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珍しい金曜封切からほぼ一週間。とうとう完結篇に至った『亜人』3部作の第3作目を、例の歌舞伎町のゴジラヘッドの映画館で観て来ました。前2作同様に、上映館数はきわめて少なく、新宿でも勿論この映画館しかありません。前2作は上映期間が2〜3週間に限られていることが最初から予告されていて、非常に不愉快でしたが、今回は、ざっと見る限り、各種告知の中にそのような文言はありませんでした。それでも、見逃すと不愉快感が激増するので、急いで観なければと、木曜日の晩、9時50分の回に向けて、自転車をとばすことになりました。
9時半近くの平日の晩。歌舞伎町にはまだまだ人が溢れていました。その中を掻い潜りながら建物に着き、例の地下駐輪場に自転車を入れて映画館ロビーに行くと、滅茶苦茶な混雑ぶりでした。木曜日にはアメックスのカードとの提携で、アメックスで決済すると、1人1100円で鑑賞できると言う割引があるとの話ですが、それだけの効果とはあまり思えません。忌々しい『シン・ゴジラ』や、まだまだ人気の猛威を振るう『スーサイド・スクワッド』の集客力の結果なのかもしれません。少なくとも、グッズ売場の棚面積は、これら二作と『亜人』が犇めき合いつつ、全体の8割ぐらいを占めていたように記憶します。
9時50分の回の終演は12時丁度。終電時間になる回が目白押しのこの時間帯でも、観終って屯する観客も居るとは言え、物凄い混雑ぶりです。例の腹立たしい警備員はいつもの通り、そこに居ましたが、ロビー外のエスカレータ脇で出て行く客に向かって「2列に並んで乗ってください!」を気が触れたかのように連呼するので一杯々々で、グッズ売場にいた時に私の隣にいた若い女性客二人に向かって「あの。失礼ですが、これから映画を観る予定なんですよね」とイミフな“職質”をしていた以外は、私に直截的に不快感を抱かせることはありませんでした。
1日5回の上映の最終回のシアターに入ってみると、30人近くの観客が居ました。原作のファン層から考えて当然ですが、総じて若い男女が多く、私が年齢ではトップ5に入っていたと思います。男女比はほぼ半々だったように思いますが、男性同士の二人連れ、女性同士の二人連れが目立つ反面、男女のカップルは1組ぐらいしかいませんでした。「オタク性の高いファン層」故のことかもしれません。
劇場版の『亜人』アニメ前2作のDVDは、私が知る限り発売されていません。アニメのDVDが、現時点で全6巻が発売されています。劇場版前2作はそれらのダイジェストのような位置付けになっています。きちんと確認していませんが、アニメDVDのシリーズは全6巻で一旦完結しているようですので、劇場版の第3作がアニメDVD6巻目の続きの話と言うことになっています。DVD6本を見た人間は続きをどうしても見たくて劇場に足を運ぶと仕掛けになっている非常にうまいマーケティングのメカニズムです。逆にDVDの形で画像を見ることができない本作も含めて、今後どのようなDVD発売が計画されているのかが気になります。(気になる割にはあまり熱心に調べていませんが…。)
原作コミックでも全く完結の様相が見えないのに、映画はこの3作目で一応の完結を見ることが広告などでも知られています。それは、コミックの話はまだまだ続いているのに、劇場版は逸早く完結してしまったオリジナルのエヴァ・シリーズや『進撃の巨人…』のような感じです。その終わり方がどのようになるか、期待が募っていました。
観た感想を端的に言うと、「優れたアニメ作品だが、前2作にはかなり劣る」と言った感じかと思います。最初のゲンナリの原因は、ファンを引き込んだ上での悪乗り感が醸し出される、開口一番のボイスドラマです。映画開始直前に、いきなり、画像は固定された状態で、ラジオドラマのような会話劇が始まるのです。
