400話発行記念特別号 特別原稿 『双六の上がり』 森雅子社長インタビュー

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=森さんが初めて社会に出られた頃、日本の労働環境はどのようなものだった
のでしょうか?

森さん(以下敬称略) 私は24歳で大学を卒業したんですが、当時は女の会社
員といえばOLがデフォルトであった時代。四大卒よりは短大卒に需要があり、
コネ入社も普通に多かったと思います。私もとりあえず、マスコミ関連を何社
か受験しましたがどこも決まらず、卒業してもまだ新聞の求人欄などを見て過
ごしていました。何とかして”勤め先”は欲しいとは思っていたんですけどね。

=今でこそ当たり前のように女子学生も就活していますよね。

森 私は当時今の夫と結婚する予定でつき合っていましたが、結婚後も働き続
けることには相手の男性の了解をもらって、ということが必要な時代ではあり
ました。比較的すんなりと25歳で結婚したのですが、結局、夫となる人の姉が
突然辞退した職を代わりに埋めるように就いた仕事が初めての職でした。それ
は電通の下請けのネーミング事務所で、他にはない珍しい仕事をしながらも、
書類を届けたりといったお手伝い的な業務も多かったです。

=電通の下請け! 今でも羨ましい響きです(笑)。そして、勤務を続けながら
結婚なさったんですね。若い時分に人生の大きな決断をなさったという……。

森 うーん、大きな決断、というより、自然に恋愛して結婚したというだけで
すね。でも既に夫と一緒に暮らしていた義母との同居を承諾したのはやはり大
きな決断ではありました。

=結婚というと、日本人の婚期はどんどん後ろ倒しになっていて、今私も含め、
婚活に勤しんでいる人はすごく多いのですが、森さんから見てどのように映り
ますか?

森 うーん、今の時代って何でも手に入れられるじゃないですか。だから、逆
に自分自身の欲望を突き詰めて追求してしまって、ささやかでも大切な幸福を
逃しているんじゃないかなと感じることはありますね。本来だったら、好きだ
から一緒にいたい、この人の子を産みたい、となるはずが、まず条件のインプ
ットから入ってしまう。さらには独身でい続けることも選択肢の一つとして比
較検討するという……。

=色々耳に痛い言葉もありますが、その通りですね。そして今、お子さんのお
話も出ましたが、ご出産の前後もお仕事なさっていたんでしょうか?

森 えぇ。結婚して子供も欲しいし、かといって何らかの持続的な職業も欲し
いと思っていました。遅まきながら一旦退社し、夏の1か月間、鶴見女子大の
司書講習を受講して、司書の資格を取得したんです。
現代のダブルスクールの学生さんの意識とはまったくズレてますよね。その大
学の掲示板には、NA社という出版社が司書資格者を募集している求人が貼り
出されていたので、そこにも応募しました。26歳で既婚者、ということで仕事
や出産についての意識を問われましたが、私自身、就職したら定年まで働きた
いというのが希望のイメージだったので、正直にその通りに答えました。秋に
アルバイトとして入り、翌年4月に正社員に。やっと自前の健康保険証や年金
手帳をもらって、ようやく “就社”を成し遂げた、という気持ちでした。でも、
その後が大変で……。

=それは?

森 今振り返ると早すぎた?と思わないでもないですが、正式入社のその年に
妊娠、翌年出産しました。
まだ就業規則に記載のないことで…「前例がないから」と処遇については先伸
ばしにされて、さすがにマタニティウェアで出勤するようになった頃に、よう
やく産前産後各6週間という当時の労基法の最低基準での産休を出すと言って
くれました。私がこの会社で初の産休取得者となったんです。でも、産後なん
て初の育児もままならないまますぐ復帰しなければならない日数だったので、
子供を置いていくのはちょっとツラかったです。

=働く女性が、ましてや正社員が育休をとれるのは当たり前だと思っていまし
た……。

森 もともと社長がルール! というようなワンマン会社で、制度も何もあっ
たものではなかったんですよ。

=私も出版社に在籍していた頃、色々会社の制度に不満があって文句を言った
りしていましたが、ある意味当たり前のように享受してきたことのありがたみ
を感じます。でも、女性社員の方は味方も多かったのでは?

