『何者』

10月半ばの封切から1か月以上経った木曜日の午前中。11時からの回をバルト9で観て来ました。封切直前まではかなり色々な所で告知を見たように思えます。偶然、赴いた青山一丁目の書店でも、原作本のコーナーが作られていて、小さなモニタでは映画のトレーラーが繰り返し流れていました。バルト9では1日3回の上映の状態になった封切1ヶ月後の晴天の平日の日中、観客はシアターに10人少々いました。多くは私よりやや若いぐらいの年齢層で、少なくとも劇中の就活の状況に共感しそうな世代は大学生に見える二人連れの男性客だけでした。

私がこの映画を観に行くことにしたのは、商売の関係で中小零細企業の4大新卒採用の現場に関わることがそこそこあるので、その参考になる情報があればと思い立ったことが大きいと思います。

一般に言われる自己分析などから始まる就活のパターンは、実は、大手企業・高偏差値大学の学生・東名阪大都市圏の3つの条件が揃わなくては成立しません。

中小零細企業では、大手の就職サイトに求人広告を出す資金的余裕も労力的余裕もありませんし、出したとしても、知名度の高い企業の求人案件の底深くに自社の求人情報が埋没するだけで、ほとんど無意味です。ネット中心の就活のターゲットに現れることもありません。

特段子供時代から何か打ち込んだこともなく、何かを極めたことがある訳でもない学生では、自己分析と言っても、面接の際に簡潔に語らなくてはならない自己PRの素材を自分のこれまでの人生に見出すことができません。高偏差値ではない大学の学生は、典型的な就活のパターンに従って、やたらめったらに就活サイトでエントリーを繰り返しても、企業側がバンバン足切を仕掛けてきますので、説明会にさえ行くことができない状態が続きます。企業側が大学を偏差値別に分けて、受入希望校以外の学生がエントリーしてきても、すべての説明会が満席と表示されるような仕掛けは、今や公然の秘密です。

さらに東名阪以外の都市圏などでは、大手企業はほとんど支社しかない“支社経済”で、採用枠がほとんどありません。残った中小零細企業の常識は新卒採用に傾いていないことも多く、200万都市クラスでも、1年間の新卒が行ける合説は二桁の回数しかなく、どこに行っても、半分は同じ企業の顔触れ、と言ったことも珍しくありません。

劇中にも登場するように、就活は学生たちにとっての人生のビッグイベントの筈です。しかし、ちょっと見渡せば分かるようなこんな現実に多くの学生は全く気付くことなく、3拍子揃わなくてはほとんど成立しない就活パターンに身を投じ、どんどん疲弊していくのです。そして、都市伝説並みに信憑性の低いエントリーシート書き方や小賢しくわざとらしい面接テクニックなどのネタ集めにどんどん溺れて行きます。

私がこの3拍子が丸ごと逆張りの環境の地方の私大で6年間非常勤講師として『職業を知る』と言う講義をのべ4000人以上の学生達に教え、或るプロジェクトの関係で、その知見を『戦略的内定の取り方』と言う電子書籍にまとめたことがあります。発売直後から少々の間、アマゾンのカテゴリ別ランキングで1位になっていました。そんな私は、3拍子揃った条件でしか成り立たない就活の在り方を横から眺める立場です。私のクライアント企業も、大手企業ではないので、3条件を端っから満たしていません。

この映画に描かれる就活はまさに3条件バッチリの構図そのものです。学生達が業界研究をした時、その業界のトップ5の上場企業として、きっちり業界研究本に名前が登場するような企業の新卒採用の場が舞台となっています。その中で5人の学生が就活に挑み、挫折し、嫉妬し、葛藤し、もがき回ります。SNS時代の学生の就活をツイッターを中心に、他SNSも混ぜ込みつつ描いていく手法は、映画評にこの作品に対するほめ言葉として載っている「リアル」が正鵠を射ている秀逸さです。

ただ、この映画は実は就活の映画ではないものとみる方が正確であるように感じます。この映画は、就活を舞台とした「葛藤劇」です。おまけに、登場人物の一人が演劇青年、もう一人はロックバンド青年なので、彼らの人生そのものが作り物の舞台のように感じとられている表現が頻出し、「劇」としての味わいがより濃くなっています。

