『X-MENアポカリプス』

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 8月前半の封切から約2週間が経とうとしている木曜日の晩に、新宿ピカデリーで観て来ました。一応、世の中的にはかなりにヒットシリーズと私は思っていたのですが、封切2週間で、3D上映はとっくになくなっていました。新宿でもいまだに3館で上映しているので、まあ、大作扱いは大作扱いなのですが、どの館でも既に1日3〜4回の上映となっていて、かなり翳りが出てきている感じがあります。

 新宿ピカデリーでは1日4回の上映で、ウェブの上映スケジュールのページで見る他の大作系の映画に比して、たった1行で上映スケジュールが紹介し終わる寂しさです。その日の最終回で、20時55分からの回に行きました。

『X-MEN』シリーズは基本的に好きです。他のマーベル系の映画が、色々なタイトルの映画を観なくては話がつながらないのに対して、幾つかのスピンオフは存在するものの、基本的なストーリーをあちこちから繋ぎ合わせなくてよくて、非常に楽ですし、群像劇にしては、変な人間関係が絡み合うようなことが比較的少なく、SFアクションとして端的に楽しめます。

 その『X-MEN』シリーズが完結すると言う話なので、観なくてはと思い立ちました。それほどの混雑の印象もなかったロビーからシアターに入ると、まあまあの入りでした。若い男女の客層が中心で、カップル客もそれなりにいました。全体では50人ぐらいの入りだったと思います。

 前作の『X-MEN:フューチャー&パスト』で、ウルヴァリンが(意識だけ)過去に遡って自分たちが絶滅する歴史を根底から変えてしまい、『X-MEN』シリーズのほとんどのストーリーがなかったことになりました。そのリセットの結果、傍若無人に何でもできる感じが、なかなかの面白さでした。『X-MEN』前半三部作で悲劇的な最期を迎えるジーンも、役者が変わり、妙に初々しい感じで登場します。本作では、当初、能力をコントロールできないと言う話を散々している割に、いきなりダーク・フェニックスらしき力を発動して、最強の悪役であるはずのエジプトの顔色の悪いおっさんをぶっ倒してしまいます。

 ウルヴァリンは、ウルヴァリンで、彼を作った生体実験基地で半裸で大殺戮劇を展開します。頭部に角型のヘッドギアをつけて見境なく近くにいるものを殺害していく様は、頭に懐中電灯を実装して村人を手当たり次第に殺戮しまくった『八つ墓村』の山崎努を彷彿とさせる(一応)名シーンだと思います。ヒュー・ジャックマンは、ウルヴァリン役を「降りる、降りる」と騒いでいると映画関係のニュースでよく目にします。ギャラ吊り上げ目的の「降りる降りる詐欺」の常習犯であっても、今回はうまいこと宥め賺したのか、短いシーンのみでほとんどセリフもない(と言うより、セリフも言えない状態の)役なので、超楽勝な感じの登場です。

 まるで、キアヌ・リーブスの無表情が印象的な『地球が静止する日』の総てのものを原子レベルに崩壊させていく大崩壊を思い出させる、あらゆるものを砂塵と化していくような世界的規模に広がりゆく大崩壊などの特撮は、とてもよくできています。そのような見所は多々ある作品なのですが、どうも、今までのシリーズ5作に比べてパワーダウンしているように見えてなりません。

 一つの理由は、一人ひとりのミュータントの能力定義が結構アバウトになっていることです。紀元前のエジプトで神と崇められていた(と言っても、「偽の神」と糾弾してくる輩にクーデターを起こされていますが…)記録上最初のミュータントであるらしき、顔色の悪いおっさんは、エジプト文明を背負って立っている感じだけあって、魂を扱う能力で、魂を他人に移して生存し続けることができます。ミュータントに移すとそのミュータントの能力を使役できる以外に、転生の際にその能力を持っていけるようなのです。つまり、転生を繰り返すたびに、どんどん能力が各種取り揃えられて行くことになります。その結果、このおっさんは、よく分からない能力者になっていて、まるで『めだかボックス』の1京だかの単位のスキルを身につけた安心院なじみさんのような感じになってしまっています。

