2月上旬の封切から3日目の日曜日。午後6時50分の回を明治通り沿いの単一シアターの映画館で観て来ました。全国でたった2館でしか上映していず、その全国2館は関東に集中していて、23区内ではここ1館しかありません。単一シアター体制なのに、1日4回も上映しているので、この館の主力作品です。他には二作やっているはずですが、各々1日1回しか上映していなかったように思います。しかしながら、シアターに入っても、観客動員はお世辞にも芳しくなく、15人程度しかいませんでした。観客の年齢層はそれなりに高く私が平均値よりやや上ぐらいかもしれません。10人ぐらいが男性だったように思います。
私がこの超マイナーな作品を観ることにした理由はたった一つしかありません。それは、山本直樹の作品が原作であることです。私は山本直樹のファンです。一番好きな漫画家を選べと言われたら、ほぼ間違いなく山本直樹を挙げます。幾つかの長編作品を除いて、ほとんどの山本直樹の作品は読んでいます。森山塔や塔山森の名義の作品群も一部齧っています。
不条理感、登場人物のやるせなさ、厭世感や虚無感がシンプルな構図で描かれる様子は最高です。意味や意義を見いだせないセックスをこれほどエロく気怠く、しかし美しく描く人はいないと確信しています。私が最初に山本直樹作品に出合ったのは、(既に記憶が定かではありませんが)多分、『はっぱ64』だったように思います。それは多分、中学生ぐらいの時代、バスで2時間かけて行くことが年に1回あるかどうかというぐらいの札幌の町の書店「リーブルなにわ」のコミック売場でふと手に取って惹きこまれたような感じだったと思います。
その後、どういうきっかけだったか全く記憶がありませんが、『あさってDANCE』に目茶目茶に嵌ります。24になって家財道具まで売り払って現金化して留学した際に、唯一手荷物で持っていくことにしたコミックが『あさってDANCE』でした。アニメ・ヒロインで一人最高に好きな人物を挙げろと言われれば、間違いなく綾波レイⅡですが、コミックのヒロインなら今でも間違いなく日比野綾です。
ハズレ作品が圧倒的に多いことを知っていながら、映像化作品もまあまあ観ています。映像化作品で芸術の域に達していて、多くのミニシアターで今尚上映会が催される『眠り姫』は、他の作品の追随を全く許さない至高の完成度です。監督の七里圭さんには2012年に新宿のケイズシネマで行なわれた特集上映『のんきな(七里)圭さん』の場でお会いしたことがあり、数分の立ち話をしましたが、のっけから山本直樹愛で盛り上がった記憶があります。
彼の『夢で逢えたら』をその際に見ましたが、タイトルが山本直樹作品と同一でトリビュートとなっていますが、内容は別の物語です。彼の『のんきな姉さん』はDVDを持って何度も見返す価値があるほどに優れています。
それ以外の実写化作品は、良くてB級Vシネレベルか、チョイエロ深夜テレビドラマレベルの作品ばかりです。私がDVDで持っているものでも、『テレビばかり見てると馬鹿になる』『なんだってんだ 7DAYS』『アダルトビデオができるまで』、『アダルトビデオの作り方』、『ヒポクリストマトリーファズ』、『BLUE』があり、2005年に制作された『あさってDANCE』全4巻も持っています。そのどれも見返す値を見出すことなく今日に至っているDVD群です。
山本直樹の作品でも群を抜いて好きな『あさってDANCE』は1991年にも中嶋朋子主演(さらにその後芸能界から秋元康によって放逐されたと噂を聞いたことのある裕木奈江出演)の作品があり、劇場で観ましたが、比較的中嶋朋子推しの私でさえ、ゲンナリ来て立ち直れないほどの駄作でした。
この『ファンシー』が映画化されることを、私は偶然この映画館だったかどこかの映画館だったかでチラシで見て発見しました。チラシに書かれた「山本直樹」の文字が一瞬にして視界に飛び込んで来たのを覚えています。ただ、多々ある短編作品群の中で、チラシをパッと見ただけでは『ファンシー』がどのような作品だったか私は全く思い出せませんでした。原作の『ファンシー』の主人公はペンギンだからです。そのペンギンが大きく描かれていなかったので、「これ、どんな話だったっけ」と訝ることになったのでした。(ただ、チラシの裏面はペンギンのイラストがドーンと描かれたデザインです。逆に、他のキャラも背景もなくペンギンだけが大きく描かれているだけなので、それはそれで『ファンシー』のものとは分かりにくいようにも思いますが…。)その状況は、その後この作品のトレーラーを観ても、あまり変わることがありませんでした。
