『彼女がその名を知らない鳥たち』

 封切から5週間ぐらい経った土曜日の午後。数年間を思い返してみても、一度も行ったことのない渋谷の映画館の3時丁度からの回を観て来ました。人気のある映画だと思っていて、仕事にかまけて大分放置していたら、あっという間に上映館が減っていき、既に23区内に3館しかなくなっていました。そのうちの一つ新宿の館はバルト9ですが、かなり前から1日1回の上映になっていて、時間帯が全然合わない状態でしたし、直前にチェックしていませんが、当日の時点で上映がなくなっていた可能性もあります。

 残る映画館は渋谷と有楽町で1館ずつです。ロフトの前の坂を急いで登り、ぎりぎり上映に滑り込みました。1日2回の上映になっていましたが、シアターに入ると、30人ぐらいは観客がいました。(それでも、3割も席が埋まっていないように感じます。)女性客が過半数で、女性同士の二人連れもいました。女性客の年齢層はかなり若い方に偏っており、小説も含めたファン層が何となく分かるように思えます。男性客は単独客が私も含めて極めて少数派で、カップルにしても、それなりに若く、若い女性客に連れられて来たと言った感じでした。

 私がこの映画を選んだ理由は、やはり、沼田まほかるの小説の映画化作品であることが一番です。以前に観た『ユリゴコロ』が(偶然が出来過ぎに感じる部分もありましたが)衝撃的と言っても良いぐらいの作品だったので、次の作品も観なくてはと思い立ちました。その前提で、トレーラーはバルト9のロビーの大画面で何度も観て、「ラスト〇分で、あなたは今まで見たこともない愛の形を知る…」と言ったキャッチフレーズが執拗に流されるので、その“未曽有の愛の形”が気になって、ラストだけ早送りで見せて欲しいといった期待感もありました。

 結論から言うと、『ユリゴコロ』には全く比肩しない作品でした。悪い作品ではないですし、『ジョジョ…』のコミックで言うと、絶対にコマを突き破ってカタカナで『ゴゴゴゴゴッ』とか音響効果が入るよなと思えるような、重たい場面が幾つか出てきて、息を飲ませます。面白いとは言えるのですが、どうしても、『ユリゴコロ』の印象が先にあるので褪色した感じが否めないのです。

『ユリゴコロ』との比較で言うと、基本的に重層構造で秘められた何かが存在するということがありません。『ユリゴコロ』では、「ああ、あの人は、現在のこの人ね」とか「あ。こいつが昔これやっっちゃってたっていうことか…」などが、(よく見ていれば、「そう考えないと辻褄合わないよね」というものではありますが)映画宣伝上は隠された事実がたくさん存在します。それがこの作品では、事実上、蒼井優演じるダメンズの女の恋愛対象の男を殺害しているのは誰かという一点しか謎は存在しません。一応、ちょっとしたどんでん返しもありますが、まあ、驚くほどのことではありません。

 俳優陣も、『ユリゴコロ』に比べると、何か渾身の演技という感じがしないのです。阿部サダヲはいつもの通り芸達者ですが、ガサツだけれども深みもあるようなダメ男は、彼の最も得意とするキャラだと思えますので、それほど、凄いものでもありません。私が最もよく見る阿部サダヲは『ユメ十夜』の彼です。私がやたらに気に入って、足掛け10年以上練習をぽつぽつと重ねている踊りが登場する「第六夜」の実質的な狂言回しの役どころを務めています。練習のたびに踊りの流れの中に彼の顔が割り込んで来るので見ざるを得ません。彼のセリフ自体が踊りの進行のマイルストーンとなってしまっています。

 あとは、『殿、利息でござる!』と『夢売るふたり』の主役級の彼と、『ヤッターマン』の名脇役が強い印象に残っています。それ以外では、『うずまき』や『太平洋の奇跡 -フォックスと呼ばれた男-』が多少アリかなと言った感じで、声優を務めた『ヌイグルマーZ』も『寄生獣』二作も私は好感が持てませんでした。

 蒼井優の方は、特に好感を持っている女優ではありませんが、比較的私が好きだと思える映画作品に登場していることが多い女優でした。「でした」と過去形なのは、何やら結婚しそうな熱愛だと年の離れた男優との間で騒がれ、その後、捨てられて、相手の男優は自分とそっくりの若い女と即結婚しただのと、ネットでバンバン書かれて大変だった頃の以前の彼女の出演作が比較的観ることが多かったという意味です。