 この顔色の悪いアラブのおっさんの能力の一つに、他のミュータントの潜在的な能力を全開に引きだすというものがあり、ただ、羽が生えていて自在に飛び回れるだけだったはずのエンジェルも、羽根がやたらに増えて硬質化して外見上金属のようになり、斬撃を放てる上に盾にもなり、おまけに、金属上の小羽を手裏剣のように飛ばせるようになっています。アラブのおっさんに関わったミュータントはみんなそのような感じになり、マグニートーは元々磁力の筈ですから、金属でも扱えないものが多々あるはずなのですが、何か無関係に地球単位で能力を発揮するようになってしまっています。

 そんな感じでアラブの青ざめた顔のおっさんが能力定義を引っ掻き回してくれるので、どうも、何でもアリな感じになってしまっています。やはり、『ジョジョの奇妙な冒険』シリーズのスタンド使いを見ていても、限られた能力の範囲の中で戦うから知恵の使いどころがあり、敵の意表を突いたりすることができる展開の妙があり、それがこの手の各種能力者の戦い方の面白さになるはずです。滅法蒼褪めたアラブのおっさんのおかげで、この面白さが確実に何割か削がれています。

 ただ、考えてみると、超能力と言うものは、そういうものだとの考え方もできなくはありません。現実世界でも、明治後期に日本中の話題をさらった「千里眼事件」の渦中にあった長尾郁子は、元々信仰心から予知能力を持っていたところに、催眠をかけられてそのような暗示を入れられたら、透視能力も発現したと言われています。時間を越えて未来を見るのと、空間を越えて透視するのが根源的には同じ能力と言うことになります。(比較的最近面白く読んだコミックの『4D』にもそのような状況が登場します。)

『X-MEN』シリーズでも、女優が入れ替わり続け三代目でエレン・ペイジに定着したキティは壁ヌケ少女から時空越えの大技を繰り出すミュータントに変わっていました。これも、根源的に同じ能力なのだと言われれば、まあ、一応納得はできます。本人達自身も分からない自分の能力の広がりを、第三者が定義すると言うこと自体に無理があると言うのも、或る意味、非常に現実的な設定と言う風に見ることもできます。しかし、それをやったら、SFの超能力戦が全部イミフな戦いになりかねません。さすが、現在の政治体制から宗教観から全否定の古代エジプトオヤジの考え方はぶっ飛んでいます。

 こんな風に個々のミュータントの能力が今一はっきりしないことに加え、ミュータント同士の戦い、ないしは、ミュータントの能力を発揮した対人類戦も、劇中の時間長として、今一つ少ない感じがします。これも先述の『ジョジョの…』的な楽しみ方が多い私には、結構残念ポイントです。

 一番よく分からないのは、顔面蒼白ではなく、どっちかと言うと顔面蒼黒的な感じのおっさんが、映画冒頭に出てくる紀元前のクーデターで埋められてしまってから、蘇っていたのかいないのかです。『X-MEN:ファースト・ジェネレーション』に出てきたCIAのおばちゃんがこの点を調査していて、おっさんが四人の騎士を従えて何度か歴史上現れているような説明をしています。そしてそのたびに、殺戮や破壊をもたらしていると言うのです。そのようにしないと、確かに古代エジプトのおっさんが、色々な能力を蓄積できた理由が説明できないので、一応そうだと仮定します。

 すると、なぜおっさんが今回登場する時も地中深くのやたら不便なところに埋まっていて、CIAのおばちゃんが開け放って忘れたままにした扉から入った光で、“たまさか”蘇るようなことになってしまっているのかが、全く説明できません。

