『ポバティー・インク 〜あなたの寄付の不都合な真実〜』

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 9月初旬の水曜日、封切から約一ヵ月経った本作を、渋谷の北西の外れにあるミニシアターで観て来ました。封切は約一ヵ月前ですが、本作が制作されたのは2014年です。上映までになぜこれだけの時間が空いているのか、理由は分かりません。パンフレットも販売されていないので、その辺の背景事情の手掛かりは全くない状態です。

 同じ映画館で連続で二本の映画を観ることにし、映画館に赴き、一本目の『永遠のヨギー ヨガをめぐる奇跡の旅』と上映時間が僅かに被っていたので、一本目の本編のラスト数分を諦めて、本作を上映前の予告からきっちりと観ることにしました。一本目の方も全部で40人弱ぐらい入るシアターが満席でしたが、こちらの映画も満席でした。ヨギの映画を観ていたせいで、シアターに入るのが遅れ、スクリーンを斜め横から観る席配置を余儀なくされました(笑)。

 1日に1回、12時15分からのの上映です。封切当初から多くても1日2回程度の上映だったのではないかと思います。この映画館で上映されることの多い、所謂社会派系ドキュメンタリー映画で、インクつながりなら、『フード・インク』がまさに同ジャンルの映画と言えるでしょう。(勿論『モンスターズ・インク』は実写ですらありません。)観客の層は、30代から40代の男女が半々ぐらいに見えました。

 どうもこの手の海外制作の社会派ドキュメンタリーは、西欧文化独自の独善的視点が貫かれていて、全く共感できないものや、大仰な映像を並べることで満足して、編集的視点が欠如していて、上映開始後30分で退屈になるものやら、色々な失敗作が多いように感じます。必ずしもマイケル・ムーアを礼賛する訳ではありませんが、少なくとも彼の作品の多くには、このような欠点が非常に少ないように私は感じています。

 最近で観た中では、『ビハインド・ザ・コーヴ〜捕鯨問題の謎に迫る〜』は日本人監督によるものなので、厳密には同ジャンルではありませんが、内容に取り止めがなく空中分解していましたし、『ザ・トゥルー・コスト ファストファッション 真の代償』は問題の本質を見失って、ただただヒステリックに叫んでいるだけでした。

 この作品は、その点では、かなりまともに出来上がっている方です。少なくとも、論点に大きな矛盾はないですし、西欧文化から見た有色人種への差別感そのものがテーマの一環ですので、独善的な視点そのものが批判される対象として劇中に何度も登場します。

 ただ、この映画のつまらなさは、同じ構図を幾つもの事例で繰り返し繰り返し見せるだけで尺を稼いでしまっていることです。その点が、『ダーウィンの悪夢』などの優れた海外制作社会派ドキュメンタリーの作品に比べて見劣りがする部分です。

 論点は大別すると二つしかありません。一つは、有名な世界規模の人種差別テーマ曲『Do they know it’s Christmas?』事件に代表されるような、恵まれない有色人種は、どこまでも支援が必要な貧しく自立する能力さえない愚鈍な人々と言う思い込みです。もう一つは、NGOなどに拠る物資や資金による支援が支援側では産業となっている一方、現地の自律的経済成長の最大の障害となって、実質的に現地の植民地化を実現していることです。

 これらの二点は、今時、全然新しいことではありません。この映画の事例そのものは、世の中的にあまり知られていないことであったとしても、原理そのものは、このネット時代に、相応に認知されている事態だと思っています。

 一点目の有色人種(または非クリスチャン)に対しての偏見で言うと、最近、それらがかなり意識的に扱われるようになった結果、スタバのカップには“Merry Christmas”と書かれていず、“Happy Holidays”と書かれるようになったことも、よく知られています。私も留学中に「(当時日本では認知度が低かった)ハロウィーンがない国に住んでいたなんで、なんてかわいそうな学生だろう」と地方のセレブ臭い婦人から言われたので、「生まれてから一度も、神社で年始詣りをしてきていないなんて、さぞや呪われた人生を歩んできたんだろう」と答えて、大問題になったことがあります。このような文化偏見バカは今でもゴロゴロ存在しますが、以前に比べ大分“見えるようになった”と思います。