 ネットやら映画評やら、共演者のセリフなどからでは、この一連の騒ぎの頃から、彼女の演技に艶や蔭が出るようになって、単なる不思議系の可愛い女の子ではなくなったと言われています。私が最も印象に残っている蒼井優は『花とアリス』の不思議ちゃんで、紙コップをつま先に充ててガムテープでぐるぐる巻きにして即席のトウ・シューズを作って、オーディションでバレエを披露する役です。自分の優れた部分をドーンと押し出すことで、不思議ちゃんがいきなり羽化したような、美しい場面だと私は思っています。踊りで言うと、『フラガール』も印象に残る作品ですが、あれはどちらかと言うと、教える側の松雪泰子の物語とみるべきだと思います。

 それ以外でも、『鉄人28号』、『亀は意外と速く泳ぐ』、『ハチミツとクローバー』、『クワイエットルームにようこそ』、『人のセックスを笑うな』、『FLOWERS -フラワーズ-』、『るろうに剣心』シリーズなど、名作として人に勧めることはなくても、好感をもって思い出せる作品群を、フィルモグラフィーを見ることなく列挙することができます。パンフを見ると、最近は「闇を抱えた女性を演じることが多い」と本人も阿部サダヲとの対談で言っていますし、著者も「蒼井さんの今までのイメージをやすやすと壊してしまう力に驚きました」と書いていますが、先述のようなスキャンダルを経て、「やすやすと壊してしまった」のではなく、「壊れたまま自然に演じた」のではないかとさえ思えます。

 では、自然に演じられて凄かったのかと言うとそうではなく、少なくとも、阿部サダヲが演じる男が人生すべてをかけ、その他二人ものそこそこイケメンの男が遊びでも声をかけたくなり、さらに、マグロ状態のセックスのはずだったのに金持ち老人が「どうしてもまた寝たい」と騒いで(結果的に)殺人事件を引き起こすような魔性性が全然見当たらないのです。

 普通のだらしないその辺にいそうな女です。ウィキでみると、彼女の両親は大阪出身で娘を宝塚に入れたいと思っていたが、本人の顔を見てやめたと書かれています。何度も登場する濡れ場も、「まあそうでしょうね」という感じで、わざわざ頭の弱い女性のセックスの様を想像してこういう風にしているのかなという感じも漂います。艶や蔭が出るには、もう少々くっついたり離れたりが実生活上で必要な女優さんなのかもしれません。

 また、デパートに散々クレームを入れるモンスター消費者であり、自分に尽くしている男を結果的に踏みつけにしていても、気にしないでいられる(妖艶さというよりも)ズボラさを体現しているかのような関西弁も、何か板についていない気がします。よく関西人は関西弁の真似を他の地域の誰かがしているのを聞くと、「そんな感じではない」と強く否定すると言われていますが、彼女のこの作品中の関西弁はどのように聞こえるのか、機会があれば、誰かに聞いてみたいものだと思います。(ウィキでみると、両親は大阪出身ですが、彼女は福岡出身ということのようです。)

 最後の「見たことのない愛の形」も、特に珍しい話ではありませんでした。死を以て自分の最愛の女の最高の男になるという構図の話は、それなりによくあります。所謂「お前は生きろ」パターンです。私が好きな邦画トップ10にさえ入れる『沙耶のいる透視図』もそのパターンですし、挙げればキリがありません。犯罪映画でも好きな女性の罪を背負って口を割らない男などは幾らでもいます。おまけに、劇中で阿部サダヲは頻繁に咳込んでいて、終盤に至ってどんどん咳の頻度が上がります。死亡フラグがかなり明確なのです。

 リスカの跡があるような女性の身の上話を聞くとよく出てくるような展開で、あまりに安易すぎて「見たことない…」どころではなく、アルアルもいい所ではないかと思えました。アルアルと言えば、この作品は関西地域限定のロケを敢行していますし、主人公の二人が住む部屋のオベヤギリギリ一歩手前の様子も、かなり現実感を出すことに成功していると思えます。そんな中で、女優が薄っぺらい闇しか抱えてなかったのが、もしかすると最大の敗因に思える作品でした。(闇の有無は別として、江口のりことかが主演だったら、凄いことになっていそうに思えます。そんなリメイクがあれば絶対に観たいです。)

 ただ悪くはありません。その世界観も嫌いではありません。ギリギリDVDは買いかなというぐらいです。