渋谷の街外れの映画館のレイトショーで観てきました。
同じ監督の前作『メタル ヘッドバンガーズ・ジャーニー』を観て、「ああ、なるほど。メタルと言う音楽ジャンルはこんな風に捕捉するのか」と感心したので、やっぱり、その続きをみたいということになりました。
発見と言うか、認識したと言うか、映画を見て思ったことは結構あります。
●初期の…と言う段階には、ディープ・パープルなども含まれていて、特にそれらが登場するのは日本の紹介部分であったことが、日本がGHQの時代からあちらさんの文化を取り入れることに熱心だった背景によるものなのかと思われました。他の国は、基本的に、もっと後の世代のバンドから、メタル文化が始まっています。
●かつて新宿にあった曜日ごとに音楽ジャンルが変わるディスコ「ツバキハウス」の「ヘビメタ・ナイト」のDJとして、よくナマで目撃していた伊藤政則氏が延々登場するのが、映画の企画の浅さを露呈させている感じがしました。私は彼のライナーノーツをむさぼるように読んだ世代なので、共感できることは多いのですが、現代・現実の切り口で見たら、本当にそうなのかなと思うところはそれなりにあります。
●黒魔術などとの関連は、『デトロイト・メタル・シティ』の冒頭部分にさえ紹介されているぐらいですが、やはり、諸外国でのメタルが、政治や宗教サイドから敵視され、弾圧の対象となりやすいことが、リアルに分かったのは大きな発見でした。特にイスラエルとアラブ圏におけるメタルの紹介は、命がかかっている話にまで広がります。それとは全く離れた単純に「エネルギーのある音楽」としてメタルを楽しめてきた私なり、日本人の、嬉しい環境であり、気楽さは再認識に値します。留学先の米国でさえ、私がホワイトスネイクの曲を口ずさんでいたら、十字を切って、「そんな言葉をくちにすると罰が与えられる」とか言ってきた人は多数いましたし。
●他の国では階層格差があると、ほぼ必ず下の階層、つまり、反体制派の人々の武器なり土壌なりになるメタルとして紹介されることが多いのですが、こと日本においては、サブカルチャー花盛り状態の要素としてのメタルがギンギンに紹介されているのが印象的でした。そこには、ビジュアル系バンドもあれば、(その流れでXジャパンのバラード曲もハードな曲に隣接する特徴が述べられたりしますし)、ポップっぽい音楽との融合やら、ゴスロリやら、方や一方でサラリーマン中年層が集まって、ハイウェイスターを叫びまくる映像やら、多種多様な映像のコラージュになっています。日本ではこれらの殆どが、メタルと認識されていないはずですが、ケロロ軍曹の着ぐるみと並んでメロイックサインを出す監督には、全部メタルに見えるということなのでしょう。食文化などもそうですが、この多種多様な文化の取り込みと分類整理は、こう言う場面にも現れていることが実感できます。
●バンドに関する再発見もありました。勝手に名づけて恐縮ですが、メタル新興国においては、スレイヤーやアイアン・メイデンなどが宣教師の役割を果たしているようです。ジャケットのデザインコンセプトがどうも共感できないので、ずっと聞かないままになっているアイアン・メイデンもライブを見ると、「いいなぁ」と凄く思えました。新興国へメタルを普及させる原動力となっていることも頷けます。
「好きな音楽ジャンルは何か」と問われるといつも困ると、そこここで書いていますが、やはり、前作を見ても今作を観ても、ぎりぎり、最大公約数的にメタルと言うのが正しいことになるよなぁと再実感しました。この映画の冒頭、最初に出てくるのが、スコーピオンズのライブの熱狂であるところに、バンド名を書いたTシャツを着るわけでもなく、メロイックサインをするわけでもなく、ましてヘッドバンギングなどはしない私ですが、「よしっ!」と強く頷けるものがあるからです。
この文章を書きながら聞いている、セックス・マシンガンズの『廃品回収』やら『みかんのうた』をリプレイしたくなりました。当然、この映画のDVDは買いです。