森 同じく妊娠出産を望んでいた既婚の同僚は同志でしたが、私の上司も彼女
の上司も女性であったにも関わらずワンマン社長には逆らわず、のスタンス。
女が上に行くということは、自分自身の地位保全も必要だし、必ずしも単純に
後輩を応援することにはつながらないのだなと知りました。授乳期間は、勤務
時間中でも、胸がパンパンに張ってくるのでトイレで絞って捨てていました。
丁度そのタイミングでミーティングを始めたりする”ちょいハラスメント”もあ
り、泣きながら会社から帰ることもありました。当時の私に仕事を続けさせて
いたのは自立志向でもキャリア志向でもなく、ただただ怒りと意地のエネルギ
ーだったなと思います。すまないとは思いましたが、乳児の娘にも”戦友”にな
ってね、と思うしかなかったですね。夜は3時間ごとの授乳、合間におムツの
洗濯、早朝から煮沸した哺乳瓶を何本も家に用意して、などの怒涛の作業の後
急いで出社。変な話、始業前に会社のデスクについて、初めてほっと一息つけ
るような、そんな生活を繰り返していました。会社の仕事だけしてる男の人っ
てなんて楽なんだろう! と。

=壮絶ですね……。

森 産休明け復帰後には労基法に”取ることができる”とあった授乳時間を要求
しましたが却下。更に会社でも一番過酷で残業も多い部署に異動させられたり
もしました。女性が子育てしながら仕事をするということに、会社からは理解
も協力も得られない時代だったんですね。こっちが好きで産んだんだから、と
そのこと自体にはそんなに戦う気もなく、私の実母や姑にも協力してもらいな
がら何とか勤務は続けました。しかし、子供を持ってみると、子供ってただの
プライベートな存在じゃない、もっと地域が、そして会社も含めた社会全体が
育成に関わっていくものじゃないかな、とも感じました。当時の行政は児童福
祉法の「保育に欠ける」子供だけを福祉の対象としていましたが、少子高齢化
とともに児童福祉の意識も変わってきましたよね。

=確かに。社会情勢を背景に福祉の在り方は見直されてきてはいますが、まだ
十分とは言えないものの、以前に比べたら遥かに充実しているんですね。会社
でも変化はありましたか?

森 翌年同志の女が出産、さらに2年後私は2回目の産休をもらうことに。こ
の時は2人目の出産と義母の老化の時期が重なり、産後8週間の産休明けに復
帰することができませんでした。とりあえず週3日のパートで仕事を続行する
ことにしましたが、なんとその年に3人目に妊娠した女性社員からいきなり一
足飛びに、育児休暇1年(!)という制度ができて適用されました。どういう
社長のツルの一声があったものか。私と同志の2人は確かに会社から危険人物
扱いはされていましたが(苦笑)。当時としては先駆的な育休1年制度というの
が功を奏してか、本当に翌年から東大・早慶・上智といった高学歴女子が入社
してくるようになりました。しかしその後を見ると、会社に残った女性はほと
んどいない。育休制度を活用した人でもその後に勤め続けている人は数少ない。
制度以前に前例を作らなきゃいけなかった側と、最初から制度を与えられてい
る人との温度差はおもしろいもんだな〜と感じましたね。

=それは現在にも通じる話ですね。単純に仕事への意欲の問題かもしれません
が。森さんは、その後お二人のお子さんを抱えたまま、どのように仕事を続け
てこられたのですか?