ペンギンは地方都市のような街並みの中にある広い高級マンションに住んでいて、詩人をやって食べています。ペンギンの他は皆人間で、人間達は人語を解するどころか、女性ファンを虜にする詩を書くペンギンの存在を当たり前に受け止めています。おかしな世界です。ある日、そんなペンギンのもとへ、予てより文通をしていた熱烈なファンの女性「月夜の星」が突然現れ、押しかけ女房になります。しかし、人語を解するとは言え、ペンギンですから、セックスをするでもなく、月夜の星は何となく悶々としながら、家政婦のようにペンギンの作家生活を支えます。
物語中、ペンギンが唯一友人と認識している郵便屋がいます。束になったファンレターの配達方々ペンギンの部屋に上がり込んで、茶を飲んでは業務をサボってペンギンと会話をして行きます。空気の汚さや暑さが耐えられず外出できないペンギンに代わって、ペンギンは月夜の星を詩を掲載する雑誌の懇親パーティーに出席するように促します。そのエスコート役を郵便屋に頼むのですが、それをきっかけに月夜の星は郵便屋とセックスする関係になり、その行為に溺れて行くのです。
月夜の星は郵便屋と恋に落ちたのではなく、寧ろ、会話ができてもスキンシップもまともにできないペンギンから心が離れて行き、虚しい同居の心の隙間を郵便屋とのセックスで埋めなくてはいられなくなったということのように見えます。映画評などでは、動物と人間の愛の満たされなさにフォーカスした物語のように原作が紹介されていますが、ペンギンの方は、郵便屋と月夜の星のセックスさえ容認しようとしている様子ですから、論点はそこではありません。寧ろ、『チャタレイ夫人の恋人』などと同じ構図の物語です。こんな変わった話をどうやって実写化するのかと思ったら、主人公達の存在は変えず、セリフもかなり原作から採用しながら、大胆な翻案が為されていました。
まず、主人公のペンギンは人間が演じています。窪田正考と言う男優です。黒い大き目のパーカーを着込んだシルエットはペンギンそのもので、「僕はペンギンです」と名乗っていますし、郵便屋も月夜の星の両親にペンギンの代理で会いに行って、「なにせ、ケダモノですから…」と言っています。どのように認識されているのかがよく分かりません。ただ、パーカーを着込み水泳用に見えるゴーグルをつけるだけで、ペンギンの雰囲気が非常によく表現されています。さらに、ペンギンと月夜の星ではセックスができない…という展開は、この窪田何某が性的不能者である設定で乗り切っています。かなり不気味なキャラと最近ネットで酷評されている実写映画『キャッツ』の気持ち悪い猫達に比べたら、非常に好感の持てる設定です。
この男優を私は最近DVDでよく観た関係で、少なくとも苗字を覚えることができました。『ナニワ銭道』で主人公を演じた役者がW共演の窪田何某をメイキング映像で「クボタ」と何度も三人称で呼んでいたからです。偶然、DVDで前後して『東京喰種トーキョーグール』を観て、続編のDVDも借りようかと思っていたところだったので、私にはこの男優のイメージがどうも『東京…』のそれでかなり固定していました。
今回はマスクやゴーグルで顔を隠していることが多く、『東京…』のイメージは固定したままに、窪田何某と認識する機会も少なく、自然にペンギンとして受け止めることができたように思います。ウィキで見ると、私が結構ハマった『古代少女ドグちゃん』シリーズの準主役ですし、それ以外にも映画館で観た『はさみ hasami』や『予告犯』、DVDで観た『るろうに剣心』、『エイプリルフールズ』、『銀魂2 掟は破るためにこそある』などにも出演していることが分かりましたが、全く記憶にありませんでした。
ただ、原作のペンギンは「そうだ郵便屋さん、彼女をエスコートしてくれたまえよ」と言った言葉遣いをする、多分精神年齢はかなり上の存在です。その部分で窪田何某はミスキャスト感が否めませんが、もう一つの大翻案のアイディアのために、それが目立たずに済んでいます。その大翻案は、郵便屋が主人公になっていることです。
郵便屋の方が主人公になって、かなり設定が細かく決められて、人となりがきっちり描写されています。郵便屋は最近始めた副業で、元々親から継いだ刺青を入れる彫師です。舞台も翻案されて寂れた温泉街になっています。閉塞したその街の雰囲気と、そこに蠢く暴力団関係者の動きまで描かれるのも翻案なのですが、その組員系の人々を彫師として傍観する立場にもなっているのが、彼なのです。おまけに、彫師として業なのか、何かの理由で幼い娘と妻とは別れているなどの設定まで付け加わっています。それを永瀬正敏が演じていて、キャラが立たない訳がありません。彼は私には『腑抜けども、悲しみの愛を見せろ』、『戦争と一人の女』、『パンク侍、斬られて候』、そしてチョイ役でしたが『蜜のあわれ』の怪演が光っている役者です。
