12月1日の封切からまるまる1ヶ月以上を過ぎた1月三連休の中日の日曜日。バルト9の午後10時10分からの回を観て来ました。2日連続でほぼ同じ時間帯のバルト9でしたが、ロビーの段階でも前日よりは人が多かったように思えます。それなりに話題作のはずですが、それでもバルト9では1日1回の上映に少々前からなっていたようです。二日連続の終電枠の時間帯で、前日の『ジャスティス・リーグ』よりは少々マシな20人少々な感じの観客が居ました。
前日の『ジャスティス・リーグ』と同じロビーと同一階の小さなシアターでも、空席がやたらに目立つ中にポツポツといた観客は概ね20代後半から30代を中心とする年齢層のように見えました。『ジャスティス・リーグ』よりは女性客比率が高く、4割ぐらいに達していたように思います。男女共に中心年齢層はあまり変わらない感じでした。基本的には原作のファン層と言う風に私は理解しています。
シアターの入口では、これほど封切から時間が経っているのに、律儀に在庫を用意していたと見られますが、スタッフがスーパーのレジ籠のようなものを手に提げて、鑑賞特典を配っていました。コミックのダイジェスト版らしい小冊子とポスターのいずれかを選べと言うので、私はポスターを貰い腐女子JKの娘への土産にすることにしました。
この作品を観に行こうと思った理由は漠然としています。1月の早い段階で劇場鑑賞本数ノルマをクリアしておきたいと言うことがあり、先月12月はノルマ丁度の2本しか観られていないので、3連休に3本に挑戦してみようと思ったことがまずあります。1月封切でも観たい映画はありますが、その前に終映間近の作品を空いた劇場で観ると言うのは、私にとって最近頻繁になってきたパターンです。
そんな中で上映している作品を見渡して見て、トレーラーで再三観て印象が残っていたのと、ヒットしたコミックであるのに私は物語の世界観も何も知らないので、映画で一気にそれを理解しようと思い立ちました。かなり原作に忠実であると言う前評判は聞いていたので、映画二時間でコミックの世界観がまあまあ分かるのであれば、お手軽です。以前の『進撃の巨人…』の実写版の二作も、これと全く同じ構造の動機でしたが、『進撃の…』の方は、コミックのファンからかなり不評であったぐらいに、設定がオリジナルと異なるようでした。
私がDVDで観た『少女』の本田翼はかなり印象に残ったので、今度は、生死を弄ぶ暗い顔ばかりの彼女ではなく、笑いはしゃぐ彼女を観てみたいと思ってはいました。『少女』の次に出た作品の『土竜の唄 香港狂騒曲』は、少々五月蠅過ぎて、おまけにシリーズ第一作も観ていないので(観ていなくても問題なさそうな作品ではありますが…)パスすることとしました。トレーラーには殆ど登場しませんが、彼女が脇役で登場すると言うのも、私にとっての小さな動機の一端にはなっています。
この物語は錬金術師の兄弟の物語であること。二人は幼くして母を失い、それを甦らせるべく禁断の錬金術を使って失敗し、兄は片手片足を失い、弟は身体全部を失ったので、鎧に魂を定着させた。私が知っているのは、この程度の前知識でした。
映画を観て、その世界が中世のような、SLがそれなりに普及していて近代のようでもあり、(私の好きな『ゲート 自衛隊 彼の地にて、斯く戦えり』に登場するような)所謂妖精ファンタジー的な世界観に多少似てはいるものの、独自のものとして確立していることなど、色々と知ることができました。兄は片手片足を失敗で失ったのではなく、本来片足だけを失っていたところで、全身を失った弟のせめて魂だけでも取り返すために自分の片腕を犠牲にしたことも知りました。兄弟の活動や旅の目的は、弟の身体を取り返すことだと言うことも発見でした。
錬金術師が軍によって承認されている公的資格の商売であることも知りましたし、用語集だけでもパンフに事細かに書かれているので、「ああ、なるほどなぁ」と“学習”を重ねました。やはり、日本で流行するコミックやアニメの世界観には優れたものがあるなと、感心させられます。
ただ、世界観で言うと、単なる冒険活劇の域を超えて、この作品には二つのダークサイドが丁寧に組み込まれていることも分かりました。一つは、政治劇です。軍の中も一枚岩ではなく、派閥もかなりあるようですし、軍の外の勢力や軍を後にした勢力なども入り乱れて、権謀が渦巻く状態になっています。兄弟達は基本的に資格商売の性格上、軍の手先にはなっていますが、忠誠心のようなものは見られませんし、軍の動きや政策判断にかなり振り回されることになっています。
さらに、もう一つのダークサイドは、バイオエシックス的な見地のものです。娘はこの作品のストーリーを細部までそれなりに知っていたようですが、「人語を解するキメラを作る錬金術師が…」と私が話し始めただけで、「うわぁ。それやっちゃうんだぁ」と驚くほどのエピソードも中盤には登場します。
