『ジャッキー/ファーストレディ 最後の使命』

3月末日の封切から二週間ちょっと。日曜日の16時50分の回を室町と言う場所で観て来ました。もともと上映館は少なく、新宿ではゴジラヘッドの映画館だけでしたが、観に行こうかとサイトを見ると、一日一回の上映になっていました。「すわ、終映も近いか」と思い立ち、日曜日に行こうとして、念のためサイトで上映スケジュールを見てみたら、上映開始2時間前で既に満席になっていました。

実は、必ずこの映画は観るだろうと思い、珍しく、前回の『チア☆ダン…』とセットで割引券(『ジャッキー…』の方はムビチケ)を新宿サブナード入口のディスカウント・チケット屋で買ってありました。そのチケットが、月末の本職が色々と忙しくなる時期のど真ん中でまるまる無駄になるリスクの低減を図るため、何としても、この空いたタイミングで観ておきたかったのです。

探してみると、新宿以外で比較的楽に行けるのは渋谷とこの室町でした。渋谷の喧騒を抜けて自転車で行けたとしても、慣れない場所で2時間近く路駐にしておきたくないように思い、それならと、新宿の上映時間から30分後に始まる室町に足を延ばすことにしました。足を延ばすと言っても、実は、この場所は神田駅から徒歩圏にあるので、私の新宿の居場所からなら時間距離で渋谷の上映館とほとんど同じです。『キャプテン・アメリカ ウィンター・ソルジャー』を観て以来、場所はかなり明確に把握しています。

室町の方の上映スケジュールを15時15分段階でチェックしてみたら、こちらも1日たった1回なのに、既に「残席半分」の表示が出ていました。恐るべき人気です。この状況にあるのに、なぜ上映回数を極端に減らしていくのかが全く分かりません。映画館に着くと、前3列がスカスカ状態であるのと、1席単位で歯抜け状態になっている以外は埋まっている実質的な満席状態でした。後にシアターに入ると、観客は概ね中高年者が多く、私が取ることができた最後列・最左端の席は、隣が4人連れの60過ぎに見えるおばちゃんがたの塊でした。

私がこの映画を観ようと思い立った理由は大きく二つあり、その一つは、主演のナタリー・ポートマンです。2011年初夏に『水曜日のエミリア』、『マイティ・ソー』、『ブラック・スワン』、『抱きたいカンケイ』、『メタルヘッド』と同時に五作も公開された出演作ラッシュのうち、3作ほどを観てから、この女優に関心が湧くようになったからです。全作品を見逃さないと言うほどの入れ込み度合いではありませんが、安心して見ていられる高い演技力を持っている女優さんだと思っています。

もう一つの理由は、私が1963年11月22日生まれであることです。この日は劇中に登場する運命の日、所謂「ダラスの熱い日」当日です。暗殺されたJFKとその事件についての映画は飽きるほど存在し、既にあまり関心が湧かなくなって来ていますが、事件当日からの後日譚4日間分を「元」大統領夫人の立場から描く作品は、少なくとも私には初めてです。

観てみると、色々な意味で際立つ特徴を持っている映画でした。設定の妙がまず目を引きます。事件から一週間余りを経て、漸く「ファースト・レディ」から「世界で最も注目される未亡人」へ移行する怒涛の作業を終えたジャクリーン・ケネディ(以下、ジャッキー)の自宅に記者が訪れ、インタビューを行なう中、映画全体で、彼女の答えとして劇的な4日間が描写されます。

彼女の回想だけで基本的に成立している映画ですので、登場人物も(本来の政治劇的な観点からすると、無数に登場人物が居てよいはずですが)非常に限られていて、10人に満たない状態です。驚くべきことに、その10人弱の人々でさえ、自分自身の回想に登場するジャッキー自身に比べるとやたらに影が薄く、99分しかない短い作品ですが、コマ数に分解したとしても、8割以上に彼女が含まれているのではないかと思えます。事実上、この映画はナタリー・ポートマンの一人芝居です。その一人芝居も、彼女の遠景は少なく、殆ど常に彼女の表情まではっきりと分かるぐらいの至近距離からのショットです。よくこの近影だけの映画に耐えうる演技を、米国の歴史上最も高い知名度を誇るであろうファースト・レディを役柄として、完遂することができたものだと感嘆させられます。

パンフに拠れば、事前に膨大な時間をナタリー・ポートマンはジャッキーの記録のリサーチに費やしていたようですが、単なる一人芝居としての演技の質の問題に留まらず、或る意味、米国の多くの人々が今尚個々に持つであろうジャッキーのイメージを裏切ることがないほどの成り切りを見せたナタリー・ポートマンの怪演の様子から目を逸らせない1時間半です。