シリアスな展開がウリのこの作品の主要登場人物三人が繰り広げるギャグは、正直言って、同人誌のノリで、私のような「作品だけをそのまま楽しめればよい派」には、余りに馬鹿げていて、作品全体の印象を毀損してしまいました。おまけに、このボイスドラマは、週替わりで複数パターンがあるらしく、如何にもこのボイスドラマを楽しみにまた観に来いと言うオタクのノリには、全く共感できませんでした。
たしかに以前、『そらのおとしものFinal 永遠の私の鳥籠(エターナルマイマスター)』においては、「そらぼん」と称する小冊子を上下巻両方揃えたくて、劇場に二度赴き、「脱兎見!東京キネマ」現状唯一の一作二回のレビューを書くことにはなりました。しかし、「そらぼん」にはそれなりの内容があり、おまけに、「そらおと」は基本的にギャグ要素も強い作品ですから、おふざけテイストも許容できます。しかし、物語の本質的テイストとは全く逆方向のおふざけを売り物として見せると言うのはどうかと思えてなりません。第1作・第2作と非常に好調な客入りだったので、「調子に乗って色々やってみたぜ」と蔭から製作者の嗤い声が聞こえてきそうな気がして不快でした。
さらに、もう一点、この作品が前2作に比べ失速している感じがする要素があります。それは、コミック同様に厚生省のお役人である戸崎(トサキ)と手を組んだ主人公の亜人の永井と中野ですが、この三人、特に永井が、大した合理性や論理性もなく、執拗に佐藤との決着を望むことです。勿論、それが原作コミックでさえ(現在の連載の内容の)後半の主テーマになっているのですが、映画では、既に彼らの作戦は二度・三度と破綻し、佐藤には、原作では名前だけしか登場したことのなかった、「対亜」と呼ばれる特別部隊が仕向けられ、さらに、米軍までもが投入されかけています。
そして、敢えて言うなら、この米軍が佐藤追撃に乗り出すきっかけとなったのは、米国から来日した政府のエージェントを、永井達との交戦の中で死なせたのを、永井が情報操作して佐藤のせいに見せかけたからです。つまり、米軍をぶつける展開そのものが、事実上、永井の描いた絵そのものなのです。そこまでうまく行っていて、米軍が佐藤が地下に潜伏する地域を広く神経ガスで汚染し、地域住民までも死に至らしめて、佐藤一派を無力化すると言いだしても、永井は特段動じませんでした。
しかし、日本全体が亜人に対して事実上の戦争状態になり、病院にいる自分の妹まで亜人側の人間として暴徒に追われる事態から妹を救い出して、突如、佐藤を倒すことを決意しなおすのでした。しかし、マンパワーはかなり削り取られてしまっていて、武器やら準備やらも不足して、自衛隊も米軍も迫る中で、今までの入念な計画に則った作戦を遂行してきた永井が、無謀な徒手空拳に近い作戦に打って出ることには、違和感が湧きます。
予想の通りですが、亜人は死なないどころか、ダメージを与えても、一旦死なれると、ダメージが全部リセットされてしまいます。特に亜人同士で戦ったところで、結局リセット合戦になるだけで、決着は延々つきません。どうなるのかと思っていたら、やはり、延々と復活しては、黒い幽霊と呼ばれるIBM(Invisible Black Matter)を出しては戦いあうだけのおかしな展開が延々と続く結果になっています。
ダレダレの展開です。展開のダレダレさはさておき、いつもの永井に比して、感情に引きずられ、明晰な頭脳以外にもう一つの彼の取り柄である多数回のIBMの発生も、(劇中では、感情的要因と佐藤が説明していますが)佐藤を前にして不能になり、多くの死を招いてしまいます。さらに、徒手空拳に近い状態の佐藤への挑戦です。永井の人間性を描こうとしたのかもしれませんが、単に彼の良いところを大きく損なっただけの表現に堕してしまっているように見えてなりません。
