『劇場版 コード・ブルー -ドクターヘリ緊急救命-』

 7月下旬の封切から既にまる2ヵ月が経過した水曜日の深夜。午前1時55分からのバルト9の回を観てきました。恐ろしいほどのロング・ランです。私が劇場で観た中でここまで上映が続けられている状態が記憶されているのは、2008年に観た『崖の上のポニョ』ぐらいかもしれません。『崖の上のポニョ』は、観た時点で既に封切後20週以上が経っている状態で、あまりの大人気に「じゃあ、観てみるか」と思い立ったのでした。それに比べると、この『劇場版 コード・ブルー -ドクターヘリ緊急救命-』のロング・ランは、実質ミドル・ランぐらいかもしれませんが、かなり長いことは間違いありません。『崖の上のポニョ』は私が観た時点がかなり終りに近い段階でしたが、『劇場版 コード・ブルー -ドクターヘリ緊急救命-』は、23区内でもまだ20館以上で上映されていますし、観客動員動向に敏いバルト9でも1日2回上映されています。新宿ではピカデリーでほぼ同じ状況ですが、バルト9でもピカデリーでもシアターの箱サイズは小さくなっていません。まだまだ数週間ぐらいは引っ張りそうな気配を感じます。

 深夜の完全に電車のない時間帯にだだっ広いシアターにいたのは全部で3人だけで、私を除くと大学生ぐらいに見えるカップル一組でした。

 ウィキに拠れば、2008年の「1st シーズン」、2009年の「スペシャル番組」、2010年の「2nd season」、2017年の「3rd season」、2018年の「スペシャル番組」と「スピンオフドラマ」が今までに作られてきて、今回の初の映画化に至ったようです。第3シーズンは第2シーズンからかなり間が空いていて、同じ作品シリーズとは言っても、今回のパンフにも「物語が違うタイプ」であることが書かれています。加齢とともに役者と役は同じでも病院内で立場も相互の関係性も大きく変わったということのようです。そのように考えると、第1から第2シーズンと間のスペシャル番組が前半の言わば「第一期」で、それ以外が「第2期」と考えられます。打ち切られてから7年も経ってなぜドラマが再開されたのか経緯がよく分かりませんが、このような事前知識も全くなく、ドクターヘリがどのようなオペレーションをするのかについても全く予備知識を持ち合わせない状態で、観ることとなりました。

 この作品を観ようと思った動機は、今回の劇場動員状況にも見られる通りの人気作品であることです。絵のタッチがどうも好きになれないので全く知らないままになっていた『進撃の巨人』が実写劇場版になったのでシリーズ二作合わせて観に行ったというのと同じ構図です。それ以外には、いつものごとく、好きな俳優を観たいという動機もあります。今回は戸田恵梨香とガッキーこと新垣結衣です。

 戸田恵梨香はどちらかというと言わばコレクション目的です。顔のタイプとして好きな女優ではありませんが、演技の幅が広く何をやってもその役なりにきっちり魅力あるキャラに仕上げてくれる見ごたえある女優だと思っています。なので、過去作にガンガン遡るほどのファンではないせよ、作品は広く見てそのふり幅を堪能しようとは思っています。劇場で観た中では、『無限の住人』の無口な最強の刺客も、『デスノート Light up the NEW world』に再び登場したミサミサこと弥海砂も、『予告犯』の慟哭に至る女刑事も、強い系・デキる系の女性で括れますが、このブログを書き始める前に劇場で観た『ユメ十夜』の女学生は例外かもしれません。ただ、その頃私は戸田恵梨香(当時19歳)を全く認識していなかったので、DVDで見返してみて発見しました。

 DVDで観た中ではやはり『SPEC~』シリーズ全作がマイブームと言えるほどに気に入っていて、偶然このドラマ(+映画)のDVDを観たことから戸田恵梨香の存在に嵌りました。その後、『駆込み女と駆出し男』も大泉洋に対する思慕が滲み出て好演でしたが『エイプリルフールズ』の極端な対人恐怖症の妊婦も、どちらかというと強キャラに偏りがちの彼女のイメージを大きく反対側に振ったように思えます。今では、テレビでたまに見るアキュビューのCMで頷くだけの彼女のワイプ画像にさえ注目するようになりました。

 ガッキーの方は『フレフレ少女』ぐらいしか映画で観た作品がなく、『ミックス。』も観てみようかと思い立ったことがありますが、優先順位が低いままに上映が終了して観ないままに終わりました。『ミックス。』を観てみようかと微かに思い始めた背景には、DVDで偶然見た『掟上今日子の備忘録』がやたらに楽しめたことがあります。書店で何となく気になっていたカバーイラストにバッチリイメージが合ったキャラがサムネイルで見つかって、「おお、これは、掟上…だな」と借りて見ることにしました。その頃は「おきてうえ」なのか「おきてがみ」なのかも分からない程度の予備知識しかない状態でした。ドラマを見始めてから、それがガッキーであることに気づきました。ネットのニュースで資生堂のポスターのガッキーの瞳の中にカメラマンが写り込んでいることが話題になるぐらいきれいな瞳の美人評価であることは知っていましたが、特段、関心も湧かないままにいたのでした。20歳の頃の『フレフレ少女』も印象が薄かった私には、恋ダンスのガッキーも全然印象がないままの中に、突如「掟上今日子」が現れたのです。ガッキーの画像を検索すると、やはり、銀髪メガネの「掟上今日子」の方が普通のガッキーよりも、私には印象的でかわいらしく見えます。そんなガッキーの10年にわたる出世作を観てみるのもアリかなと思いたっての本作です。