最初はきれいごとの付き合いでニコニコと冗談交じりにはしゃぎつつ就活に臨む5人から、やがて笑顔が消え、テクニックが消え、他者への余裕が消え、修羅場から逸早く抜け出た者を妬み、理由が不明な拒絶を受け容れられず、他者を嘲笑し、他者の成功を貶め、何とか自分を保とうとする醜い本音がどんどん浮き彫りにされて行きます。

何かを思い出させると思ったら、それは大黒摩季の『夏が来る』でした。「何が足りない、何がいけない」と彷徨し尽し、「何でも知っている女王様」は誰からも選ばれず、夏が訪れることがない。恋愛相手に選ばれない自分の心境を抉って見せる歌詞の内容ですが、それをそのまま、企業に選ばれることのない就活学生に置き換えると、この映画になるように思えます。

別にはしゃいでほしかったわけではありませんでしたし、絶対多数の学生が経験する中小零細企業バージョンの就活を描かないのなら似非就活映画だと決めつけるような偏狭さも幸いにして持ち合わせていませんが、私は何となく小賢しい知恵に溺れていく学生を描く程度のマンガ的展開を期待していたのだと思います。それをこの作品はのっけの音響効果から裏切り、どんどん暗い展開・醜い展開へと物語を牽引していきます。

全体の基調となっている暗さは、そのような平坦な群像劇と言うよりは、どちらかと言うと、推理サスペンスのような感じがします。まるで『告白』などの湊かなえ作品や『凶悪』や『渇き。』などの作品を彷彿とさせる緊張感と切迫感が随所に見られます。敢えて言うなら『告白』のチャラけたダンスシーンもなく、『白雪姫殺人事件』の長いツイッター引用部分もなく、『渇き。』のブチ切れた派手なアクションシーンもないなかで、これだけの緊張感と切迫感なのですから、この作品の方がよほどサスペンスタッチと言えるかもしれません。

そして、最後にはうわべだけ協力的に皆に接し、裏では他の不幸を願い、他の努力を嘲笑していた二人が、いつまでも就活が決まらない終わりの見えない苦悩にもだえ苦しむことになります。特に佐藤健演じる主人公は二年目の就活に挑み、他に良きアドバイスを与えているように振る舞いつつ、浅はかで小賢しいような就活生の努力をツイッターの裏アカウント(アカウント名「何者」です)でしたり顔でこきおろし、嘲笑い続けていたことが暴露され、破滅や断罪としか言いようのないところに追い詰められます。

面白い映画です。それもこれも全部ひっくるめて、「おにいちゃん、おねえちゃん、甘いんだよ。もっと、会社の動き方を学ぶべきだったよね」と括ることは簡単です。しかし、リアルな等身大の大学生の、なりふり構わず努力する道を選んだ者から抜け出られるゲームの展開は観る者の心を鷲掴みにします。

残念なのは、これらの学生を演じる役者陣です。嗚咽と慟哭を背中で語るには有村架純の静かな演技力が、場に紛れつつ無言で嘲笑の言葉をツイートしていた偽善者の表情を見せるには佐藤健の深い演技力が、その佐藤健の裏アカウントを暴き佐藤健を糾弾しつつも、自分も同じと気づき号泣する崩壊には二階堂ふみの多様な演技力が、各々必要とされているのはとてもよく分かります。

しかしながら、有村架純には(『ビリギャル』もありますが)『女子ーズ』の演劇バカ女子のイメージ、佐藤健には『るろうに剣心』のあの剣心のイメージ、二階堂ふみには過去のありとあらゆるブチ切れた変な役のイメージ、それぞれが私に強く残っていて、どうも彼らが就活生には見えないのです。おまけに、私があまり注目していない、逸早く内定を決める元バンド兄ちゃんの菅田将暉に至っては、『海月姫』のオカマ系金持ち、『二重生活』の暗い大学生、『そこのみにて光輝く』の売春婦のイカレ弟と、これもまた就活学生のように見えません。貫録と言うのかオーラと言うのか、何かが私がよく面接の場で見る学生達とは大きく異なっています。

そのマイナス面はあるものの、前述の通り、それほどに濃密な人間劇だったと言うことと解釈すべきかと思います。湊かなえのプロフィールなどを見ると、『イヤミス』(読んだ後に嫌な気分になるミステリー)と言う言葉が登場します。ミステリー・ジャンルではないはずなのですが、テイストはイヤミス感全開の“うわべだけの人間関係の崩壊”を見事に描いた秀作だと思います。DVDは買いです。