実際の作戦と言うものは、必ずなにがしかの不測の事態に振り回されるものだとは思いますので、或る意味、リアルさを追求した上での「人間(亜人ですが)永井像」の究極の描写に取り組んだと言うことかもしれませんが、端的に言うと、キャラが違うのです。
従っていた多くの亜人たちが離反し、最終的に佐藤と田中だけが残ったたった二人の状態になりますが、彼らのIBMの制御性は非常に高く、ほとんど『ジョジョの奇妙な冒険…』シリーズの人型スタンドのように思うままに動き、格闘も非常に洗練された動きでこなします。その結果、ほとんどでなくなってしまっている永井のIBMは勿論、下村泉の「クロちゃん」さえ、何度となくあっさりとやられてしまいます。
どうも、実質的に永井が率いる「政府・亜人」連合軍に冴えがないまま、佐藤に好い様に振り回されるだけの展開が続きます。いつもの如く、小さなゲーム機でピコピコ遊び続けている佐藤になぜここまで振り回され続けるのかが、観ていて腑に落ちないのです。両方が常識破りの作戦を展開し合う構図ですが、佐藤の方は、佐藤以外は事実上素人に近い亜人部隊で、何でも想定の範囲内に事が展開し、永井の方は、不測の事態で振り回されまくりです。ストーリーがご都合主義過ぎます。
最終的に、中野までIBMを戦いの中で辛うじて出すことに成功し、永井は何と、非常に稀とされている「フラッド現象」まで発生させて、佐藤の断頭に成功します。これで何かどうにかなるのかと思っていたら、これまた拍子抜けなのです。
原作でも、アイデンティティの不連続として、「死の定義にもよるが、亜人も死ぬんだよ」と佐藤が説明している、断頭による「連続した存在」にもたらす死が、ストーリー上でも、佐藤が優位に立つたびに、何度も永井に対して試みられる場面があります。そのたびに邪魔が入り永井は助かり続け、観客側は、断頭すると具体的に何が起こるかと否応なく期待させられ続けます。フラッド現象の結果、大量発生した永井のIBMによって、とうとう佐藤が断頭されて、どうなるのかと思ったら、別に普通に再生して、「永井君…」などと言いだす始末です。
原作の中でも「スワンプマン」の思考実験が言及され、ネットでは『ツブアンマン』のシュールなアイデンティティ不連続の描写との比較が話題となっていたのに、これかよと思わざるを得ません。
佐藤が自衛隊駐屯地を乗っ取り、日本全国を手中に収めんと動き出し、事実上、人間対亜人の戦争状態が起きる様は、まるで伝説のコミック『デビルマン』のようですし、永井の妹が襲撃されるシーンの暴徒は、牧村美樹を犯しつくし、惨殺した住民たちのようにさえ見えます。そこまで構図が大きくなっている中で、話の収斂がこのような泥仕合に終わると言うのは、どうもすっきりしません。
噂の対亜、自衛隊、米軍などをわざわざ留め置いて、頭脳明晰で膨大なIBMを持つ特異な永井をここまで劣化させておいて、地下の原始的な追撃と格闘戦を人間(・亜人)とIBMを交えてダラダラと繰り返し、フラッド現象まで起こして、とうとう断頭に成功しても、ダラダラは何も決着がつかないというオチは、ちょっとアホらし過ぎるのではないかと思えてなりません。おまけにその冒頭には音声ギャグドラマです。前2作の疾走感が完全に失われています。
私が好きな下村泉も、感情に絆されて作戦の足を引っ張るわ、IBMの戦いでは好いとこなしだわ、米人二人の西麻布住宅地内のカーチェイスでも、ただ騒ぎまくるだけに終わるわ、見所がありません。ただ、元の田井中陽子としての死から再生に至る場面が動画で見られたことが最大の慰めです。
原作コミックとは全く別の完結の物語と言われていますが、これが原作のコミックでも同じなら、かなり落胆させられることでしょう。それでは、拍子抜けエンディングが定番の多くのかわぐちかいじ軍事系作品と同等の展開になってしまいます。良かったです。第3作だけを単品で観ると、かなり迷う部分が残りますが、『亜人』の物語として全3作のDVDが出るならセットで買いになってしまうのは間違いないものと思います。