森 下の子は運よく0歳から無認可保育園にすんなり入れました。大家族のよ
うなとてもよい所で上の子も幼稚園からこっちに移し、しばらくは会社と自宅
と保育園の3ヶ所をひたすら行ったり来たりの生活でした。保育園でのママ同
士の付き合いも、皆働く女同士なのでいい人間関係だったと思います。ママか
らババになった今でも友だち付き合いが続いています。上の娘が小学校に上が
ってからは友だち関係や放課後のことが心配で会社の仕事もパートから完全に
在宅での原稿書きや校正の仕事に変えてもらいました。もう元の会社にフルタ
イムで戻るつもりはなかったので、徐々に足抜けしていった感じですね。それ
から週4日夜の勤務の塾講師に。この時期に姑を看取り、子供が高1と中1に
なった時に新聞の求人広告で見た、学習塾の教務の仕事でフルタイムの正社員
にようやく戻ることになりました!しかしまたまたその会社にもワンマン経営
者の、あまりよくない雰囲気があり…不満を募らせていたところに声をかけて
きたのが出版社時代の元同僚でした。辞典を作る出版社を起業するので手伝っ
て欲しい、と。

=そこから、社長へのサクセスストーリーが始まるんですね!

森 いえ、それが違うんです。制作から営業、流通までビジネスモデルとして
は確立していましたが、社業は創業社長の彼がすべて把握していて、私は原稿
作成に関わる業務のみを担当。2年前にその社長が突然死してしまって……本
当に茫然自失、途方にくれました。しかし、遺族の息子さんの意向もあり、と
りあえず半年後位に会社を清算する予定でそれまでの社長として私が就任。

=突然の就任だったのですね。社長になって変わったことはありますか?

森 取次会社やその他の取引先に出向いて、かき集めてきた過去の書類を見せ
て「何もわからないんです、何をどうする流れになっているんですか」と教え
てもらうしかなくて。とはいってもほんの数社ですが、挨拶回りも1社終える
毎に徐々に度胸もついてきました。流通の理解と会計を任せられる税理士さん
を得たことで「私でもできる!」っていう目途も立ち、シリーズの刊行も継続
したいという意欲も出てきました。会社の譲渡交渉も意外とモメましたが、ま
さにオーナー社長となった今では、社長には、なれるものならなってみるもの
だ、とすら思います。公人の端クレという立場もできますし、世の中の色んな
ことや生活の身近なできごとでも、経営者と雇われ者とでは、立ち位置と物の
見方が逆転したような感覚があります。一人ではそれこそ何もできませんが、
各方面のデキる人たちの力を貸してもらい、ある種の事業を主体的に動かして
いけるというのは、どんなにやりがいのある仕事でもただ仕事をしているのと
は違う充実感と緊張感があります。人間、本当に資金繰りと社業を両方やり出
したら、無報酬もかまわなくなるんだなと知りました。

=社長業務は刺激的なんですね。ちなみに社長になられてからも、編集のお仕
事は続けていらっしゃるのでしょうか? 

森 はい。まだ経営者というより現場の作業員の側面が大きいです。『歴史時代
小説登場人物作品』というような辞典のシリーズを継続して作っていますが、
今後は、辞典の電子化や辞典以外の本もできれば出版したいです。前社長の構
想と同じ方向ではありますが、上手に引き継ぎ、発展させられたら本望です。

=夢が広がりますね。では、ご自身にとって仕事とは? 

森 自分にはこれができる、とかこれなら続けられる、という技能というか性
分というか、そういうものは、その人が生きていくための大事なツールだと思
いますね。そのことで経済的に自立できるのであれば、それが仕事といえる。
例えば家事とかボランティアとか趣味とかに充実感を感じてはいても経済的に
自立することを目指さない性分の人もいるのでしょうね。私にはやはりそれな
りの収入と職場という “場”への要求があったと思います。ユートピアな職場は
無くても、仕事を通じて友人や戦友ができることはそれも幸福なことですよね。

=では、森さんの考える女としての幸せとは、どのようなものでしょうか?

森 ”女として”と限定するのなら、その幸せはやっぱり”情愛”の体験だと思い
ます。恋愛は必ずしも成就するものではないけれど、とりあえず誰かを心から
愛おしいと思えたらそれが幸せだと思います。その上に自分が愛おしいと思っ
た相手から自分もそのように思われたなら、最上の幸せですよね。でもそうい
う出会いがなかったとしても、その種類の縁が授からなかっただけで、それが
即不幸なのではないと思います。愛おしむ、というのは自分の中から溢れる感
情だから、まず自分自身が渇いていないこと、自分自身が単体でも、とりあえ
ず満ちていることがないと誰かを愛おしむことはできないのでは、とも思いま
す。