 二点目の方も、結構有名な事実で、グリーンピースはなぜ捕鯨に対してあれほどキチガイ染みた行動を起こすのかと言えば、目立てば寄付の金が稼げるからと言う一点に尽きます。これも結構有名な話です。他にもアフリカで虐殺が行なわれた村にはNGOが殺到するものの、虐殺が小規模で済んだ隣村には誰も見向きもしないなども、よく知られた話です。

 また支援物資が現地の経済成長を阻害するのも、それなりに知られた話で、先述の『ザ・トゥルー・コスト ファストファッション 真の代償』にさえ、ファスト・ファッションでどんどん生産され、たった数回着ただけで“消費された”ことになる衣類は、支援の名の下に海外に送られます。その衣類は現地に無償か超廉価で引き取られて行き、現地の人々に供給されます。その結果、現地のアパレル産業はコストに基づいた適切な価格設定の商品が一切売れなくなり、皆廃業してしまいます。全く同じ事例が、この映画でも紹介されています。

 これは何を送ろうと同じ結果になります。靴を送ろうと、ランドセルを送ろうと、劇中にあるようにソーラー・パネルを送ろうと、現地のその業界の人々を一気に苦境の淵に押しやるのです。

 ですので、それらの事例を繰り返し強調されても、「はい。さっきと同じ構造だと言いたいんですよね」と言いたくなるだけの展開に、上映開始後30分と経たないうちに、陥ってしまっていて、あとはダラダラと諸事例を学ばされるだけになっています。

 多少、新しい発見だったのは、劇中に出て来るNGO支援大国ハイチの各種の事例の中で、孤児院にいる子供たちの9割以上の親は存命で、単に、子供を食わせるだけの稼ぎがないので泣く泣く子供を支援団体が運営する孤児院に入れているという話でした。そこへ、海外の金持ちが養子縁組の話に乗り、支援団体に日本円で数百万円以上の大金を払って施設の“恵まれない子供”を養子にします。端的に見ると、支援団体は、現地の貧しい親から子供を支援の名の下に隔離し、それを先進国に販売して収益を上げていることになります。

 アジアの多くの国々で、親に売られた子供たちが単純労働や性的労働に従事させられ、“傷んでくる”と生きたまま臓器移植用の臓器を抉られて処分されていく事実などは有名ですが、現地の親が望まないのに子供が売られて行くメカニズムを、私に明示して見せたのはこの映画が初めてです。

 しかし、この映画はそこで足踏みを始め、特段なんだということなく、終わりに辿り着くのです。不思議なことに、現地の知識人の意見でも、現地の実態を目の当たりにしてきた白人の学者の意見でも、「西欧側の支援策は、戦後のヨーロッパに対して米国が行なったマーシャル・プランを下敷きにしたものであり、まさか、それが現地の産業発展を阻害する結果になるとは思っていなかった。そして、数十年やり続けた結果、西欧の支援諸国は自分たちの行なっていることの過ちに気づいた」などと言っています。

 経済学でノーベル賞受賞者が何人もいるような国々で、このような構造が数十年全く予想がつかなかったなど、見え透いた戯言でしかありません。劇中にチラチラと見えるのは、事実上の植民地構造です。支援側の先進国に利益を貪れる連中が多数いて、母国ではロビー活動などの政治的活動により、現地においても現地政権を誑し込むことにより、現在の状態を成立したのは明らかです。この事実は劇中の色々な発言の端々に露呈しているのに、口を拭って、「ようやく気付いた」などと言い続けるのです。

 この辺の詰めの甘さが、オタク染みた突撃と突進を繰り返すマイケル・ムーア作品や、容赦なく被害者と加害者の日常を対比して突きつける『ダーウィンの悪夢』に比して、この作品が決定的に劣っている部分だと思います。

 観る価値のある作品であるのは間違いありませんが、他の幾つかの社会派系ドキュメンタリーを観た人間なら、既視感が頻繁に生じるだけなので、DVDは不要です。改めて考えてみると、タイトルからして既視感バッチリで、「インク」も「不都合な真実」も、クリシェを真顔で使われるとウンザリ来ます。