『ブラックアダム』

 封切が12月2日ですから、もうすぐ二週間という木曜日の夜に仕事を終えて、ギリギリでバルト9の午後6時55分の回に間に合いました。約2ヶ月ぶりのバルト9です。1日に3回上映していますが、新宿でやっている3館全部が1日1回から3回程度の回数で、バルト9でも翌日から1日2回になりました。さらに私が行った回の上映シアターはかなり小さい方で、80席しかありません。DCのかなりの話題作と言うはずでしたが、どうも観客動員はあまり芳しくないように感じられます。

 一応稼働率は良くなるように計算されているようで、シアターに入ると、周りが暗くなり始めても、ぽつぽつと観客が入り続け、最終的に40人弱ぐらいになったように感じます。座席の稼働率はほぼ4割から半分と言ったところです。観客の層は著しく偏っており、7割以上が20代男性のように見えました。女性はパッと見で一桁しかおらず、女性の二人連れが一組いた以外は、男女カップル客の女性というぐらいで、非常に限られていました。

 主役のドウェイン・ジョンソンは元プロレスラーで『ワイルド・スピード』シリーズが有名というぐらいしか認識していません。『王様のブランチ』で元プロレスラーのLiLiCoがドウェイン・ジョンソンにインタビューをしているのを見ましたが、「ああ。こんな感じの人だったか」ぐらいの印象しかありませんでした。トレーラーはかなりインパクトがあり、「“最恐”アンチヒーロー」と銘打たれていました。このアクションのインパクトと途方もない強さと凶暴さ、そしてそれがアンチヒーローとして、正義のヒーローの四人組と戦う…と言った感じの物語展開が期待されたので、たまには洋画のアクションをスキッと観るのも良いかと思い、観ることにしました。

 あとは、以前のジェームズ・ボンド役が印象に残っているピアース・ブロスナンの、少なくとも外見上非常によく年齢を重ねているように見える状況も、自分が老人となって、何となく見てみたくなったというのも鑑賞に至った動機の一つかもしれません。以前はボンド役以外にも『マーズ・アタック!』やさらに古くは『ミセス・ダウト』などが記憶に残っていますが、最近では、2010年に劇場で観た『パーシー・ジャクソンとオリンポスの神々』のとぼけた感じのケンタウロスぐらいの記憶しかありません。最近の彼を『マンマ・ミーア!』シリーズのトレーラーなどでチラっとは観ていたので、作品で観てみたいと思ったのです。

 MCUでも、後に共闘するヒーロー同士が、その主義主張の違いから対立し、戦いを止められないという展開は頻繁に登場します。1本だけでは完結しない場合さえあります。ですから、「アンチヒーロー」と銘打たれたブラック・アダム(本名テス・アダム)がどれほどアンチな感じなのかと期待して観ていたのですが、かなり拍子抜けでした。登場の頃こそ、バンバン人間の軍人を物凄い勢いで殺害していきますが、それさえも、彼を呼び出したシングルマザーの考古学者らしき女性とその弟を圧制者から助けるためです。

 その後も、世界の秩序と平和を守るという大義名分を背負った4人組のJSA(ジャスティス・ソサイエティ・オブ・アメリカ)というヒーロー達と戦いますが、それほど圧勝と言うほどでもありませんし、おまけにエタニウムという緑色に光る鉱石らしきものでできた武器や物品では多少なりとも傷つきます。さらに、徐々にブラック・アダムは自分が5000年前に生きていた街の現在を守るという目的に沿って動くようになります。

 スパイダーマンが原作コミックではニューヨークからあまり出ることが無いままで、バットマンは有名なゴッサム・シティで戦いまくり、DVDドラマで楽しんでいる『ザ・フラッシュ』の主人公はパラレル・ワールドにも過去にも未来にも縦横無尽なのに、なぜかセントラル・シティから殆ど出ることがありません。ブラック・アダムも同様にこじんまりと古代王国カーンダックの中心部に居座るだけのような感じになっていきます。

