『パンク侍、斬られて候』

 6月末日の封切からまだ3週間弱の木曜日の晩に観て来ました。10時5分からの回は完全に終電時間枠で、バルト9ではロビー階の狭いシアターでの上映となっていました。都下ではまだ100あまりの映画館で上映されているのに、23区内では20を切る状態になっています。急激に客足が遠のいて、動員に敏い23区内の映画館が次々と終映に動いているのに対して、関東でも他の地域はゆるゆると上映を続けている様子と解釈するのが妥当に見えます。バルト9でも封切前にはロビー内の個別モニタでトレーラを流し続ける力の入れようで、封切当時はかなり上映回数がありましたが、3週目に入ると一気に1日3回の上映に減らしました。豪華キャストが素人目にもウリであることは間違いありませんが、如何せん、話の内容に突拍子がなく、時代劇にジャンル分けしてもかなり無理を感じます。理解しにくいテーマの映画は、基本的にバズに乗りにくく売れが悪いということなのではないかと思えてなりません。

 10時少々前にバルト9のロビーに行くと、終電枠前の鑑賞を終えた客がぽつぽつとエレベータに向かって帰り始めていて、少々閑散として感じになっていました。閑散としているもう一つの理由は、二週間前にはロビーのど真ん中にデーンと鎮座していた巨大な岩石様の虚のオブジェがロビー奥のチケットカウンタ頭上のステージに移動していたからもあると思います。幾つかある個別モニタの一つでは『BLEACH』のトレーラが虚のオブジェ代わりの存在感を主張していました。

 私がこの『パンク侍、斬られて候』を観に行くことにした背景には薄っぺらな動機しかありません。単純に、時間が合う観ても良いと思える作品で、且つ上映回数が急減しているような作品が他に見つからなかったというのが最大の理由です。現段階で観に行ける選択肢としては、『グッバイ、ゴダール』と『女と男の観覧車』は動員に敏くないピカデリーの上映である上にまだまだ上映回数が多い状態でした。

 また、以前『自由を手にするその日まで』を観た下北沢のミニシアターで一週間しか上映されないらしい『DEVILMAN crybaby』は、ネットテレビか何かでしか放映されていず、その後、ブルーレイにしかなっていないので、観ることができないままになっていました。原作にかなり忠実な設定と聞いていて注目の的で、いつか観てみたいものと思っていましたが、直前になってネット評を見てみると、明らかに私同様か私以上に原作マンガに入れ込んでいる投稿者数人による評価が異様に低く、物語の世界観の構成は原作そのままでもキャラ設定が極端に劣化しているという意見でした。それでも普通の映画作品なら観に行っていたと思うのですが、各話の時間長は短いとは言え、10話をぶっ続けで観る時間投資には見合わないように感じられ、鑑賞を断念しました。過去に『伝説巨神イデオン』の劇場版の『接触編』・『発動編』の二本立てを小樽の今はない映画館で観てきたことがあります。自分の思い入れが確定している作品の映画版に長時間投資するのは構わないどころか、寧ろ望ましいぐらいですが、今回のネット上のキャラ改変の状況は後悔のタネになることが確実に見えました。

 近日中に封切になる予定の長澤まさみ観たさだけの『BLEACH』や戸田恵梨香観たさだけの『コード・ブルー』も極力観に行きたいと思っていますが、このタイミングでは『パンク侍、斬られて候』が唯一の選択肢となっていたのです。

 この状況以外に敢えて観たい二番目の理由があるとすれば、ギリギリ北川景子の存在かもしれません。最近DVDで観た『ジャッジ!』が作品として秀逸で、その中で好演していた彼女の印象も少々頭に残りました。この作品は日米文化交流的の現場を描いた作品としても秀逸で、娘に見せたら気に入ったようでした。その際に、娘も「あ。北川景子さんだ」と言っていて、女子高生の間でも十分な認知のある女優であることを知りました。DVDの新作案内などに頻繁に登場する『君の膵臓をたべたい』や『探偵はBARにいる3』などのトレーラで最近よく見ている気はしていましたが、特段なんだということはありませんでした。辛うじて『真夏のオリオン』の二役が幽かな印象に残ったかどうかと言う感じです。

 ただ『ジャッジ!』を観て完全に私も認識できるようになって、その後、私が見る僅かな時間のテレビ画面でも数々のCMに彼女が存在することを認知できるようになりました。そんな彼女が真顔で変な腹振り踊りに延々と身を投じる画像をバルト9のロビーのモニタで観たり、シアタースクリーンでも観たりして、ちょっと観てみるのも面白いかなと思えてきました。何かの雑誌の映画評でこの映画を「今まで普通の役を大真面目でやっている役者が、どこまで自分を捨てて変な役柄の変な言動を振り切って演じられるかの競技を見ているような作品」と評していて、中でも、北川景子、浅野忠信、永瀬正敏の振り切り度合いはとんでもないと書かれていました。ただの北川景子なら観に行く動機に成り得なかったかもしれませんが、振り切った北川景子の一端をトレーラで観てしまうと、それなりには気になるようになりました。

