や気付きの兆しを現しません。

チラシには「若者の心の闇を躊躇なく暴き出し…」などと本作のことが書かれていますが、私には、勘違いしたぐうたらの生態とそれを甘やかし悪化させる周囲の無責任な大人の愚かさを表層的に描いた映画に見えます。DVDが出るような映画なのか分りませんが、出ても買う値を感じない映画でした。