 大体にして、4人も凄いミュータントを連れて、X-MENもいないところで過去に暴れ回れば、そう簡単に打ち破られることはないでしょう。それなのに、歴史上、何度も復活してはそのたびに封印されていると言うことならば、余程戦略性のない低レベルのおつむの持ち主のように思えます。さらに、冒頭に描かれる古代エジプトのクーデターと同じ場所の地中奥深く封印されるのさえ繰り返しているのだとしたら、もう馬鹿としか言いようがありません。学習と言う言葉は古代エジプトにはなかったのでしょうか。

 復活してからいきなりコソ泥生活をしているストームを発見し、ストームのヤサで今どき珍しいブラウン管テレビを見て言語を覚えると言う『寄生獣』のミギーを見習ってほしい向学心の低さですが、それでも、驚異的なスピードで言語を覚え、いきなり英語を話せるようになっています。しかし、その後は『寄生獣』のミギーどころか『チャッピー』の人工知能を持つロボットのチャッピーよりも学習は進まず、人間の思考やその他諸々、全く学習しないのです。ミュータントが支配者になると言う考えに凝り固まっているから、そういうことになっているようですが、だからこそ、毎度復活するたびにひと暴れするのが限界で、すぐに封印されてしまうと言う、人類にとっては、詰まる所、台風とか地震並みの災厄でしかないのかもしれません。

 さらにこの超絶悪化した肝硬変患者のような青黒い顔のアラブおっさんの低能ぶりは続きます。現れるたびに4人の従者となるミュータントを引き連れているとCIAのおばちゃんが言っていて、「黙示録の四騎士」などと呼んでいるので、何か運命的な作用で、この四騎士は(例えば輪廻転生を繰り返すなどして)おっさんの下に集まってくるのかと私は思っていました。ところが全くそんなことがないのです。

 呆れたことに、ただ行き当たりばったりに、会うミュータント毎に例の潜在能力を引き出す能力をやって見せて、「どうよ、ついてこねぇ?」みたいな感じで、御一行様に加えるだけなのです。つまり、桃太郎方式で、現れた犬やら猿やら雉やらに、キビ団子を与えてテキトーにメンバー構成をしているのと同じ構造です。そこには、ダンジョンを攻略する剣士のパーティー構成のような知恵もへったくれもあったものではありません。

 おまけに、四人揃っているのに、チャールズ・エグゼビアの能力を知ると、すぐスカウトに駆けつけて、一時的にしろ、仲間にすることに成功しています。これでは「五騎士」になってしまっています。一部の文明では数字が「1、2、3、たくさん(=∞)」と言ったカウントをすると聞いたことがありますので、低能のおっさんが、3以上の数が「たくさん」と認識されている文明の出身者なら辻褄は合います。しかし、古代エジプト文明では天文や数理の研究は非常に進んでいたはずなので、数字の4と5の違いが分からない訳ではないのだろうと思います。そのように考えると、アラブのおっさんは単に好い加減な性格なのだとしか解釈がつきません。

 さらに、自分がチャールズに転生を行なおうとして、かなり時間がかかり大掛かりな手続きを踏まねばならないのですが、その間の時間稼ぎを「騎士」にさせることにします。転生対象のチャールズ・エグゼビアを抜くと、四騎士が残っていて、鋼鉄の羽で飛び回るエンジェルと、何でもかんでもぶった切る黒髪の刃物気違いの女と、ストームと、マグニートーです。どう考えてもマグニートーが防衛力としては最強です。それなのに、マグニートーには、地球の地殻レベルからの金属構成の分離のような大仕事をやらせておいて、防衛にあたらせないのです。

 鋼鉄の羽で飛び回るだけの男と刃物気違い女と、シリーズ前半三部作とは異なり、全く戦い慣れていず、ただのコソ泥チンピラ上がりのモヒカン・ストームでは、戦い慣れているメンツを複数抱え、近代装備を要し、おまけに人数だけでも結構いる即席X-MENチームに歯が立つ訳がありません。善戦空しく(おまけに戦略的に撤退しながら時間を稼ぐと言った発想も全くないので)あっさり破れます。