ジャッキーは、たった三年弱で暗殺されたJFKの悲劇のファースト・レディとしても、勿論有名ですが、常にシャネルで固めたファッション・スタイルから、事実上のトップ・ファッション・スターのようなポジションにいたことでも知られています。パンフにもあるジャッキーの記録の「ジャクリーン・ルック・ブーム」と言う言葉がそれを如実に物語っています。暗殺の際にも、全身ピンクのシャネルのスーツにピンクの帽子を被った姿は、今でも多くの人々の記憶に残っているものと思います。実際、血まみれになったそのスーツのままで、ジャッキーはエアフォース・ワン内のウィルソン新大統領の宣誓式に立ち会い、ホワイトハウスまで当日に辿り着いています。

しかし、機会があるごとにJFKとジャッキーのことを見聞きしてきた私には、どちらかと言うとジャッキーは悲劇とスキャンダルの人です。悲劇の方は、家族の度重なる逝去です。最初の子供は流産していますし、その後、二人も子供を各々死産・早逝で亡くしています。ダラスの熱い日では夫を眼前で射殺され、飛び散った夫の脳髄をかき集めようとするまでの惨劇になっています。その後、自分を支えてくれた亡夫の弟まで暗殺されます。

恋愛関係でもあまり幸福とは思えません。JFKとの初婚の際にその時点での婚約者との婚約を解消し、時のローマ法王の祝電まで来た結婚でJFKと結ばれたかと思えば、JFKがアジソン病で入院したので看病生活が続き、回復後のJFKの不倫にも悩まされ続けます。ホワイトハウスを彼女の洗練された美観に従って莫大な費用をかけてリフォームし、舞踏会や演奏会を開くなど、ホワイトハウスそのものを西欧式の社交場に変え、初めてのホワイトハウス内のTV中継で案内するなどのファースト・レディとして類例のない活動は、夫に対する彼女の満たされない想いの発露にさえ私には思えます。

JFKとの死別の後、世界の海運王オナシスと再婚して世間の話題を攫いました。しかし、この結婚も義弟ロバート・ケネディの暗殺の恐怖から身を守るためだと言われており、結婚数年後には別居生活が始まっていたようです。一方では高名なソプラノ歌手のマリア・カラスがオナシスを「最愛の人」と公言するなど、決して一般的な定義による結婚の幸せは生まれていません。さらに、世紀の大富豪夫人となったジャッキーをパパラッチが追いまわるようになり、盗撮された全裸ヌードが『ハスラー』に掲載されたことまであります。

オナシスが死亡すると、一介の編集者に転身してまた世間を騒がせますが、その頃から晩年にかけて交際していた男性の妻は離婚を承諾しなかったので、最後まで再々婚することはできませんでした。人生の中で何度も精神を病み、催眠療法まで受けていたと言います。

私が知るこのようなジャッキーのジャッキーの人生についてのアバウトな知識の中で、最大の悲劇がJFK暗殺とであるのは間違いないでしょう。この作品もリアルに悲劇の瞬間を中盤に描いています。私も初めて知ったのですが、一発目の銃弾はJFKの胴体に命中しており、傾いたJFKをジャッキーが支え始めた所へ、第二発目がJFKの頭部に命中し、死に至らしめていることです。ジャッキーはインタビューの中で、「一発目が当たった後に、私が庇っていればジャック(JFKのこと)は死ぬことがなかった」と後悔の念を募らせています。

しかしこの作品が描くのは、この悲劇を受け止める余裕もないままにジャッキーが挑まねばならないJFKの葬儀や埋葬の遂行とホワイトハウスからの転居先の決定と転居の迅速な実施です。当時過去三例あったらしい在任中に亡くなった大統領のうち、偉大な大統領と名高いリンカーンの葬儀に習い、壮大な葬列を組むことがジャッキーの希望で決まりますが、新大統領ジョンソンら周囲の者は、弔問に訪れた各国首脳を巻き添えにするさらなる暗殺劇を恐れて猛反対します。

押し切って、それを一旦決めたジャッキーですが、その間に、今度は、JFKを狙撃したとされるオズワルドがジャック・ルビーに暗殺されます。テレビでそのニュースを見たジョンソンは「これでは合衆国が無法者国家だと思われる」と憤激しますが、さらなる暗殺の影にジャッキーを戦かせるには十分で、葬列を中止することを決断します。ところが、「偉大な大統領に相応しい墓地」を決めた後、「偉大な大統領に相応しい葬儀」も必要と翻意して、葬列を決行することとなります。各国から政府要人数百人の葬列と沿道の数万人の人々をたった数日の間に振り回す途方もない逡巡です。

暗殺の場面そのもの以外にも、このようなジャッキーの心理描写と荘厳な映像が多数、当時の実際の映像を不思議なほどに自然に混ぜ込みながら、映画は進んでいきます。映画全編を通して、JFK在任中からその演出家であり続け、世紀の悲劇を乗り越えて、最後のクライマックスと共に偉大な大統領のイメージを完成させたのがジャッキーであることが分かります。パンフに拠れば、実際にインタビュー記事の原稿には、ジャッキー本人の推敲・修正の跡が夥しく残っているとのことです。何が米国民に知らされるべき情報かを、ジャッキーは明確に理解していたと言うことだと思われます。

映像に残る世界史上の一大事件の背景で何があったかを克明に描く優れた物語だと思います。DVDは間違いなく買いです。