 これらの二人に加えて、もう一人、動く状態を観たい女優が居ました。新木優子です。最近DVDで観た『悪と仮面のルール』に出演していましたが、アップの顔が近い将来商売上の弟子になる予定の女性に似ていることを発見し、それまでは彼女を「浅田真央と井上真央を足して二で割ったような顔」と言っていたのを修正し、「ダブル真央を各々4割に新木優子を2割混ぜたような顔」と評することとなりました。『悪と仮面のルール』に比べて派手に動き回りしゃべりまわる新木優子が観たいと思ったのも動機の僅かな一部です。

 観てみて、お目当ての3人が堪能できたという意味ではアリでしたし、パンフにも書かれている通り、非常にリアルに医療技術映像をドラマに収めたという意味でも、優れモノの作品と思えました。しかし、全体で見るとガッカリでした。

 パンフには医療監修の二人の医師の対談が掲載されていて、第1シーズンからずっと「医師からみておかしくない作品」を作ることに努力した様子がよく分かる内容です。それはそうなのですが、医療現場のドラマがドラマ過ぎて胡散臭いのが、私には常に気を散らす要素でした。極端な事例で言うと、主人公5人のうちの2人は結婚が予定されていますが、式のドレスを早く決めてくれとコーディネーターからドクターである婿の方に連絡が来ていて、ナースの嫁に職場で二枚の写真のドレスを見せて選ぶように迫っています。嫁は決めかねて病床に向かうのですが、そこに婿が追いかけてきて、瀕死の患者のベッド越しにドレス選びをするのです。さらに意識不明とされていた若い女性患者は、「医者とナースがいちゃついていたから目が覚めていないふりをしていた」と不快に目を覚まして言いますが、問題のナースは謝るでもなく、ただバツが悪そうに項垂れるだけでした。馬鹿げた職業倫理です。

 ちなみに、この二人は、緊急事態が相次ぐ職場でなかなか式が挙げられないので、同僚たちが気を利かせて、病院の中庭のような所でサプライズ挙式します。職場のかなりの人数が中庭で歓談する展開となりますが、その間、職場の方はどうなっているのだろうと、一応、組織運用の相談に乗るのが仕事の私は気になって話に集中できませんでした。ユダヤ人の老商店主が死の床にあって、家族が皆集まって臨終に備えていると、「誰が店をやっているんだ」と老人が怒るという話がありますが、臨終でさえそうならば、結婚など言うまでもないと思います。他にも些細な「職業倫理的にどうよ」と思える事柄は多々見つかります。若い研修医らしき人々が人事異動などについて、運び込まれてくる大量の重傷者に対応しながら噂話をしていて、「手を動かせ」と先輩から指導される場面さえありますが、手を動かしてさえいれば、「異動であの先輩が戻ってくると、指導がきつくなって困る」などと話していて良いと思っているのなら、本人たちの脳の検査をした方が良いように思えます。医療監修の二人の医師がこの辺の場面も監修しているのなら、二人の関わっている病院には命を預けたいとは思えません。

 もう一つ、この物語の表現でうざい所があります。それは、心の声なのか何かが頻繁に物語の上に被せられていることです。正確には分かりませんが、多分その心の声が第1シーズンには存在しなかったようで、テレビ視聴者からは「物語が分かりにくい」と不評だったため、第2シーズン以降付け足されたというような記述がパンフに見つかります。その心の声がやたらに陳腐なのです。

「普段は医学の先端の技術を使いこなす医師たちも、心という厄介な問題に向き合った途端、その捉えどころのなさに…(どうのこうの)悩み戸惑い(どうのこうの)となる」などと、主役5人のうちの誰かの声で語りが入ります。テレビ視聴者がどれほど(今、巷で話題の(教科書を含めたコンテクスト全般の))読解力が低いのか分かりませんが、全く蛇足にしか思えません。ギャグのネタにさえできるのではないかというぐらいに、大真面目に心模様のわざとらしい解説を延々と語るのです。かなり辟易しました。

 著書『日本の難点』の中で、社会学者宮台真司は、携帯小説『恋空』の、主要な登場人物たちが輪姦され、セックスして、妊娠して、流産してと、繁忙極めるストーリーに言及し、「関係の履歴」ではなく「事件の羅列」であると指摘しています。あれこれあって今があるという関係の履歴によって、人間同士の関係は濃密で入れ替え不能なものになり、相手に対するコミットメントが成立するのが当たり前なのに、それを実感として持ちえず、理解(/読解)することもできない、濃密な人間関係の体験がない読者に向けた「事件の羅列」形式のストーリーが増えていると言っているのです。

 どうしても、ショッキングな事件を羅列して携帯小説の話をもたせようとすれば、輪姦され、セックスして、妊娠して、流産して…となって、さらに不治の病が発覚して愛が試されたり、不慮の交通事故で主人公の一人が突然他界して心のやり場に困ったりしなくてはなりません。欲望丸出しのエロ系事件を排除して、「事件の羅列」を行なったのがこの『コード・ブルー -ドクターヘリ緊急救命-』というシリーズ作品なのだと分かりました。

 ジャニーズ系の役者を動員し、ガッキー・新木優子を始めとするキレイどころも動員して、エロ系抜きの思考をあまり必要としない「事件の羅列」を、まさに悲惨な事件事故の現場における時間を争う救命作業を舞台にして見せる。そういうことが人気のドラマであり、7年の歳月を空けても尚、コンテンツとして使いまわしたいものであったのであろうと、長期人気の物語の背景構造のようなものを理解することができました。

 お目当ての3人が動画で観られたのは収穫でしたし、最近DVDで観た『劇場版 お前はまだグンマを知らない』のグンマ至上主義娘を演じた馬場ふみかのアル中の母を持つ極貧ナース役も悪くはありませんでした。DVDはギリギリ買いですが、うざい語りの場面の音量ボリュームはゼロにしておいても良いように思えます。