永瀬正敏の好演のお蔭で、(『ファンシー』は違いますが)本来暴力的な物語も内包していることが多い山本直樹の世界観から翻案を経ても逸脱しないで済ませられているように思います。永瀬正敏が醸し出す郵便屋の達観や諦念が、山本直樹の世界観にぴったり合っているからなのだろうと思います。
憧れのペンギンとの生活の中で、徐々に空虚さに蝕まれて行く月夜の星は、小西桜子という、髪をロングに下ろすと前田敦子のように見え、髪をショートにして笑顔にするとやや綾瀬はるか似の、何か特徴がない感じの女優が演じています。この女優は窪田何某と近日公開の『初恋』と言う映画でも共演するということで話題になっているようです。パンフが売切れで翌週入るということだったので、翌週に買いに行く予定で、それを見れば何かヒントがあるのかもしれませんが、どうも私には、こちらはペンギンの窪田何某どころではないミスキャストに思えます。
まず、先述の徐々に空虚さに蝕まれ、心にぽっかりと穴が開いた状態になって行く遷移が全然見て取れないレベルの演技なのです。山本直樹の作品に登場する女性は、少しトランスに入っているのかと思えるような、気怠く本能的・本質的な発言を重ねる様子が散見されることがあります。月夜の星のそのような場面は、間違いなく郵便屋とのセックス・シーンや、ペンギンとの擦れ違う会話のシーンだと思います。それが全然生々しくないのです。棒読みの台詞に感じられます。
おまけに、この女優はAV業界などで言う「ちっパイ」です。(着衣では誤魔化されていますが、濡れ場で仰向けになっているシーンでは明確です。)ちっパイでも微乳でもそれ自体にどうという偏見は持ち合わせていませんが、山本直樹の描く多くの女性は、微乳でも巨乳でもない微妙なサイズの魅力的なバストを備えています。原作でもペンギンを抱いて浴槽に使っているシーンがありますが、ペンギンの頭が月夜の星の両乳房の間にまあまあ挟まっているバランスのサイズ感です。勿論、映画での窪田何某の頭ではこうはなりませんが、郵便屋にベッドに横たえられても、俎板状態の胸では、それだけで山本直樹の世界観に亀裂を入れるに十分です。
トレーラーで観たサトエリは、偉大なる大根役者のままでしたが、頑張っていました。『腑抜けども…』の時のような長台詞もなく、郵便屋の元妻を短い尺で登場して何とか演じ切っていました。良かったです。田口トモロヲは、最近で言うと、私にとっては『仮面ライダー THE NEXT』で仮面ライダー達を悩ます怪人シザーズジャガー役がとても印象的で、そのイメージが消えません。何をやり出すのか読めない明るさと気味悪さのブレンドが上手いように感じていますが、今回は、売春斡旋を副業にしている郵便局長の役です。郵便配達員が主人公の郵便屋ですが、郵便局員の一人は妻に田口トモロヲの下で売春させています。それが元で揉めて拗れた時、田口トモロヲはいきなりその郵便局員を拉致して生きたまま土中に埋めたのでした。私にとってはシザーズジャガーに次ぐ秀逸キャラでした。
月夜の星の外した配役にはガッカリしましたが、原作そのものではなく、山本直樹の世界観を上手く温泉街に投影し、町に蠢く輩の世界とペンギンの乾いた心象世界を上手く郵便屋の存在で繋ぎ合わせた翻案の妙には唸らせられます。七里圭作品群並みの山本直樹実写作品だと思います。DVDは買いです。
追記:
上映前のトレーラーで、私が『週刊モーニング』の連載で気に入りコミック全二巻も買った『子供はわかってあげない』を観ました。映画化の話など(もしかしたら、どこかで1回位は聞いたことか見たことがあったとしても)ほぼ知らなかったはずなのに、実写の映像をほんの数カット見ただけで、この作品と認識できました。凄い完成度だと思います。楽しみです。
追記2:
菊月いつかと言う人物のブログに拠れば…
「このペンギンは、あとがきにて大正時代の詩人がモデル、とされており、読者の間では、横瀬夜雨という詩人がモデルにといわれています。横瀬夜雨というのは明治から昭和にかけて生きていた詩人で、幼い頃にわずらった病気で脊椎が曲がっていました。それが原因で学校生活になじめなかった一方、若くして詩人としての才能が開花し、活躍を始めます。その浪漫的な詩は多くの女性を魅了し、夜雨の家には次々に女性ファンが集まってくるようになりました。そのなかの数名は、妻になりたいと宣言するほど。しかし、病気をわずらう夜雨の姿を見た女性達は、それまでの熱狂はどこへ消えてしまったのか、さっさと彼のもとから去っていってしまったのです。これらの様子は、横瀬夜雨の生涯をたどった『筑波根物語』という書籍に記されています。」とのことです。
やはり、恋愛における分かりあうことの難しさを論点とした物語と言うよりも、性的不能者の性愛に向けた「覚悟」とそれを容れることのできなかった女性の浅はかさや残酷さが主題なのであろうと私には思えるのです。