『チア☆ダン ~女子高生がチアダンスで全米制覇しちゃったホントの話~』

封切から3週間余り経った月曜日の晩7時45分の回をバルト9で観て来ました。夕方から二時間ほど激しく雨が降った新宿の街は、いつもより多少控えめな喧噪状態で、バルト9のロビーも人影がまばらな感じでした。

娘が「テレビをいつつけてもCMに出てくるほど売れてる」と以前有村架純について言っていたのと同じ評価を与える広瀬すずが主演なので、封切からでも長持ちするだろうと、先月は見ないでおいたのですが、ふと気づくと、バルト9でも1日2回の上映になっていました。危機感が湧いたので、慌てて駆けつけると、夜の回の方は1階のやたらに狭いシアターになっていて、動員力の翳りがありありとしていました。

合計で30人少々の男女半々ぐらいの観客が居ました。年齢層は圧倒的に若い層に偏っており、広瀬すずの人気によるものと思われます。私は広瀬すずをよく知りません。映画で記憶にあるのは、DVDで観た『海街diary』ぐらいで、快演とは思いましたが、もっと見たいと感じるほどではありませんでした。今回もそうですが、顔だちも何か常に目が腫れぼったく感じられ、嫌いではないものの好きにもなれません。比較論で言うと、『探偵ミタライの事件簿 星籠の海』で場面によっては主役を食ってしまうぐらいに目立っていた、広瀬姉妹の姉の広瀬アリスの方が好感がやや持てます。

中小零細企業の組織力強化の企画を立てる商売をしていて、常々感じるのは、最近、努力が人生の態度の選択肢の一つになったことです。努力が美徳としての魅力を失いつつあると言う風に捉えてもいいでしょうし、努力してもしなくても本人次第と言う価値観の台頭とも捉えられます。勿論、私が子供の頃も、誰の目にも明らかなぐらいの努力を払う人とそうではない人は両方とも存在しました。しかし、当時は、努力することが圧倒的な善であって、呼吸のようにして当たり前のものであったように思います。

「ありのままの自分を愛する」だの「ありのままの自分を受け容れて欲しい」だのと言う主張は、現在、耳当たりが良い言葉として氾濫しているように見受けられますが、裏を返せば、努力を放棄した開き直りと同義であることを指摘したり、それに対して警鐘を鳴らす話はあまり聞きません。

そんな風潮を感じる中、努力して何かを勝ち取る、以前ならコギャル、今ならJKが、どんなふうに見え、どんなふうに見られるのかについて、ヒントを得るべく、この映画は外せない一作として私に認識されていました。

勿論、若者の努力を描く映画は山ほどあります。極論すると、『バクマン』だって、血を吐くような努力があり、現実に高校生漫画家コンビの一人は病院送りになるほどの努力を払っています。『スウィングガールズ』にさえ努力と成功の強烈なカタルシスがあります。まさに、本作の主役広瀬すずを有名にした『ちはやふる』前後編も、私は観ていませんが、ライバルとの競争と努力の世界だと思います。

ダンスの世界に限っても、劇場で見逃し、先日DVDで観た『ガールズ・ステップ』も高校のダンス部に集うことになった様々な疎外感を抱えたJK達の“結束”と“変態”の物語です。その与える感動劇の構造は、『チア☆ダン…』とほぼ同じと言っていいでしょう。しかし、『チア☆ダン…』のそれには、一つ決定的な違いがあります。それは、事実に基づいた物語であると言うことです。この説得力は圧倒的です。

この圧倒性を持つ近年の映画作品では、私には『ビリギャル』ぐらいしか思い当りません。さらに思い出すなら、『フラガール』の達成感ぐらいでしょうか。国内の難関大学にギリギリ滑り込んだとJK一人の物語や、石炭産業が凋落した後の一つの街の発展を支える田舎娘たちの物語に比べ、本作は、競技人口はまだまだ少なく、メジャーとは言えませんが、劇中でも「(何もない)福井地獄」とディスられること頻りの地方から、ド素人のJK集団が、全国を突き抜け、本場の全米を制覇する話です。壮大な構造をたった2時間で語り切る内容なのです。

この無理筋な構造を突破した女性教諭は天海祐希が演じていますが、「去る者は追わず」と言いつつ、高い目標を持ちそこに向けて激しい努力を積み重ねることを田舎JK達に要求し続けます。どんどん落伍者が出ます。当然、軋轢が繰り返し発生し、廃部の圧力もかかります。それでも彼女は高い目標を持つことの意義に執拗に拘泥し、それがJK達をも動かし、結果的にJK達本人の嘆願で廃部を免れ、天海祐希が出した辞表も保留されることになります。

JK達の練習風景は『スウィングガールズ』のそれに似ており、JK達の挫折と離散、そして再結束と昇華のプロセスは『ガールズ・ステップ』のそれに酷似しています。しかし、指導者の態度の方は、『ビリギャル』の坪田先生のような怒涛の動機づけとは全く異なり、寧ろ『フラガール』の松雪泰子の強化版です。ペーパーテストなどの定量的な評価のない努力のプロセスを集団に歩ませる困難さが、坪田先生にはない、天海祐希と松雪泰子の共通性を作っているものと思いますが、流石目標の高さ故か、天海祐希のそれは突き抜けています。