 息子の超人化やその力を引き継いだ過去の経緯の紆余曲折があったり、シングル・マザーの願いを聞き入れたり、JSAと共闘して圧制者の軍を叩いたり、自ら力を一旦放棄してただの人に戻ったり、ブラック・アダム並みに強い悪魔魔人とでもいうような風体のヤギ頭の怪物が現れたら復活してJSAと共闘して倒したりと、あまり「アンチヒーロー」らしくありません。悪役のまま大集合してミッションを与えられる『スーサイド・スクワッド』の人々の方が、結構センチになったり、酒を飲んでしんみり語ったりするものの、一応悪役であると常時自称し続けている分、まだアンチヒーローっぽいように感じられます。

 大体にして、ブラック・アダムと言う名前も劇中では一度も呼ばれていません。ずっと、テス・アダムのままで、先述のシングルマザーの一人息子が、もっと重々しくて格好良い名前を付けるべきと提案して、自分で「これからは名前をこうしよう」と決めた所で、いきなり映画タイトルがバーンと画面に出て「ブラック・アダム」のロゴとなるのです。ですから、(字幕上ではヤギ頭の悪魔魔人を真っ二つに引き裂くときに一度だけ「ブラック・アダム参上」のようなことを言っていますが、実際の英語のセリフでは名乗っていません。ただ決め台詞を言っているだけのはずです。)

 JSAの方も、何かよく見る能力の人達で、羽が生えて飛べるタイプの人は、『ザ・フラッシュ』にも男女カップルで登場しますし、MCUにもファルコンがいます。サイクロンと呼ばれる若い女性は、どうも『X-メン』のストームと(本来微妙に違う能力ですが)絵面的に酷似しています。巨大化するアトム・スマッシャーも、『ザ・フラッシュ』にもアントマン同様に、巨大化も微小化もするアトムがいます。さらに言うと、アトム・スマッシャーのマスクのデザインはかなりデッドプール的です。

 そして期待していたピアース・ブロスナンは、命を投出して盟友を死の運命から逃れさせ、大活躍をしますが、その金色に輝く空間魔法は、やはりどうしてもドクター・ストレンジを連想させます。寧ろ、渋く髭を生やし、金色に輝くヘルメットをかぶり、自らの予知能力で見える悲劇的な未来を回避しようと、運命に立ち向かう姿は、個人的にはドクター・ストレンジより遥かに好感が持てるように思えました。

 解説によると、DCの世界観の中で『シャザム!』と関連があると言われていますが、私は『シャザム!』を観ていず、もうすぐ公開されるというその続編も観たいと思っていないので、その関連性が分からないままです。街を守ると言ってそこにあった石造りの王座の遺跡状のものに一度は座るものの、「支配者でもなくヒーローでもなく、守護者としてこの街に居る」というようなことを言って、王座を自ら破壊してしまいます。その様子を見て、力が及ばないことが明らかなJSAの3人(ピアース・ブロスナン演じる魔法使いは殉職してしまったから3人です。)は街を去っていき、民衆はテス・アダムを讃えて止まない状態になっています。しかしJSAの本体の人々、時々DCの作品で観る黒人のおばちゃんですが、そのおばちゃんがドローンで映像メッセージを送って来て、「その街を監獄だと思って、そこから出ないように」と警告します。

 それを拒絶すると、いきなりスーパーマンが現れる所で最後の最後の場面が終わるのでした。何か現実世界の超大国軍や国連軍が弱小国の国民に人気の政権を「治安維持」や「右傾化抑制」などの名目で徹底的に攻撃するような、そんな構図が見て取れます。それほど、そんな構図は海外では当たり前であるということかもしれません。ドウェイン・ジョンソンはLiLiCoのインタビューで、スーパーマンなどのDCのヒーローとブラック・アダムが戦うようなことを既に言っていましたし、『シャザム!』シリーズの制作にも関わっているようなので、そういうようなつながりを、まるでMCUのように構成して行こうとしているのでしょう。

 米国の映画で悪の組織に一人で立ち向かうヒーローは『ランボー』やリアム・ニーソン主演の数々の映画のように、大抵復讐のためにバンバン殺すという人々です。その意味で、アンチヒーローと銘打たれたブラック・アダムも復讐に燃えて超パワーを発揮するのも、全然目新しくありません。ただ、特に登場直後の戦闘シーンはあまり類例を見ないぐらいの迫力で、空中を立ったままの姿勢でスーッと移動してくるブラック・アダムはなかなか異様で見物です。そして、いぶし銀のようなピアース・ブロスナンの名演は観る価値があります。DVDはまあまあ買いです。