その錬金術師は三年前に人語を解するキメラ動物を錬成したことが評価されて錬金術師の立場を獲得したようですが、その後の研究は滞っていて、資格を剥奪される瀬戸際に居ました。彼の妻は三年前に亡くなったとされていて、今は娘と大型犬のペット一匹の生活をしています。兄弟が訪ねた所、彼は資格失効の期限を前にして、娘と犬を合体させ、話す犬型のキメラを作り出したのでした。実は、最初に作った人語を解するキメラ動物は、たった一言「死にたい」と言ってすぐ死んだと言うことが前振りで述べられています。つまり、前回は妻とペットの鳥を合体させたと言うことだったのです。
このような倫理的に問題になりそうな科学技術テーマは、物語全体で頻出します。兄が毎夜魘される悪夢も徐々に劇中で登場するようになると共に、母を作り上げようとして何が起きたかも明らかになって行きますが、できたモノは、僅かに動く人間の形をした醜い肉塊でした。
錬金術は等価交換しかできないと映画の前半で鎧の弟が説明していますが、同質量で同系の素材としか交換できないと言うようなことを言っています。弟の魂を取り戻すだけでも片腕を失っている兄ですので、弟の身体を全部取り戻すには相応の“同質”のものが要求されるであろうと想像されます。それが賢者の石と言う宝石だと分かり、映画の前半から兄弟が賢者の石を求めて持ち主の追跡劇を繰り広げたりしています。その賢者の石について、軍は存在を頑なに否定しようとします。
その理由が後半で分かるのですが、賢者の石は軍の捕虜を生きたまま石に錬成したものだったのです。軍は賢者の石を大量の捕虜を犠牲にして量産し、それをできそこないの泥田坊のようなぬめっとした人型に供給することで、不死身の軍団を作り上げる計画を進めていた結果できたのが、賢者の石だったのです。これを知って、弟は「誰かを犠牲にしてまで身体を手に入れたくない」と、入手した賢者の石の使用を拒むのでした。パンフに紹介された比較的シンプルな線で人物を描くコミックの絵面とは、かなりミスマッチな作品世界に思えます。
軍の技術でできたであろうホムンクルスも犯罪集団を形成しています。この首領を松雪泰子がやっていますが、不死の自分を作り上げた人間に対する憎悪溢れる態度を、『デトロイト・メタル・シティ』や『フラガール』並みの怪演で見せてくれます。先述のキメラ動物づくりのマッド・サイエンティスト的錬金術師は大泉洋が演じています。先日保険屋の外交員のお姉さんに勧められてDVDで観た『東京喰種』でも冷酷な男を演じていますが、ほぼ同種のキャラタイプだと思います。『探偵はバーにいる…』や『アフタースクール』、『青天の霹靂』のとぼけた主人公や『ゲゲゲの鬼太郎』のねずみ男が、どうも定番に思っていましたが、悪役も見応えがあります。他にも小日向文世が『プリズン・オフィサー』級の裏表のある偉いさんを演じていたりして、脇役にはかなり安心感があって、重厚感が一応あります。
このような重苦しいバイオエシックス系ネタを盛り込んで、脇役を名優で固めた重厚なストーリーであるのは間違いないのですが、それが、原作のイメージを上手く再生しようとして、衣装や髪型に至るまで追求したせいで、妙なコスプレ劇になってしまって面は否めません。
チャパツは周囲にもいますので、それほど違和感がありませんが、赤毛の髪のウィッグをガッツリかぶり込んだ女性キャラが大真面目に芝居をしているのを見ると、どうも、宝塚か何かの舞台専用の大仰な演技がカブって見えて、落ち着いてみていられません。或る意味、『ジョジョの奇妙な冒険…』と同じ症状を呈しています。
悪くはありませんし、鎧の弟が全く不自然感がないのに全部CGだったりと、見せ場は確かにあるのですが、正直、このコスプレ感がかなり鼻に付く作品ではあります。本田翼も笑ってはしゃぐのは元々の彼女のイメージにぴったりのせいか、あまり印象に残る部分がありませんでした。DVDはギリギリ買いです。
追記:
二日連続でパンフレットを買ったのですが、深夜のパンフレット売場には定番のスタッフがいます。昔で言うと、トランジスタ・グラマーとでもいうのかもしれませんが、所謂ボン・キュッ・ボンの体型をピチピチの制服に包んでいて、抜けるように色白丸顔、ショートカットの眼鏡の奥に少々釣り上がり目。唇は薄く、特定ジャンルのアニメのキャラのように私には見えます。笑顔もほとんどなく、黙々と仕事をこなす様は、所謂、ツンデレキャラのツンの面のように見えて、きっと、その手の趣味のファンがいるのではないかと、私は常に思っています。
いつも完璧に態度を崩さない彼女が今回は「またこの客だ」と言うほんの僅かな0コンマ数秒の目線の変化を来したのは、私には注目事でした。二日連続で同じ時間帯に行くと、それなりにいつもと違う発見があります。
追記2:
劇中、唐突に大泉洋扮する錬金術師が鎧だけで中身はがらんどうの弟に催眠術をかけたいと言い出して、驚かされました。動物催眠というのは存在しますが、魂はあるとは言え、無生物を対象に催眠をかける場面というのはそうみられるものではありません。横たわった巨大な鎧に布をかけてまさぐる大泉洋のシュールな姿に少々感激しました。考えてみたら、18世紀のヨーロッパが生んだ催眠の巨人メスメルは、催眠現象の原理を科学的に求めた末に、晩年、錬金術に辿り着いたと言われています。そういう意味では、錬金術と催眠術は相性が思いの外よいのかもしれません。