 実際に観てみると、振り切り度合いでは、浅野忠信が群を抜いています。私が(DVDも含めて)観た中でも『マイティ・ソー』シリーズ二作、『バトルシップ』、『沈黙 -サイレンス』で、一応渡辺謙並みには国際俳優となっている浅野忠信が、このキチガイキャラを、大真面目と言うか、渾身の気狂い様で演じる様には圧倒されます。私の好きな浅野忠信は、古くは名作『地雷を踏んだらサヨウナラ』の彼で、その後、『茶の味』、『鈍獣』、『乱暴と待機』、『酔いがさめたら、うちに帰ろう。』などのクセのあるキャラの彼が続きます。その後、私の印象に残る彼の役が三つ連発します。『私の男』・『寄生獣』シリーズ・『グラスホッパー』です。私の印象に残る浅野忠信を挙げろと言われたらやはりこの比較的新しい三作になりますが、その三作をあっさりと消し去るぐらいのインパクトのある役でした。

 永瀬正敏も本人と判別がつかないようなSFレベルのメイクで猿人になっています。懐かしの『猿の惑星』第一作のような服を着ていて人語を解する(どころか人間以上に流暢に話す)猿なのですが、『猿の惑星』とはメイクの技術が当然ですが段違いです。私が思い起こせる永瀬正敏は、『ミステリー・トレイン』がポスターのビジュアル的に印象に残っていますが、演じている彼をきちんと記憶から再生できるのは、『姑獲鳥の夏』の(続編では椎名桔平に変わってしまう)姑獲鳥に妄執する物語上のキーマン、『腑抜けども、悲しみの愛を見せろ』で永作博美にレイプされる腑抜けの夫、『戦争と一人の女』の坂口安吾、そして、『蜜のあわれ』の金魚売りぐらいです。どれもかなり印象的な役ですが、少なくともキムタクほどではないにせよ、かなり彼っぽい範疇の役柄です。ところが、今回は、顔の判別もつかない猿人で、その気怠い挙動もかなり異常です。おまけにこの猿人は、映画全体を通しての語りなのです。

 その語り内容がなかなか面白く、クドカン脚本の冴えが光っています。クドカン脚本作品は中途半端なおかしみや軽いギャグの範疇に収まっているケースではあまり好きになれないことが多いのですが、今回のようなぶっ飛んだ設定の物語では、やはり秀逸です。時代劇なのに、セリフは外来語がバンバン入っているほぼ普通の現代会話になっていますし、迎合する大衆や凡夫の主人公の心中を描写する言葉は、そのまま現代社会へのものとなっていて、(ヘタレの侍の描写を「ナンバーワンよりも云々などと、ゆとり教育の産物…」などとしている場面さえあり)笑えます。

 これらの異常の域に入っているキャラに比べると、北川景子の振り切り様はそれほどでもありません。しかし、それでも、腹を振りながら踊る新興宗教のシャーマンの女性を大真面目に演じていて、他の南アジア系のベリー・ダンサーのような恰好をした踊り子たちを引き連れて、列を成して踊り進んでくる様は圧巻です。

 これらの三人以外のキャラも、かなりの振り切りを要求されています。正直、おかしくないキャラを探すと、敢えて言うならただの剣術に優れただけの凡夫たる主人公だけです。普通の社会の普通の人々の中におかしな人間が一人混じり込んだ構図の物語は多数あります。私の好きな映画では『水のないプール』や『十階のモスキート』の内田裕也もかなりぶっ飛んでいますし、『変態だ』だって野生の熊とアダルト・グッズを武器にして戦う男の話です。『愛を語れば変態ですか』は、愛を広めようと思い立ち、通り魔のように人々にキスをして愛に目覚めさせるおかしな女の物語です。ぶっ飛んでいます。

 2、3人のキャラがぶっ飛んでいる映画もあります。たとえば洋画なら『ナチュラル・ボーン・キラーズ』もそうでしょうし、邦画なら『その夜の侍』だって観ようによっては逆方向におかしな男二人の対決劇です。これが、段々おかしな人間の数が増えてくるにつれて、一人ひとりのおかしさが際立たないようになり、間違いなく変な奴らなのに変であることが当たり前に見えてくるようになってしまいます。たとえば『ヘイトフル・エイト』もそうですし、『アウトレイジ』などもそうです。『TOO YOUNG TO DIE! 若くして死ぬ』もヒロインはまともな人間として描かれていますが、ただのアイコンであって人間味が殆ど描写されません。さらに、たとえば『ミロクローゼ』に至っては中に含まれる四話がほぼ完全に不合理です。

 ぶっ飛んだ話の世界観をただぶっ飛んだキャラで埋めていく映画はそれなりにあるのですが、この作品が特異な所は、ぶっ飛んだ世界観をぶっ飛んだキャラで埋めまくっておいて、主人公だけ中途半端な常識を持ち中途半端に打算的で中途半端に普通なのです。この絶妙なキャラ構成のバランスがこの作品のインフラ的な魅力なのだろうと思います。その面白さは分かるのですが、私にはやはり濃すぎる感じがしました。主人公もそれなりには変で、それ以外のキャラは全員おかしな人々です。それが様々なベクトルで寄り集まっているので、その間の化学反応を捉えていくのにエネルギーを要し過ぎてしまって、単純に愉快さに没頭できないのです。

 ですので、私にとってこの作品は結局特に振り切りが激しい(北川景子を含む)三人のモニュメント的作品としてか価値を持っていないように感じます。そして、その価値においてDVDは一応買いです。

 シアターの中に居た15人程度の観客は主に若い層で、男女のカップルが4組ぐらい居たように思いますが、途中で笑い声が聞こえたのはほんの数回で、帰り際のぼそぼそ聞こえる鑑賞後感は、キャラの異様さ以外には主に困惑で占められているように感じました。