おでこ丸出しの髪型のルールの妥協のない徹底は勿論、去る者は追いませんし、怪我を負って二ヶ月休んでいた広瀬すずが復帰して頑張っているにもかかわらず、全体の質を下げているとして、退場させます。描かれる主要メンバーのうち唯一のチアダンス経験者で全体を引っ張る優等生の部長の子も、人間的魅力が足りないと評価し、全米大会のファイナル直前の土壇場でセンターから外します。全体で勝つことを目指す上で、当然の“判断”であり、“作業”です。しかしJK達の動揺は激しく、ファイナル直前の場では広瀬すずから、「先生のことを軽蔑します」と全身全霊をかけた非難を受けます。それでも、天海祐希は「そう。軽蔑してくれて結構。私の考えは変わりません。役割を果たして頂戴」と冷徹に言い切ります。

しかし、映画後半、招聘されたコーチの口から、実は天海祐希が苦悩し後悔しながら指導上の努力や研究を重ね、今の在り方を選んだことを広瀬すずと観客は知ります。彼女の夫が家で悩む彼女を支えてきたことも明らかになります。広瀬すずとチームのメンバーは、数々の反目や不満・懊悩を越えて天海祐希の指導に従い、総てを擲って努力を重ね、天海祐希の言う「頂点からしか見えない景色」を見ることになります。

前述の部長を務める真面目な子も、天海祐希の覚悟を受け容れ、天海祐希が書くように指導した「夢ノート」に、「みんなで必ず全米を制覇する。そのために私はみんなの敵になる」と書き込み、後悔を心に秘めながら、全員の欠点や弱みを暴き、妥協のない指導に打って出ます。このような厳しく努力と向上を求め続ける姿勢は、シチュエーションが似ている『フラガール』にさえ見られません。

出演総時間は蒼井優より短いように感じられる松雪泰子が『フラガール』の主役とクレジットされています。それなら、本作の主役は天海祐希で間違いないことと思えてなりません。実際に天海祐希の役のモデルの五十嵐裕子教諭と、劇中で天海祐希が招聘したコーチのモデルの前田千代氏の両方が、この映画を観て号泣したとパンフにあり、その思い入れの重さを証明しているように思えるのです。

この厳しい努力の要求が若い年齢層が多い観客に、どの程度受け入れられるものなのかは、「泣けた」と言う言葉をたくさん聞いた反応からでも窺いにくいようには思います。しかし、パンフにある、その後5回もの全米制覇は、その価値観を受け容れる層がその後も福井の高校の中に出現し続けたことの証左であることは間違いないでしょう。

全編に渡って、微妙な笑いが塗されていて、特に話がシリアスになってくる前の前半では、客席から笑いが漏れることがしばしばあります。チームメンバーの多くが学校の中庭のベンチで昼食を食べながら、足はふりを思い返しながら揃って動いていると言うところまでは、或る程度アリですが、画面に映り込んでいる中庭の学生全員がその動きに飲み込まれていくのは、明らかに過剰な演出です。けれども、それが気にならなく、不自然でもないように思えるのは、広瀬すずと数人の仲間のJKらしい福井弁全開の他愛無いやり取りのお蔭でしょう。それに、この笑いがなければ、やたらに棘のある余裕ない努力物語になり得たものと思います。

モデルとなった五十嵐裕子教諭が是非お願いしたいと名指ししたと言う天海祐希の演じる信念溢れる教師の姿は一見の価値があります。それは、現実にこの話が存在するという背景事実を得て、やたらにまぶしいのです。

そして、真面目な努力家の部長がノートに書く、「どんなに努力しても、ダメなことってある。でも、努力し続けるしかない」と言う台詞は、劇中何度か登場しますが、勢古浩爾が『ぶざまな人生』で詳細に述べた人生観そのものの深奥さを持っています。DVDは勿論買いです。

追記:
非常識な努力を払ったとは言え、ずぶの素人ばかりを集めて、三年でチアダンスで本場米国全国を制覇すると言うのは、奇跡の偉業に見えます。しかし、これが奇跡ではないことが、映画のエンド・クレジットで紹介される、その後五回もの全米優勝(そのうち四回は連覇)の記録から分かります。
ふと、疑問が湧くのは、この状況を見て、全米の高校は一体何をやっているのかと言うことです。劇中では、大会の司会者は人種差別に基づくと考えられるような日本チームを見下す発言を重ねています。前大会まで連覇を果たしていたチームのリーダーも、「日本のチームは全体をぴったり合わせるのがうまいがそれだけだ。チアダンスと言うのは、その上に何を付け加えられるかに価値があることを分かっていない」などと、日本人なら決して言わないような傲慢なコメントを吐きます。こう言ったことも事実に基づくなら、米国の人々の白痴性に呆れざるを得ません。
日本の柔道がオリンピック競技になり、日本人がメダルを取れなくなった時、多くの一般の日本人にさえ、「このままではまずい」と言う意識が生まれたことと思います。誰もがチアダンスが米国が本場と知っています。そこで、4連覇も日本チームに達成された時、米国チームは何をしてどのように毎年しくじったのかが本当に不思議に思えてなりません。

追記2:
天海祐希の演じる信念溢れる教師像を見たら、『女王の教室』を見てみたくなりました。DVDシリーズをレンタルしたいと思います。