 この戦略的に致命的なミスをしておきながら、アラブの顔色の悪いおっさんは、負けて倒れている騎士を見て、「役立たずが!」と(実際には違うと思いますが)舌打ちしている感じのセリフを吐くのです。これがきっかけとなって、生存している騎士やらマグニートーやらがちゃっかり離反していくことになります。何世紀生きても人心掌握術も学ぶことができない低能なおっさんの惨めさが際立ちます。見下している人間の心は、掌握せずともチャールズ・エグゼビアの能力を獲得してガンガン操ればよかったでしょうが、せめて、表面だけでも「わが子供よ…」などと仲良し選民モードでいるミュータントに対しては「“ミュータント心”掌握術」をマスターしておくべきでした。

 今時、零細企業の社長でさえ書籍で学ぶ、組織運営の根幹である、ランチェスター戦略論とか、動機づけ基礎理論などを、何十世紀も生きてなぜ学ばないかなぁと考えざるを得ません。テレビばかり見ていると馬鹿になるどころか身の破滅につながると言う、非常に良い教訓を身を持って示してくれる、笑えるおっさんでした。今回は転生に失敗した上に完全に滅ぼされたので、多分もう蘇ることはないのだと思いますが、次に復活することがあれば、是非スマホでSNSにハマりすぎて身を滅ぼす失態を演じて欲しいです。おっさんのあらゆる失敗劇を振り返ると、昔のドリフの番組のようなおかしさが何度も込み上げてきます。この作品をこんな風に楽しんでいる人間は少数派だとは思いますが、私にはギャグに思えるほど、おっさんのハズレっぷりは強烈なのです。

 いずれにせよ、SF映画として表面的な評価をすると、私には、ミュータントの人間ドラマに加え、地球規模の破壊シーンなど大仰なSF大作的な見せ場はやたらに配置されているものの、ミュータントの個性の発揮が今一…と言った感じです。ただ、よくよく見ると、アラブのイタイおっさんの破滅コメディーだと思え、馬鹿に笑える映画でもあります。このアラブのおっさんは(古代エジプト出身なので当然ですが)時代錯誤の格好をして、頻繁に白目を剥いて、テレビ番組で覚えた下手糞な発音の貧弱な語彙の英語で時代錯誤の発言を繰り返します。これは、米国で流行っているピンのコメディアンがよくやるアブない人種ネタのギャグを連想させます。『ディクテーター 身元不明でニューヨーク』や『帰ってきたヒトラー』などと対比してみると、よりこのギャグのポイントが鮮明になりものと思います。

 DVDは買いですが、少々、SFとしてのインパクトの弱さは否めません。それが、早い段階で広く拡散してしまって、観客動員が現状のような状況だったのかもしれません。帰りのエスカレータで私の後ろにいた若いカップルは、よく分かっている『X-MEN』ファンで、「なんでチャールズが坊主になったのかこれで分かったけど、パラレル・ワールドの最初の3作の方の世界で、なんで禿げているのかの説明にはならないよねぇ」などと会話していました。これぐらいのファンでないとついていけない作品になってしまった可能性はあります。

『X-MEN』シリーズはこれで完結と言う話ですが、またマーベル映画のいつものパターンのこれ見よがしのエンドロール後の映像があり、ウルヴァリン逃亡後の破壊された基地から背広姿の男達がウルヴァリンの血液か何からしいものが入った試験管を持ち出していきました。そのカバンにはロゴが入っていて「エセックス社」となっていました。

『X-MEN』シリーズは完結した後に、この映像は次の『ウルヴァリン』作品の伏線になっているらしいことが、パンフを見ると分かります。『ウルヴァリン』のシリーズは、『X-MEN』シリーズに比べて私の評価は低いので、観に行ってしまうとは思いますが、期待はあまり湧きません。